Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビューBOφWY('08年4月号)

“LAST GIGS”COMPLETE
日本のロック史上最高峰のライヴ作品、遂に完全版としてリリース!
解散から20年を経て紐解かれる『LAST GIGS』の全貌

2008.04.01

1950年代にアメリカで産声を上げた舶来のロックンロールを咀嚼し、独自の文化として発展し進化を続ける日本のロック。そのほぼ半世紀にわたる歴史において、"伝説のライヴ"と称されるものが幾つか存在する。特殊効果用の火がセットに燃え移り炎上したキャロルの解散ライヴ、今は無き久保講堂で行なわれたRCサクセションの名演ライヴ、オーディエンスがステージに殺到して暴動寸前となった甲斐バンドの花園ラグビー場でのステージ、記録的な集中豪雨に見舞われたモッズの日比谷野外音楽堂、新宿ロフトと後楽園ホールと渋谷公会堂の3ヶ所で行なわれたARBの『アッパーカット・ツアー・デラックス"3日で歴史を見せてやる"』──。そうした歴史的イヴェントの数々の中でも、記憶と記録の両面において最高峰に位置するのがBOφWYの『LAST GIGS』であることは言を待たないだろう。完成直後の東京ドームで1988年4月4日、5日の両日にわたって行なわれることが発表されるや、チケットの申し込みで文京区の電話回線がパンクするなど開催前から異様な盛り上がりを見せ、2日分のチケット10万枚は10分でソールド・アウト。また、ライヴ開催から1ヶ月後に発表されたライヴ・アルバムは、スタジオ・レコーディング作品ではないにも関わらず100万枚を超えるセールスを記録。バンドにとっては解散から僅か3ヶ月で敢行する"早すぎた再結成"という側面があったものの、それ以上に自分達を支え続けてきてくれたファンに対して感謝の思いを直接伝える意義が極めて大きかった。そしてそのライヴは、メンバー自身がオーディエンスと一体となって自らの音楽を心ゆくまで楽しんで臨んだ最たるものであり、その出自からライヴを活動の基盤に置いてきたBOφWYが最後まで傑出したライヴ・バンドであったことを雄弁に物語る天を衝くプレイに充ち満ちていた。ライヴというその瞬間瞬間の滾る思い、迸る熱情、そして圧倒的なテンションを誇るパフォーマンス。そのどれもが一級品であり、そのどれもが儚かった。儚いからこそ美しかった。20年の時空を超えて遂にその全貌が紐解かれる『"LAST GIGS"COMPLETE』の音と映像に触れると、その儚くて美しいロックンロールが2008年の今なお高い普遍性を内包し、得も言われぬ昂揚感を我々に与えてくれることを痛感する。そんな日本のロック史上最高峰のライヴと当時のバンドを取り巻く状況について、現役時代にマネージャーとしてメンバーと苦楽を共にしていた土屋 浩(EARTH ROOF FACTORY/B to Y Music 代表取締役)に話を訊いた。(interview:椎名宗之)

生粋のライヴ・バンドとして食指を動かされた"東京ドーム"

──BOφWY最後のライヴを東京ドームで行なうというアイディアは、土屋さんによる発案だったんですか。

土屋:最初は当然、イヴェンターからの提案でした。僕らには完成間近の東京ドーム(落成式は1988年3月17日)でライヴができるなんて情報はなかったですよ。1987年当時、解散の事実を知っていたのはメンバーを含めた極々僅かな関係者だけだったし、当然のことながら12月24日の当日まで解散を公表することができなくて、『LAST GIGS』に向けてのブッキングもそれまでは具体的に動けずにいたんです。ただ、最後のツアーが終盤に差し掛かってきた頃に、メンバーはもちろん、オーディエンスの表情を一スタッフの立場として見ると複雑な気持ちも正直あった。ご存知の通り、12月24日の渋谷公会堂は会場に入りきれなかったオーディエンスが外にたくさんいましたからね。そういったファンやオーディエンスに対して120%の満足は与えられないかもしれないけど、BOφWYらしいファイナルで、解散の後に何かできないだろうかという話はイヴェンターと詰めていたんです。それでいろんな話をスタッフ間でまとめて、メンバーに対してプレゼンテーションをしたんですよ。

──提案を受けて、メンバーの反応は?

