Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビューASA-CHANG&巡礼('09年6月号)

『影の無いヒト』という名の歪で美しい現代の寓話

2009.06.01

 優れたポップ・ミュージックとは、聴き手を選ばぬ大衆性と同時代に対する鋭敏な批評精神が共存しているものである。何も万人に受け入れられる軽さばかりがポップ・ミュージックの本質ではない。ただ口当たりが良く、当たり障りのないことを唄う浮き足立った音楽など消耗品以下だ。ポップ・ミュージックとは軽くて重く、そして歪(いびつ)で美しいものなのである。構想5年、制作期間4年を経て完成したASA-CHANG&巡礼の最新作『影の無いヒト』は、時代の叫びに呼応した歪で美しい作品集である。とりわけ、未曾有の経済危機によって不安と恐怖の坩堝にある現代社会を巧みに描写したかの如き表題曲。その狂気に充ち満ちた妙なる美しさはどうだ。そんな漆黒の闇から一転、スカパラ時代のセルフ・アーカイヴス『ウーハンの女』やバートン・クレーンのカヴァー『家へ帰りたい』で聴かれる柳に風とばかりの飄々とした佇まいはどうだ。絶望の果てにある希望の光明、あるいは歓喜ゆえの嗚咽。対極にある感情や価値観の共存はここでも一貫している。何故か。それこそがポップ・ミュージックの真価だからであり、人間はかくも複雑な感情を内包した生きものだからである。ひたむきに生きながらも必ずや陥るスットコドッコイなエラー感。『影の無いヒト』は、そんな面白うてやがて哀しき人生を風刺した音の出るカリカチュアなのである。(interview:椎名宗之)

こんな時代だからこそやるべき音楽

──『みんなのジュンレイ』から『影の無いヒト』の発表に至るまで4年もの歳月が掛かったのは、やりたいことの焦点を絞りきれなかったからとかですか。

ASA-CHANG(以下、A):そういうわけでもないんですよ。多分、Rooftopの読者の人でも僕らの『花』っていう曲くらいは聴いたことがあるんじゃないかと思うんです。町田康さん原作の映画『けものがれ、俺らの猿と』のエンディング・テーマにもなっていたから。『花』は日本だけではなく海外でもよく知られた曲だし、僕らにとって代表曲だとも思うんですけど、歩みとしては『花』の後にも数作出してるわけですよ。でも、何故か未だに『花』ばかりが巡礼クラシックとして挙げられてしまう。どんなバンドでもそうでしょうけど、ずっと活動を続けているのに既に代表曲が生まれてしまうのは余りいい気分がしないものなんですよね(笑)。

──足枷になってしまうところもあるでしょうね。

A:『花』の後にも、小泉今日子さんの声をカット・アップした『背中』とか、クラムボンの原田郁子さんの声を同じ手法で採り入れた『つぎねぷと言ってみた』で平安時代みたいな言葉の言い回しをやってみたりとか、いろんなアプローチをしてきたんです。原田さんのようにキュートな人の声や、小泉さんのように国民的に知られている人の声をイレギュラーなところに置いて聴くと、一体どんなふうに作用するのだろうという試みですね。それは言ってみれば、僕らの中ではポップ路線なんですよ。ひとりでも多くの人に自分たちの音楽を聴いて欲しいし、広めたいという意味でね。

──ハナレグミの永積タカシさんの歌声をフィーチュアした『カな』のような作品もありましたしね。

A:うん。そうやってなるべく難解になることなく、少しでも柔らかくする作業っていうのを数年続けたんです。それはそれで良かったと思うんですけど、もうこの辺で自分たちの持つ特徴をボカンと打ち出してみようと思ったんですよ。今思えば、『影の無いヒト』の歌詞は2005年くらいにはもう出来ていたんです。ただ、まず表題曲が出来ないと他の曲が広がっていかないもので、表題曲を作り上げるのに凄く時間が掛かってしまったんですよ。

──なるほど。巡礼のポップ路線で得た意義や成果はかなり大きかったんじゃないかと思いますが。

A:そうですね。もの凄く有り難いと思いました。だって、「『花』っていう曲みたいになるんだよ?」と言って、「いいよ」と答えてくれるだけでも嬉しいですからね。イレギュラーの中にも美しさがあることを、小泉さんも、原田さんも、ハナレグミも感じてくれたんだと思いますよ。『カな』に至っては、永積君の声をカット・アップしたけれど、音だけ聴くとフォーキーなものでしかないっていうところまで行きましたしね。

