Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】増子直純(怒髪天)×吉村秀樹(bloodthirsty butchers)×谷口 健(BEYONDS)(2007年10月号)- 祝・ルーフトップ&新宿ロフト31周年記念イヴェント開催!人気コラム連載陣"BIG 3"がルーフトップにモノ申す!!

祝・ルーフトップ&新宿ロフト31周年記念イヴェント開催!人気コラム連載陣“BIG 3”がルーフトップにモノ申す!!

2007.10.01

谷口 健(ビヨンズ)の『砂の上のダンス』とブラッドサースティ・ブッチャーズの『裏のスジの突き当り』の連載コラムがルーフトップで始まったのは、2002年3月号のことである。僕がルーフトップの編集に参画して2冊目の号だった。同年1月、何の因果かロフトプロジェクトに拾われてルーフトップ編集部に配属となった僕は、個人的に愛してやまないバンドの連載を持ちたいと真っ先に企て、当時の編集長に直訴したのだ。両者とも下北沢シェルターを基盤としたライヴを定期的に行なっていたし、スプリット・アルバムも出したことのある両者のディープすぎる関係性(特に谷口と吉村)もよく理解していたからだ。一方、増子直純(怒髪天)の『ZOOMYの眼』は2004年6月号から始まった。その前号に掲載された『リズム&ビートニク』のインタビューをした時に、増子から「俺もルーフトップで連載をやりたいな」と言われたのが事のきっかけだったと思う。この3組による連載コラムの見開きページは、ルーフトップをルーフトップたらしめている大切な要素のひとつであり、大袈裟に言えば僕個人のアイデンティティのようなものである。少なくとも、僕が本誌の編集に携わる以上は今後もずっと続けてもらうつもりだ。そんなわけで、本誌の創刊31周年を記念して新宿ロフトで行なうライヴにこの3組が揃うことは非常に感慨深く、とても意義深いことなのである。このページは通常その3組によるコラム枠だが、今月は特別に谷口、吉村、増子の"本誌BIG 3"(と、勝手に命名)にルーフトップを巡って存分に語り倒してもらうことにした。(interview:椎名宗之)

初めてルーフトップを手にしたのは…

12_ap01.jpg──皆さん、ルーフトップを最初に手にして読んだのはいつ頃か覚えていますか。

増子:あれだよ、矢野顕子が表紙のヤツでしょ?(笑)

──それは1976年10月の創刊号ですよ(笑)。増子さんがまだ10歳の時ですから。

増子:ウソつくなって(笑)。正確に言えば、東京に出てきた17年くらい前にまだペラ紙状態のを読んでたよ。

吉村:今よりももっと薄かった頃だよね。まだ手書きで書いてるような時期。俺達よりも、東京にいた健ちゃんのほうが読んでたのは古いんじゃない?

谷口:うーん、実は全然記憶にないんですよね(笑)。まだ小滝橋通りにロフトがあった時に、スケジュールが掲載されたのはもらってたんでしょうけど。アナーキーを観るためにロフトには毎月通ってましたからね。アルバムで言えば『READY STEADY GO』と『ANARCHISM』の間の中学生の頃でしたけど。その頃にルーフトップはすでにあったんですよね?

増子:全然あったよ。大判の紙にスケジュールが載ってて、折り畳める感じだったよね。

──よくご存知で(笑)。

増子:俺、それをまだ札幌にいた頃に見たことがあったよ。多分、友達が東京に行った時にロフトでもらってきたんじゃないかな?

──健さんがバンドを組んだのは、アナーキーをロフトで観ていた頃ですか。

谷口:いや、それから1、2年経った高校の時ですね。ポップ・グループとパブリック・イメージ・リミテッドとアナーキーとマスターベーションをコピーするようなバンドをやってました。

増子:それを全部足すと今のビヨンズになるから(笑)。

谷口:(笑)旧ロフトはとにかく、あの地下に降りて行くのが怖いなと思いましたね。

増子:あと、楽屋のゴキブリの多さね。札幌はゴキブリが出ないから、あれにはビックリしたよね。

吉村:それと下水の匂いだね。東京の建物はどこもそう感じたよ。羽田空港に降りた時点でまず臭いんだから(笑)。

──札幌時代、東京に出てきてロフトにライヴを観に行くようなことは?

増子:そんな金あるわけないじゃん(笑)。時間はたんまりあっても金がないんだから、遊びになんて来られないよ。でも、19歳で国を守るために埼玉に出てきた俺と違って(笑)、ヨーちゃんは一回東京に住んでたからね。

吉村:うん。18、19の頃、友達と一緒にちょっとの間ね。

──ブッチャーズの前身バンドが終わった後ですよね。

吉村:そうそう。よく覚えてないけど、その頃にロフトでパイディアとかを観たような気がする。

増子:トランス・レコードの全盛期だよね。まァ、俺も札幌で有頂天と間違えられたことがあるけどね(笑)。怒髪天と有頂天、“天”しか合ってねェだろっていう(笑)。俺は“健康”じゃなくて不健康だよっていうさ(笑)。

吉村:で、札幌に帰って来てすぐに、おまえ(増子)に「バンドやれよ!」って言われたんだよ。俺は家もないし、何の用意もないのにどうすりゃイイんだよ!? って思って(笑)。それで、確か1ヶ月くらいでブッチャーズを始めたんだよ。

増子:そうだっけ? 全然覚えてないよ(笑)。まァ、俺もちょっとは役に立ってるじゃん(笑)。俺が上京してきたのは25歳の時で、ヨーちゃんなんかよりも早かったんだよね。東京に行く先陣を切ったのはゴッツ・ガッツの谷口(順)だったんだけどさ。最初は部屋も借りてなくて、俺は谷口の家に転がり込んだんだよ。

吉村:俺もだよ。みんな東京に行っちゃって、“そして誰もいなくなった…”ちゅって俺達とイースタンユースが最後に行ったんだよね。谷口の家か、真二(増子真二、DMBQ)の家か、小磯(小磯卓也、現在は札幌にある『BAR十蘭堂』主人)の家かの“塾”に行くしかなかったわけ。

──ん? “塾”っていうのは?

増子:コミュニティみたいなもんだね。松下政経塾みたいなさ。真二の家には吉野(吉野 寿、イースタンユース)がしばらく住んでたからね。

吉村:真二の家は面白かったよ。吉野、田森(田森篤哉、イースタンユース)、射守矢(射守矢 雄、ブッチャーズ)っていう顔触れで。ほのぼの系っていうかさ(笑)。

増子:それぞれのコミュニティに分かれてたわけ。やっぱり、バンドの同じメンバーとは住みづらかったんだよね。

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