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INTERVIEW

トップインタビュー石井麻木 - 東日本大震災から10年目、被災された地のありのままの姿を伝えたい

東日本大震災から10年目、被災された地のありのままの姿を伝えたい

2020.03.02

 東日本大震災が起きた2011年3月11日から9年。
 2011年3月。居ても立っても居られず、水と毛布と食料を集め東北へと向かった写真家・石井麻木さん。その時から現在まで、そしてこれからも、毎月欠かさず東北へと向かう。最初は「写すつもりはなかった」その景色と、そこに生きる人々と、真っ直ぐに向き合い写し続けている麻木さんの、その想いと意志とは。
 写真展『3.11からの手紙 / 音の声』に、私はほぼ毎年行っているのだが、正直、節目としてだった。この日ぐらいは思い出そうという節目として。だけどいつからか、写真の中の笑顔に会いに行く気持ちになっていた。会いたくなっていた。「元気にしてる?」「私もなんとかやってる」って。麻木さんの写真に写る笑顔は、優しく、そして強い。
 東日本大震災は終わってなどいない。写真展『3.11からの手紙 / 音の声』は、これからも続く。毎年各地を廻るこの写真展に、ぜひ足を運んでほしい。写真集を手にしてほしい。(取材・文:遠藤妙子/写真:石井麻木/プロフィール写真:永山瑛太)

大きな転機だったカンボジアの地雷原取材

──写真展『3.11からの手紙 / 音の声』、東京での開催が無事終了しましたね。私、何度か行っているんですが、何度見てもグッとくる。東日本大震災以降の東北での写真を中心に、毎年新たな写真が加わって。続いているってことがよくわかる。とても意味のある展示だと思います。

石井:ありがとうございます。本当に、あの日から毎日毎日が繋がっていて、終わっていない。そういうことも伝えられたらと思って、毎回展示する写真と新たに撮った写真を、順を追って展示しています。

──毎年開催して場所も増えて。素晴らしいなぁ。で、まず麻木さんはもともとどういう写真を撮っていたのか伺いたくて。そもそもカメラを手にしたのは?

石井:本格的に始めたのは20歳の頃です。音楽が好きで、ライブはその頃からちょこちょこ撮らせていただいていて。22歳の時に初めて個展を開催しました。そこに澤野工房っていうジャズのレーベルの方が見に来られて、「写真をジャケットに使わせてくれませんか?」と。「喜んで!」って。それからCDのジャケットを撮らせていただくようになって。私、子どもの頃からクラシックでチェロを弾いていたんです。でももともとロックが好きで。『風とロック』は2007年から撮らせていただいています。

──じゃ、『風とロック』とは震災以降、より深く関わっていくという。

石井:そうですね。ずっと繋がっています。

──あとカンボジアに行かれたことも。

石井:2009年にカンボジアに行って、初めて地雷原というところに足を踏み入れて。物凄い衝撃を受けて。足や手を失ってしまった方とお会いして話をするのは初めてでした。ショックの意味の衝撃も大きかったんですけど、逞しく生きている、その姿に衝撃を受けて。カンボジアには伝統的な織物があって、足を失っても手が使えれば織物ができるんだよって、織っている姿に、もう、言葉にはならない想いが溢れてきて。でもそれが仕事になってるわけじゃないんですよね、仕事はなくて収入もない。11日なんとか仕事を見つけて暮らしている。一家心中を考えたこともあると仰っていて。それで、帰りの飛行機の中で、何かできることはないかと必死に考えて。織物を仕事にできないだろうかって。オーガニックコットンを植えて彼らの手で収穫してもらって、コットンで織物を織ってもらって、日本で販売して、収益を彼らに届けられたらと、仲間とNPOを立ち上げました。

──凄い。自分たちで立ち上げたんだ!

