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38回「春爛漫の歌舞伎町と......」

第238回「春爛漫の歌舞伎町と......」

2018.05.01

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歌舞伎町界隈では4軒のロフト系情報発信基地

変貌する新宿歌舞伎町〜ロックカフェオープン

 多分、こんなロックカフェ専門店は日本中探してもないだろうと自画自賛しながら、それもまあ、歌舞伎町は元ミラノ座の路地を挟んで隣という立地に約20坪弱のモルタル二階建ての店舗を借りた。路面店で家賃は馬鹿高い。ここは元アダルトビデオの仕切りの新宿拠点で、二階はヤクザの事務所だったという。

 これで新宿歌舞伎町界隈に新宿ロフト、ロフトプラスワン、ネイキッドロフト、ロックカフェロフトという4軒のロフト系情報発信基地ができたことになる。

 

荒れていた新宿歌舞伎町

 20数年前、新宿ロフトは、「都市再開発」の美名のもとに新宿西口から追い出され、移転先を探していた。その1年前には、新規開店したトークライブハウス「ロフトプワスワン」も駅から遠い隠れ家的な場所から、もっと駅近で便利な広い空間を探していた。

 この時代、歌舞伎町は荒れていて、訪れる人は減少の一途をたどっていた。この町にやってくるのは、風俗狂いかヤク中かヤクザだけだった。今の新宿ロフトのビルオーナーが、「今、このビルに入っているぼったくりバーは全部追い出すのでロフトに一括で借りてほしい」と言ってきた。地下二階、坪数230坪。普段だったらとても高くて借りることはできないのだが、「これ以上警察沙汰になるのは困るので、安くするから借りてくれ」と言う。

 さらに同じ時期、歌舞伎町1丁目1番地にある90坪弱の元レゲエクラブは麻薬と喧嘩が原因で長いこと営業停止を食らっていて、ここも同じように、「格安で借りてくれ」と言ってきたのだ。

 もちろん私たちは歌舞伎町の中心地に店を構えることはmヤクザやチンピラ対策がちょっと不安だったが、ロフトプラスワンは護国団の石井一昌さんや、ヤクザの息子の宮崎学さんや、右翼や左翼などの武闘派がたくさん生息していて、少しは心強かったのかもしれない。 

 あれから20数年、歌舞伎町はコマ劇場が解体され、おしゃれなビルが建ち、女子供、恋人や家族連れまでやってくるようになった。スリルがあってドロドロした魔界が消えるのはちょっと寂しいが、これはいいことに違いなかった。

 とにかく歌舞伎町は美しく変身した。訪れる人も増大している。もちろん深夜になれば国籍不明の売春婦が立ち並び、まだまだぼったくり店も存在するが、ちょっと気をつけて遊べば充分楽しめる街になった。

 

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6/3ロックカフェにナビゲーターとして登場する保坂展人世田谷区長

 

自由が丘ロフトの閉店に思う

 1980年、日本のロックが花開いた頃。私は烏山、西荻、荻窪、下北、そして西口にあった新宿ロフトを経営していた。

 1976年に新宿ロフトができてから、雨後の筍のようにライブハウスがオープンし、それまで見向きもしなかった大手の不動産屋とか放送局とかレコード会社までがデカ箱を作るようになった。客がいっぱいつくようになると、小さなライブハウスにはもう目もくれない日本のロック。その最前線を走るのに疲れ果てていた。日本のロックが市民権を得て、サブカルからメインカルチャーになる時代だったのだ。

 大資本に翻弄されるバンド軍を見ていて、私はロックの最前線を走る気力も、大資本と戦う気力も無くなっていて、もう自分のやるべきことはないと痛切に思った。

 そこで、私は自由が丘に30坪の「ロック酒場」(ライブハウスではない)を作り、ライブハウス経営からの脱却を考えていた。それが自由が丘ロフトだった。経営は案外うまくいった。

 そしてその数年後、私もそれなりに関わって、それまで情熱を傾けてきたBOØWYがビーイングを追い出され、解散という噂が立ち込めた時にはもう完全に日本のロック状況に興味がなくなってしまった。この時代、私はまだ独身だった。

 世界情勢はソビエトの崩壊を迎えていた。何としても世界を見たい! 私は情況の中心にいたいと思った。「いったい俺はこんなつまらない日本で何をしているんだ」と思った。日本を捨てろと悪魔が囁いた。

 全てを捨てて、私は世界に出ることにした。まずは東ヨーロッパを見てみたいと思った。外国で働こう、日本でないどこかで死にたい。

 私は自分の経営している6つの店、レコード会社、プロダクションの全てを放棄した。新宿ロフトを除く全店は、当時の各店長に格安で暖簾分けした。そうして、33歳にして「無期限放浪の世界の旅」に出た。新宿ロフトだけは貰い手もなかったので人に預けた。

 結局、4年余りで目標だった100カ国制覇のうちの84カ国を制覇した。最後の5年間は、カリブ海の小さな島・ドミニカ共和国で日本食レストランを開いた。

 なんだかんだ10年近く日本を留守にしたことになった。1990年私は大阪花博でドミニカ館館長として日本に戻った。新宿ロフトの立ち退きのこともあり、1992年に日本へ復帰して、一軒だけ残っていた新宿ロフト再建から下北沢シェルターを作ることになった。私が日本に戻ってきたときにも、暖簾分けした下北ロフトと自由が丘ロフトは健在だった。

 そして今、私は今歌舞伎町にロックカフェ&居酒屋をオープンさせた。こんな時、自由が丘ロフトの閉店とはちょっと悲しい。

 

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サハラ砂漠のど真ん中。もう40年近く前の話だ。

 

トークライブに大阪吉本が進出

 今年初めての大阪出張だ。大阪のロフトプラスワンウエストの店長が、「吉本が大阪の駅前にトーク専門のライブハウスを開店して、大阪プラスワンに出演した吉本系演者が出演しなくなった」と嘆いていた。

 「お笑いだけにとどまらないあらゆるジャンルのエンターテイメントの次なる新たな才能を発掘、育成、確立してゆく発信基地です」とチラシのコピーにある。

 あれ~、情報発信基地っていうロフトプラスワンのメインコピーをパクられたな(笑)。天下の吉本が……多分、政治や社会問題、エロ、ロックなどのブッキングはできないだろうから、ただのお笑い小屋になるのだろうけど、私はどこか嬉しい。

 トークライブハウスとは、私が20数年前に苦難の末作ったものだが、どうやら「トークライブ」は全国区になったと思った。

 今日、大阪出張の合間にその「ポストよしもと」なる小屋に行ってきた。開演が4時というので入ることはできなかったが、どうやら素敵な小屋みたいだな。今、東京にもトークライブを専門の小屋が30軒近くある。これもみんなロフトが作ったビジネスデルを世襲していると思うのだ。

 

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大阪の「ポストよしもと」に行ってきた

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