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INTERVIEW

トップインタビュー武田倫和 監督(映画「わたしの居場所 〜新世界物語〜」)お好み焼き屋を営むオカマのひろ子ママの人生 「これはちゃんとラブレターになっていますか?」

お好み焼き屋を営むオカマのひろ子ママの人生
「これはちゃんとラブレターになっていますか?」

2018.12.18

 大阪は新世界、通天閣の下にあるお好み焼き屋「千両」。お客さんのお目当ては、カウンターの鉄板で作るおいしいお好み焼きと、店を切り盛りするオカマのひろ子ママ。新世界と故郷・鹿児島。ひろ子ママの生きてきた居場所を辿る大阪発信のドキュメンタリー映画『わたしの居場所〜新世界物語〜』がついに公開。
 3月30日にLOFT9 Shibuyaにて開催する上映会とトークイベントには、ひろ子ママはもちろん、ゲストに阪本順治監督と東海林毅監督の出演が決定。どのような出会いからひろ子ママの人生を追ったのか、武田倫和監督に完成までのエピソード、そして今の気持ちをお訊きしました。[interview:成宮アイコ]

ひろこママと監督の出会い

──まずは、ひろ子ママとの出会いをお聞かせいただけますか。

武田:阪本順治さんが『新世界』という短編映画を作っておられて、そこにひろ子ママが出演していたんです。それを見て、ご本人に会ってみたくてお好み焼きを食べに行って、「映画を見て来た」と伝えたらすぐに受け入れてくれました。ひろ子ママはファンが多いんですよ。大阪の地方テレビにも、「オカマのママがやっているお好み焼き屋がある」っていうので取り上げられたりして。

──「ひろ子ママ映画を撮ろう」と思うきっかけは、いつだったのでしょうか。

武田:「千両」にはずっと飲みに通っていて仲良くなっていたので、お店に行くとママの人生を聞かせてくれていたんです。出会いから数年後の2007年に、大阪の阿倍野で「ヒューマンドキュメンタリー映画祭」というのがあって、そこで20分の作品を撮るというのが決まったんですが、阿倍野っていう新世界のすぐそばの映画祭なので、これはぜひママが主人公の映画を撮ろうと思ったんです。でもそのときは、時間もなくて、3日くらいで撮影をして…1日はママに化粧をしてもらって、もう1日はすっぴんでインタビュー、残りの1日は撮り足りなかった部分を撮影。今回の映画の冒頭でママが化粧をしているシーンは、この映画からですね。

──自分の人生が映画になったのは喜ばれていましたか?

武田:喜んでましたけど、その映画は「特別賞」だったんです。グランプリを取れなかったことには文句を言われましたね(笑)。

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すべての縁を切って飛び出した田舎

──今回の作品で、ママが地元・鹿児島の駅に降りた瞬間、駅員さんに「52年ぶりに帰ってきたの」と伝えたところは印象的でした。全く知らない人にも言わずにいられなかったあの気持ちは、相当の想いがあったのだろうな、と。

武田:会う人会う人に、「オカマやってたの」って自分から言う姿もね、自分が受け入れられるかどうか不安があったんだろうと思います。相手に変に思われる前に自分から言って、相手の反応を探ろう、と。でも、そこまでびっくりしたり、ひいたりする人もいなかったんですよ。拒否反応はなかったですね。大阪でも、最初は差別もあったみたいですが、自分を受けれてくれる「新世界」という場所ができて。…でも当時、自分の田舎には居場所がなかったみたいですね。

──実際、大阪から鹿児島までご一緒に移動されて、気持ちの変化はいかがでしたか。

武田:最初は、「鹿児島には帰りたくない」って言っていたんですよ。ママにインタビューをしている中で一度も、田舎に帰ったっていう話が出てこなかったんです。聞いてみたら、「半世紀以上も帰っていない」と言うものだから。きっと、田舎に何かがあるんだろうなと思って提案をしてみたら、「なんで帰らなあかんのよ、新世界だけにしてよ」って。でも、このままじゃ終われない、と思ってコツコツ言い続けました。

──集団就職で大阪に出てきたまま、一度も帰らず。

武田:「お母さんとお父さんが岡山のお姉さんのところに引っ越したので、鹿児島には帰らなかったんだ」って言うのですが、岡山に引っ越す前にも30年くらい期間があるんですよ。それでも帰ってないって言うから、もう関係を切ってまで田舎から出て行くという気持ちだったのだと思います。実は、僕ひとりで事前にロケハンで鹿児島に行っちゃったんですよ。いろいろ調べて、同級生も見つけて。ママは、「もう同級生なんて死んでるんじゃない」って言ってたけど、「ちゃんと生きていましたよ」と伝えたんです。そうしたらだんだん関心をもってくれて、「じゃあ帰ってみようかな」と気持ちが動いたみたいです。

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インターネットもLGBTという言葉もなかった時代

──ママを覚えていない人もいる中、ママが通っていた中学校では、生徒たちが窓から顔を出して両手を振って歓迎してくれて。それこそ、監督のカメラがあったからこそだと思いました。

武田:カメラがなかったから無視されていたかもしれないですね。でも、あの学校のシーンで窓から手を振っている学生の中に、ママのことを覚えていなかった同級生のお孫さんがいたらしいんですよ。あとで孫の話を聞いて思い出してくれたそうなんです(笑)。

──しかも、その方の奥さんが、けっこう会話に入ってきてくださいましたよね。

武田:あの場面は良かったですよね。「オカマバー行ってみたいわー」って言ってくれて。女性のほうが、逆に偏見がないのかもしれないですね。

──ひろ子ママが、「化粧をしてからは人生バラ色」と言っていて、今でこそLGBTという言葉が浸透していたり、インターネットで検索もできますが、当時、ましてや九州男児と言われたりもする土地で相当な差別もあったのでは…と思いました。

武田:若い子のLGBTの話しというのはよく出てくるのですが、ママたちの世代っていうのはあまり見ないし、もしかして関心がもたれていないのかなとも思うんですね。もちろん、ママ世代の人にも見て欲しいですけど、逆に若い子にも見てもらいたいです。道を開いてきた先駆者の話しに耳を傾けてもらって、こういう人たちがいたんだよ、ということに関心をもってもらえたら嬉しいです。

──若い人たちの反応はいかがでしたか?