──やはり、『花』のように突出して支持の高い楽曲を超えなければならないというプレッシャーは絶えずありましたか。

A:バンドの中でも、その気持ちは僕が一番強かったのかもしれませんね。だからと言って、その反動でおどろおどろしいものを作ろうとは思いませんでしたけど。今までいろんなアプローチをしてきましたけど、どれもその時々で本当にやりたかったことなんですよ。ただ、そんな時期を経て、今やらなければいけないことがあると思ったんですよね。100年に一度と言われる金融危機だとか、余り景気の良くない話が横行している昨今じゃないですか。あと、これは最近起きた現象だから後付けみたいになってしまうけれど、新型インフルエンザが世界的に蔓延していたりとか。何と言うか、世界全体が絶えず何かに怯えているような感じですよね。そういった不安や怯えを踏まえることなく「みんなで頑張ろう!」と安易に呼び掛けることを流行りの音楽はやると思うんです。でも、「頑張ろう!」と呼び掛ける前段階として今の時代を表した音楽があって然るべきだし、僕らなりにそういった音楽をやりたいし、やらなければいけないと思ったんですよ。

──現代社会とシンクロし得るポップ・ミュージックと言うか。

A:うん。だから「あっち側へ行った音楽」とかよく言われますけど(笑)、そんなつもりは全くないし、むしろ路地裏にある風景を切り取ったような音楽だと自分では思っているんです。僕にとって巡礼の音楽はロックでありパンクであり、ニュー・フォームの音楽形態なんですよ。だって、いつでも危険性を孕んでるでしょう?

──それこそが革新的な音楽が革新的たる所以ですからね。最新鋭のパンク・バンドが鋭敏な批評性を持ち得ているならば、ASA-CHANG&巡礼の音楽、特に今回の『影の無いヒト』には深く共感できると思うんですよ。実際にはパンク・ミュージックと言っても、形骸化したスタイルを引きずったバンドが多いと思うんですけど。

A:そういうパンク・スタイルみたいなものは、それはそれで大切だと思いますよ。僕がずっと昔にいたSKAの世界でもルード・ボーイというスタイルを追求する傾向がありますけど、年代的に共感できるところが少ないので、スタイルではなく精神的な意味でのパンクやロックに行きたいなと思うんですよ。


綺麗なものと醜いものは表裏一体

──それにしても、新作の表題曲である『影の無いヒト』には心底ショックを受けました。不穏でメランコリックな旋律が奏でられる中で、まるで剥き出しになった神経の1本1本をサンド・ペーパーで擦りつけられるような辛苦の言葉が綴られているにも関わらず、何故か圧倒的に気高い美しさがその果てにあるんですよね。先行きの見えない閉塞した現代の空気も孕んでいるし、9分もの大作なのに何度も聴き込んでしまう中毒性の高さもある。ちゃんと時代とシンクロしながら音楽的にも楽しめるという意味で、僕はこれこそが真のポップ・ミュージックだと思うんですよ。

A:ありがとうございます。『影の無いヒト』は芝居の台本みたいに初めから終わりまで構成が決まっていて、最初は9分あるかどうかは判らなかったんですよ。ただ、テンポをほぼ明確に決めた時には9分を超えるんじゃないかと思ってたんですよね。

──歌詞が4年前に完成していたということは、あたかもこの未曾有の不況を予見していたかのようですね。

A:それは偶然であって欲しいですけどね(笑)。

──この歌詞は"生み出す"というよりも"吐き出す"という感覚に近いのでは?

A:でも、これを吐き出していたら今頃きっと生きていないと思いますよ。仮に僕が自分の心情や身の周りに起こったことを歌詞にするタイプの音楽家だったらとっくに死んじゃってますね(笑)。僕にはのめり込んでいる部分と冷静な部分が常にふたつ同時にあるんです。

──救い難いほど沈鬱な言葉の羅列の果てに、何故これほどまでに妙なる美しさが放たれるのだろうとずっと考えているのですが、自分なりの答えが未だにうまくまとまらないんですよね。

A:人それぞれにいろんな解釈があるでしょうね。ただ単に歪な曲と捉える人もいるだろうし、この曲の中からもの凄く美しいものを感じ取る人もいるだろうし。実際、僕の周りでは「"花"が見えました」と言ってくれた人もいました。その花の色やそれが一輪であることを具体的に語ってくれたりして。作っている側としてはそういう脳裏に浮かぶものや情景をそれぞれに見てもらえれば良くて、花の色は何色でもいいし、一輪でも二輪でも構わない。花じゃなくても、綺麗な人が見えたでもいい。愛する人の姿を投影するのもいいし、悪魔の姿が見えて怯える人もいるのかもしれない。そうやって聴く人の脳裏に映像を喚起させる音楽を作りたいですよね。

