Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【歌舞伎町ロフト20周年記念特別鼎談】岡峰光舟(THE BACK HORN)×佐々木亮介(a flood of circle)×マーガレット廣井(八十八ヶ所巡礼)- 面白い奴らに出会える場所、それがロフト

面白い奴らに出会える場所、それがロフト

2019.04.05

AFOCの歴史からロフトは絶対切り離せない

──光舟さんはかつてロフトで働いていたり、フラッドはロフトのレーベルからリリースしていたり、マーガレットさんはいつもロフトでワンマンをやってくれたり、それぞれロフトとのつながりが強いですが、ロフトのステージに初めて立った時の感想やそれまでロフトに対して抱いていた印象を聞かせてください。八十八ヶ所巡礼は僕がロフトに入った時にはすでにワンマンをしていましたが、初めて出たのはいつくらいですか。

廣井:もう5年くらいは八月八日と八月十八日にワンマンをやらせてもらってるんですけど、初めて出たのは昼のイベントだったような気がするんですよ。Schloderっていう神戸のバンドとかと。人が全然入ってないイベントでしたね(笑)。

──それまでのロフトの印象は?

廣井:僕は四国の出で田舎者なんで、東京のライブハウスなんてわからないし、イメージとか全くなかったですね。ライブできる場所があればいい、くらいにしか。失礼ですけど憧れとかはなかったです(笑)。それよりシェルターのほうが憧れはありました。アジカンもイースタンユースもやってるし、っていうイメージで。有名なバンドはみなシェルターでやってると思ってて、不思議なものでロフトの印象はなかったです。

──光舟さんのロフト初ライブはバックホーンですか。

岡峰:初めてやったのはバックホーンじゃなくて…前の小滝橋のほうのロフトは高校の友達と出たことがあったり、歌舞伎町に移ってからもロフトの店員と組んだバンドで出たりして。バックホーンは2001年の3月からサポートをやり出したんですけど、4月にすぐメジャー・デビューだったんですよ。その『サニー』のレコ発がロフトであって。なので、ちゃんとしたライブをやったのはそれが最初ですかね。なぜかわからないけど、メジャー・デビューして最初のライブなのにアコースティック・セットみたいなことをやっちゃって(笑)。ライブの途中で急に椅子に座り出して、エレキのまま2曲くらいやった思い出があります。それ以降、よく出ましたね。イベントでもワンマンでも何回もやりました。

──アルバイトとしてロフトに入ったということは、それまでロフトのことはけっこう知っていたんですか。

岡峰:1998年に高校を卒業して大学生として上京したんですけど、バイトしなきゃいけないなって時期でもあって。西新宿は当時レコード屋も多くて、そういう所でメタルのブートレッグを漁ってる時に新宿ロフトってのが目に入って。俺も広島の田舎者だったから名前くらいしか聞いたことがなかったんですけど、「アルバイト募集」って書いてあったんでそのまま階段を下りていって、そのままバイトするようになりましたね。

──歌舞伎町に移転してからもずっと働いていたんですか。

岡峰:そうですね。バックホーンをやり始めた2001年まではバイトしてました。ちょっと長めのツアーに出るってタイミングでやめたんですけど。

──亮介さんの初ロフトは?

佐々木:高校生の時、初めて来たライブハウスがロフトだったんですよね。GREAT ADVENTUREとNATSUMENが観たくて来て、そこに出てたriddim saunterに衝撃を受けたり。バンドを始めて憧れがどうこうっていうのは最初なかったですけど…俺らは2006年からやってるんですけど、最初はシェルターにずっと出てたんですよ。そのうちロフトにも出たいなと思って電話してみたら、当時の店長だった大塚(智昭)さんが出て、音源を渡して出させてもらうようになりました。

──フラッドがロフトのレーベルからリリースすることになったのはどういう流れだったんですか。

佐々木:最初はシェルターの店長だった西村(仁志)さんの紹介もあってソニーの新人部門の人と会ったり、ワーナーにもそういう人がいたんですけど、ロフトが上手かったのは「あいつらは『1年は育てる』とか言うけど、うちならすぐにCDが出せる」と言ってくれたことですね(笑)。それで騙されて(笑)。俺、スピッツが大好きで、スピッツもインディの時にロフトのレーベルから出してる(『ヒバリのこころ』)っていうのもあって決めました。

── 一緒にやってみて良かったですか。

佐々木:良かったと思いたいですね(笑)。ケンカ別れってことでもないし、俺らが離れることになった時、ロフトのレーベルも一度なくなったんですよね。その後、スピードスターレコーズへ行く流れを作ってくれたのもロフトだったし、その後もよくライブをやっているので、a flood of circleの歴史からロフトは絶対切り離せないし、感謝してますね。

