歌謡コーラスグループ"純烈"の3枚目となるシングル『恋は青いバラ』が1月9日にリリースされた。今作は、これまでに数多くのヒット曲を生み出してきた水木れいじが作詞を、中川博之が作曲をそれぞれ手掛け、偶然再会した元恋人との秘め事が描かれた大人の色気が漂う作品。さらに、これまで以上に艶が増したリードボーカル白川裕二郎の歌声はより情景をドラマティックに映し出し、そしてどこか懐かしさを感じるサウンドに心を揺さぶられることだろう。
それぞれが俳優やバンド等の経験がある6人が集まり、2010年に1枚目のシングル『涙の銀座線』を発売し、今作から日本クラウンに移籍。活動開始当初から掲げている紅白出演を目指して再び覚悟を決めて進み出した。
実は純烈のメンバーには元ロフトプラスワンのプロデューサーが在籍しているという縁もあり、今回のインタビューが実現した。まずは純烈を知って頂き、そしてその魅力を感じて欲しい。(interview:やまだともこ)
L→R:酒井一圭、後上翔太、友井雄亮、白川裕二郎、小田井涼平、林田達也
「純烈って何?」
── 3枚目のシングル『恋は青いバラ』がリリースされましたが、まだまだ「純烈って何?」って思っている人が多いと思うので…。
酒井:日本の全国民がそう思ってると思います(笑)。
── なので今回のインタビューは純烈を知ってもらうところから。そしてまずはなぜ今ムード歌謡をやろうと思ったのかをお聞きしたいです。
酒井:ムード歌謡は…Rooftopには本当のこと言いますけど、ちゃんとお仕事になると思ったからです。
── これで生活が出来るんじゃないか、と。現実はどうですか?
酒井:メンバーがどう思っているかわからないし、まだ生活出来るというレベルには至ってないですけど、俺はすごく順調だと思っています。思い描いた形に向かっているスピードは自分が思っているより速いですね。
── 2010年6月に『涙の銀座線』でデビューした時は、3年後や5年後ってどうなっていると想像していました?
小田井:結成が2007年になるんですけど、3年ぐらいが勝負かなと思っていたので5年後はもうやってないと思ってました。
── その結成から3年目がちょうどデビューの年ですが、そうなると必然的に続ける以外選択肢がなかったというか。
小田井:やってからわかることがたくさんあったんです。ムード歌謡の先輩方にお会いしたり、共演させて頂く中で、予期せぬ出来事と言いますか、ムード歌謡界を自ずと背負わされている感じがあって。会う先輩会う先輩に、「お前らがやってくれないと、このジャンルなくなるから頑張ってな」って言って頂くし、ステージに立つと今度は年配の方を中心に同じく昭和を生きてきた方々が僕たちを受け入れてくれている実感があって、ムード歌謡がどんなものかを肌で感じながら、その中で自分たちの色を出しつつ試行錯誤しているうちに、結成から5年という期間があっという間に経ってました。今やっとスタートラインに立ったという感覚ですよ。始めてみると、下積みで普通に3年とか5年かかるんだなという感じです。
── その間に小田井さんは40歳を越えて。
小田井:年齢的には焦ってるんですけど、このジャンルは焦ってやっちゃいけないと思っているので、心地良くやれれば良いのかなという感じですね。
林田:僕は加入して4年ですが、デビューして3年後には紅白への出演も果たし、アジア進出しているつもりでした。でも現実は難しいですよね。全然納得してないですし、もっともっと上に行かないとと思っています。
後上:僕は当時は何も想像していなかったです。他のみなさんのように、昔から俳優で活躍していたとかステージに立っていたというわけではないので、芸能界ってなんだろうということころから。リーダー(酒井)に「やってみる?」って言われたところから始まって、でも挨拶の仕方もわからないし、デビュー出来る日を具体的に想像出来ていなかったし、『涙の銀座線』をリリースした段階では2枚目の具体的な想像もしていなかった。ただ経験を重ねていく中で確実に言えるのは、目標は色濃く見えていて、ここに辿り着きたいとか、ここに行きたいというのは今は強くあります。純烈は自分の意志で始めた事なので、結果が出てないうちに辞めたくないし、結果が出せると思っています。
白川:僕は純烈が2人しかいない時からいるメンバーで、最初は夢とか希望とかたくさん抱いてやっていたんですけど、現実はそんなに甘くなかったですね。ムード歌謡という世界を知らないところから入っているから、先輩達の歌のうまさだったり、歌謡曲ファンのみなさんの温かくも厳しい眼差しとかに打ちのめされることもありますね。デビューして2年半が経ち、当初の目標からはだいぶかけ離れている部分もありますし、自分たちの実力不足を感じることも多々あります。でも、歌謡曲の魅力は噛めば噛むほど味が出るというか、やっていくうちにどんどん楽しさが出てくるというか、最終的な目標は紅白出場ですけど、まずはお客さんに喜んでもらうのが今の目標でもありますし、歌謡曲ファンの人たちをもっと取り込んで、純烈を日本で知らない人はいないぐらいになりたいなと思っています。
── 『涙の銀座線』のリリースタイミングでインタビューをさせて頂いた時から考えると、悪い意味ではないんですけど、ここまで続くとは! という部分もあって…。
酒井:みんなそう言いますよ。日本クラウンの人にも「よくもってるね」って言われました。それはステージ上で、それぞれが続ける意味とかヒントをお客さんから頂いたんですよ。
小田井:それと、グループ内の年齢がすごく離れてることとか(※最年長と最年少では15歳程の年齢差が)、1人1人それぞれが問題を抱えながらやっている部分もあったから続いたと思います。これが順風満帆だったら早い段階で終わっていたと思う。言えないようなこともいっぱいあって(笑)、結束していくしかなくなったというのはありましたね。
── このジャンルって長く続けようと思えばずっと続けられる気がしますし。
白川:続けられたらいいですよね。
── 後上さんはまだ26歳ですし、みなさんもこのジャンルにしては年齢が若い分、純烈をきっかけにしてこれまでムード歌謡に触れたことがない若いお客さんも増えているんじゃないですか?
酒井:子供のお客さんが増えてますね。
── それは戦隊ヒーローだった頃からのファンの方ですか?
小田井:そうでもないっぽいですよ。僕ら10年ぐらい前の戦隊ヒーローだから、この10年以内に生まれた子たちはDVDでも見ない限り知らないと思うんです。今キャンペーンをやらせてもらっているのはショッピングセンターが多いんですけど、お母さんに連れられてきた小さなお子さんたちが、僕らの振りを見て一緒に踊ってるんですよ。友井が振付を担当しているんですけど、今流行っているような激しい振付ではないので、歌のお兄さんのように感じてくれているのかもしれませんね。