土屋:最初はやっぱり、NGでしたよね。彼らにとっては解散してすぐの再結成だったから。氷室(京介)も当時のインタビューで「早すぎる同窓会」だと言っていたし。でも最終的には、解散を発表した後にファンに対してちゃんとグッバイを言うためのライヴというところに彼らは意義を感じてくれた。今思えば、オープン間もない東京ドームで最後のライヴができたのは凄く良いタイミングでしたね。老朽化した後楽園球場の代わりに出来た日本初のドーム球場というのが、インパクトがあって良かった。集客がわずか数十人のライヴハウスからすべてが始まって、ただひたすらに上だけを見て登り詰めてきた彼らにとって、5万人を収容する真新しい会場は生粋のライヴ・バンドとして食指を動かされる場所だったんだと思う。それもこけら落としの一環となるイヴェントではなく、単独で2デイズをやれるというスケジュールをイヴェンターが本当によく押さえてくれたと思いますよ。仮に最後のライヴが武道館の10デイズだったとしてもメンバーはきっと納得しなかっただろうし、それでは僕自身も彼らに対して提案できなかったですからね。

──誰もやろうとしなかったことに対して先陣を切って取り組んでいくというBOφWYのスタンスは、最後の最後まで貫かれたということになりますよね。オープンしたてのドーム球場でライヴを2日間にわたって行なうなんて、過去に前例がなかったわけですし。

土屋:うん、だからこそ実現できたんだと思う。

──2日分のチケット10万枚は、僅か10分でソールド・アウト。チケットの申し込みで東京ドームのある文京区の電話回線がパンクするという事態まで起こりましたが、これは土屋さんの中ではある程度想定していたことなんでしょうか。

土屋:いや、想定なんてとてもできませんでしたよ。確かに、電話の回線に関して危惧するところはありましたけどね。バンドにとって最後となるライヴ...それも、2日間で10万人ものオーディエンスを集めるライヴのチケットを売るノウハウなんて、当時は全くなかったわけですから。だから、ファンのみんなには迷惑を掛けた部分がたくさんあったけど、回線がパンクするほどの訴求力があったことは純粋に有り難いことでしたよね。

──そうしたチケットの販売から始まって、ライヴに適していない会場での音響対策や演出上の問題など、あらゆる事項が手探りの状態なわけで、現場のマネージメントである土屋さんは相当なご苦労があったのではないかと思いますが...。

土屋:そんなことないですよ。その時点ではもう解散という終結に向けて気持ちがひとつになっていたし、僕はメンバーと一緒に「ああしよう、こうしよう」と勝手に言っていただけでしたから(笑)。苦労が絶えなかったのは、東京ドームのスケジュールを押さえてくれたイヴェンター、ステージの設営や安全対策を講じてくれたスタッフ、PAといった本当の意味でライヴを支えてくれた人達だったと思います。

──『LAST GIGS』当日、土屋さんはステージを何処でご覧になっていたんですか。

土屋:僕はPA席にいましたね。解散宣言をした『1224』は全然見られなかったんですけど、『LAST GIGS』の時はPA席の定位置で音が良いとか悪いとかの話をしていました。基本的に野球をやる場所だし、実際にオーディエンスが入ってみないと音がどうなるか判らなかったんです。スピーカーの向きにしても、残響音にしても、客席が埋まってから跳ね返ってくる音にしてもすべてが手探りで、ステージに立つメンバーにとっても不安ではあったと思うけど、BOφWYのキャリアの中では不安要素のないステージのほうが少なかったくらいなんですよ。ライヴハウス時代から培ってきた良い意味での開き直りが彼らの根源にはあったし、"とにかく自分達にやれることをやるんだ"というモードにはリハーサルの早い段階で切り替わっていたんじゃないかな。

純粋に音楽を楽しむという結実に向かった一番のライヴ

──12月24日以来3ヶ月振りに再会したメンバーがリハーサルを行なった際、松井(常松)さんが「NO! NEW YORK」のキーを忘れて、そのままリハーサルが流れてしまったという逸話が残っていますよね。

土屋:初日はそうでしたね。松井が本当にキーを忘れていたのかどうか僕には判らないけど、決して険悪な感じではなかったんですよ。氷室も「まっちゃん、明日には覚えてこいよ」っていう感じだったから。今にして思えば、駆け引きっていうわけじゃないんだろうけど、もう一度集まった4人の間の照れとかプライドとか、いろんなものがあったんじゃないのかな。そういうやり取りの中で何か確認しようとしたことがあったのかもしれないし、少なくともそれは確実に良い方向に動いていたんですよね。