石井:はい。2009年から一昨年まで続けました。今は日本のオーガニックの専門店の企業が直接やりとりをするようになったので、私たちのNPOは閉じました。繋げるという役割は果たしたので。

B8VLHuzCcAAA_3-.jpg──ただ寄付するだけじゃなく仕事をしてもらって、その対価としてお金を受け渡す。凄くいいですよね。SLANGKOさんがやってる自立支援プロジェクト/NBC大作戦もそういうやり方ですよね。

石井:そうなんですよ、そうじゃないとダメだと思うんです。ただ与えてもらってるだけじゃ苦しくなっちゃうと思う。自分で何かできることをやって、その対価として戻ってくることが何よりだと思うんです。私だったらそのほうが嬉しい。

──それって尊厳ってことですよね。

石井:そうそう! そうだと思います。自分がやれることはやりたいと思うし、やれることがあるのにやれないっていうのは苦しいことだと思う。だって人間って誰でも対等なはずですしね。

 

あの日から毎日がずっと繋がっている

──支援する側とされる側に上下関係なんかないはずだし。で、東日本大震災が起きて、すぐに東北へ?

石井:最初に入れたのは2週間後ぐらいです。写真を写すためじゃなくて、とにかく物資を届けたくて。毛布をたくさん集めたので、毛布と水と食べ物を届けに。写真家なのでカメラは常に持ってはいるけど写すつもりはなく、隠すように持っていて。被災した場所で撮影をするっていうのは暴力でしかないと思っていました。

──行く前からそう思ってました?

石井:行く前から思ってました。実際に行って、これは本当に1枚も写せないって。写したいとも思わなかった。

──どういう光景でした?

石井:避難所に入らせていただいたのですが、段ボールで仕切っただけの一畳ぐらいのスペースがいくつもあって。皆さん着の身着のまま、お風呂も入れてない。そこに、どこかテレビ局の撮影の人たちが来ていきなりカメラを回し始めた。「ここから撮るよー」と言って女優さんがお菓子を配り出して撮影が始まったんです。何の断りもなく。本当にいきなり。その光景がショックで悲しくて。そんなことをしていい権限は誰にもない。どんなカメラマンであろうと、どんな報道であろうと、そんなやり方をしていいわけがない。そんなふうにカメラを使われることがとにかく悔しかった。

──酷いな。そういうことがたくさんあったんでしょうね……。その後、麻木さんは写真を撮っていくわけですが。どんな思いで?

石井:私がカメラを持っているのを見つけた方が声をかけてきてくださって。「地獄のようなこの光景を写してほしい、写して全国に伝えてほしい」って。そうか、写真はそういう役目もできるんだと気づかされて。撮らせてもらえる場所、撮らせていただいても大丈夫な人を写そうと。最初のうちは毎週毎週通っていて、避難所から仮設住宅に移ってからも毎月必ず東北に通って。行くたびに知り合いも増えて、「ただいま」「おかえり」って言い合える関係が生まれました。おにぎりを食べきれないくらい作って待っていてくれたり。5歳だった子が中学生になっていくのを見れているんです!

──まるで親戚のお姉さんだ!(笑)

石井:そうなんです(笑)。もう、家族にしていただいた。家族がどんどん増えました。

──何度も何度も行ってる麻木さんにしか写せない写真ですもんね。

石井:節目だけに行くことを否定しているわけじゃないんですけど……。たとえば区切りだからって数年に1回来るカメラマンには撮れないとは思います。区切りなどないと思っています。毎日毎日ずっと続いてますから。ずっと声を聞き続けてきました。もうすぐ10年目に入るからか、今、取材が凄く多いんです。でも毎年311日が過ぎるとバッタリと報道も関心も減っていく。もどかしいです。

──この取材もそうだし、私自身、麻木さんの写真展を毎年見に行くのは区切りなんですよね。普段は忘れてしまってるから、この時ぐらいは思い出そうっていう。

石井:それは凄く嬉しいんです。本当に嬉しい。1年に1回、受け取りに来てくれる人がいる。凄く嬉しいし、伝わってるんだなって思うんです。ただ報道する側の、節目にしか目を向けないで、まるで過去の出来事みたいにしている報道に対して、まだ続いてますってやりきれない想いは正直あります。

