確固たるオリジナリティがあるから装飾は要らない
──百怪ノ行列から浅草ジンタへと音楽的変遷を重ねていく中で、デスマーチ艦隊のような音楽を渇望するファンに対してジレンマはなかったですか。
「『今日は凶です恐怖です!』の頃にはもう客が入れ替わってましたからね。ただ、地方へ行くと批判が多かったのは事実で、ウッド・ベースを持ってない俺なんて、コアなファンから見ればあり得ない姿なわけですよ。だからまぁ、デスマーチ艦隊みたいなものを求める客には『分かれよ!』とは思ったけど、今の俺はこっちの道を選んだから、っていう感じでした。彼らにとってデスマーチ艦隊はひとつの答えだけど、俺にはそれが最初のステップに過ぎなかったし。その違いを説明できないから、当時は黙ってましたね。何を言われようがまだまだ全然これからだから、ただひたすら信じた道を行くしかなかったんです」
──そのスタンスが初期の傑作『浅草ロック』として結実するわけですから、まさに信は力なりですよね。
「『浅草ロック』の頃までには自分たちなりのエンターテイメント性を確立できた気がしますね。百怪ノ行列や浅草ジンタの1枚目まではコンセプチュアルな作品を生み出すことに腐心していたけど、その一方でずっと頭の中で引っかかっていたのはデスマーチ艦隊の時の『生まれてこのかた』や『椿』みたいな曲なんです。ああいう俺たちなりの土着的な匂いのするリアルな歌を唄いたくてマッハマーチジャポニカを組んだわけですけど、『浅草ロック』の頃まではそれよりもエンターテイメント性の高い分かりやすいことをやり続けたんですよ。完全に身体に染みつくまでずっと。そこである程度確立できたから、それ以降は『生まれてこのかた』みたいにエモーショナルな歌を如何にコンセプチュアルな音で形にするかにシフト・チェンジしたんですよね」
──デスマーチ艦隊の解散から『浅草ロック』までの4年間は、和尚の音楽人生にとって修養を積む重要な時期だったと言えますね。
「今みたいな活動のペースであの4年間を過ごしていたら、今の浅草ジンタはなかったでしょうね。ホントにディープにバンドと関わっていたし、売れる売れないは関係なく、如何に自分の目指す音楽性を確立するかに躍起になっていましたから」
──その意味でも、今回の再発は自分の恥部を見られるようなところがあるんでしょうね。
「うん、それはありますよ(笑)。浅草ジンタ名義のものは、写真も含めて未だにちょっと恥ずかしいですね。デスマーチ艦隊はもう振り切って、完全に向こう側のものだからいいんだけど」
──それを補う意味もあるのか、活動の場を世界に広げた2007年以降のベスト・アルバムも同時発売されるということで。
「現時点での代表曲を各アルバムからバランス良く選んだ感じですね。この中に『我慢出来ないのさ』っていう曲があるんですけど、実はこれ、百怪ノ行列の頃にやってた『エヴリー バディー 富士山バーン』っていう未発表曲(『「ここは浅草、恋の番外地」+8 Songs』に収録)を改作したものなんです。『~富士山バーン』は、“富士山が噴火するなんて話もあるし、もうどうにでもなっちゃえ!”みたいな歌なんですけど(笑)、『我慢出来ないのさ』はリアルな歌に変わってるんです。好みは人によって分かれると思うけど、『我慢出来ないのさ』はコンセプチュアルな部分を取り除いたシンプルな歌になってますね。面白味は『~富士山バーン』のほうがあるのかもしれないけど、そういう変化に百怪ノ行列と今の浅草ジンタの表現の違いが見て取れるんじゃないかなと」
──差し込む光で海の色が変わるように、表現する上で角度が違うだけなのかもしれないですね。
「今の俺たちはわざわざ『~富士山バーン』みたいなことを唄わなくても確固たるオリジナリティがあるから、装飾は要らないんですよ。浅草にフラッグを立てて、そこに根差した音楽を体現しているのが説明しなくても分かってもらえるはずなので」
──テイチクを離れて以降の浅草ジンタは、“ローカル・グローバル”を指針としながらギミックなしで真に迫る歌を具象化している印象が強いですね。
