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INTERVIEW

トップインタビュー「風の波紋」小林茂監督インタビュー(Rooftop2016年4月号)

名作『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』のスタッフたちが再び新潟を舞台に撮った美しい映像の風。越後妻有の小さな集落から広がる静かな波紋。

2016.03.21

 90年代初頭に、新潟水俣病が発生した阿賀野川流域に暮らす人々の生活を描き、ドキュメンタリー映画の金字塔を打ち立てた『阿賀に生きる』を故・佐藤真監督と共に制作した小林茂監督が、再び新潟の地で5年間の歳月をかけてじっくりと作り上げた映画、それがこの『風の波紋』だ。

 舞台は越後妻有(えちごつまり)の里山。豊かな自然に囲まれているが、冬ともなれば豪雪に埋まるこの地に、都会から移り住んだ木暮さん夫婦とその仲間達が、春には田植えを、秋には稲刈りを、冬には雪かきをし、時には茅葺き屋根を葺かえたりしながら暮らしている。一人では生きていけない厳しい地では共同作業が基本だ。地震で傾いた古い民家もみんなで力を合わせて修復してしまう。人々は何の駆け引きもなく当たり前のように助け合って暮らしているのだ。それはかつて自然と共に生きてきた人間本来の姿でもあるし、近代化の末に多くの問題を抱えてしまった人類にとって、未来へ繋がるための1つの指標のようにも見える。

 小林監督は「この映画はたくさんの偶然の出会いの重なりから生まれた」と言う。一度は映画制作をあきらめる時期もあった小林監督に、『風の波紋』が完成するまでの心境などをお伺いした。(取材・文:加藤梅造/写真:(c)カサマフィルム)

ここなら映画ができるんじゃないかと思った

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(小林茂監督)
 

「この映画を撮るきっかけになった木暮さんとは1996年頃に知り合いました。彼は新宿のダンボール村でホームレスの支援をしながら写真を撮っていて、99年頃に「炊き出し用のお米が欲しい」と相談された。それで、僕の地元の新潟で彼の写真展を開催してお米を集めたんです(※来場者は入場料の代わりにお米を一合ずつ持ち寄った)。その時、「お米をもらうなら、米どころもちゃんと見たい」と言って木暮さんが偶然訪れたのが、後に彼が移住することになる松之山町の中立山集落だったんです」

 その後、集落の古民家を譲り受けた木暮さんは、茅葺き屋根を自分で修繕し、荒廃していた棚田で稲作を始めるようになる。一方、小林監督は2002年に脳梗塞で倒れながらも復帰して『わたしの季節』『チョコラ』と映画制作を続けていたが、『阿賀に生きる』を一緒に作った朋友・佐藤真監督が2007年に自殺するという不幸に見舞われた。

「その時の喪失感があまりにも大きくて、もう映画を撮る気力がなくなってしまった。僕は鬱病を発症してたんですね。そんな頃、と同じように精神を病んでいた大阪の知人から「どうせ死ぬなら、知り合いを訪ねてから死にたい」と電話があって、僕も困っちゃったんだけど、そうだ、木暮君のところに行ってみようと思いついたんです」

 旧友との久しぶりの再会に木暮さんと村の仲間達が集まってきて、彼らを地元の料理でもてなした。それは小林監督にとって「知らない『ムラ』や『ナカマ』との出会い」だった。

「朝早い時間に、朝日が草露に光り眩しく光っていたのを見て、自分の生まれた村を思い出し、直感的に、ここなら映画ができるんじゃないかと思ったんです。映画を作るというのは非常に苦しい作業ですよね。内容のこと、資金のこと、被写体との関係など1つずつ丁寧にやっていかないといけない。でも、この映画ほど自分が生きることと映画を作ることが一つのことのような経験は初めてだった。今思えば、映画によって生かされている日々だったんじゃないかと思います。大阪の知人も元気になって、四国にお遍路に行きましたね」