 

写真は「写心」、心が写るもの

──写真展『3.11からの手紙 / 音の声』は、ずっと続いていることだというのが凄く伝わります。今年の新たな写真は、「双葉町の美しいところを撮ってください」って双葉町の方からお願いがあったでそうで。

石井:そうなんです。2019年に福島県の双葉町に行った時の写真を加えました。双葉町は今年の3月に一部解除になる予定ですけど、まだ帰還困難区域で。

──美しいですよね。凄く美しい景色。でも誰もいない。いろいろ考えさせられました。人がいなくなったこの町を、美しいって思っていいのか? とか。

石井:作業員さんしかいないんです。町中は誰もいなくて信号もつかない。家はグチャグチャで瓦礫だけがある。でも、蔦だったり草だったりは青々として逞しく生きていて。行った時は春で桜が咲いていて。誰にも見られることがないのに、こんなに美しく咲くことができるんだ! って、自然の強さに圧倒されて感動しちゃったんです。私自身は防護服を着てるし、線量は高くて確かに怖い気持ちもあるのですが、でもそれ以上に自然の力に感動して。小学校の中にも初めて入らせてもらいました。地震がきて原発が爆発するまで1日あって、その一晩を小学校で過ごしたんですね。子どもたちの励まし合ってる言葉が黒板にそのまま残ってるんです。「津波はこない」「おちついて」「たすかる」って。きっと一晩励まし合ったんでしょうね。翌日、原発が爆発して避難しなければならなくなり、ランドセルや靴が散乱していて。8年間、ここには誰も入れなかった。人が入れないっていうのはこういうことなんだって、打ちのめされました。悲しくて悲しくて。

──人がいた痕跡はそのままに…。

石井:そうなんです。そういう景色はあまり知られてませんよね、報道もあまりされない。写真展で、初めて知りましたって声もたくさんあったんです。伝えることができて良かった。

850_5239_web.jpgD5D_7900_web.jpgD5D_2200_web.JPG──あと印象的な写真が、郵便配達のバイクが走ってる写真。道の両側は瓦礫で。あの写真のリアリティは凄い。

石井:あの写真は自分でも印象深くて。震災からまだそんなに日にちも経ってない頃で。

──郵便屋さんは偶然通ったんですよね? それを撮ったのって、やっぱりカメラマン特有の反射神経ですよ。

石井:まず町のすべてのポストに手紙を投函できないようにガムテープが張ってあったんです。

──写真集『3.11からの手紙 / 音の声』の裏表紙の写真ですね。

石井:そうです。ポストを見た時、悲しくて。それがあったからバイクで走ってる郵便屋さんを見た時、すぐにシャッターを切ったのかもしれない。

DSC_2740_web.jpgDSC_2734_web.jpg──なんかもう、すべてを写してるんですよ。大きな被害があったという事実と、現実と非現実が隣り合ってる感じ、そんな中で手紙を届けたいっていう郵便屋さんの強い想い。

石井:そんなふうに見ていただけて嬉しいです。あの頃、まだ誰がどこの避難所にいるのか全く整理できてない時期で。表札もどっかに飛ばされてるだろうし、家がなくなってるかもしれない。そんな中、郵便屋さんは避難所や道端で宛名の名前を叫びながら探してるんです。「○○さんはいませんか?」って。その姿は今も心に焼きついていて。絶対に手紙を届けるんだっていう強い気持ち。誤解を恐れずに言えば凄く美しくて感動してしまったんです。心が震えて、泣きながら写していました。最初の頃はほとんど涙を流しながら写してましたね。私の写真ってたぶん一発でわかると思うんです。泣きながら写した写真と大笑いしながら写した写真(笑)。

