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INTERVIEW

トップインタビューARB ('06年8月号) - 「ARBは僕の人生を決めてくれたバンドなんです」(アツシ/ニューロティカ)

ARB、再始動後(1998~2006年)の第4期を総括するベスト・アルバム発表!
“生粋のARB KIDS”アッちゃんがARBの魅力を語り尽くす!
アツシ(ニューロティカ)の『DAYS OF ARB』

2006.03.05

 今年3月2日に衝撃の活動停止宣言をし、27年間にわたる歴史に幕を降ろしたARB。結果的に最後となったツアーの模様を収めた2枚組ライヴ盤『ARB is ~20041120CompleteLive~』に続き、8年間の沈黙を破って内藤幸也とebiを迎え再始動を果たした第4期(1998年~2006年)の代表曲をコンパイルした『DAYS OF ARB Vol.4』がリリースされる。今なお我々の魂を激しく揺さぶり続けるARBの真髄を知り抜いたニューロティカのアツシに、底が窺い知れないARBの魅力について存分に語り倒してもらった。(interview:椎名宗之)

八王子の大丸屋上で初めてARBを観てブッ飛んだ

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ARBは、中学の野球部のエースが持ってたファースト・アルバム(『A.R.B』1979年5月発表)を借りて聴いたのが最初です。それまではフォーリーブスとかピンク・レディーとかの歌謡曲しか知らなかったから、ARBの音楽を聴いてもの凄く衝撃を受けたんですよ。メンバーのファッションから曲の速さから歌謡曲とはまるで違うし、メンバー自身が作詞・作曲までやっているのも驚きでしたよね。

 そんな折、僕の地元の八王子にある大丸っていうデパートの屋上にARBが公開番組の収録(1980年2月10日、文化放送『サンデーミュージックスクウェア』)で来たんですよ。それを観に行ってさらにブッ飛んでしまったんです。そんな話を以前ある音楽雑誌で話したことがあって、その記事を読んだDragon AshのIKUZONEがウチのライヴに来て「アッちゃんも行ったかもしれないけど、俺もその大丸の屋上に行ったんだよ」って話してくれたことがありましたね。学校は違うんですけど、彼は近所の後輩だったんですよ。

その頃のARBはシングル「ノクターン・ラブ/R&R AIR MAIL」を出す前後で、もう新宿LOFTをホームグラウンドとしてライヴをやってた頃ですね。LOFTのライヴは大体行ってましたよ。もう高校生の頃だったですけど、学校へ行くよりも早くLOFTに行って並んでチケットを買ってましたからね。

最初にLOFTで観たARBのライヴは、椅子が並んでたのを覚えてます。(田中)一郎さんがアンコールで「オマエら、今日はノってないんじゃないの?」って客を煽って、「今日は『Tokyo Cityは風だらけ』をここでレコーディングしたいんだよ」って言うんですよ。後に2ndアルバムの『BAD NEWS』(1980年5月発表)に入ったヴァージョンですよね。それでもう、椅子の上に立って大騒ぎして。レコードの最後のほうに入ってる「イェーイ!」って甘い歓声は間違いなく僕の声ですよ(笑)。

高校3年の時に初めてバンドを組んだ時も、ARBのコピーをやってたんです。同級生だった修豚が軽音楽部に入ってて、「ARBをやりたいから唄わない?」って誘ってくれたのがそもそものきっかけで。ARBがよく練習してた高円寺のセカンドラインっていうスタジオに僕達も一度だけ行ったことがありましたね、ARBに会えるんじゃないかと思って。そしたらラッキーなことにホントにARBが居て、その時は練習なんかしないで隣の部屋でずーっと聞き耳を立ててましたよ(笑)。ウチはちょっと異常な高校で、僕らがARBをコピーしてる一方で、下の学年にはアナーキーのコピー・バンドが5つくらいあったんですよ。スターリンとアナーキーとARBのコピーをやってるヤツが学校の中心だったんだから、やっぱり変わってましたよね。後輩がアナーキーで先輩がARBっていう、その関係性もホンモノっぽくて良かったですね。余談ですけど、そのアナーキーをコピーしてる後輩バンドのひとつが“我殺”で、高校生の時にADKからEPを出してるんですよ。