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生きることがおもしろい

kaze_sub3_Y.jpg 新潟県出身で、かつては新潟の地で『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』を撮影した小林だが、自身が監督として新潟を舞台に映画を作るのは意外にも初めてのことだった。映画の冒頭は、宮沢賢治の童話『雪わたり』に出てくる「狐の幻灯会」を彷彿とさせるシーンから始まる。

は新潟の山村に生まれましたが、今回、新潟で映画を撮るにあたって、自分の子供時代の体験を走馬燈のように思い出して、ある種の劇映画的な部分を入れてもいいんじゃないかという気持ちになったんです。狐の幻灯会のシーンは、映画のためにわざわざ再現したフィクションです。稲が干してある稲架場の前で獅子踊りをするシーンもそうですね。ドキュメンタリー映画ではありますが、そういう演出はたくさん入れました。もちろん子供の頃は農作業もよくしましたし、山羊の乳搾りもよくやりました。だから、現実の部分も幻想的な部分も含め、自分の原体験が色濃く反映されています」

 十代の頃に新潟を出て京都に移った小林は、34歳のとき『阿賀に生きる』の撮影のため再び新潟に戻ってきた。それは小林にとって「嫌で逃げ出した『故郷』との再会」だった。

「当時はみんな都会へ出て行きました。とにかく村から出て行きたいと。ちょうど日本が高度成長期で、そういう時代でもあったんです」

 新潟水俣病(第二水俣病)が発生した阿賀野川流域を舞台に、そこで病と闘いながらも、昔ながらの生活を続けるたくましい老人達の姿を撮った『阿賀に生きる』(1992年)は、高度成長期の負の側面である公害を告発する一方で、老人達が田んぼや川に寄り添いながら自然と共に力強く生きる姿に、人間の気高さや美しさを写し撮り、映画を観た多くの人々を感動させた。

「『風の波紋』は『阿賀に生きる』のような大きな社会問題を扱った映画ではありませんが、自然の中での生活の美しさ、労働のたくましさを撮るという点では共通していますね」

 しかし、普通の暮らしを撮ることを目的としていた小林監督にとって、2011年3月12日に新潟・長野県境地震が起こり、村に大きな被害をもたらしたことは想定外のことだった。

「震災が起こった後は、しばらくカメラを回せませんでしたね。木暮さんの家も傾いたし、村もたいへんな時だった。それに僕はこの映画を『復興映画』にしたくはなかったんです」

 小林はしばらく撮影をためらっていたが、半壊した木暮さんの家を直すために多くの人達が協力していく場面は、春の田植えや冬の雪かきの場面と同様に、人々の生活の一部としてすんなりと映画の中に溶け込んでいる。

「生きることがおもしろい、という言い方があってるような気がします。例えば、お風呂を沸かす時、今は大抵スイッチひとつですが、彼らは薪を割ってそれをくべて火をつけて沸かすわけですよね。お金を稼ぐ以外の労働がたくさんあるんです。要するに忙しい(笑)」

 機械を使わずすべて手作業で田植えをする木暮さんの姿からは「キツイ労働」という側面はあまり伝わってこない。苗を植えながら「ここが僕のキャンバスだ」と言う木暮さんは本当に嬉しそうに田植え仕事をしているからだ。

ひとつの世代がいなくなったからと言って、すべてがなくなるわけじゃない

kaze_main01_Y.jpg 小林監督が『風の波紋』を撮影していた2012年は、ちょうど『阿賀に生きる』の公開から20周年ということでフィルムのニュープリントやデジタル化のプロジェクトが進んでいた。この作業を担った秦岳志が『阿賀に生きる』について「映画の最後の約20分間が、まるで黄泉の国の世界のような雰囲気を持っていることに気付きました」と書いている。これは一体どういうことなのだろう?