──そっかそっか。麻木さんは写真を「写心」と言ってますが、それって麻木さんの心が写真に写るってことでもあるんですね。

石井:そうなんです。私の心が写真に写っちゃうってことでもある。あと見てくださった方々、それぞれで感想があると思うんですけど、その感想がその人の心であったらいいなって。見てくださった人の心を写すような写真でありたい。あともちろん、撮らせていただいた人たちの心がちゃんと写ってる写真を撮りたいなって。その3つの想いから「写心」って言ってます。私の心はバレバレです(笑)。どんな気持ちで撮ってるか、すぐにバレる(笑)。

──子どもたちが笑いながらカメラに近づいてくる写真がありますが、麻木さんも絶対に笑ってますよね(笑)。

石井:笑ってます。メチャメチャ笑いながら撮ってます(笑)。

 

震災以降、ロックの響き方が変わった

──笑顔といえば、写真集で最初のほうに出てくる車に乗った方の写真。ご夫婦なのかな。あの笑顔は、本当に凄い。

石井:私にとってあの写真が最初なんです。それまで被災地では、人々を遠景で撮ってたんですけど、向き合って写させていただいたのは初めてで。あのご夫婦は家が流されて避難所もいっぱいで入れなくて、まるまる1カ月、軽トラで暮らしていて。アルバムも流されたから写真が1枚も残ってない。「新しい一歩を踏み出すために、最初の1枚を撮ってもらえませんか?」って声をかけてくださって。

──あの笑顔には、そういう想いがあったんですね。

石井:ええ。凄いですよね、凄くいい笑顔で。撮らせていただけて、私も凄く良かったなって。その2週間後ぐらいに避難所でおばあちゃんがお財布一つ握りしめて立っていて。そこから1枚のシワシワになった家族写真を見せてくれたんです。「ここにみんないるんだよ」って。写真は紙切れ1枚かもしれない。けれどその紙切れに全部写っていて。ご家族の顔、どんなご家族だったのか、会話とか、空気とか、全部を感じられたんです。きっとおばあちゃんにはその写真に全部が見える、全部が入ってるんですよね。ご家族の全部が。私にもそれが凄く伝わってきて。写真って凄いな、って。その写真が頭からずっと離れなくて。

──麻木さんの写真に写る人々、笑顔が多いですよね。

石井:私、涙は撮れないんです。そういう写真はフォトジャーナリストさんに任せているので。悲しい現場を、遺体安置所なども写して伝えることも大事な役目だと思うけど、私は写せない。涙の場面にカメラを向けたことはないです。

003_web.jpg──麻木さんは自分自身をフォトジャーナリストだとは…?

石井:思ってないです。全然違うと思います。写真展を見に来てくれた人が口々に言ってくださるのは、報道写真とは違いますねってことで。報道写真も絶対に必要。撮るほうも、心を鬼にしたり傷つきながら撮ってると思うんですけど、私はどうしても撮れなくて。遺体安置所にも行きましたが、どうしても撮れなかった。

──麻木さんが伝えたいのは、涙より希望?

石井:そうです。いや、希望というより…、「被災地」って聞いちゃうと悲しいとか苦しいとか大変だとか、そういうことをイメージしがちだけど、それだけじゃ絶対にないんです。喜びもあるし楽しみもあるし幸せなこともある。片方だけフィーチャーされるのは違うと思っていて。写真展では、悲しみもちゃんと伝えながら、喜びも見てほしいという気持ちがあります。一つのイメージに決めつけずに。

──自然でありのままですよね。撮る時、「笑ってください」なんて絶対に言ってないですよね(笑)。

石井:言ったことないです(笑)。

──被写体の人を尊重してるんですよね。だから自然な表情になる。

石井:尊重したくて、嘘は絶対に撮りたくない。

051DSC_7071_web.jpg057PB229562_web.jpg──バンドの写真も、ライブの写真だけじゃなく被災地でのバンドマンたちの自然な姿も撮ってます。

石井:それはバンドマンの皆さんが全然構えてないから。避難所でも仮設住宅でも気取ることなど全くなく、みんなの中に普通に入って、気づいたら一緒にお団子食べてますから(笑)。

