Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー上田假奈代(こえとことばとこころの部屋ココルーム)(Rooftop2017年5月号)

釜ヶ崎で表現の場をつくるゲストハウスとカフェと庭、ココルーム

2017.05.01

谷川俊太郎との出会い、こころのたね

 

 ココルームには「詩人の部屋」と名付けられた部屋がある。部屋には詩人の谷川俊太郎が滞在した時に書いた詩「ココヤドヤにて」があり、部屋にあるノートには宿泊者がその詩を継いでそれぞれの詩を綴っていく。上田にとって谷川俊太郎さんとの出会いはどういうものだったのだろうか?

 

上田:最初は自分の活動を書いた手紙を谷川さんに送ったんです。でも谷川さんに届く手紙は膨大な数なのでとても読んではもらえないだろうと思ってました。私は時々素っ頓狂なことをしてしまうんですが、ちょうど20代の頃に宮沢りえさんのヌード写真集『サンタフェ』が出たんです。その広告には宮沢りえさんと篠山紀信さんの名前だけしか載ってないんですが、それでも写真集がすごく売れるわけです。やっぱりネームヴァリューがすごいんだなと思いつつも、ふとその時「裸なんか誰でも持ってるわ!」と思ったんです。当たり前だけど世の中には無名の裸がいっぱいありますよね。それで自分の裸の写真を1000枚ほど印刷して、年賀状にしたんです(笑)。その年賀状を谷川さんにも送ってたんですが、谷川さんは今でも憶えていて大笑いされます。

 ココルームがフェスティバルゲートにあった頃は、同じ場所にアート系のNPOがあったこともあって、世界中からたくさんのアーティストがココルームにも訪れました。それが2007年にフェスティバルゲートの現代芸術拠点形成事業が突然終わり、移転を余儀なくされました。自分で選んだ西成で喫茶店としてココルームを再開したのですが、そのとたんにいわゆるアート系の人達は誰も来なくなった。「あなた、アートをやりたいのなら、なんで難波や船場じゃなくて西成なんかでやるの?」と面と向かって言われたことも。わたしは誰もやってないことをアートとしてやってみるのが面白いのに、と思いましたが、本当に誰も来ない。ここがオモロイ場所だということをどう伝えたらええんやろ、と悩んだんです。その時「そうや!谷川さんを呼ぼう!」と思いついて手紙を書いたんです。そしたらすぐ電話がかかってきて「假奈代ちゃん、僕は言葉の力なんて信じてないの。お金の力を信じてる。だから僕はあなたにお金をあげたい」と言われたんです。それで私は「谷川さん、お金も大事だけど、いま私は日本一の詩人であるあなたに釜ヶ崎に来て欲しいんです。客寄せパンダになって欲しいんです」と言ったら、「わかった」と。

 それで谷川さんは私と一緒に釜ヶ崎の街を歩いて「路上」という一本の詩を書きます。谷川さんはこの街を気に入った様子で、すごく居心地よさそうに歩いているんです。「僕はお金のない生活が怖くてとてもできない。だからここの人達を尊敬します」と。私がこれまで釜ヶ崎で出会ったおじさん達のことを谷川さんに話したんです。「路上」の詩にはそれが断片的に入っています。谷川さんが捉えた釜ヶ崎と、私に話してくれたおじさんことばを伝え、重層的な「こたね」になってる。すごくいい詩ですね。

 

 

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「詩人の部屋」には谷川俊太郎さんが宿泊した時に書いた詩がある

 

 「こたね」とは「こころのたねとして」というアートプロジェクトの略称だが、この「こたね」こそがココルームの重要なキーワードになっている。上田はココルームをやっていくうちに「自分らしさへのこだわり」よりも「世界を記録したい」という欲求が高まり、目の前の「人」とのおしゃべりの中から作品を作る手法を見つけた。「あなたの好きなものを教えてください」「人生を語ってください」「仕事について語ってください」というお願いをして、話を聞いて作品を作る。無名の人間が自分の人生について語り、他者によって再構築され、自分の人生と出会い直す、それが「こたね」というささやかな試みとして上田の表現活動の核となっていった。

 

上田:私はもともと人とうまく関われなかったんですが、今は大阪のおばちゃんとして立派に成長しました。先日も電車に乗ってたらなぜかその辺りだけ席が空いていて、そこに酔っ払ったおっちゃんがいたんです。私はふだんから慣れてるし、普通に横に座ったらそのおっちゃんに話しかけられて、いつものごとく話してたんです。それで別れ際に「ねえちゃん、幸せにな!」って手を振られたんですよね。考えてみると、見ず知らずの人に幸せを祈ってもらえるってすごく幸せなことですよね。別に何者だと名乗らなくても、出会ってお互い人生にいい影響を与え合っていると思うんですよね。釜ヶ崎にいると、孤独を引き受けた人のやさしさの深さをすごく感じます。家族がいないとか、大切な人を亡くしたとか、どうしようもない孤独。その孤独がその人の中に沈みこんで、そして他者にひらかれる瞬間、真の孤独となって、おかしみと希望が見えてくる。

 

 「こたね」というユニークな試みは、フリーな手法として上田の手を離れ、舞台やワークショップなど様々な形で実践されていく。ココルームや後述する釜芸(釜ヶ崎芸術大学)も含め、上田の表現活動は、日本だけでなく世界中から注目されているが、当初はアート界から全く理解されなかったそうだ。

 

上田:2003年頃はまだ、美術界はいい作品を作ってナンボという世界だった。私は京都にいた頃は最先端に近いところで映像作家や音楽家と一緒に活動していたと思うので、それなりの期待をされていたかもしれない。それがココルームを始めると「あんたなんでそんな貧乏人とか困った若者とかに関わっていいことしてんの」と言われて、「いいことしてる訳じゃないのに…」と思ってました。実践するためにはお金もいるから、助成金をとりにいきますよね、そのときは〇〇支援という言葉も書かないと取れないから、そう書いたのは確か。「あなた詩人なんだから、そんな言葉をつかわずやりなさいよ」と言われ、最もだと思うけれど、当時は言葉よりも「実」をとらざるを得なかった。ちょうどその頃、高祖岩三郎さんのエッセイを読んで励まされました。これまでアーティストが仕事としてお金を稼ごうとしたら作品を買ってもらう、つまりお金持ちの人達に買ってもらえる作品をつくることになるという状況があり、でもアートの仕事はそれだけじゃない、と。社会や世界とどう関わるか、その工夫もアートだと、そういうエッセイです。ただ、ココルームはいわゆるアクティヴィストの活動とも違うんですよね。いわゆる運動的なものでもなく、もっと地べたにいて、仕事でもあり、日々の生活を営みながら場を開いていく。もっと土着的というか、だからいつも社会とアートの境界にいますね。

 

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ココルーム移転1周年イベントでは釜芸出身あーさーさんの落語が披露された

 

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム
上田假奈代=著(フィルムアート社)

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