──リハーサルにはそれほど時間を掛けなかったんですか。

土屋:掛けなかったですね。もともと余りリハーサルをするバンドじゃなかったし、ライヴハウス時代に彼らは圧倒的な基礎体力を身に付けていましたからね。『LAST GIGS』の時も特別な演出はなかったし、特別なことをやらなくても、彼らが特別なテンションになった時にはきちんとフォローするだけの特別な力と特別なパートナーシップがスタッフ間にはありましたから。『LAST GIGS』でも最低限度の決め事をまず決めて、「あとは当日ね」っていう感じでしたね。

──そして迎えた4月4日当日は、メンバーのイメージ通りにステージを進行できなかったという思いから、終演後にセット・チェンジをしたり、モニター・システムの再調整をしたり、深夜にわたるまで徹底的にリハーサルを繰り返したという...。

土屋:バンドの力量としては満足だったんだろうけど、満足の行く力量を持ったバンドにとっては中音と出音が違うという違和感がどうしても拭い切れなかったんでしょうね。それは初日の演奏が悪かったという意味じゃなくて、自分達の沸点に達するタイミングがジャストじゃなかったんだと思う。そのためにモニターの角度を変えてみたりはしました。とにかく広い会場だったから、キャパシティに対するステージ上での音と外に出ていく音のチェックを改めて徹底的にやり直しましたね。それぞれのパートで最終的なチェックが終われば各々が2日目に備えましたけど、スタッフは基本的に徹夜で臨んだんですよ。

──新宿ロフト時代からの盟友であるPAの森山朝雄さんの気苦労たるや、とりわけ凄まじいものがあったんじゃないかと思いますが...。

土屋:うん、そう思う。でも、それ以上に森やんも楽しかったんじゃないかな。ロフトからドームまで、メンバーと一緒に上を目指す環境にありましたからね。

──初日の改善点を解消して、2日目の音響は格段に良くなったと(高橋)まことさんも『スネア』の中で書かれていますね。もちろん、両日ともに最大限の力を出し切ったライヴに変わりはなかったんでしょうけれども。

土屋:なんて言うのかな、もともと2デイズのライヴが苦手なバンドではあったんですよね。一度限りのステージをその一夜に向けて練習をし尽くすというポリシーでやっていたバンドだから、この『LAST GIGS』も初日より2日目のほうが良かったというわけでは決してないんですよ。2日間あるうちの"終わりを迎えるための1日"と"本当に終わりを迎える1日"とがあって、恐らくそれは誰もやったことがないものだろうし、そこに向かうメンタリティというのはメンバー4人にしか判らないと思うんですよね。だから、初日は極端に出音が悪かったとか、そういうことじゃないんです。動きがより大きかったのは2日目のほうだったのかもしれませんけどね。2日目は初日以上に"自分達のやれることをやる"という高みにまで到達していますから。

──『1224』のライヴに比べると、この『LAST GIGS』でのステージは何かが吹っ切れた潔さを強く感じますよね。

土屋:そうですね。『1224』は解散を伝えるという張り詰めた意識があったし、『LAST GIGS』はその意識から全部解放されて、4人それぞれの中にある純粋に音楽を楽しむという結実に向かった一番のライヴかもしれない。他のどのライヴよりもそういった意識が強かったかもしれないですね。もちろん個々人のプレッシャーはあっただろうけど、BOφWYというひとつのけじめをつけることに関してはすでに終えているわけだから、オーディエンスと一緒に自分達も楽しむというスタンスで『LAST GIGS』には臨んでいると思いますよ。だから凄く、空っ風みたいなロックンロールを奏でている。

