〜ステータスポイントを『投稿』に振り分け過ぎた者たち〜
ラジオのコーナーや雑誌の投稿ページにネタを一心不乱に送り続ける投稿者。それは決して誰かに頼まれたわけではないのに、時には何かを犠牲にしてまで送る。そんな特異で奇抜で最高の情熱を投稿にそそぎ続ける者たちの生態に迫るインタビューである。
本人から送られてきた写真。散髪したてとのこと。
構図といい視線といい、どこか出会い系感が漂ってる写真である。
さだ馬刺し:1977年5月19日生まれ。岐阜県出身。構成作家&某インターネット放送局局員。CBCラジオ『海砂利水魚の本気汁』アシスタント。『週刊SPA!』投稿ページ「バカはサイレンで泣く」第33〜38代チャンプなど。ツンデレと高学歴にめっぽう弱い。好きな漫画は、えんどコイチ先生の『死神くん』。
戸井康成さんに心酔した大学時代
さだ馬刺し(以下、さだ):(元気な声で)さだ馬刺しです! よろしくお願いします。1977年5月19日生まれです。ポル・ポトと同じ誕生日です。
──何歳になった?
さだ:41歳です、はい。山里さん(南海キャンディーズ)と同い年。あとは、バカボンのパパと矢部みほさんと......(略)
──早速だけど初投稿の話から教えて。最初はラジオ?
さだ:ネタって言うよりはプレゼント応募でコメントを読まれたっていう形なんですけど、CoCoの『CoCo恋は大騒ぎ』というラジオ番組です。「大野幹代ちゃん大好きです!」って書いたら「勝敏君(本名)、私も大好きだよ!」って返されました。
──いいなぁ。俺も宮前さんに言われたい。ネタは送ってなかったの?
さだ:正直ちょっとネタコーナーとかは......。コーナーネタは本当に苦手で書けなくて、ふつおたとか質問ネタばっかりでしたね。書き方がわからなくて。
──まだ中学生くらいだよね。ラジオを聴く習慣はあったんだ?
さだ:実家が町工場で、そこでずっとAMラジオが流れてました。その流れで岐阜放送の夜の番組や『mamiのRADIかるコミュニケーション』などアニラジを聴くようになって。
──小森まなみさんのラジオ?
さだ:はい。番組のイベントにも行ってました。リスナー主催のイベントなんかもあって。ほんとにただの素人が募集したのに「缶蹴りやります」だけで数百人も集まって、主催が驚いちゃってそのまま逃げちゃったりすることもありました。
──当時の東海地方の状況は全然知らなかったけど、盛り上がってたんだな。
さだ:あとは伊集院さんの『Oh!デカナイト』とかを雑音まじりに聴いてました。伊集院さんはもともと『冨カン』(CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社)っていう、名古屋のCBCラジオにも出てて。とにかくこの番組にはどっぷりハマりました。特に戸井康成さんという方に心酔しまして。
──戸井さんは名古屋のタレントの人?
さだ:そうです。この本を見てください!
──(しばらく『冨カン』の本を見る時間があって)当時の熱が伝わってくる本だな! この頃はもう大学生?
さだ:推薦で岐阜の大学に入って。『ギター部』というサークルに入ったんですけど馴染めず......。
──ギター部? 明らかに馴染めそうにないのに!
さだ:フォークギターをちょっとやって......でも全然弾けなくて。その分、ラジオにハマりまくってしまって。投稿と、あとは電話コーナーに出まくりました。
──喋るのは好きだったってこと?
さだ:好きというか...なんか、戸井康成さんが岐阜で自分の番組を持ってて。もう覚えられていたので、ちょっと電話出る人がいない時によく「お前出ろ」って言われて。同じキャラだといけないから、自分なりに簡単な台本をつくっていろんなキャラで電話しました。キャラつくって電話コーナーに出るのはすごい好きでした。別人になれる気がして。
──その頃のペンネームは?