「そこがやっぱりテイチク時代との違いですよね。変わらないのは、先人に敬意を払ってカバーをすること。去年も『NIP POP』っていうカバー・アルバムを出したばかりですから。テイチクには往年の歌謡曲や演歌のカタログがいっぱいあって、それを掘り起こさないのはもったいないなと当時から思ってたんです。ここで取り上げなければ今後誰の耳にも届かないような名曲がいっぱいあって、勝手に使命感に燃えてましたね(笑)。それで川田義雄さんの『地球の上に朝が来る』や梅宮辰夫さんの『ダイナマイト・ロック』といった曲を『ここは浅草、恋の番外地』で取り上げたんですよ。そういうことができただけでもテイチクにいさせてもらって良かったなと思います」
形は変われど本質的なものは何も変わらない
──それにしても、デスマーチ艦隊から百怪ノ行列、浅草ジンタに至るまで、まるで全キャリアを総括するように復刻盤を連発したのは、ここで活動に一区切りつけたいという思いがあったからなんでしょうか。
「うん、ありますよ。いつも次に出す作品が答えだと思ってるし、答えじゃなきゃいけない。誰もやれなかったことを提示しつつも、内に対しても外に対しても大衆的で開かれた音楽を生み出せたら、俺はその次点で楽器云々ということではなくなってると思ってるんです。最後には自分の考える音楽というものが、自ずと外に本物の歌を撃ち放っているはずだと思うんですよ」
──今の浅草ジンタのキーワードである“ローカル発信のグローバリズム”ですね。
「要するに、ローカルとグローバルを行き来しながら伝えたい人にどう伝えるのかが答えなんですよ。もしかしたらローカルにウチの親みたいな世代へ照準を合わせるべきなのかもしれないし、グローバルに向けてのアピールがもっと必要なのかもしれない。それが今後の大きな課題だし、いずれにしても今まで以上に外へ向けて迎撃しなきゃいけないと思ってます」
──来たる新作の構想はすでにあるんですか。
「少しだけコンセプチュアルな方向性に戻るような気がしてます。一度、フリー・ジャズ系のドラマーがウチに入ったんですけど、それがとにかく自由なヤツで(笑)。たとえそれが歌ものだろうと、俺が唄ってるのに急に叩かなくなったり、ヘンなタイミングでテンポを落としたり、とにかくどこでもフリー・ジャズっぽい自由なヤツだったんですよ。でも、仕方なくそれに対応してたらみんな実力がついてきちゃって(笑)。どれだけフリーキーな感じで演奏しても、誰かが浅草ジンタっぽい方向に持っていけるようになったんです。そのお陰でどんなフォーマットでもやれちゃうので、今は自分たちの個性を如何に制限するかが逆に大事だなと思って。三味線でビートルズを弾いて和を感じさせるみたいなことはやってないし、普通の楽器を使って如何に自分たちのパーソナリティを出せるかが勝負なんですよね。まぁ、これからも攻めたいですよ」
──和尚にとってこの“テイチク・イヤーズ”はどんな時期だったと言えますか。
「軍隊学校でしごかれたみたいな(笑)。何せデスマーチ艦隊の売り出し文句が『義務教育からやり直しさせます(by テイチク)』だったし(笑)。でも、あらゆることを学べたのは確かです。世間に向けて牙を剥き出しにしていた俺に、徳田さんを始めテイチクのスタッフは懇切丁寧にいろんなアドバイスをしてくれたんですよ。当時のエグゼクティブ・プロデューサーだった野口さんからは『“文明堂”に涙した。これからもっと多くの人に感動を与えて下さい』って言われて、唖然としたんですよね。一般的にやっちゃいけないような音楽だったりスタンスだったはずなのに、そこで賞賛されるとズッコケちゃうって言うか、“俺のどこがいいんだろう?”って考えるようになったんです。でも、そんな声をもらって創ることに対して意識的になったんですよね。それまでモノをどう創るかは考えてきたけど、コミュニケーション・ツールとしての音楽を認識するようになったんですよ。それはテイチクにいたお陰ですね」
──今回の復刻プロジェクトは、これまで和尚がイニシアティブを取ってきたバンドの軌跡を見つめ直す絶好の機会だったと言えるのでは?
「ホントにそうですね。ほんの数枚欠けただけで、ほぼ全キャリアを総括したことになるので。まだ冷静になれない部分もあったけど、自分の中でずっとモヤモヤしていた部分が取れた気がしますね。初期衝動だけで突っ走っていたデスマーチ艦隊の頃から今日に至るまで、形は変わったかもしれないけど本質は何も変わってないことを今回の復刻を通じて理解してもらえると思うんですよ。まぁ、全然一貫性がないと感じる人もいるだろうし、一本筋が通ったように感じる人もいるだろうし、受け止め方は人それぞれだろうけど、そういう投げかけができただけでも大きな意義があると思いますね」