──影を踏みつけて喰べてしまった"ワルイヤツ"というのも、こうした暗澹たる時代だと当てはまるものがいろいろとありますよね。選挙前の点数稼ぎでその場凌ぎの緊急経済対策を講じる政治家だとか、地位や職務を利用して私腹を肥やすばかりの役人や経営者だとか。

A:まぁ、寓話の中にも必ず"ワルイヤツ"が登場しますよね。お姫様に悪だくみをしでかすようなヤツが。

──この『影の無いヒト』も寓話には違いないんですけど、不思議と現実と交錯しているのが面白いんですよね。現実と寓話が表裏一体となっていると言うか、寓話が現実のパラレル・ワールドになっているようにも思えるし、それはもしかすると現実の寓話化なのかもしれないし。いずれにせよ、ポップ・ミュージックとは本来同時代への批評性を孕んだものだと僕は思うし、『影の無いヒト』は2009年における最も理想的なポップ・ミュージックのひとつだと断言したいんですよ。

A:その言葉、是非書いておいて下さい(笑)。痛々しい言葉が痛々しいだけで終わったら駄作ですからね。綺麗なものと醜いものって表裏一体だと思うんですよ。神様と悪魔とかね。長く生きてさえいれば、誰でもそんなことが薄々判ってくるじゃないですか。『影の無いヒト』を書くにあたって、凄く大きな出来事があったとか、心境の変化があったとか、そういうのは一切ないんです。むしろそういったことを作品に投影することはできませんから。とは言え、これは僕が書いた詞だし、紛れもないASA-CHANG&巡礼の音楽なんですよね。

──言葉を降ろすと言うか、何かに導かれるように言葉を紡ぎ出すような感覚はありますか。

A:ノッてる時はね。純粋に歌詞だけ書くことは余りないんですよ。歌詞を書きながら、その傍らで曲の設計図みたいなものも描いてますからね。ワ、ル、イ、ヤ、ツ、ってどこの音符がいいかなとか考えつつ、歌詞と同時に進めてたりもするし。まぁ、そういうのは深みがなくなりそうで余り言いたくないんだけど(笑)。

コトバを連呼するとどうなる?

──『コトバを連呼するとどうなる』の詞は『つぎねぷと言ってみた』と同じく詩人の藤井貞和さんの手によるもので、朝倉さんが藤井さんの詩に影響を受けていることを改めて強く感じたんですが。

A:『続・藤井貞和詩集』に入っている『枯れ葉剤』というヴェトナム戦争の時代に生まれた詩を引用されてもらったんです。ホントはもっと長い詩で、許諾をもらってある部分だけを抜粋したんですよ。

──"「あたしたちの坊やを枯れ葉の下にかくしたの」遠いテレビから聞こえる"というセンテンスが4回繰り返された後に、この曲で抜粋されている"コトバを連呼するとどうなる/コトバを連呼するとどうなる/コトバを連呼するとどうなる/コトバを連呼するとどうなる/たいへんなことが起きる"とまさしく言葉が連呼される詩ですね。

A:あ、嬉しいな、ちゃんと調べてきてくれたんだ。『枯れ葉剤』の詩をちゃんとリサーチしてくれる人なんて少ないですからね。

──イントロで、雑踏の中をコツコツと歩く足音が徐々に軍隊の行進を思わせる足音へと変化していくじゃないですか。

A:うんうん。

──あの効果音に戦争の狂気みたいなものを感じるし、『枯れ葉剤』という詩の重さとシンクロしてきたんですよね。

A:うんうんうん。うんうんうんって他人事みたいだけど(笑)。最初に公園みたいな場所で子供の声とかが聞こえて、右、左、右、左、というカツカツ歩く音だけは変わらずに公園から雑踏へと景色が変わって、次第に足音が軍隊みたいになっていくと。大衆があるひとつのスローガンみたいなものを掲げて一斉に動き出すと、良いことが起きる時もあるけど、とても怖いことが起きる時もあると思うんですよ。そういうムードってありますよね。でも、『コトバを連呼するとどうなる』みたいな曲を作ることで不安を駆り立てようとかは全然思ってないですよ。ただ、そういうことも起こり得るよね? って言うか。新型インフルエンザだって同じですよね。