ARBと初めて共演できたのは、高知の桂浜でやったイヴェントでしたね(1989年10月8日、『ROCK OVER OCEAN』)。僕がそれまでにARBが載ってる雑誌のスクラップとかLOFTのチケットを集めたアルバムを2冊持って、楽屋まで挨拶に行ったんですよ。野外のイヴェントだったんで楽屋が料亭みたいな所にあって、ARBの皆さんは個室に居て、「LOFTのシゲ(小林茂明/現・LOFT PROJECT代表)から話は聞いているよ。頑張って!」って凌さんに言われて。僕がARBを大好きってことをシゲさんが話してくれてたみたいで。それでもう、こっちは挨拶を終えて扉を閉めた瞬間に腰砕けになっちゃったんですよ、余りに緊張しすぎて(笑)。それからは僕、お客さんに声を掛けられたら優しくしようって思うようになりましたよ。それまでは「んだよ、もう、サインくれよとか言ってんじゃねぇよ」なんてロックをやってる手前、横柄な態度だったんですけどね(笑)。

LOFTに出入りするようになってからも、やっぱり畏れ多くてすぐにはARBの皆さんには近づけなかったですよ。パブタイムもカウンターでビールを買って呑みながら、遠巻きに見てる感じでしたね。僕らがLOFTでライヴをやった時に、アンコール前にステージの袖からキースさんがカウンターの所にいるのが見えて、「おいおい、キースだよ! キースが来てるよ!」「マジかよッ!」ってメンバーで大騒ぎしたことがありましたけどね(笑)。

キースさんはムチャクチャ優しい人ですね。よく話すようになってからすぐに家に呼んで頂いて、御馳走になったこともありました。凌さんはもう神様なので、僕がいつも一歩引いてるところがありましたね。3、4年前かな、前乗りで徳島へ行った時にARBの皆さんと合流して、朝の4時くらいまで凌さんと呑みましたね。凄くシャレの通じる~で方なんですよ。凄くいい人だし、よく可愛がってもらいましたよ。

一番好きなアルバムは、やっぱり『BAD NEWS』ですね。「Tokyo Cityは風だらけ」に救われた人間ですから、ホントに。復活して以降のARBは、僕が聴いた範囲では1枚目、2枚目、3枚目あたりに近づいてきてる感じがしましたけどね。僕がそんなこと言うのもおこがましいですけど、(内藤)幸也さんの意識がそういう方向に向かってたんじゃないかと僕は思ったんですよ。解散前の白浜(久)さんがギターの時は、もっとゆったりとした感じで。「抵抗の詩」とかが入ってる、オーストラリアで録った『SYMPATHY』(1989年11月発表)は凄く好きで、普段でもよく聴きますね。ツアー中は、今もずっとARBと松山千春を繰り返し聴きながら車を運転してますからね(笑)。

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僕の中ではARBは終わってないんです

今度出るベスト盤『DAYS OF ARB Vol.4』は、ARBが'98年に復活してからの時期なんですよね。僕ね、正直言ってバンドの復活とかがキライなんですよ。「金がなくなったから復活しやがったんだな」なんて思っちゃうんです。自分がこうして今もずっとバンドを続けてるから余計にそう思うのかもしれないですけどね。でも、他のバンドはすべて否定してきましたけど、ARBの時だけは…凄く嬉しかった(笑)。みんながバンドの復活を喜ぶ気持ちってこういうものだったんだな! って初めて理解できましたよ。復活ライヴの一発目もLOFTでしたよね(1998年1月14日、『ARB IS BACK』)。

