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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】平野悠「新宿ロフト閉店? ロフト創始者がその心中を激白!?」

【1999年インタビュー復刻】新宿ロフト閉店? ロフト創始者がその心中を激白!?

2019.03.08

 1999年3月。都市再開発計画の名のもとに高層ビルが建ち並び始め、かつて小滝橋通り沿いにあった新宿ロフトは立ち退きを余儀なくされ、心機一転、日本有数の歓楽街として知られる歌舞伎町へ移転することになった。当時、移転を目前に控えたロフトオーナー、平野悠は何を思っていたのか。3月17日、旧新宿ロフト最後の日からちょうど20年を経た今、当時54歳だった平野を直撃したインタビューをここに復刻しよう。(初出:『Rooftop』1999年3月号)

 ライブハウスの代名詞と呼ばれ、多くのミュージシャンやオーディエンスから支持されてきた新宿ロフト。これまで様々な紆余曲折を経てきたわけだが、その新宿ロフトが23年目にしてついに閉店する(というか移転する)ことになった。それに伴い、音楽業界やマスコミやお客さんの間では3月17日の閉店に向けて日に日に盛り上がってきている。長い歴史を持つ新宿ロフトについて、語ることができる人は数多いが、やはりここはロフト創始者の平野悠に、新宿ロフト閉店についてその心中を語ってもらうことにした。まぁ、根がひねくれ者の平野であるから、当然のことながらまともなコメントではないのだが、平野をよく知る者には、実に平野らしい内容だと言えるのではないだろうか。(interview:加藤梅造)
 

新宿ロフトは俺のライブハウスの完成型だった

──現在の新宿ロフトの閉店が近づくにつれ、マスコミの取材とかが増えてきてますが、そういうふうに盛り上がっている周りの状況に対してどう感じていますか?

平野:閉店する時にやりたいことはいっぱいあるんだけど、移転してまた新しく始めなきゃいけないから、あんまり過激なことはできないよな。本当は最後はぐちゃぐちゃにして、みんなに顰蹙を買うくらいの終わり方をしたかったんだけどね。「あんなクソライブハウスなくなって良かった」って思われるぐらい。そっちのほうが面白いじゃない。ロックってのは既成の終わり方とかを突破しないと意味がないと思うからね。

──相変わらずアナーキーなことを言ってますが。『ROCK IS LOFT』(註1)に載っている新宿ロフト開店当時のスケジュールを見ると、オープニング・セレモニーでは、金子マリさん、ムーンライダーズ、南佳孝さん、桑名正博さん、サディスティックス、矢野顕子さん…という具合にいま見ると信じられないラインナップになっていますが、逆に、一般的な新宿ロフトのイメージとはちょっと違いますよね。

平野:新宿ロフトって言うと、東京ロッカーズとかBOØWYとかARB、アナーキー、ルースターズ…その辺がいつも代名詞として使われるよね。でも俺は烏山ロフトから西荻窪ロフト、荻窪ロフト、下北沢ロフトとずっと苦労してやってきて、その頃一緒に苦労した連中に思い入れがあるのね。新宿ロフトっていうのは、俺にとってライブハウスの一つの完成型だったからね。キャパも当時としては最大だったし。その本(『ROCK IS LOFT』)に山下達郎さんが書いてくれてるんだけど(以下、引用──「荻窪ロフトと下北ロフトが私を育ててくれたゆりかごだった。ロフトの平野氏はミュージシャンのチャージをピンハネせず、採算はあくまで飲食営業でまかなうという、画期的な発想の持ち主だった」)、嬉しいよね。逆に言うと、その当時ロックなんてのは商売にはならなかったってことで、ミュージシャンと一緒に店を作っていったっていう感覚があるよね。

──新宿ロフトの最初の頃のチラシを見ると、「ロック居酒屋」ってコピーがついているのがいま見ると笑えますね。

平野:一つには当時、ライブのあがりだけじゃ食えないっていう時代だったから、昼間は喫茶店、夜はライブ、深夜は居酒屋、そのぐらいやらないと店は維持できなかったね。

──でもロフトがいろんな人たちに愛された理由の一つは、やっぱり深夜の居酒屋でいろいろなコミュニケーションが生まれたことだと思うんですよ。

平野:面白いことをやりたいって感じがいつもあって、たとえばミュージシャンがいっぱい集まってたら、「おーい、セッションやろうぜ!」って感じで、そうすれば楽しいかなって発想しかないんだよね。
 

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パンク!? なんなんだ、こいつら!