──ライブは被災地に大きな力を与えてますよね。

石井:音楽の力は本当に凄いです。避難所で高校生の女の子と会って、ご家族を亡くして親友も亡くして、「明日にでも自殺したいって思った時もあった。でもラジオからTHE BACK HORNの『世界中に花束を』が流れてきた時、生きようって思いました」と話してくれて。本当に音楽って力がある。そういうことが8年の間にいっぱいあった。これからもきっとある。音楽に勝てるものはないって今でも思います。震災直後は自粛とかあったじゃないですか。全然そんなことしなくていい。音楽は実際に人を生かすことができています。

──そう思います。音楽が人々に勇気を与える現場を、何度も見てきたわけですよね。

石井:はい。何度も見てきました。TOSHI-LOWさんと細美さんと、なぜか3人で3日間で5カ所廻ったことがあって。避難所や仮設住宅にアコースティック・ライブをしに。この人たちは誰? って感じで見てる人も最初はたくさんいて。でも最後はスタンディングオベーションでアンコールの拍手が鳴り止まない。おばあちゃんが涙流しながら笑っていて。

──張り詰めた心が解きほぐれたんでしょうね。

石井:そうだと思います。そういう力も音楽にはあるんですよね。TOSHI-LOWさんと細美さんは本当にどこに行っても分け隔てなく、すぐに人の心を解きほぐして、みんなを笑顔にして。行動力も凄い。ずっと背中を追っていたいです。お2人だけじゃなく、東北ライブハウス大作戦の仲間だったり、尊敬する人たちに囲まれています。

056DSC_3348_web.jpg──麻木さん自身、もともと好きだったロックに対して、震災以降、聴き方が変わりました?

石井:変わりましたね。響き方が変わった。たとえばThe Birthdayのチバさんみたいに直接的なメッセージとしては発してなくても、歌詞や曲に込められてることがある。凄く伝わってくる。私の受け取り方も変わったんだと思います。意識してるわけじゃないんですけど、自然とそうなってきました。今まで気づかなかったことが凄く響く、まっすぐ伝わってくるようになりました。

──みんな変わりましたよね。考える人が増えたし、行動する人も増えた。震災のちょっと後にインタビューした人が、「歌詞を作る時に津波とか海とか、そういう言葉を使う気持ちにはなれない」って言っていて。「悲しいことを思い出させてしまうから」って。じゃ、どういう言葉を使おうか必死に考えて言葉を見つけたって。だから使えない言葉が出てきても決してマイナスではないんですよね。自分自身で考えて言葉を見つけ出すのは、とてもクリエイティブなことだし。

石井:うん、そうですよね。そういう言葉こそ、しっかり届く、まっすぐ伝わるんだと思います。

──うん、ホントそうですね。麻木さんの写真も、麻木さん自身が経験して考えて、ありのままを撮ろうって決めた。だからこそ伝わるんだと思います。

石井:わぁ、ありがとうございます。

 

誰かが傷つく表現はしたくない

──でね、首相官邸前の、原発に対しての抗議行動の空撮の写真がありますが、ちょっと珍しいですよね。

石井:20126月、凄く多くの人々が、20万人ぐらい集まったんですよね。初めてヘリコプターに乗せてもらえることになって。一番低く飛んでもらったので、揺れが激しくて。2時間乗ったんですけど2週間ぐらい揺れてる感じが止まらなかった(笑)。上から見て、ペンライトなのかな、光がたくさん。一人一人が集まって大きな光の道ができてるみたいでとても美しくて。一人一人の想いや意思だなって。だけど、「原発反対」って言葉だけとると、これは前に別のインタビューでも話したんですけど

──「NO NUKES PRESS」のインタビュー(インタビュアー:Misao Redwolf)ですね。私、Misaoさんたちの首都圏反原発連合が主催する毎週金曜の官邸前抗議行動、行ける時は行ってるんです。