「あの映画の最後は一気に流れていくんです。老夫婦のおじいちゃんとおばあちゃんが「早く迎えに来てくれ」「首絞めればいっぺんに逝ける」と冗談を言い合ってるシーンがあるんですけど、その後に雪のシーンがダーっと流れて、春が来て、田植えになる。秦さんがどういうつもりで言ったのかわからないけど、黄泉の国とは現実の世界ではないということですよね。言ってみれば彼らにとっての最期なわけです。『風の波紋』でも「ここに誰もいなくなったら田んぼはどうなるんですか?」という質問に、木暮さんが「後は野となれ山となれだ。でも、俺が死んだらまた誰かやる奴が出てくる」と言うんです。それは14年前に東京から移住して、廃れた田んぼを耕してきた彼自身のことでもある。そういう意味で言えば、ひとつの世代がいなくなったからと言って、すべてがなくなるわけじゃない」

 小林は、『風の波紋』は自分の子供の頃の記憶と友人達の生き方を撮ったもので大きな問題は扱っていないと言うが、1992年の『阿賀に生きる』、2004年の『阿賀の記憶』に続く三部作として観ると、そこにはより大きな物語が浮かび上がってくるのではないだろうか。

「言われてみれば三部作になっているのかもしれません。『阿賀に生きる』では高度経済成長の負の部分とそれに対して昔ながらの生き方をしている最後の世代を撮った。『阿賀の記憶』ではその最後の世代が亡くなった後の不在の風景を撮った。そして『風の波紋』は、東京の人がそういう場所にわざわざ移り住んで土地を再生する姿を撮っている。そういう1つの流れはありますね」

こういう生き方もあるんだ

 『阿賀に生きる』のラストで印象的なのは老夫婦のおじいさんが「明日死んでもいい。明日死ねば、みんな来てくれる」と言う場面だ。仲間と共に生き、そして死ぬということの尊さ、それは『風の波紋』で、木暮さんと仲間達が家を建て直し、完成祝いの宴を開くシーンとも繋がっている。人間の幸福とは一体何なのかを、彼らは無言のうちに語っているようだ。

「木暮さんの家が直って宴会をした日の翌朝、みんな帰った後に僕は一人起きて「もしかして昨日の夜は夢だったんじゃないのか?」と思ったんです。人間ってすごく楽しいことがあったりするとそれが幻のように思える。これは本当にあったことなのかと」

 こうした日々の営みの中にこそ、人間の根源的な幸福があるのだと思える場面だ。『阿賀に生きる』では、新潟水俣病という負の要素と対比させることで、このような美しさを描いているが、『風の波紋』ではそうした対比を必要としないほど、その美しさは自明に見えてくる。

「近代以降ずっと、経済成長さえすればみんな幸せになれるということが言われてきたけど、そんなわけない。俺たちが望んでいるのは戦争しないことだし、平和に生きることなんだ。一人でいくつも家を持つことが幸せなのか? 人間が毎日食べるのは一流レストランのフルコースじゃなくて普通のお総菜で充分だ。グローバル社会がいいことみたいに言うけど、それはどこか別の国から搾取しないと成り立たないわけですよ。本当は木暮さん達みたいに、小さな社会で自分たちが作ったものをみんなが持ち寄ればいいんであって、それをわざわざオーストラリアから持ってくる必要なんてないんです。それにみんな気づいているんだけど、なかなか変えることができない。でもだんだん今の若い人達の中には、木暮さん達のような小さな世界に価値を見いだすようになっていると思うんです。お互いの顔が見える世界ですよね。だからこの映画を観た人が、こういう生き方もあるんだということに気づいてもらえれば嬉しい。この映画は観る人によっていろいろ違った反射の仕方をするんじゃないかな。そこが面白いと思います」

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◆劇場公開情報
風の波紋
監督:小林茂 
撮影:松根広隆 現場録音:川上拓也 音響:菊地信之 
編集・アソシエイトプロデューサー:秦岳志 編集協力:山崎陽一 
音楽:「めざめのとき」天野季子(作詞・作曲・歌) 
プロデューサー:矢田部吉彦 長倉徳生 
製作:カサマフィルム
配給:東風
 
渋谷ユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開
公式ホームページ http://kazenohamon.com/
 
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