さだ:下ネタとか、ひどいペンネームとかなんかいろいろころころ変えてたら、戸井さんに「ちゃんと一個に統一しろ」って言われまして、そこで選んだのが『さだ馬刺し』で。
『海砂利水魚の本気汁』でアシスタントを経験
──じゃあ戸井さんが決めたようなものなんだね。そしてさだ馬刺しとして活動していくのか。
さだ:その頃、CBCの出待ちもしてて、そこで名古屋周辺の投稿者とも知り合うようになって。全国ネットのラジオや雑誌で名前をよく聞いていた伊藤利夫さん、開花宣言さんとかすてきなバカさん、ヤンマー部隊隊長さんとかいました。「あなたもネタ出してるんですか?」「はい、さだ馬刺し......」「あ、キミか!」ってやり取りがあって。
──投稿者のやり取りっぽい! 仲間ができて楽しかった?
さだ:正直、最初は苦痛でした。すてきなバカさんに2時間くらい電話で「お前、面白くないよ」って言われたり......。あとは、みんなでネタハガキを交換し合って「面白い」「つまんない」って言い合うんですが、当時はちょっと、自分の秘め事を相手に見せてる気がしてすごい抵抗ありました。
──俺だったら発狂しそう!
さだ:去年、せきしろさんの本(『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』)を読んで、そのようなことが書いてあって共感できるところがたくさんありました。投稿者がイベント会場でわーって騒いでるのと、静かにしてるのでいったら、僕は静かにしてるほうで。うるさい奴を見て「この人たちと一緒にされたくないな」って変な自意識っていうか、それはどこでも感じましたね。でも嫌なことばかりではく、初めてラジオのこととか投稿のこととか共有できる人ができて楽しくもありました。
──他の人のネタに触れることによって、自分の独りよがりに気づいて、視野が広がることもあるからね。
さだ:そうですね。僕はふつおたしか出してなかったんですが、彼らに「ハガキ職人がふつおただけでネタコーナーに出さないのはくそつまんないよ」とか言われて、じゃあネタハガキとか、全国ネットにも出してみようかなと思い、U-turnのオールナイトニッポンに投稿したら1位になって。
──1位! 凄い。
さだ:実力っていうよりは、ラッキーパンチで1位になりました。みんな同じくらいのポイントで並んでたんですけど、「じゃあ、さだは、ここで採用されたからプラス10ポイント!」みたいなボーナスがあって。
──他にはどんな番組で活動してたの?
さだ:海砂利水魚さんが名古屋でやってた『本気汁』というラジオも聴いていて。素人を番組のアシスタントにするオーディションがあって、「ああ面白そうだなぁ」って感じで、なんの気なしに履歴書を送ったら合格しました。
──作家とかじゃなくてアシスタントに?
さだ:はい。上田さんは当時金髪で、階段で煙草バーッて吸ってて怖そうなイメージだったんですけど、有田さんには「さだ、ラジオ好きなんだ。すてきなバカとか他の奴らとかも知ってるの?」って話しかけていただいて、よくしていただいて。
──へー、そうなんだ。
さだ:アシスタントを半年くらいやってました。でもその頃はそろそろ就職しなければいけない時期で、迷ったんですけど就職しちゃって。
──迷ったっていうのは、作家とか演者とかになりたかったってこと?
さだ:はい。やっぱりちょっと欲はありまして。人生でちやほやされたことが本当になかったんですけど、アシスタントをやってた時は全然知らない女の子に「さだ馬刺しさんですか?」って声かけられたりして。もちろん僕の後ろには海砂利水魚さんがいるんですけど。手紙もらったり、お菓子もらったりしてたんで、ちょっとは夢を......見ました......。
──楽しかったんだな。
さだ:クラスでも女子からパシリとかさせられてた僕が、ちやほやされるのは、本当にその時が初めてでしたね......(しばらく沈黙)。でも実家の工場も潰れて、母も過労で倒れて......。
パーソナルな部分がネタに反映
──就職するしかなくなったのか。
さだ:はい。本社が名古屋の会社で、東京の川口の営業所に勤めることになって。珍味を扱う会社でした。上京する前に海砂利水魚さんに挨拶に行って。そしたら有田さんに、「まぁ、ホテルまでちょっと一緒に歩くか」って言われて夜道を歩いて。で、ホテルの前で有田さんに「さだ、携帯持ってる?」って言われて、よくわかんなかったんですけど、「あ、はい。どうぞ」って渡したら、その携帯からどこかにかけてすぐ切って。「今かけたのは俺の番号だから、なんかあったらそこにかけてこい」って言われました。
──おお、優しい!