石井:あ、そうですよね。Misaoさんのインタビューでもお話しさせていただいたんですけど、原発反対って言葉を福島の原発作業員の方が聞いて、「今までの人生を、自分がやっていることを否定されているような気持ちになった」って声があると知って。とてもショックで。危ないから止めようってことを要約すると、「原発反対」の4文字になっちゃう。その4文字は誰かを傷つける言葉でもある。原発作業員の方は原発の怖さを知ってる。原発は危ないって思ってる。原発反対って叫んでる人たちも向かってる方向は同じなのに、でもズレが生じてる、傷ついてる人がいる。凄く難しいことだと思います。

010DSC_6931_web.jpg──TOSHI-LOWさんが「嫌原発」って言うのも、考え抜いて出てきた言葉なんでしょうね。

石井:そうだと思います。反原発とか原発反対って言葉が悪いわけじゃないし、主張しなきゃいけないことでもその言葉を使う時に、いろんな想いの人がいるってことを、ちょっと意識して考えていけば、ちょっとは変わっていくと思うんです。

──向かうところは同じだからこそ、一人一人を尊重したいし。

石井:私は人が傷つくような写真は撮りたくないんです。誰かが傷つく表現はしたくない、絶対に。難しいことなのかもしれないけど。私、「被災地」って言葉もなるべく使いたくないんです。今日も使ってないと思うんです。「被災された地」って言っていて。

──そうですね。被災地ってひとまとめにするのもおかしいし、それこそ日々変化している。それにしても麻木さんの行動力は凄いですよね。カンボジア、東北……。

石井:考えるより先に体が動いちゃう。阪神淡路大震災は子どもだったから何もできなかったけど。中越地震の時はすぐに行きました。

──原動力ってなんだと思います?

石井:うーん、なんでしょう(笑)。

──たとえば社会的なことや、ボランティアや福祉に興味があった?

石井:いえ、そういうわけじゃなくて。もっと当たり前にあるもので。当たり前にって言うと偉そうですけど。ただ、知ってしまったら、知った責任はあると思うので。知ったからには何かしたい、何かできることがあるならやりたい、それだけなんです。

──正義感?

石井:うーん、正義感とか使命感ってことを考えたこともあるんですけど、自分ではわからなかったです(笑)。雨に濡れて鳴いてる猫がいたら連れて帰っちゃうのと一緒で(笑)。そこには責任も伴なう。知ったのに放っておくってことが自分で許せないだけです。

──自分のこと言っちゃうと、私はパンクロックが好きでクラッシュも好きで、権力と闘うぞって気持ちがどこかにある、だいぶある(笑)。まぁ、口だけ番長ですが(笑)。

石井:私もクラッシュは大好きで、そういう音楽を聴いてそういう姿勢も感じ取って生きてきたから、自分の中にもあるとは思うし、権力が許せないって気持ちもあるんです。でも闘うぞって意識があまりなくて。私、怒りの感情が欠落してるんだと思うんです。その分、悲しみになっちゃうんです。

──やっぱり人間が好きなんだと思います。人と共感すること、共感より共鳴かな。共鳴する力が凄くあるんだと。

石井:はい。共鳴は強いと思います。怒りの感情って凄く大事ですよね。絶対になきゃいけないし、いろんな創作のもとにもなるし。でも本当に、私には欠如してて。問題ですよね(笑)。全然いいことではないです。

 

動かないと余計に苦しくなるから現地へ行く

──そういう自分の資質や性格を自覚できるのは、とてもいいことだと思う。

石井:そういう人間だってわかったのはカンボジアに行った頃で、20代後半。カンボジアで見たことがショックだったからなのかもしれないです。衝撃が凄すぎて、怒りよりも悲しみに寄ってしまう。それが自分なんだって。自分を知ることができたのは良かったと思っています。自分の表現、自分の写真の指針になっていると思うし。

