アイドルが抱える苦悩や傷、生きづらさをあらわに
──「昭和九十年十二月」の中盤、天馬さんの語りで昭和九十年の全貌が明らかになりますが、あの語りには思わず戦慄を覚えるし、凄く考えさせられるんですよね。今の日本を端的にスクラップしているのも見事だと思うし。
松永:今や日本の映画も音楽もリバイバルばかりだし、新しい時代に向かっているはずなのに、過去を回顧することばかりじゃないですか。政治にしても「日本を、取り戻す。」なんて言うけど、取り戻すってことは、かつて在ったものを失ったのか? って話だし、どちらかと言えば後ろ向きな時代ですよね。そんな時代に、もし昭和という時代が続いていたとしたらこういうパラレルな世界になっていたかもしれない、というフィクションを提示したかった。僕らは音楽という良質なフィクションを創造するのが仕事だし、メディアが平気で嘘をつく時代だからこそ、僕らは僕らなりに強度のあるフィクションを提示することでメディアのつく嘘に対して別のリアリティを与えたかったんです。
──そうやって一矢を報いた作品をメジャー流通で発表できるのが痛快ですね。
松永:KADOKAWAさんはレコ倫(レコード制作基準倫理委員会)に加盟していないこともあって、歌詞に関してはメジャー・デビュー以降、一番自由に書かせてもらえたんですよ。『メンタルへルズ』、『ガイガーカウンターカルチャー』、『鬱くしい国』といった作品では規制がある中でもいろんなチャレンジをしてきたんですけど、それでもかなり厳しくて、ピー音が入ることもあったし、歌詞カードも当て字で表記することで何とか切り抜けたところがあったんです。でも今回はそういうのが全くなかったのでラッキーでした。ただ、今や政府がどこまで介入しているのか分からないけど、マスコミもタブーに非常に敏感で自主規制ばかりじゃないですか。だから「くちびるデモクラシー」の歌詞も、表現に問題があると言われてオンエアを断られたテレビ局があるんですよ。
──「殺すな、殺すな」と殺しちゃいけないよ、と唄っているにも関わらず。
松永:「殺すな」の「殺す」という字が過激すぎるとか、戦争を想起させる衣装やヴィジュアルが引っかかったりとか、そんな理由で。1930年代の日本は戦争の過酷な現実から目を背けさせるために楽しい娯楽を提供したという話を聞きますけど、今はそれと似たようなことが起きている気がするんです。現代のアイドルが多幸感や今が楽しいことを精一杯アピールすればするほど、日本の過酷な現実とのギャップが浮き彫りになってしまう。アイドル本人には何の罪もないんですけど。
──アイドルと言えば、彼女たちの光ではなく影の部分に目を向けた「平成死亡遊戯」という曲を生み出すところがアーバンギャルドの真骨頂ですね。あのさん(ゆるめるモ!)、伊藤麻希さん(LinQ)、はのはなよさん、白石さくらさんという4人のアイドルへのインタビューを曲間にコラージュするアイディアも斬新で。
浜崎:この曲のために吉田豪さんにインタビューしてもらったんですよ。
松永:吉田豪さんにはアイドルの抱える不安や葛藤、内面を引き出してもらったんです。誰しもアイドルのキラキラした部分や抗し難い強い魅力を見たいし、男のオタクたちは自身の思いを投影したアイドルたちに代理戦争をさせている部分があると思うんですよ。精神科医の斎藤環さんが『戦闘美少女の精神分析』という本でそんなことを書いていましたけど。でもその結果、少女たちはボロボロになるわけです。そういうアイドル独自の苦悩や傷、生きづらさみたいなものをあらわにしたかった。
──「平成死亡遊戯」という曲自体は、90年代のネットアイドルをオマージュしたものなんですよね。
松永:1999年に亡くなった、南条あやという初のネットアイドルと言われる少女のことを歌詞にしたんです。それとインターネットの勃興期へのオマージュですね。ちょうど僕が十代を過ごした時期で、凄く思い入れのある時代なんですよ。当時はインターネットやケータイの普及、援助交際や『エヴァンゲリオン』の流行などによってフィジカルとメンタルの乖離、リアルとアンリアルの乖離がいろんな所で叫ばれていたけど、今や誰もが乖離したものに対して気にも留めなくなってしまった。たとえば自撮りをしてる女の子でも、アプリで自分の顔をレタッチしたものが本当の顔なのか、レタッチしてない素のままが本当の顔なのか、よく分からなくなってきている。自分の顔すら正確に認識できなくなっているわけです。
──90年代は違ったと。
松永:90年代はまだ乖離したものをどうするべきかという問題意識がありましたからね。フィジカルとメンタルの乖離というのは、多分に不況も関係していると思うんです。リゲインという栄養剤のCMに坂本龍一さんの「energy flow」という癒し系の曲が起用されてブームになるような乖離の時代。それが20年近く経った今なお続く一方で、アイドルブームというものがある。その元を正せばネットアイドルとメイド文化に辿り着くと思うんです。それも源流は90年代後半ですよね。だからこの「平成死亡遊戯」という曲では、今の時代を生きるアイドルの女の子たちに90年代のネットアイドルをオマージュした曲の中で自分語りをしてもらうという、時代を超えた巡り合わせをさせたかったんです。