この声とテレキャスがないと自分の音楽は成立しない
──「海月達の踊り」のなかのコーラスで“illusion of Furegori”というフレーズが出てきますけど、これは文字通り“フレゴリの錯覚”(誰を見ても、それを特定の人物と見なしてしまう現象。妄想の一種)をモチーフにして書かれた曲なんですか。
K:自分にそんな体験があるわけじゃないんだけど、最初は“フレゴリの錯覚”っていうタイトルで作ってたんだよね。でも、ちょっとどうかな? と思うようになって、そういう現象をもっと絵画的に聴かせたほうがいいなと思い直したんだよ。景色を見せるだけって言うかね。
──まさに海月(クラゲ)達が踊り狂うようなサイケなアレンジは最初から考えていたんですか。
K:そうだね。あの長い間奏がやりたかった。ああいう想像を掻き立てられるようなカラフルな音色が好きなんだよね。
──最後の「色の無い夢」は大団円を飾るに相応しいスケール感のある曲で、夢心地のサウンドにいつまでも浸っていたくなりますね。
K:よく「昨日見た夢はカラーだった」とか「モノクロだった」とか言うじゃない? 自分はその感触がないんだよ。色が有ったのか無かったのかも分からない。
──ポール・マッカートニーは夢のなかで「Yesterday」のメロディが浮かんだそうですけど、そういう経験は恭一さんにもありますか。
K:昔、現ちゃんともよく話してたんだけど、夢のなかではもの凄くいい曲が出来てるんだよ。自分ではそれを夢だと気がついていて、忘れないで起きようとするんだけど、すっかり忘れてる(笑)。夢に関して言うと、4枚目のアルバム(『magnetism』)の時かな、録りも終わってた曲なんだけど歌詞がどこか気に入らないのがあって。その歌のことを夢で見たんだよ。夢のなかで「この曲は外そう」と思ったんだよね。あと、夢のなかで思いついたくだらない歌詞を起きても覚えていて、それをそのまま使ったこともあったね(笑)。
──恭一さんの歌詞は一見サラッと書いてあるようですけど、実は何度も推敲しているのでは?
K:正直、歌詞を書くのが苦手で、もの凄く時間がかかっちゃうんだよね。誰しも経験あると思うんだけど、集中して歌詞をバーッと書いて、翌日見たら「バカか?」と感じることってあるじゃない?(笑) それを手直ししすぎるとありきたりな歌詞になっちゃって難しいんだけどね。
──恭一さんが書く歌詞には大仰な言葉が使われていないし、平易な言葉だからこそ歌詞にまとめる作業が大変なんだろうなとも思うんですよね。
K:その人なりの言葉って絶対あると思うんだよね。素晴らしい歌詞があったとして、それはその人が書いて唄った歌詞だからこそ素晴らしく聴こえるっていうさ。そんな歌詞を誰かがマネして唄っても、どっかから借りてきた感じは拭えない。だから歌詞を書くのに時間がかかるのは、自分の言葉に直す手間があるからなんだろうね。それをやりすぎちゃって意味が分からなくなることが多々あるんだけど、その辺はレピッシュのデビュー当時から関わってるエンジニアの大英が意見を言ってくれるから助かってる。
──全編ギターの鳴りが素晴らしく良いのも、大英さんとのやり取りを経ての産物なんでしょうね。
K:自分のギターの音は、ひとつ目の完成には近づいてる気がしてるんだよね。誰かの作品にゲスト参加しても、俺の音はすぐに分かると思うし。
──ソロ名義の作品だと余計にギターの音色を際立たせてやろうと思ったりしませんか。
K:5、6年前まではそうだったかもしれない。自分の引き出しをもっと増やすために違うアンプを使ったり、弾き方を変えてみたりしたんだけど、結局は何をどうやっても俺の音になるわけだよ。だから、「この場面には絶対にこういう音が必要なんだ」っていうよっぽどのことがない限り、この自分の音のままでいいじゃないかって感じだね。ここ3作くらいはずっとそんな感じかな。レスポールをバッキングで使うことはたまにあるけど、基本的にずっとテレキャスしか使ってないしね。
──いい意味で開き直れたわけですね。
K:うん。確固たる自分らしさが見つからない時はひたすら探すんだろうけどね。俺の場合、自分のこの声とテレキャスの音色がないと杉本恭一の音楽は成立しないってことだね。
曲を作ってライブをやる以上のことを考えたことがない
──恭一さんのようなベテランでも、その域に達するまでには相当な時間と労力が必要なんですね。
K:どんなミュージシャンでもそうだと思うけど、「ここでもう出来上がったぞ」と思ったら引退するんじゃないかな。「自分のギターの音がひとつ目の完成に近づいた」なんてことを言うのは、また違う欲があるってことなんだろうね。
──具体的にはどんなことですか。
K:ここ数年、アコギにも真面目に接するようになってきて、エレキ出身の身としては音色にしろプレイにしろ一からやり直してることが多くてね。アコギだと、エレキのように「これが杉本恭一の音だ!」と言えるまでにはまだなってない。そこは精進したいね。
──じゃあ、今も練習は欠かさず?