──ダブル・アンコールの最後の曲「NO! NEW YORK」が終わった時に去来した思いはどんなものでしたか。

土屋:それはメンバーと一緒だったと思いますよ。それまで抱えていたある種の緊張感は僕の中でも『1224』で結実していたし、間髪入れずに『LAST GIGS』に向けての準備がありましたからね。ただ、その『LAST GIGS』に向けての準備というのは、その次にBOφWYが何処かへ向かうためにセットしているものではなく、そこで燃焼し尽くすためのものだった。だから、『LAST GIGS』が終わった瞬間はメンバーにもスタッフにも「お疲れ様!」っていう感じでしたよね。それと、オーディエンスの熱狂する姿を見て"ロックにはこういう楽しみ方があるんだな"っていうのを強く感じましたね。つまり、ロックが本来持ち得た精神性や重さを超えた次元でエンジョイするというか、そういう感覚は客席の中にエネルギーとして確実にあったし、それはメンバー自身も感じていたと思う。とにかくメンバーも僕らスタッフも、オーディエンスに対しては心から「ありがとう」という気持ちでいっぱいでしたね。


ファンに対する深い感謝の意味合いが凄く大きかった

──『LAST GIGS』とはBOφWYにとって壮大な後夜祭であり、ファンに対する感謝の宴であったと言えますね。

土屋:うん、ファンに対する深い感謝の意味合いが凄く大きかった。ちょっと生々しい話になってしまうけれど、東京ドームの球場使用料と物販の手数料は凄く高いんですよ。要するに、基本的にはビジネスとしてライヴをやる場所ではないんです。でも、あの当時は1人でも多くのオーディエンスを集められる広い場所が他には考えられなかったんですよね。

──今でこそ珍しくないですが、『LAST GIGS』は単体のアーティストによるフェスティヴァルの先駆けでもあったわけで。

土屋:そうですね。まぁ、『LAST GIGS』の翌日の4月6日にライヴ・アルバムを出そうという僕の提案はさすがに却下されましたけどね(笑)。無理なのは重々承知なんだけれども、それくらいの気持ちではあったんですよ。だって、ライヴに来られなかった人達はたくさんいただろうし、今みたいにライヴの翌日にインターネットで配信するようなことはできなかったわけだから。東京ドームまで来ることのできなかった地方の人達に向けて、音源と映像をできるだけ早いタームで届けられるパッケージを当時から考えていたんですよ。

──でも、ライヴ・アルバムは4月5日からほぼ1ヶ月後の5月3日にリリースされて、当時の感覚で言えば尋常ではない早さでしたよね。

土屋:うん、凄く早かった。有り得ない早さだったと思いますよ。

──全12曲が収録されたライヴ・アルバムの選曲基準はどういったものだったんでしょうか。CDもしくはLP 1枚に収める時間的制限もあったと思いますが。

土屋:選曲に関しては、基本的にメンバーが全幅の信頼を置いていたEMIのスタッフに任せました。1日でも早くファンに届けたいという思いは僕以上にメンバーにはあっただろうから、それを遵守するために最善の選曲を当時チーフ・ディレクターだった子安さん(子安次郎、現・EMI Music Japan/Capitol Music Co.プレジデント)達が取りまとめてくれた感じですね。

──今回発表される『"LAST GIGS"COMPLETE』はセットリスト全23曲を再現したコンプリートな内容ですが、この"コンプリート"とは、昨年末に発表された『"GIGS"CASE OF BOφWY COMPLETE』同様に2ステージから精選してひとつの作品とする意味での"コンプリート"なんですよね。

土屋:そうです。あくまでも作品のクォリティを第一に考慮した結果ですね。メンバーの確認が済んだテイクと映像を組み合わせてセットリストを完全に再現するという意味での"コンプリート"なんです。音の好みはハードによって違うし、リマスタリングの定義も機器によって変わってくるだろうけど、映像も音源も最新の技術を駆使してクリーンナップしています。

──今改めて『LAST GIGS』の映像と音に触れて、どう感じましたか。

土屋:やっぱり凄いバンドだったと純粋に思いますよね。20年経っても、バンドの存在自体が全く古びていない。それに加えて、再生される音も映像も現時点で考え得る最上のクォリティで加工されているから、凄く新鮮に映ると思う。手前味噌に聞こえるかもしれないけど、"こんなバンド、今も他にいないよな"って僕自身改めて感じましたからね。

──昨年9月に発表されたオールタイム・ベスト『THIS BOφWY DRASTIC』と『THIS BOφWY DRAMATIC』を筆頭に、"20th ANNIVERSARY FROM BROKEN 2007-2008"プロジェクトの一連の作品に接して改めて痛感したのは、解散から20年を経てもBOφWYが"φ"のままであることなんです。つまり、未だに何処にも属さない、誰にも似ていない存在であり続けていることなんですよね。