──メディアが必要以上に不安を煽るところが多分にありますね。

A:うん。過剰なのは良くないですよ。

──第二次世界大戦時の日本でも、新聞が民衆に対して戦意高揚を煽ったりしたじゃないですか。戦争が良くないことは理解しているつもりなのに、スローガンに鼓舞されて冷静さを欠いてしまう。そんな"たいへんなことが起きる"悲劇をあの2分にも満たないトラックが雄弁に物語っている気がしたんですよね。

A:そうやって政治的に群衆心理を利用する怖さも確かにあるけど、"たいへんなことが起きる"っていうのはいいことが起きる意味にも取れるんですよ。ヴェトナム戦争の最中に世界中の人がピース・サインを掲げて平和を唱えたことも"たいへんなこと"なわけですから。そんなポジティヴなアクションはジョン・レノンというとても有名な方がやってらっしゃるから、僕にはとてもできませんけどね。ピースという同じ言葉をずっと繰り返し言い続けるのは"たいへんなこと"ですよ。そういう時代だったんだろうし、そんな言葉を言わなければいけない世界情勢だったんだとは思いますけどね。

──ジョン・レノンのようなプロテスト・ソングや直接的なメッセージ・ソングをASA-CHANG&巡礼がやるようなことは...ないですよね(笑)。

A:そういうのはどうも...恥ずかしいんですよ(笑)。やっぱり、僕はフロントマンじゃないんだなと思いますね。20年近くもの間いろんなアーティストのサポートをしてきたお陰で、フロントに立つアーティストの人たちと自分がとても違ったメンタリティで音楽活動をしていることに気づかせてもらったし。

──ASA-CHANG&巡礼という集合体の中でフロントマンではないとしたら、ブレインみたいなものでしょうか。

A:いやいや、そこまで奥まってはないですけど、リーダーってことでしょうね。こういう曲を作るんだっていう先導役ではあると思います。そういう明確な意志がないとメンバーも付いて来ないし、作るのに凄く手間が掛かる音楽だから余計に意志の共有が不可欠なんですよ。

シリアスもユーモアもどちらも大事

──『コトバを連呼するとどうなる』や『影の無いヒト』の重さとは対照的に、アルバムの中盤に『ウーハンの女(ひと)』や『家へ帰りたい』といったユーモラスな響きのある歌を配置してあるのが非常に良いバランスですよね。

A:照れくさいんですよ、やっぱり。そういう軽い感じの曲を一方でやらないと、どうも格好がつかなくて。『ウーハンの女』は、スカパラの時に書いたメロディなんです。スカパラのメジャー・デビュー・アルバム(『スカパラ登場』)に実際に入ってるんですよ。もちろん詞はついてないですけどね。

──以前にも、スカパラの『PIONEERS』に収録されていた『Goo-Gung-Gung』をASA-CHANG&巡礼の『花』で採り上げたことがありましたよね。

A:うん。セルフ・アーカイヴスじゃないけど、そういうことをよくやるんですよ。今はスカパラの時のように飛び跳ねたりラッパを振り回したりはしないし、スタイルとしては全然違うかもしれないけど、心根は大して変わってないですからね。

──『ウーハンの女』はSAKE ROCKの星野源さんが作詞を手掛けていますが、星野さんが客演したり曲を提供することはあっても、詞を提供するのは珍しいことですよね。

A:星野君とはサケロックオールスターズというユニットで共同作業をしたこともあったし、星野君の書く文章も凄く好きだから、僕の中では彼に詞を頼むことは必然だったんですよ。みんなが思うほどイレギュラーなことではなかったです。

──ウーハン・シスターズの素っ頓狂な歌声も味があってとてもいいですよね。

A:うん、凄くいいですね。ウーハン・シスターズってなってますけど、一体誰なんでしょうっていうのも含めて(笑)。

──『家へ帰りたい』(原曲は『SHOW ME THE WAY TO GO HOME』)をカヴァーしたのはどんな意図があったんですか。

A:この曲は星野君の薦めなんです。「ASA-CHANGが好きそうな曲があるよ」って、バートン・クレーンという歌手のこの曲を聴かせてくれたんですよ。で、これは面白いと思って、『バートン・クレーン作品集 今甦るコミック・ソングの元祖』というCDを入手したんです。バートン・クレーンはもともと純然たる歌手じゃないんですよ。大正時代の末期に『ニューヨーク・タイムズ』や『ウォールストリート・ジャーナル』の東京特派員として来日して、余興で母国の歌を片言の日本語で唄っていたらスカウトされたっていう面白い経歴の持ち主なんですよね。

