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INTERVIEW

トップインタビュー『止められるか、俺たちを』 白石和彌(映画監督)- ここには映画と青春があった ── 若松孝二監督逝去から6年。焼け付くような時代と共にスクリーンに甦る、1969年の若松プロ

ここには映画と青春があった ── 若松孝二監督逝去から6年
焼け付くような時代と共にスクリーンに甦る、1969年の若松プロ

2018.10.10

 1969年3月、一人のフーテンの少女が原宿のセントラルアパートの一室「若松プロダクション」の扉をたたいた。彼女の名は吉積めぐみ。21歳だった。「うちは給料はないからな。3年我慢したら監督にしてやる」──映画監督・若松孝二にこう言われためぐみは、当時はまだ珍しい女性助監督としてピンク映画の制作現場に足を踏み入れた。
 63年に『甘い罠』で監督デビューした若松孝二は、65年の『壁の中の秘め事』がベルリン国際映画祭に出品されると「国辱映画」として映画界に一大センセーションを巻き起こし、同年に若松プロダクションを設立。『胎児が密猟する時』『犯された白衣』など、自由で斬新な映画を次々と発表して、当時の若者たちから熱狂的な支持を集めていた。
「バカヤロー、俺の視界から消えろ!」
若松監督に日々怒鳴られながら、めぐみは、足立正生、荒井晴彦、大島渚、赤塚不二夫など若松プロに集まる時代の寵児たちに囲まれ、昼も夜も映画の世界に没頭していく。同時に、自分自身は何を表現したいのか、何になりたいのか、何も見つけられないことへの焦りと、すべてから取り残されてしまうような不安を抱えていた。
 「めぐみは30年前の自分の姿だ」──長らく若松プロで助監督を務めた後、監督として『凶悪』『孤狼の血』などのヒット作を次々と世に放つ白石和彌は、吉積めぐみの存在に惹かれ、彼女を主人公にして往年の若松プロを映画にしようと思い立った。若松監督と同時代を生きたキャストやスタッフをはじめ、多くの人達の協力を得て完成した映画『止められるか、俺たちを』は、1969年から1971年という混沌と狂乱の時代を写し撮ると同時に、何者かになろうともがき苦しむ若者の普遍的な姿を捉えた青春群像劇にもなっている。そしてこれは2012年10月17日に交通事故で急逝した師匠・若松孝二に送る白石和彌からの最高の返歌なのだ。
 映画公開を前に白石監督にお話を伺った。(Interview:加藤梅造)

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白石和彌(後ろの写真は若松孝二)

きっかけは一冊の写真集だった

──『止められるか、俺たちを』は、あの若松孝二を映画にするという大胆な企画ですが、プレッシャーは大きかったですか?

白石:意外とプレッシャーはなかったですね。この映画を撮るからには、先輩達から怒られることは覚悟の上で、腹を括ってやるしかないと思っていましたから。

──白石さんがこの企画を思いついたきっかけは、若松さんの生誕80年祭で、若松プロ初期のレジェンド達(足立正生、秋山道男、小水一男、高間賢治、福間健二など)の話を改めて聞いて、それが無類に面白かったからとのことですが。

白石:久しぶりに聞いたらゲラゲラ笑えるような話ばかりなんです。それぞれのエピソードは本に書かれていたり、インタビューで語られたりと、小出しにあちこちで聞いたり読んだりはしているけど、それらが系統立てて書かれた本は一冊も出てなかった。あとはもちろん吉積めぐみの存在ですね。めぐみさんが亡くなった時に仲間内で写真集を作っていたのを知り、それを高間さんが1冊送ってくれたんです。めぐみさんは奇跡的な時代に若松プロにいた人なんだということを知って、彼女を主人公にして映画を作ったら面白いんじゃないかと思ったんです。それは今まで感じたことのないような衝動でした。それで、この企画ができる、できないは置いておいて、とにかく誰かに話してみようと。それでいろんな人に話し始めたんです。

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──まずは若松プロの先輩である脚本の井上淳一さんに相談したんですよね。

白石:誰か一人でも反対する人がいたら止めようと思っていました。結果的に誰も反対する人がいなくて、僕自身が意外でした。

──めぐみさんのことは前から知ってました?