土屋:本当にそう思います。凄いことですよ。

──今思うと、『LAST GIGS』のセットリストはまさにBOφWYのゴールデン・ベストとでも言うべき選曲でしたね。

土屋:選曲は氷室をメインに組み立てていったんだけど、オーディエンスが無条件に楽しめるナンバーを入れ込もうというのが基準としてあったと思う。『LAST GIGS』をやるアイディアは『CASE OF BOφWY』の時にはなかったから、『CASE OF BOφWY』では『MORAL』や『INSTANT LOVE』の曲もやろうと僕から提案をしたけれど、『LAST GIGS』はオーディエンスと一番コミュニケーションしやすい選曲がいいんじゃないかというところで氷室にほとんどお任せだったんですよ。もともとスロー・ナンバーが少なかったバンドだけど、『LAST GIGS』のセットリストでもスローなのは「わがままジュリエット」と「CLOUDY HEART」くらいで、あとは畳み掛けるようにアッパーなナンバーばかりですよね。「B・E・L・I・E・V・E」とかもやっていないし、レコード会社の人が考えてもここまでオーディエンスの聴きたい最大公約数的なセットリストにはならないと思いますよ(笑)。

──当時、この『LAST GIGS』のCD/LPを聴いてからファンになった人も凄く多かったですよね。売上枚数という客観的なデータを基に顕彰される『日本ゴールドディスク大賞』の第3回(1989年)で、BOφWYは邦楽部門のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞していますし。

土屋:BOφWYのアルバムで初めてミリオンを超えたのは『LAST GIGS』なんですよ。時間が経過してからの検証事になるけれど、ライヴ・アルバムがミリオンを超えるなんて有り得ない話だと思うんですよね。その意味でも、この『LAST GIGS』はエポック・メイキングなパッケージだったと感じます。

楽曲に凝縮されていた"すべてを言い切らない粋の美学"

──ステージが火事になったキャロルの解散ライヴ(1975年4月13日、日比谷野外音楽堂)、後にライヴ・アルバム『RHAPSODY』としても発表されたRCサクセションの久保講堂でのライヴ(1980年4月5日)、記録的な集中豪雨に見舞われたモッズの野外音楽堂でのライヴ(1982年6月20日)など、日本のロック史上に燦然と輝く伝説のライヴが幾つかありますが、BOφWYの『LAST GIGS』がその中でも記憶と記録の両面で最高峰に位置するのは論を待たないと思うんです。

土屋:うん。ただ、誤解を恐れずに言えば、解散ライヴの内容自体には外因的なエポックはなかったんですよ。ステージでマグネシウムが引火したとか、雨に祟られたとか、そういったハプニングはなかったわけだから。それよりも、世の中が移り変わっていく中で東京ドームが出来たという偶発性も含めて、この『LAST GIGS』によって彼らの存在自体がエポックになったことのほうが意義としては大きいんじゃないかと思いますね。

──時代がBOφWYに追い付いた時、バンドはすでに存在していなかったというのも、何となくBOφWYらしいと言えますよね。1988年の初頭にはもう、4人は各々次なるステップへ向けて疾走していたわけですから。

土屋:でも、それは決して戦略ではなかったんですよ。止まっているのが単純に厭だっただけなんです。メンバー各自が意義を感じてチャレンジする気持ちみたいなものが、この解散を機にそれぞれのプロジェクトにはあったと思うし。BOφWYの場合、メンバーの創作面とは違う部分で、スタッフ・サイドからのアイディアが枯渇することは一度もなかったんです。それはバンドが決して立ち止まることを望まない、常にスリリングな存在だったからだと思う。今もなお数多くのファンがBOφWYを支持し続けてくれているのは、バンドにそういった側面があるからでしょうね。それと、今回こうして音も映像もクリーンナップされた『LAST GIGS』に触れれば、今の10代の音楽ファンにもとても新鮮に映ると思うんですよ。