──"「家へ帰りたい 野心がありません/頭が痛い お腹が大変"という訳詞もユニークですね。

A:このまんまの歌詞をバートン・クレーンが唄ってるんですよ。アメリカ人が拙い日本語で唄うエラー感と共に、どこかエキゾチックだったんですよね。それがとても面白かったので、このカヴァーも余りこねてないんです。

──ヴォーカルの処理は、ちょっと横山ホットブラザーズのノコギリ芸(ミュージック・ソー)みたいですけどね。"お〜ま〜え〜は〜あ〜ほ〜か〜"っていう(笑)。

A:以前のアルバムでも『日の出マーチ』で声のトーンの揺らぎをやってるんですけど、ああいうのが好きなんですね。SP盤(蓄音機用のレコード)の回転っておかしかったでしょう? そんなSP盤の回転ムラを再現してみたと言うか。カセットテープでも、テープがよれて音がヘンになることがあったじゃないですか。あの揺らいだ音が大好きなんですよ。音程を補正して完璧なピッチを作り出すオートチューンっていうソフトがありますけど、オートチューンを使ったテクノ・ヴォイスみたいなものも綺麗だと思うし、その逆でウワンウワン揺らいじゃうような歌声も僕は好きなんです。コントロールされた歌声って、生の声よりも魅力的な時があるんですよね。

──余りに生々しいと心地良くないということですか。

A:そんなこともないですよ。さっきも言ったように、優れたヴォーカリストやシンガーと仕事をしすぎましたから、自分で唄うと照れくさいわけですよ。ここでまたゲストを呼ぶわけにもいかないから意を決して唄うんですけど...、昔から人前で唄ったり演奏するのが凄く苦手なんです。中学校の音楽の授業で、みんなの前でひとりずつ縦笛や歌のテストをやらされるじゃないですか。そんな時は縦笛を吹く手がブルブル震えちゃって大変でしたよ(笑)。そんな中で余りイヤでもなかったのがタイコだったんですけどね。

──唄うことが苦手だったり、でもパーカッションは大丈夫だったり、ずっと一貫していらっしゃるんですね(笑)。

A:悲しいかなね。この場でドラマティックなことも言えずに申し訳ないんですけど(笑)。

大切なゲストたちとの出会いの記録

──いやいや、滅相もないです(笑)。『家へ帰りたい』では流麗なストリングスが楽曲を効果的に盛り立てていますね。

A:山下清の切り絵以上の細かさで、指定した定位置に声のカット・アップをしているメンバーの浦山秀彦は映画音楽家でもあるので、ストリングスのアレンジはお手のものなんですよ。

──カヴァーという事前情報がなければ、完全なオリジナル作品のようにも聴こえますよね。

A:いい曲を教えてくれて星野君ありがとう、って感じです。このアルバムにはASA-CHANG&巡礼としての意志は多分に入ってますけど、僕らにとってとても大切なゲスト・ミュージシャンとの出会いの記録でもあるんですよ。星野君もそうだし、『影の無いヒト』に参加してくれた教授(坂本龍一)、クドカン(宮藤官九郎)、太田莉菜さんだったり、『カクニンの唄』に参加してくれたキセルのふたりだったり。

──『影の無いヒト』は同じアルバムの中に"Lehera_tronics MIX"と題された別ヴァージョンが収録されていますが、解体・再構築するとこんなにも違うものになるのかと少々面喰らいました。

A:芝居で言う書き割り(背景画)を変えてみたんですね。真ん中の声はちょっとエフェクトを変えたくらいで後は何も変わってないんですけど、景色を変えただけでこうも腰が入っていない感じになるのかっていう(笑)。僕はこういうことを常にやりたいのかもしれないですね。

──重厚な『影の無いヒト』がある一方で、小気味良い『影の無いヒト』も同じ器の中に同居しているというバランスを大切にしたいと?