まるで一本の映画を観ているかのような凌さんの書く詞が僕は昔から凄く好きなんですけど、復活してからのARBは歌の深みと説得力がまたグッと増しましたよね。同じヴォーカリストとして、言うまでもなく凌さんのヴォーカルには凄く影響を受けましたよ。一時期、本気で凌さんみたいになりたいと思って、ピエロのメイクを落として、ブラック・ジーンズ履いて、革ジャン着てライヴをやってたことがあるんですけど、これが見事なまでにお客さんが減りまして(笑)。もの凄い勘違いでしたね、あれは(笑)。「ライヴハウスではバンドと客で力関係は50%ずつ、客の一人一人とぶつかり合うのが一番好きなんだ」って凌さんはよく言っていて、その想いは僕も継承させて頂いてますね。

今度の活動休止は驚いたし、凄く残念なことではありますけど、また5年後くらいにやってもらえたらいいなと思ってます。僕はホント純粋にファンなんで、それくらい待ちますよ。どちらかと言えば、'90年に解散した時のほうがショックは大きかったですね。『THE LONGEST TOUR』っていう最後のツアーのビデオを観てはいつも泣いてましたもん。そう、ARBの解散を知ったのはツアー先の徳島だったんですよ。「凄いビッグ・ニュースがあるんだけど、ライヴが終わったら教えてやる」って向こうのイヴェンターに言われて、打ち上げの席で解散を聞かされて僕は泣いちゃって、そのままホテルに帰っちゃったんですよ(笑)。それくらいの衝撃だったんです。もう周りのみんなはビックリしちゃって、イヴェンターも平謝りでね。

その解散間際のツアー(『LOVE THE LIVE '90 TOUR』)の時に、ARBが武道館のライヴの翌日にLOFTに出たじゃないですか? ウチも野音をやって次の日にLOFTだったことがあるんですよ。そういう自分達のホームグラウンドを大切にする姿勢もARBから学んだことのひとつですね。

野音で思い出しましたけど、僕はモッズも大好きなんです。でも、あの伝説と呼ばれる雨の野音(1982年6月20日)には敢えて行かなかったんですよ。何故かって言うと、ARBがその時まだ野音でライヴをやっていなかったから。僕の周りの連中は行けるヤツはみんな行って豪雨の中「Two Punks」を大合唱してましたけど、僕だけは「ARBがやる前に野音へは行けない!」って頑なに突っぱねて我慢したんです。

そういう、ささやかだけどファンとして一本筋の通ったこだわりを持ちたくなるバンドなんですよ、ARBは。ライヴハウスを活動の基盤として、あくまでライヴを通じてファンを獲得し続けていって、最後は武道館のような大舞台まで登り詰めるっていう、理想的な段階を踏んでいった最初のバンドなんじゃないですかね。

未だに地方へツアーに行くと、地元の人から「アッちゃん、○○にARB呼んでよ」って言われることが多いんですよ。僕がこれだけARB、ARBって言い続けてきたから、若い人がARBに興味を持ってくれたり、ARBのリストバンドをした年輩のお客さんがウチのライヴに来てくれることがあるんです。で、物販やってるカタルが「アッちゃん、ARBのリストバンドしてるお客さんが来てるから今日はちょっと気合い入れないとヤバイよ!」なんて言うんですよ(笑)。そういうのは純粋に嬉し~でいですよね。

これはいつも言ってることなんですけど、学校では絶対に教えてくれないことを凌さんは僕に教えてくれたし、僕が思っていたことを凌さんが歌を通じて代弁してくれたんです。そういうARBのメッセージ性は普遍的なものだし、今の若い音楽ファンが聴いても僕がARBに抱いた熱い想いが同じように伝わると思うんですよ。

とにかくARBは日本のロックの基本だし、パイオニアですね。僕にとっては「ロックをずっと続けていくんだ」という自分の人生を決めてくれたバンドです。僕の中ではARBは解散してないし、全然終わってもいないんですよ。いつかまたARBが復活してライヴをやってくれたら、僕は高校の頃と同じように拳を振り上げてるんじゃないかな。あ、ちなみに僕、高校の卒業文集には「Tokyo Cityは風だらけ」の歌詞を載せてます(笑)。

 

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