総合力の高い7曲が揃いました
── ラストの『ミニブル』は余韻を残して終わる感じがありますが、前半3曲は「飛べ」とか「走れ」とかポジティブなメッセージに疾走感のある曲が多く、後半は叙情的な歌詞とメロディーが多いですね。
河内:『ミニブル』はどこに入れるかわからなかったけど、最後が良いかなって。5曲目の『嘘つき少年より』から6曲目の『カゲロウと夏』で夏を意識した雰囲気であって、『ミニブル』はライブのアンコールの曲みたいな空気感で最後かなって思ったんです。
── ここまで強力な曲が揃うと、曲順を決めるのに悩みそうですね。
仲道:総合力の高い7曲が揃いましたね。
── そのままライブのセットリストにしても良いぐらい、気持ち良く聴ける流れになりましたし。
伊井:確かにライブでそのままやっても良さそうですね。
河内:ライブばっかりやってるせいか、全体の聴く流れみたいなものはミニアルバムは特にそういうイメージになるんでしょうね。今回偶然なんですけど、前半3曲の作詞・作曲が良で、後半は俺が作った曲なんです。良が書いた歌詞に、後から俺が言葉を付け足していく感じで進めていったんですけど、良の歌詞はポンポンと違う場面に移るので歌う時にグッといかないところがあって、気持ち良く歌えるために申し訳ないと思いながら言葉を書き足す。良が気に入るか、俺が気に入るか。でも、あまり文句も言われずにやれてます。たまに言うけど。
仲道:よっぽど景色が違ったら言いますけど。
河内:だから、良が歌えばって毎回言ってるんですけどね。歌わないみたいですね。
仲道:毎回丁重にお断りしています(笑)。
河内:あと、なぜか俺の声のキーを意識して持ってきてくれない(笑)。歌ってみなきゃわからないみたいな状態なんです。
── キーが合わないというのもあるんですか?
河内:やむを得ず裏声にしたらハマったとか(笑)。妙に低い曲もたまに現れますよ。
── それは自分が書くところじゃない面白さでもありますよね。
河内:客観的にみんなも、そのぐらいの低さが河内くんの声はいいんじゃない? って言ってくれたりして、そのままにしたりする。1曲目の『after school planet』とかはそんな感じです。
ショウダ:『桃源郷』は河内くんの声の一番気持ち良い部分が出てるなという気はしています。
── ところで、『さよならリリー』というタイトルはどんな意味を持たせているんですか?
河内:含みのある意味合いをたくさん込めているんですよ。あんまり表には言わんでおこうというものもあります。リリーというのは夏の花で、どんな意味があるのかを調べたらいろいろ出てくると思うんですけど、聴いてくれた人がそこまで考えてくれるかは別として夏に馴染むタイトルにはなったのかなと思います。
── この作品の後半の曲は特に、夏の終わりの感傷的な雰囲気がありますね。
河内:曲が集まって、アルバムを作ろうってなった時はそういう空気でしたね。それがタイトルにもうまくはまったかなと思います。青臭いイメージというか、青春っぽいとか、思春期の風が吹くような感じを含んでます。
── 曲はいつぐらいから作っていたんですか?
河内:前作のシングルを昨年の11月に出して、それ終わりぐらいから。
ショウダ:元ネタがあったものもありましたけど、基本的に良と健くんが曲を作って、出来たよって持ってくる時もあれば、ライブをやっていく中でこういう曲が欲しいねとか、2月のワンマンで20曲ぐらいやりましたけど、もっとこういう曲あったらセットリスト組みやすいという話をして、十何曲とかあがってきた中から次はこれ入れていこうかって出来たアルバムですね。元ネタ自体はわりと最近のものが多いかな。
── ライブの良さが作品にちゃんと入れられているから、ライブを想起するし、これを聴いてライブに行きたいと思う人もいそうですね。
ショウダ:そうなれば嬉しいですよね。でも、ライブではまたCDとは違うものを見せられると思います。
バンドの結成は中学生
── Rooftopでインタビューをするのは初めてなので、今日は昔のことも少しお聞きしたいと思っています。結成は2001年の中学生の時だそうですが、結成したきっかけってどんなだったんですか?
仲道:文化祭があって、それに出ようって話だったんです。
河内:結成当初は文化祭のためのバンドだったので、ライブ活動はほとんどしてなくて、コピーをやるのが主でした。
── 何のコピーをやっていたんですか?
河内:最初はBUMP OF CHICKENの曲を3〜4曲文化祭のためにやって、中3ぐらいの時にB-DASHやモンパチやハイスタなど、その時聴いていたメロコアや日本語ロックのバンドをコピーしてました。
── オリジナルを作り始めたのはいつぐらいですか?
河内:中3ぐらいですね。表に出す機会がなかったんですけど、この人(仲道)がアコースティックギターで遊ぶことを趣味にしていて何曲か作っていたので、俺も作ろうという流れはありました。
── 当時作っていた曲は今では演奏していないんですか?
ショウダ:『μ(ミュー)』に入ってる『lightning』という曲とかは、高校の時に作った曲です。
河内:大分では田舎の高校生バンドにしては精力的に活動をしていたと思います。高校生の時に、県外にライブをしに行ってましたから。
── 初めての県外は?
河内:広島です。
ショウダ:河内くんの父ちゃんの運転で。
河内:九州内は電車で行ったりもしてましたね。
── 九州を出て、もっと県外でライブをやりたいって思ったんですか?
河内:広がるだけ広がればって思ってました。
ショウダ:高校生の時からお世話になっていた先輩のおかげで、ツアーバンドとライブをやらせてもらえる機会がたくさんあったので、僕らもゆくゆくは車の免許をとって全国ツアーをするもんだと必然的に思っていたんです。
── その後大学進学を機に活動の拠点を大分から福岡に移しましたが、東京に出てきたのはいつになるんですか?
河内:ちょうど3年前ですね。『μ(ミュー)』が2010年の1月20日に出たんですけど、その年に最後の福岡でのイベントをやって上京したんです。
ショウダ:前に所属していた事務所が東京にあって、大学卒業してどうするかという話になった時に、バンドをやっていこうという話から拠点をどこにするかという話になって、もっと精力的に活動したかったので事務所が東京にあったのもあって上京しようって。
── 東京のほうが活動はしやすいですか?
河内:だんぜんそうですね。どの土地にも行きやすくなりました。