時代を変えた功績はある
── ロフトは西新宿から数えて35年、歌舞伎町に移転して13年を迎えます。
海北:ロフトが東口に移転して、歌舞伎町のまん中の道を抜けるのがすごいおっかなかったですね。でも35年ってすごいですよね。
── 生まれてないですもんね。
藤井:んっ?
── 西新宿のロフトに行かれたことある方っています?
海北:かろうじて僕は学生の時に西新宿にあったロフトに行く機会があって、昔のロフトも経験しているんです。西口のロフトの入り口で記念写真を録りました。
── 何を見に行ったんですか?
海北:熊谷の先輩のバンドが昼の部のライブに出ていて、ローディみたいな感じで付いていって、その後もロフトは絶対に行きたいってスタッフとして連れて行ってもらって、楽屋の椅子とか落書きだらけの壁を見て1人ですごい興奮してましたね。
── その当時海北さんもバンドをやっていたんですか?
海北:やってました。それで、いつかここに立つぞと思っていたらコンクリートで埋まっちゃって。階段降りてフロアを見渡した時の段々になっている感じがかっこよかったですね。高崎TRUST55というライブハウスがBOφWYのお膝元の群馬県にあって、ロフトのミニチュアみたいなライブハウスだったんです。100人ぐらいしか入れない狭い所なんですけど、段々がちゃんと作ってあって。今は改装して変わっちゃいましたけど、デフォルトでギターアンプとベースアンプがテレコになっていてギターが下手。そこは僕が15歳で初めてライブをやった会場なんですけど、ライブハウスに出ている先輩が「東京にはロフトというライブハウスがあって、ここはそれをモチーフにして作られてるらしいよ」と聞いていたので、いざ17歳でロフトに行った時の感動はすごくて、ホント忘れられないですね。リハーサル終わって近くにあったビニールとかのレコード屋を巡って、ALLMANでイースタンユースの“極東最前線”のチケットを買って。…すごい甘酸っぱい気持ちになってきた(笑)。
── 最近入ったロフトのスタッフは平成生まれの子が圧倒的に多くて、西新宿時代の話は先輩から聞いているかもしれないけれど、もう話せる先輩もそんなにいないんですよ。西新宿時代のロフトは体育会系もいいとこだったから、私もすごく怖くて近寄りたくないって思ってました(苦笑)。
海北:一時期のシェルターをさらに濃くして、そこにバイオレンスを振りかけるというのが西新宿のロフトの打ち上げだったらしいよ。
藤井:そう考えると僕らの年代は温厚な人が多いね。
海北:そこを変えた功績はありますよね。
── 世代によっても見てきたライブハウスのシーンは変わりますよね。伊藤さんの年齢になるともっと平和な時代になっていると思いますし。
伊藤:平和でした。ライブハウスに行き始めたのはバンドを始めてからなんですけど、バイオレンスという意味での怖い先輩たちはいなかった気がします。
── 伊藤さんが初めて見に行ったライブは何だったんですか?
伊藤:友達のライブを見に吉祥寺のシルバーエレファントに。
── 初めて出たのはどちらになるんですか?
伊藤:大宮ハーツです。出身が埼玉なんですけど、勢いのあるライブハウスといえば大宮ハーツでしょって言って。大宮ハーツが西川口に移って、そのきっかけで北浦和KYARAや都内に出てきた感じですね。そこでKYARAや下北沢ERAで仲間が出来るようになって。
── 音速ラインの東京の初ライブは?
藤井:初ライブは新宿JAMだよね。コール天の企画に誘ってもらって。その時に、クーラーボックスにビールを入れて持っていったんだけど、終わったらベロベロになっていて機材を全部置き忘れてクーラーボックスだけ持って帰った(笑)。それが東京の初ライブかな。
続けている人が出す音の素晴らしさ
── LOST IN TIMEが初めてロフトに出たのはいつぐらいになりますか?
海北:確かその時も樋口さんの企画で、ダブルオー(OO TELESA)とストレイテナーとLOST IN TIMEだったような気がします。
── 新星堂の方と一緒にやっていたCOLORFUL HOLICですね。もう10年以上前ですよ。(2002年6月30日新宿ロフト“新星堂&LOFT presents COLORFUL HOLIC”Gash / SCHOOL GIRL '69 / ストレイテナー / OO TELESA / フジファブリック / LOST IN TIME / farmstay 惑星 / 中原明彦)
海北:ロフトは思い出がいっぱいあるんですよ。THE 3PEACEというザ・ブルーハーツの梶原徹也さんがやってたバンドがあったんですけど、そのレコ発を見に行ったら、ボーカルの原さんが急性肝炎でライブが出来ないってなって。それで、共演していたTHE BACK HORNが長くライブをやったんです。(岡峰)光舟くんはまだロフトのドリンクカウンターで働いていた時で、俺はLOST IN TIMEを組む半年ぐらい前。その打ち上げに混ざって飲んでいたら、一緒に残っていたサドルというバンドのカズアキさんというお兄ちゃんが梶原徹也さんに「セッションやりたいです」って言って、THE BACK HORNの栄純くんがギターを弾いて、山田くんが歌って、俺がベース弾かせてもらって梶原徹也さんがドラムで、ブルーハーツの『青空』をやったんです。それは一生忘れられない。
── それは豪華ですねぇ! 伊藤さんが最初に出たのは?
伊藤:シリアルの時に、RIDDLEと出たのが最初だったと思います。RIDDLEは埼玉のバンドを引っぱってくれる存在で、都内のライブハウスにデビューする時は必ずと言っていいほどRIDDLEが連れてってくれて、こっちも怖いんですごく頼もしかったです。ものすごい緊張している状態でやって、打ち上げで緊張から解き放たれて飲み過ぎて、そのまま路上で寝るっていう(笑)。路上で寝るのは2回ぐらいやってますけど、どれも新宿ですね。
海北:最近路上で寝た僕の友達は財布をすられてるんで気をつけてくださいね(笑)。でも今この年に自分がなって思うのは、良い意味で脂が乗りだしている気がしますね。今やってる同年代のバンドってみんなタフだもん。そうじゃないバンドはいくら良くても離れてっちゃう。タフであることの良いものをこの日は見せたい。良いこともそうじゃないこともあって、それでも音楽と向き合ってる人たちが鳴らす音って素晴らしいよって。…良いこと言っちゃった(笑)。
大久保:前も「俺ら世代が頑張らなきゃいけないんだ」って話を海北くんがしてて。
海北:その辺はずっと変わらずやってこれてる気がして。でも僕らの世代で活動している人たちって、横や縦にいる人たちにちゃんとアンテナを張ってる人たちだと思うんですよ。その中で僕らが若い人たちに教えられることはヒントでしかないから、それを糧にしてどうアプローチしてくるのかがこれから楽しみにもなっていて、だからバンドをやってきた中で今が一番楽しいんですよ。
大久保:俺も!