──うん。自分を知ったのは強さだと思います。感受性が豊かなのは素晴らしい。でも、しんどいですよね(笑)。

石井:しんどいです(笑)。打ちのめされることが何度もあります。でも、だからこそ動かないと余計苦しくなって。じっとしてたら苦しい思いをしている人のことを考えてしまう。だからこそ現地へ行く。自分の眼で見て聞いてくる。私は現場主義なんですけど、そういう自分の性格のせいっていうのもあるのかもしれません。まさに居ても立っても居られない。

──そして私たちに伝えてくれる。

石井:写真展もたくさんの人が協力してくださって、たくさんの人が見に来てくださって。私一人の写真展ではなくて、多くの人の想いでつくられている写真展だと思っています。写真展でね、皆さん見て泣いてる方が多いのですが、最後は必ず笑顔になってるんです。それが凄く嬉しくて。

──麻木さんの写真を見てると、まるで自分がそこにいる感覚になるんですよ。避難所の子どもたちと笑ってる気持ちになるし、恐れながら瓦礫を凝視してる自分がいるようだし。

石井:ああ、嬉しいです。

D5D_8256_web.jpgDSC_8643_web.JPG──たぶん写されてる人たちは、写されてるって全く思ってないんですよね。麻木さんが写すってことを全く意識させてないからで。だから写真を見てる私もそこに一緒にいる気持ちになる。

石井:とても嬉しい。昔から、ライブを撮ってる時も言われるんですけど、気配がないねって(笑)。ライブカメラマンって気配を消さないとダメだと思っているので。ただでさえお客さんのじゃまになってしまうので気配をなるべく消さなきゃって。

──ああ、そのへんはライブを撮る時も避難所を撮る時も…。

石井:あまり変わらないと思います。とにかく撮る時は無になりたいんです(笑)。

──無になりたいって、もちろん撮ってる時の状態で、伝えたいことはたくさん溢れてますよね。写真展と写真集には、写真だけじゃなく言葉も添えられてるし。

石井:アートとしての写真なら、写真だけで表現して後は見た人が想像してくださいっていうものでいいと思うんですが、東北の写真展に関してはアートではない。後は想像してくださいとはとても言えない。アートの材料にはしたくなくて。嘘がないものをちゃんと伝えたい。だから言葉を添えて。まだまだ伝えきれてないです。もっと伝えたい。だから苦手な取材も受けて。伝えられる術のすべてを使って伝えたいって思っています。でもね、アートの作品のほうの写真の個展も来年できたらいいなって。

──わぁ、楽しみ! で、『3.11からの手紙 / 音の声』はこれからも続いていきますね。

石井:ありのままの姿を伝えたいです。震災直後、1年目、3年目、5年目。これから10年目に入りますが、どんなふうに命や心や生活が続いてきたのか。そして、悲しみや苦しみだけじゃない。喜びがあって楽しみがある。そいうことも伝えたいです。

──最後にまた私の感想なんですが、私は写真展に、震災を忘れないようにって気持ちで見に行ってたんですが、今は会いに行ってるんです、写真の中の人に。元気だった? 私もなんとかやってるよって(笑)。

石井:ありがとうございます! 凄く嬉しい。私もそういう気持ちで行っています、被災された場所に。元気だった? また来ちゃったって。皆さん温かく迎え入れてくれる。写真展もたくさんの人を迎え入れられるような、帰ってこれるような、そんな場所でありたいです。

 

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石井麻木 / ISHII MAKI

写真家。東京都生まれ。

写真は写心。一瞬を永遠に変えてゆく。

毎年個展をひらくほか、詩と写真の連載、CDジャケットや本の表紙、映画のスチール写真、ミュージシャンのライブ写真やアーティスト写真などを手掛ける。

東日本大震災直後から東北に通い続け、現地の状況を写し続けている。

2014年、写真とことばで構成された写真本『3.11からの手紙 / 音の声』を出版。

あまりの反響の大きさに全国をまわり写真展の開催を続ける。

2017年に同写真本の増補改訂版を出版。

収益は全額寄付している。

 

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