K:練習を始めたのは40になったくらいからだよ。それまでは全然やってなかったから。何なんだろうね、突然ギターが好きになったのかな(笑)。
──(笑)それまではルーティンで弾いていたというわけでもないですよね?
K:作曲の作業にはずっと興味があって、ギターはその道具だったんだよ。ギターでもコンピューターでも何でも良かった。その割に、人が聴いて自分のギターの音だと気づいてくれるんだから嬉しいよね。そう言われることが増えたから、焦って練習し出したのかもしれない(笑)。
──50歳になってもこうして歌とギターのバランスが絶妙な作品を生み出せるわけですから、まだまだこのペースで行けそうですね。
K:これまでもずっとそうだったんだけど、曲を作ってライブをやる以上のことを考えたことがないんだよ。だからこの先もよっぽどの変化が起きない限りは変わらないんじゃないかな。
──2年前、レピッシュの25周年の節目に精力的な活動を果たして、レピッシュに関しては一区切りついた感が恭一さんのなかにはあるんですか。
K:20周年の記念ツアーは、当時のスタッフがやろうと音頭を取ってくれたんだよね。でも、現ちゃんの病気のこともあったから、ちょっとやり切れなかった部分も残ってさ。だから25周年の時は俺のほうからみんなに声をかけて、1年間思いきりやったんだよ。
──今回のような聴き応えのあるアルバムを聴くと、もうレピッシュのことは一旦脇に置いてもいいんじゃないかと思うくらいなんですが。
K:まぁ、現ちゃんが亡くなった以上、レピッシュのメンバーが揃うことはもうないわけでね。この先絶対にやらないってことは全然ないけど、自分が今一番やりたいのは杉本恭一の音楽なんだよね。8枚目のアルバムもすぐに作りたいけど、最近は時間の動きが随分とのんびりになってきてるので、次のアルバムが5年後とかにならないようにしないと(笑)。「来年も作るぞ!」くらいの勢いでいれば、2年後にはできるかもしれない(笑)。
──ギターを弾く楽しみを実感している今だからこそ、ますます充実した音楽生活を送れそうですね。
K:今はどんどんナチュラルになってきてるし、何の我慢もしてないしね。外注の仕事でも、やりたくないことは運良くやってないので。「こんなの何が何でもやんねぇ!」って言ったことは、多分40を越えてからはないと思う(笑)。20代の頃は自分に力もないくせにそんなことを言ってたね。何せグラビア撮影の日々だったから(笑)。
──「Composition」の歌詞に出てくる言葉ですが、今の恭一さんにとって“守ること”、“願うこと”とはどんなことですか。
K:思い浮かぶのは、自分の身近にいる好きな人たちのことかな。俺たちには理解できないことが多々起こるような難しい時代だけど、それでも身近な人たちの幸せを願うって言うか。そういうエネルギーを使うことが増えたよね。
──そんな難しい時代にサバイブする術が恭一さんにとっては音楽であると。
K:そうだね。それで生活しているという以前に、音楽のお陰で俺は生きていられる。音楽に携わってる人はみんなそうだと思うけどね。こんな時代だからこそ音楽が発揮できる力があるはずだし、音楽が鳴らなければ俺は掃除もできないからさ(笑)。