A:そうですね。たとえば"泣く"と"笑う"という相反する感情は表裏一体だと思うし、もっと言えば"泣きそうになる"とか"笑いそうになる"とか真ん中の感情もある。しかも、"泣く"とか"笑う"とかの感情に至るまでの心の機微が面白かったりするでしょう。グッと込み上げてくるものがあるわけですから。"怒り出す"っていうのもそうだし、感情の出発点みたいなものが僕にはとても面白く感じるんです。そういう時はいろんな感情が混じってるんですよね。"喜怒哀楽"って簡単に言うけど、4つの感情の間にも隙間があるじゃないですか。僕はその隙間に入っていきたいんですよ。

──4コマ漫画のコマとコマと遮る枠をぶち破ってみたいと言うか。

A:うん。そんな感覚に近いと思います。

──別の角度から光を当てて楽曲の新たな表情を浮き彫りにさせる試みは、『つぎねぷ』に収録されていた『12節』の"24..22...46 Remix"でも見受けられますね。

A:タルヴィン・シンというインド系イギリス人アーティストにリミックスをお願いしたんですよ。90年代にタブラというインドのタイコを使ってクラブ・ユースな音楽を作ってた人なんですけど、同じタブラを使いながらも巡礼とは全く違うテイストを出していたので。そろそろタルヴィンにリミックスをお願いしてみてもいい頃なんじゃないかと思っていたら、ウチのU-zhaanがタルヴィンと偶然会って、「キミらのことは知ってるよ」と言われたらしいんですよ。お陰様で外人ウケはいいので(笑)。で、社交辞令で「リミックスとかやるよ」と彼に言われて、真に受けたわけでもないんですけど、絶対に頼まれないと思って言ったのかなと思ってリミックスを頼んだんですよ(笑)。

──もの凄くひねくれた発想ですけど(笑)。このリミックスで聴けるタブラは、まるでひとつの生命体がうごめいているかのようですね。

A:タルヴィンのトラックでのタブラは凄くクールなんですよ。トラック自体の音像が澄みきっていて、とても綺麗なんですね。都会的でもあると思うし。それに比べて僕らのタブラは、人の心に忍び込んで内蔵をギュッと掴んじゃうようなところがある。ここまでアプローチが違うのも面白いと思ってたし、今さらタルヴィンにミックスを頼むっていうのも面白いと思って。それと不思議なことに、アルバムの表題曲を聴かせたわけじゃないのに、タルヴィンが上げてきたトラックの音の肌触りがちょっとダークだったんですよ。だから格好のつけ方は違えども、1枚のアルバムの中でもとても馴染んだ仕上がりになっていると思うんですよね。


音楽や言葉にはもっと力があるはず

──最後の『カクニンの唄』は牧歌的な佇まいの合唱曲ですが、歌詞の通り日々様々な場面で"カクニン"を迫られていることに気づかされますね。

A:表題曲にある"ワルイのはダレですか"もそうなんですけど、『カクニンの唄』の歌詞も普段から使う言葉ではあるんですよ。それをこうした音像にしちゃうものだから、心の置き所の判らなさが突出して迷わせてしまうと思うんです。でも、迷ったり意味は判らなかったりするけどグッと掴まれる感じと言うか、理屈抜きでグッと来るような音楽を僕は最終的にやりたいんですよね。

──楽曲自体はシンプルの極みを行くフォーキーな歌ですね。

A:シンプルなアコースティック・ナンバーですよ。トラックを作ったのはキセルのふたりですから。歌は唄ってないですけど、キセル兄(辻村豪文)がギターを弾いて、弟(辻村友晴)がミュージック・ソーを弾いているんです。

──何と言うか、うたごえ喫茶でみんなで『雪山讃歌』を唄うようなノリもありますよね(笑)。

A:ありますね。ああいうタイプの歌は凄く好きなんです。長く歌が続いて最後のほうで転調する歌って言うか。ちょっと河島英五みたいな感じもあるような気がしますね(笑)。

──この曲の歌詞にも、"右と左"、"男と女"、"ウソとホント"、"はじめとオワリ"といった相反する言葉が散りばめられていますね。

A:頑張れば明日は必ずやって来ると思える10代の頃とは違いますからね。今の自分にとってリアルなのはこうした相反する言葉なんですね。歌詞はみんなで作ったんですけど、短歌や俳句をみんなで作るような感覚があるんです。下の句カルタのような言葉をはめ合わせる作業に近いんですよ。