さだ:なんか、すごいちょっと泣きそうになりましたね。でも、ちょうど改名の時で、どんどん忙しくなってらっしゃって。僕も売れていく人に対して素人がしがみつくのは失礼なんじゃないかなって変な自意識みたいなのがあって、連絡できなくなって、疎遠になってしまいました......。
──まぁ連絡はなかなかできないよ。上の人にはなかなか。今だとLINEとかで、少しは気軽にはできるかもしれないけど、電話はね。あっちのスケジュールもわからないし。
さだ:その頃にバカサイの忘年会に行ったんですよ。
──ああ、この頃か。さだが来たのは覚えてるよ。この時って投稿してた?
さだ:月10枚くらいですかね。でも写真コーナーばかりでネタは送ってませんでした。というか、書いてもまず採用されなかったんで。やっぱりレベルが高かったんですよ。でも忘年会には行ってみようと思って。
──ラジオのイベントみたいなものだからね。投稿者がたくさんいて。
さだ:会場に大常連のトップヘビー5さんとせきしろさんがいて。あー、怖いなーと思って。
──トップヘビー5も俺も、それこそくりぃむしちゅーも同い年なんだよ。みんなまだ若かったのかな。
さだ:もう、怖かったってイメージしかないです。せきしろさんも、なんか、はい......。
──いや、俺は怖かったことはない。さだは目立ってたよね。
さだ:僕はネタを出してない分、別のことでアピールしようかと思って、それが全部空回りしまくってましたね。一方、珍味の会社では慣れない営業で、どんどん心身ともにすり減っていって......。もう、休日は朝からギャルゲーと酒に溺れて......。当時は毎月東北6県を営業車で2,000キロほど走ってました。
──2,000キロ!
さだ:初日に、東北道で青森まで一気に。で、そこから山形、秋田にぐるーっと回って、仙台行く感じだったんで。青森まで600キロくらい、8時間くらい高速で行って、後ろに珍味とか、サンプルを載せて。もうずっと営業車に乗ってて、夜中2時くらいになるとラジオかけながら唄ったり、声を出したり、なんか変な感じになって......いきました。
──本当にすり減ってたんだな。
さだ:ラジオも当たり障りない昼のラジオとかしか聴けなくなってしまって。一緒にいた投稿者は作家として頑張ってるって人づてに聞くと、あー、自分は何やってるんだろうって......。
──その気持ちはよくわかるよ。不意に頑張ってる知り合いの名前が出てきたり、交流があったのに疎遠になった人が出てきたりするから、テレビを見たり、ラジオを聴けなくなるんだよね。
さだ:そうなんですよね......。
──嫌いとかじゃなくて、くりぃむしちゅーの番組もあまり見れなくなったでしょ?
さだ:はい......。そして彼女にもフラれて、「もうどうでもいいや!」と思ってバカサイにネタを送りまくってたら、急に採用率が上がって。「あれ?」って。
──さだの人間味というかパーソナルな部分がネタに反映されてきたからじゃないかな。それまでは自信はないし、キャラに逃げてたけど。その自信のないところもネタにするようになった気はしたよ。
さだ:採用されるためにいろいろ分析をするようになったりもしました。「あ、ラオウのネタが今きてるんだ」とか。いつしかネタをたくさん書けるようになってました。
──俺の中でさだが一番面白くなったイメージが強いんだよね。異常に面白くなったのを覚えている。で、41歳になったと。
さだ:41歳です。しょっぱいですね、こうやって喋ると。同じ間違いを何回もやってる感じですね。
──とりあえず面白いから自信だけは持って。
さだ:いやそんな、せきしろさんからそう言っていただけると。
──とにかく自信を持って!
さだ:ありがとうございます。話聞いてもらえるだけで、嬉しかったです。せきしろさんに聞いていただけるってことが......。
──こちらこそカウンセラー気分が味わえたよ。
せきしろ:1970年北海道生まれ。主な著書に『去年ルノアールで』『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『たとえる技術』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』など。