白石:もちろん存在は知っていたし、事務所に写真が飾ってあったから若松さんにも何回か聞いたことがあったんですが「前にうちにいた助監督で、事故で死んだんだ」とあまり多くは語らなかったんです。だからもし高間さんが写真集を送ってくれなければ、この映画を作ろうとは思わなかった。実は、若松プロの事務所にも写真集が残っていて、それが結構ボロボロだったんです。たぶん若松さんも時々見てたんだろうなと思いました。
 
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門脇麦が演じる主人公・吉積めぐみ

なんか腹立つことないのか? 何をぶち壊したいんだ!

──映画の舞台は1969年から1971年という社会的にはまさに激動の時代ですね。

白石:若松さんは『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』の舞台挨拶で「あの当時の若者達は右も左も関係なく国を憂え、一生懸命生きていたんだ」とよく言ってたのですが、きっと若松プロは同時代の若者達に負けられないという気持ちで映画を作っていたんだろうなと思います。この時期の若松さんは多い時で年に9本映画を撮っていて、それ以外にもプロデュース作品も何本かやっているので、もうむちゃくちゃな仕事量なんです。そこには足立正生さんをはじめ小水一男さんや荒井晴彦さんのようなすごい才能が集まっていたし、まさに映画の梁山泊ですよね。あと、めぐみさんと僕は時代が約30年違うけど、たぶん見てる光景はあまり変わらないんじゃないかな。少なくとも若松さんが飲み屋で言うセリフは、ほとんど同じはずです(笑)。

──映画の中でめぐみさんは初めて若松監督と飲みに行った時に「おまえ、なんか腹立つことないのか? 何をぶち壊したいんだ!」って言われてますね。

白石:あれは実際に僕が言われたセリフです。いきなり「おまえ、誰か殺したい奴はいないのか!」って(笑)。

──自分の体験をそのままめぐみさんの体験に置き換えたんですね。脚本の井上さんが、この映画はある意味で「負け組」の話なんだとコメントしてますが、めぐみさんは、何者かになろうとしてもがき、道半ばにして挫折していった多くの若者の姿をある意味象徴していますね。

白石:井上さんのおっしゃる通りですが、重要なのは、めぐみさんが存在した証は当時撮られた映画作品の中にちゃんと刻まれているということなんです。

──めぐみさんが初めて助監督をした『女学生ゲリラ』の撮影シーンを再現されてますが、めぐみさん自身が同級生の役で出ているのは知りませんでした。

白石:映画と同じ台詞をそのまま入れてます。撮影場所も同じ。当時の若松プロも金がなかったから、ロケは山の中や浜辺や一軒家の中や公園だったりしたので、今回そういう場面の再現はやりやすかったです。ゴールデン街も当時の雰囲気そのままだし。だから、若松監督に助けられてるなって思いながら撮影していました。

──映画の中には、三島由紀夫の割腹自殺のことが出てきたり、重信房子や遠山美枝子が出てきたりして、これが後に若松さんが監督した『11・25自決の日』や『実録・連合赤軍』につながるんだと思うと感慨深いものがありますね。

白石:『実録・連合赤軍』の当初の脚本には遠山美枝子が若松プロに来ていた場面もあったんですが、なぜか若松さんが削除したんです。でも今回はやはり遠山さんを登場させたかった。後に日本赤軍に参加することになる和光晴生もそうですが、若松プロが政治や社会と他人事ではなかった過激な時代を象徴してますから。

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1969年「処女ゲバゲバ」撮影時の貴重な写真。若松監督の後ろに写っているのが吉積めぐみ(提供:若松プロダクション)

若松プロ 再現photo.jpg「ゆけゆけ二度目の処女」撮影の再現シーン(C)2018若松プロダクション

LIVE INFOライブ情報

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止められるか、俺たちを
10月13日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開
 
出演:
門脇麦 井浦新
山本浩司 岡部尚 大西信満 タモト清嵐 毎熊克哉 伊島空 外山将平藤原季節 上川周作 中澤梓佐
 
監督:白石和彌
脚本:井上淳一 音楽:曽我部恵一
製作:若松プロダクション、スコーレ、ハイクロスシネマトグラフィ
配給:スコーレ 宣伝:太秦
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