──朝倉さんひとりの手ではなく、メンバーを始めいろんな人の手を介したパッチワーク的な手法に面白さを感じていらっしゃるわけですね。

A:うん。『花』という曲は詞もリズム・ストラクチャーも僕が手掛けたんですけど、あの曲が出来たことで「ASA-CHANGが何をやりたいのかがやっと判った」という声をメンバーからもらったんですよ(苦笑)。せっかくメンバーが固まってきたこともあるし、だったら『花』の手法をさらに押し広げてみようと。僕が用意するのは巻物のような音の設計図で、それを見たメンバー2人は"何だこれは!?"と思いながらもそこに何か面白いことがあると感じ取ってくれる。その設計図をに沿って声を切って、僕が決めた所定の位置に置いてくれるわけです。それを踏まえてやってくれたからこそ、『つぎねぷと言ってみた』も『背中』も作ることができたんですよ。そして面白いことに、ASA-CHANG&巡礼はどんどん深化できているんです。まぁ、今度のアルバムはビッグバン的なところまで行っちゃいましたけどね。

──ご自身としても相当な手応えを感じているのでは?

A:ここで音楽をやめてもいいかなと思っちゃうくらいの手応えはありますよ。こんな作品を作っちゃったら、普通この先ないでしょう?(笑)

──上っ面だけで中身の薄い消耗品のような音楽が流行るのではなく、『影の無いヒト』のように時代と向き合った気骨のある音楽がもっと世に溢れれば、どれだけ風通しの良い世の中になるだろうと思うんですよね。毒にも薬にもならない、適当にお茶を濁したような音楽が余りにも多いような気がして。

A:僕らがやっているような音楽がなかなか出てこないっていうのは、要するに時代が必要としていないんですよ。悲しいかな、音楽じゃないところでワクワクできるようなことが他にもたくさんあるんでしょうね。ネット上にもそんなことがいっぱいあるような気がしますし。そんな状況の中で軽く寄り添うような音楽があればいいんじゃないかな。音楽でモノを押しつけられるのがちょっと迷惑な時代だと思うんですよ。ただ、それでも僕は音楽をやり続けたいと思ってますけどね。

──朝倉さんが音楽をやることの意義というのは?

A:音楽や言葉にはもっと力があるはずなんですよ。出版不況と言われながらも、今も何十万部、何百万部とベストセラーが続々出ているのは言葉に力があることの何よりの証拠じゃないですか。でも、ポップ・ミュージックは売れない売れないと悲鳴を上げている。コピーされるから売れないとか弱腰になってますけど、コピーされるから売れないんじゃなくて、ちゃんと聴かれるべき音楽が少ないだけだと思うんですよね。売れてる音楽はしっかりとあるわけだから。ただ、売れてる音楽とアンダーグラウンドな音楽の二極化が進んで、その真ん中がない状況にはありますね。その真ん中を内包できるスタミナは今の音楽界にも、音楽シーンにもないでしょう。

僕らの音楽で心を奮わせて欲しい

──坂本龍一さんとavexが共同設立した"commmons"は、音楽の力を信じている朝倉さんのスタンスに理解のある格好のレーベルだと思うんですが。

A:教授が巡礼を好きだと言ってくれて、その言葉で急接近したんですよ。2年くらい前に教授がFMの番組で『花』を掛けてくれたりもして。

──ASA-CHANG&巡礼としての活動は今年で早11年を迎えましたが、向こう10年のポップ・ミュージックを取り巻く状況はどうなっていると思いますか。

A:皆目見当がつきませんね。音楽はずっと続けていたいですけど。Rooftopがバンドの雑誌だから言うわけじゃないけど、バンド・スタイルって絶対になくならないでしょう? ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムというなくなり得ないフォーマットがあって、8ビートで演奏するっていう。もちろん演奏に携わる個々人の変化はあるんでしょうけど、そのスタイルの不変さは凄いと思うんですよ。ロックって大きな怪物みたいなものだから、スタイルとして変わらなくていいものなんですよね。ただ、演奏する側と聴く側の立場は大きく変化してきたんじゃないかな。互いの立場の境界線がどんどん曖昧になってるでしょう。その辺は面白いですよね。20年前と比べればCDを出すのは簡単だし、メジャー・レーベルと契約する必然性もないし。ツアーなんて普通にできちゃいますしね。そういうのは凄くいいことだと思いますよ。

──ライヴハウスもたくさん出来ましたからね。

A:うん。ライヴハウスだけじゃない所で機能できる音楽も今はたくさんあるし。逆に今、巡礼がシェルターでライヴをやったりするのも面白いかもね。こっちは座ったままだから見づらくてしょうがないだろうけど(笑)。