──悠さんをあまり知らない人って、ロフトの創始者ってことで大きな勘違いをしてると思うんですよ。つまり、ロックに対してめちゃくちゃ造詣が深いと思ってしまう。でも実際はロックに全然詳しくないじゃないですか。だから、ミュージシャンの視点でもなく評論家的な視点でもなく、いちライブハウスの経営者として、ずっとロックの状況を見てきた人っていうのが本当なんですよね。

平野:あのねぇ、もし俺が成功したと言えるんだとしたら、俺はロックに醒めてたからだと思うの。もちろん好きだったよ。でも俺が本当にハマったのはジャズだけで、ロックにハマったってことはなかった。最初、ロフトは、ジャズにこだわってやっていたんだよ。でもある日、別のライブハウスにジョージ大塚クインテットを聴きに行ったら、そのほうが全然楽しいわけよ。だって、客の入りや売り上げやPAのことを気にしなくていいんだもん(笑)。だからジャズはお金を払って観ればいいと思ったんだよ。それで俺は自分の店でジャズをやるのをやめちゃったの(笑)。ロックとフォークの二本でいこうと。

──そして悠さんは1980年に突然世界放浪を始めて、以降、音楽の現場から離れてしまうんですよね。

平野:音楽に関して言うと、俺はもう終わってるから。だって、家で聴くのも朝はジェームス・ブラウンやクラシックだし、夜はトム・ウェイツさえ聴いてれば美味しい酒が飲めるし、新しい音楽で感激しようって思わないから。でも最近は、“ゆず”にハマってるかな。

──なんでまた“ゆず”なんですか?

平野:うん、詞がいいよね。

──CDを買ったんですか?

平野:いや、借りたんだけど(笑)。

──結局、悠さんの興味の対象っていうのは、何の脈絡もないんですよね。

平野:面白がってるって話しかないよ。

──新宿ロフトでパンクをやったのだって、別に音楽的にどうこうじゃないでしょ?

平野:あの時は「パンク!? なんなんだ、こいつら!」という感覚でしかなくて、たとえばスターリン(註2)を面白がったのって新宿ロフトの店員で俺一人だったんだから。だって、それまでライブハウスで臓物投げたヤツなんていなかったわけじゃない。女の子にフェラチオさせたり。そんなの音楽性なんて関係ないよ(笑)。

──全共闘にしてもロックにしてもバックパッカーにしても、悠さんの場合、決してスペシャリストになるって感じじゃないですからね。

平野:旅なんかにしても、好奇心でしかないわけじゃない。「今度の国はどんな国なんだろう?」っていう、知らないことを知ってやろうってだけ。これは親父の血筋なんだけど、みんなが新しいことをやってるのに俺が知らないのは悔しいって思うんだよ。あと、これは美意識の問題なのかもしれないけど、どうせやるなら人と同じことはやりたくない。ドミニカに日本料理のレストランを作った時だって、日本からいちばん遠くて、誰も日本人がいなくて、日本レストランが一軒もないという理由だけだから。たとえばこれが、NYとかLAとかだと、もう先達がたくさんいるわけだから、そんな所に同じものを作ったって面白くもなんともない。だから、なんて言うのかなぁ、結局は…ムチャクチャなんだね(笑)。

 

【註1】『ROCK IS LOFT』:新宿ロフト20周年を記念して出版されたロフトのヒストリー本。数多くの写真、インタビューほか、新宿ロフトを始め歴代ロフトのスケジュールなどが載っている資料的価値の高い一冊。

【註2】スターリン:遠藤ミチロウ率いるパンク・バンド。そのステージはあまりに過激で、鳥や豚を引き裂いて臓物を投げつけたのが特に有名。ライブに行くのにかなりの勇気が必要だったバンドの一つである。

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