武田:『クィア映画祭』(※セクシュアルマイノリティの映画を取り扱う映画祭)は若い子もたくさん見に来てくれて、ママの店に相談に行きたいっていう人も多かったですね。ママの世代というのはLGBTという言葉もないし、そういう発想も、オカマという言葉もなくて、ただただ自分は異質なんだという自分の経験で考えてやってきたじゃないですか。お水の世界はみんながライバルだったから、誰に相談ができるわけでもなかったし。そういう、実際の体験談だから、今の若い子たちの悩みを吹き飛ばすくらいの力があるのかもしれないですね。悩みを具体的に言うと、ママはすごく丁寧にアドバイスをしてくれるんですよ。

──ママがお店は「家族」って言っておられました。

武田:近所のオカマのママさんも相談に来るくらいですから(笑)。ママの場合は、早い時期にオカマということを受け入れてくれる新世界に出会えて、たとえ石を投げられたとしても、「石を投げられたわ!」って言い合える仲間がいるということが良かったと思うんです。そういうオカマの世界で生きてきたけど、今度はもっと多くの人と交流したいという気持ちでお好み焼き屋になって。お化粧は落とすけど、オカマっていうことは隠さずにやってきて、あの街でママと知り合うことによって偏見をなくしていった人も多いんですよ。ママのやってきたことはすごく画期的だったと思います。

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人生を撮影することの覚悟

──監督ご自身のことをお聞きしたいのですが、それぞれの人を掘り下げて映画を撮ることに関心をもったのはどうしてでしょうか。

武田:映画はずっと好きで撮りたかったんですけど、有名人や力のある人を撮ってもおもしろくないなっていう想いがあったんです。目立たずに埋もれているヒーローやヒロインを発掘して、多くの人に気づいてほしい、見て欲しいという気持ちで撮ってきました。前作の映画『ウトロ・家族の街』も、2001年の強制執行の判決が出たときですら、全国で大きくは取り上げられなかったので、そういうところに気づいてほしいと思っているんです。魅力的な人と会って、撮影をしたい、それ以外はやりたくなかったんですね。自分ができないことをやっている人に憧れて撮りたくなるんです。僕は、ママみたいに、自分で切り開いていくタイプではないので、うらやましいなっていうのもあるかもしれませんね。僕はどちらかというと陰の人間なんで。

──ドキュメンタリーを撮っている方はいろんな場所に行かれるので、作品だけ見るとガンガン行くぞというイメージを持っていました。

武田:カメラは人間関係を切り開く武器になりますね。普段は人の多いところにいるとシュンとしているタイプですよ(笑)。撮影をしている時は、勇気が出るんです。密着をするということは、話さないとコミュニケーションも取れないし。カメラを持つと人に踏み込んでいけるんです。「これは聞いてもいいのだろうか」と悩んでいても、カメラを持つと自然に聞けるタイミングが来るんです。それは、逆に相手にとっても聞いて欲しいことだったりして。被写体だって、「聞いて来いよ」という覚悟をもって受けてくれているのに、撮影をする側がひいてしまうと、お互いが遠慮した作品になってしまうんですね。

──ママがお母さんやお姉さんの写真を砂浜に並べて、「帰ってきたよ」と海を見せてあげるシーンでは、ご家族も同じように帰れなかったんだという重みにハッとさせられました。ママが泣きだしてカメラが正面に回りこむとき、どんなお気持ちだったのでしょうか。

武田:ためらいもありましたが、その反面、「ここを撮らないと!」という覚悟もありました。ママは、たぶん考えていたと思うんです。写真を持って行って、お母さんたちに海を見せてあげようって。大人になってから家族で鹿児島に来たことがないから、ママにとってはやっと家族が集合した場面で、それをきっちり映像におさめてあげないと、という気持ちでした。「今回が最初で最後、もう帰ることはない」って言っていたので、そういう意味もあって重要なシーンだなと思います。

──いとこさんの家で、仏壇に手を合わせながら、お母さんの写真に「もっと早く帰って来れば良かったね」と言っておられましたね。いとこさんも、先にネットでママのことを調べていてくださって。

武田:ロケハンでは、"西本昇"(ママの本名)が来るというのは伝えていたんですけど、"ひろ子ママ"が来るとは伝えていなかったんです。そこは作り手としてのいい意味での悪意で、初めて知ったときの反応を撮りたかったんです。でも今はなんでも検索できちゃいますからね(笑)。

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LIVE INFOライブ情報

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2019.03.30(土)
映画『わたしの居場所 ~新世界物語~』上映&トークイベント
ひろ子ママ、東京へ行く。
 
OPEN 11:30/START 12:30
会場:LOFT9 Shibuya
前売り(e+):2,000円
当日:2,500円
 
【出演】
ひろ子ママ(『わたしの居場所 ~新世界物語~』主演)
武田倫和(映画監督・『わたしの居場所 ~新世界物語~』)
 
【ゲスト】
阪本順治(映画監督・脚本家)
東海林毅 (映画監督)
 
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「今度生まれ変わっても、またオカマがいい」
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