──ははは。是非お願いします(笑)。ステージとオーディエンスの垣根が薄れるのは開かれるという意味では大歓迎なんですけど、選ばれし人のみがステージに立つことの尊さは薄れてしまいますよね。

A:それは音楽だけに限らず、致し方ないところもありますよ。個々人が日々書き連ねているブログなんて、言ってみれば"私雑誌"じゃないですか。しかも、その"私雑誌"もクオリティの低いものはそんなにないですからね。そうやって、ひとりひとりがいろんなことを自由にやれるからこそ、歪で美しいものが生まれやすい環境になるとも思うし。

──あらゆる境界線が曖昧になっていく混沌とした状況の中で、朝倉さんは自身の感性を武器として巡礼のポップ・ミュージックを世に問うていく覚悟ですか。

A:うん。だって、若い世代のメンタリティにはもう戻れないですからね(笑)。若い世代のやることに対して「わかるわかる」なんて言って随分とものわかりの良さげなオヤジがいるけど、あれは僕、イヤだなぁ。それはたとえば最近の若いバンドの名前やスタイルの知識を溜め込んでるだけで、現象を捉えたいだけなんです。物事の本質までわかり得るわけがない。現象を捉えたいっていうのは、流行りのTシャツを買ってるのと同じなんですよ。ホントは「オマエ、似合ってないよ」って言ってあげたいんですけどね(笑)。でも、いいオッサンになっても「Keep on Rockin'!」なんて言って我が道を行く人は凄く格好いいですよね。無理に髪の毛を逆立てちゃったりして(笑)。そういう人には憧れますね。「わかるわかる」じゃなくて、「俺はずっとこれだもん」って人ですから。僕自身が節操なく何でもやりたがる人間だから、余計に憧れるのかもしれない。

──でも、朝倉さんにはASA-CHANG&巡礼という揺るぎないホームグラウンドがありますよね。

A:うん、ホームなのかな。音楽以外にもダンス公演を演出してみたり、セッション・ワークで離れた時間があるからこその愛おしさはありますね。巡礼に戻った時はギュッと手綱を締め直す気持ちにもなりますし。ASA-CHANG&巡礼のスタンスとしては、やっぱり後々に残る音楽を作りたいんですよね。笑ったり、泣いたり、打ち震えたり、僕らの音楽を通じて心を奮わせて欲しいじゃないですか。ヴァーチャルで生々しいネットを通じてではなく、血の通った音楽を通じてね。

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影の無いヒト

commmons RZCM-46217
2,940yen (tax in)
2009.6.17 IN STORES

amazonで購入

01. コトバを連呼するとどうなる
02. 影の無いヒト
03. Stew
04. くるみ合わせのメロディ
05. Sabadiilla
06. ウーハンの女
07. 家へ帰りたい
08. Jump!
09. 影の無いヒト〜Lehera_tronics MIX〜
10. 12節〜24..22...46 Remix〜 Remixed by Talvin Singh
11. カクニンの唄

LIVE INFOライブ情報

ダブルレコ発企画特別公演『グッドラック巡礼』
6月30日(火)Shibuya O-Nest
出演:ASA-CHANG&巡礼、グッドラックヘイワ
OPEN 18:30 / START 19:30
adv. ¥2,800 / door. ¥3,300(共にDRINK代別)
info.:Shibuya O-Nest 03-3462-4420

FUJI ROCK FESTIVAL '09
7月24日(金)〜26日(日)新潟県湯沢町苗場スキー場
OPEN 9:00 / START 11:00 / 終演予定 23:00
ASA-CHANG&巡礼は7月24日(金)に出演
info.:http://www.fujirockfestival.com/

LIQUIDROOM 5th ANNIVERSARY
8月5日(水)LIQUIDROOM
出演:Y.Sunahara、rei harakami、ASA-CHANG&巡礼、agraph
OPEN 17:30 / START 18:30
adv. ¥4,000 / door. ¥4,000(共にDRINK代別)
info.:LIQUIDROOM 03-5464-0800

WORLD HAPPINESS 2009
8月9日(日)夢の島公園陸上競技場
出演:Yellow Magic Orchestra、ムーンライダーズ、スチャダラパー、Chara、LOVE PSYCHEDELICO、pupa、Y.Sunahara、ASA-CHANG&巡礼、グラノーラ・ボーイズ、mi-gu、 コトリンゴ、相対性理論、and more...
OPEN 12:00 / START 13:00 / 終演予定 20:00
ブロック指定 ¥8,500(tax in)
info.:HOT STUFF 03-5720-9999

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