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ロフトがなければバックホーンにはいなかった

──光舟さんがアルバイトをしていた頃のロフトはどんな雰囲気だったんですか。

岡峰:小滝橋のロフトで働き出したのが1998年の5月くらいで、一旦閉店したのが1999年の3月なんですよ。それで歌舞伎町ロフトが4月に始まったんですけど、そこで店員がガラッと変わって。前のロフトの先輩たちは、俺たちのロフトの歴史は小滝橋までで完結かなってやめていって。歌舞伎町に移った時、当時の小滝橋からそのまま移った人は2人か3人くらいしかいなかったんです。バイト歴1年くらいの当時18歳くらいの若者が、新しく入ってくる年齢は上の人たちに仕事を教えるっていう謎の期間がありましたね。多分向こうはすごい腹立ってたと思うんですけど(笑)。

佐々木:やりにくいったらないですね(笑)。

岡峰:20代半ばくらいの人が、18、9歳くらいの奴に飯の作り方やら何やらを教わってね(笑)。

──その当時から名物のオムライスはフード・メニューとしてあったんですか。

岡峰:ありましたね。いまスペースシャワーTVで働いてる中村(眞一郎)さんが当時ロフトプラスワンで働いてて、ロフトが歌舞伎町に移る時に厨房として入ったんですよ。その時にオムそばとかオムライスがありましたね。小滝橋の時は打ち上げ用のメニューをしっかり作るっていうよりは冷凍食品とかにちょっと手を加える程度だったんですけど、歌舞伎町に移ってからは冷凍食品がほぼなくなって、打ち上げでもバーでもフードを出せるようになりましたね。

廣井:こんな事細かにロフトの裏側が語られることも珍しいですね(笑)。

──八十八ヶ所巡礼は毎年ロフトでワンマンをやっていますが、ロフトをホームにするこだわりがあれば聞かせてください。

廣井:僕らの身の丈に合ってるんじゃないですか?(笑) おこがましい話ですけど、この5年、上がりも下がりもせず平坦なままここでお世話になっていて、そうなると居心地がいいんです。だから特に何も思ってないと言うか。歌舞伎町って秩序がないじゃないですか。それで今日の取材も遅刻してしまうし、歌舞伎町なら許されるんじゃないかと思ってる節があって。さっきロフトの近くでウサギを放してるおじさんがいたんですよ。それに目を奪われてしまって。でもそんなことって社会じゃ許されないですよね。だから自由で素敵な場所だなって思ってますよ。ロフトは汚い所だし、ちょっとくらい汚しても許されると言うか、楽屋も最悪じゃないですか。どこに何を書いてもわからないし。そういうところが居心地がいいです。

──新宿ロフトで印象に残っている思い出は?

佐々木:イマイアキノブさんと出会ったのが、俺らがロフトのレーベルと一緒にやってる頃だったんですよね。確か『URASUJI.』だったと思うんですけど、イマイさんがDJをやっていて。イマイさんがちょうどバースデイをやめた時くらいで、「二度とギターは弾かない」みたいなことも言ってて(笑)。「俺はもう天井だけ見て暮らす」とか(笑)。その時に仲良くなって「今度一緒にやろうよ」って話になって。それから一緒に演奏したり、イマイさんのレコーディングに参加したり。仲良いミュージシャンは? って訊かれたら「イマイさん」って答えるくらい仲良いんですけど。

廣井:イマイさん、最近どこかでギターをなくしてませんでした?

佐々木:あの人はなかなかだからね(笑)。意味わからないコラージュとか突然送ってきたり。今朝も8件くらい何か送られてきたけど、まだ開けてない(笑)。

岡峰:開けてないんだ(笑)。

佐々木:寝かせてます(笑)。ロフトは先輩が多いじゃないですか。仲野茂さんもそうだし、大江慎也さんの誕生日のライブに出たこともあったし。そういう顔が怖い系の人たちと会うのはいつもロフトですね(笑)。夏の野外フェスとかに出ても、そういう人たちとは絶対出会いませんから。

岡峰:太陽の下では絶対会えないタイプのね(笑)。

佐々木:それが面白いし好きだし、ロフトならではですよね。

岡峰:俺はロフトでバックホーンと出会ってますからね。カウンターで夜の仕事をしてる頃、まだ前のベースがいる時のライブをやっていて。当時のマネージャーと当時のロフト店長の東田(慎二)さんがカウンターで「ベースがやめることになって大変なんだよ」って話していた時に、東田さんが「こいつベースやってるよ」って紹介された縁でオーディションを受けて今に至るんで。ここがないとバックホーンにはいないだろうし。その日シフトに入ってなかったら、よそで飯でも食ってたらこういうことにはなってないし。そこから18年くらい、けっこうな人生を変えてもらった所ですね。働いていた時の思い出もあるし、バンドでもいろいろありますけど、やっぱりその出会いが一番デカいですね。

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