──J-ROCKと呼ばれる昨今の音楽シーンにおいて、あれだけのオリジナリティの塊のようなバンドは何処を探しても見当たらないですからね。

土屋:日本のロックを語る上で"BOφWY以前、BOφWY以降"という言葉があるけれど、それで言えば"BOφWY直後"にはBOφWYのようなバンドがたくさんいたんです。だから、ファンもBOφWYとBOφWYみたいなバンドの区別がつかなかったと思うんですよね。もちろん、最初はBOφWYを目標としながらも後に確固たるオリジナリティを掴んだGLAYやBUCK-TICKのように優れたバンドもいます。でも、BOφWYが解散してから20年が経過して、現在の日本のロック・シーンを冷静に見た時に、その始祖となるバンドの威力は誰しもが素直に認めざるを得ないと思う。ロックンロールが"等身大"という名の下にお洒落をしない手頃なもの、もしくはお洒落よりも個人の赤裸々な内面を吐露するようなものに主軸が移行していくことに対して、ロックとは本来もっと格好良くて憧れられるものじゃないとダメだという発想があると思うんです。その集大成的なものが、BOφWYの中には限りない要素として詰まっているんですよ。

──私見になりますが、BOφWYの楽曲の世界観は己の内面を赤裸々に吐露するという類のものではないし、サウンドも一貫してソフィスティケートされたものであるにも関わらず、バンドの存在感としては非常に人間くさくて体熱を感じさせるものであるという不可思議なねじれ構造を孕んでいるのがBOφWYの大きな魅力のひとつだと思うんですよ。

土屋:それは、メンバー個々人のパーソナリティも素晴らしかったし、その4人が集まった時に起こった化学反応が為せる業だったんじゃないかな。4人で生み出した音と言葉、ライヴでの空間というのは、100の言葉を費やすよりも伝わりやすい何らかの佇まいがあったと思う。饒舌ではないことが芸術であると僕自身は思わないし、心情を吐露する表現も嫌いではないけれど、皆まで言うな、っていう感覚ってあるじゃないですか。すべてを言い切ることのない粋の美学を凝縮した形がBOφWYの楽曲にはあったし、それは多少歪で判りづらいものだったかもしれないけど、聴き手の感性のアンテナに引っ掛かって消えない何かがあった。そして、それぞれが自由に解釈のできる懐の深さもそこにはあったんですよ。

──確かに、最近は深読みし甲斐のない曲ばかりが巷に溢れているのは否めませんね。

土屋:歌詞を読めばそのままの曲が多いですよね。だからこそ聴き手の思いを重ね合わせやすいんだろうけど、そこにはドラマ性や想像力を働かせる余地が余りないと思うんですよ。つまり、楽曲が形として残りすぎてしまうからすぐに飽きられてしまうんじゃないかな。もちろん、それが良いとか悪いとかではなくて、ポップスにはそういう刹那性が宿命としてあるものですけどね。ただ、聴く側が100人いるとすれば、100人の「MARIONETTE」に対する解釈があると僕は思うんです。時代背景を含めたところでの楽曲に対する深いこだわりと、大衆化とのせめぎ合いがバンドの中のテーマのひとつでしたからね。

──こうしたBOφWYのアーカイヴ作品の発表は、今回の『"LAST GIGS"COMPLETE』で最後になるということですが...。

土屋:うん。EMIには申し訳ないんですけど、メンバーとも話をして、解散から20年というところでひとつの区切りを付けたかったんですよ。

──この20年という歳月は、土屋さんにとってどんなものでしたか。

土屋:"もう20年"でも、ましてや"まだ20年"でもないですね。メンバーだった4人は今もそれぞれ最前線で頑張っているし、当時のスタッフも僕を含めて現役ばかりだし、時間軸として続いているものなんです。おかしな表現かもしれないけど、年が明けたと思ったら"もう2月?"っていうか(笑)、そんな感覚に近いのかもしれない。重さや時間軸ではなく、気持ちの在り様としてはね。

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02. B・BLUE
03. ハイウェイに乗る前に *
04. BABY ACTION *
05. BAD FEELING *
06. 1994-LABEL OF COMPLEX- *
07. DRAMATIC? DRASTIC!
08. MARIONETTE
09. わがままジュリエット
10. LONGER THAN FOREVER
11. CLOUDY HEART
12. WORKING MAN
13. PLASTIC BOMB *
14. JUSTY *

◇DISC-2
15. IMAGE DOWN
16. BEAT SWEET
17. NO! NEW YORK
18. ONLY YOU
19. DREAMIN'
-ENCORE-
20. ON MY BEAT *
21. BLUE VACATION *
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