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牧村 夏期ゼミ#2『東京から世界へ』その2【ゲスト】長曽我部久

月刊牧村 夏期ゼミ#2『東京から世界へ』その2【ゲスト】長曽我部久

2020.03.04

月刊牧村
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月刊牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その2
2019年7月7日(日)ROCK CAFE LOFT is your room
【講師】牧村憲一 【ゲスト】長曽我部久
 
 70年代後期より山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者、長曽我部‘チョーさん’久氏を迎えての夏期ゼミを開催します。連続3回の予定です。70年代の音創りに秘話なんて全くいりません。本当のことが驚きの連続だったのです。(文責・牧村憲一)
 

レコーディング・エンジニアはハウリングを経験したことがない

 
牧村:山下(達郎)くんのPAは、いつから始まったのですか?
 
長曽我部:ソロコンサートをやるようになった頃ですね。メンバーはドラムが上原裕、ベースが田中章弘、ギターが椎名和夫、キーボードはもう難波弘之でしたね。ソロになって初めてのワンマンライブを、新橋のヤクルトホールでやったんです(1977年5月27日)。愛奴の解散後、僕はPA会社にお世話になっていて、その時に山下くんから手伝ってほしいと頼まれたんです。そのライブのPAは吉田美奈子さんのお兄さんの吉田保さんという、本来はレコーディング・エンジニアの方が担当されていたんです。
 
牧村:PAエンジニアという仕事が、あの頃はまだまだ認識されてなかったので、レコーディング・エンジニアに頼むことって結構あったんですよね。
 
長曽我部:レコーディング・エンジニアというのは、レコーディング・スタジオで完全にセットアップされた機材を駆使して、エンジニアリングをしていくわけです。一方PAというのは、仮設状態で機材を運び込み、組み上げてワイアリングをして、そこのホールの鳴りに合わせたチューニングをして、それからやっとミキシングを始めるわけです。
 
牧村:決められたフォーマットがない、すべてその場所その時間に行なわれるセッションみたいなものですね。
 
長曽我部:そうです。会場によって音の鳴りや反響や残響は全部違う。それらをきちんと把握した上で、会場に合ったチューニングをしなければならない。そこにすべてがかかっているんです。吉田保さんはレコーディング・エンジニアとしては非常に優秀な方でしたが、PAのセットアップは未経験なので、そこは僕がサポートしてセットアップしました。
 
牧村:以前、チョーさんから聞いたことですが、レコーディング・エンジニアはハウリングを経験したことがない。レコーディングではほぼ起こり得ないことですね。
 
長曽我部:そうなんです。ハウリングというのは、スピーカーから出ている音をマイクロフォンが拾ってしまってループになった状態のことを言います。キーンという高い音もあるし、ボワーンという低い音もあるんですが、なぜハウリングが起こるのかと言えば、そこの帯域にその会場のピークがあったり、いろいろな原因があります。
 レコーディング・エンジニアの場合、コントロール・ルームと演奏するスペースが全く別の場所ですから、まずハウリングが起こり得ないんです。ただしヘッドフォンからは音が返ってますから、ヘッドフォンとマイクロフォンを被せれば当然ハウリングします。そんな例外を除けば、レコーディング・スタジオでは絶対にハウリングは起こりません。
 
牧村:その通りですね。
 
長曽我部:ライブではハウリングしない状態を整えて、レコーディング・エンジニアに渡すことが僕らの仕事でした。ちなみにですが、ヤクルトホールで山下くんのPAを担当された吉田保さん、「僕はもうやらないから、あとはチョーさんに任せるよ」と言い残して帰られました(笑)。
 
牧村:さすが! 吉田保さん。いい話です。ここでまた1曲聴きましょう。この曲もやはり山下くんはサンソンでかけましたが、YouTubeで探すと今でも聴けます。
 
──山下達郎・浜田省吾・根本要「Be My Baby」(1998年2月26日、福岡サンパレスでのライブ音源)
 

山下達郎のライブにかける強い信念、真摯な姿勢

 
長曽我部:『IT'S A POPPIN' TIME』という六本木ピット・インでのライブ盤を出す前後から、ドラムが村上秀一、ベースが岡沢章に代わるんです。加えてキーボードが坂本龍一、ギターが松木恒秀、サックスが土岐英史といった布陣になります。このメンバーと共に地方公演に行くと、ギャラに加えて交通費も相当にかかるわけです。ギャラでは賄えないこともありました。
 
牧村:チョーさんはご存知でしょうが、僕はセンチメンタル・シティ・ロマンスにも関わっていたので、そのあたりの苦しさはよく分かりますよ。移動費にも困ることが度々あり、僕らスタッフは車の定員オーバー承知で後ろのシートに乗って、検問があれば隠れました。あの当時、山下くんからもそういう話を聞いたことがあります。
 
長曽我部:そうかもしれませんね(笑)。山下くんにはあのメンバーでライブをやりたい、やらなくてはという信念がありましたから。場合にはよっては自分の取り分まで削っていたかもしれませんね。そのくらいメンバー第一で考えていました。山下くんのそういう強い信念、真摯な姿勢を知っていたから、僕たちスタッフは山下くんを懸命に応援しました。1978年、79年頃のことですね。
 
牧村:1978年頃の日本のポップ・ロック界は停滞していて、レコードセールスも芳しくなかったんです。山下くん周辺だけの特別なことではなく、現在、日本のポップス・シーンを牽引している音楽家の大半の方がそうでした。少ない売り上げ、さらにレコードの売り上げのほとんどがレコード会社の取り分でしたから。
 
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山下達郎からのプレゼント

 
長曽我部:山下くんが中野サンプラザを何日もやれるようになってから、当時のスタッフから「中野サンプラザと大阪のフェスティバルホールに関しては、チョーさんの言い値でいいから、やりたいことをやってください」と言われたんです。僕はそれを聞いて、これは間違いなく山下くんからの僕たちへの恩返しだと思いました。そういう人だと知っていましたから。今のPAシステムはイントレを組んで中にスピーカーを吊るというラインアレイが主流ですけど、当時はまだラインアレイがなくて、S席とA席とB席とでは音の聴こえ方が全然違ったんです。音も届かず、見づらい2階のB席はそれなりに楽しんでくださいというやり方しかできなかったんです。
 
牧村:安い席は見えなくても、音が悪くても仕方がない。そう思っていました。
 
長曽我部:僕はそれが不満で何をしたかと言うと、ステージの前にある奈落、オーケストラピットとも言いますが、イントレを3段組んでオケピに載せて下げておいて、その上にスピーカーを積んだんです。それを上げてもらって、イントレの下にキャスターがあるので本来のスピーカーの定位置まで動かして、その中あるいは横に1階席用のスピーカーを組み上げたんです。それを中野サンプラザとフェスティバルホールではやらせてもらいました。そういう音や舞台や照明に対する山下くんのこだわりは非常に高いものだったので、クオリティに関わる提案には積極的に対応してくれました。
 
牧村:山下くん本人にもきっと、いくらお金をかけていいよと言えるようになった喜びもあったんでしょうね。
 
長曽我部:それは僕も感じましたし、「その代わりどの会場でも聴いたことのない良い音を出してほしい」という非常に高い要望を引き受けることになりました。そうやって山下くんのツアーでPAをやらせてもらったことはとても幸運なことでした。アーティストの中で一番音にこだわっているのは山下達郎だという評判が、業界、ファンの間でも広まって、アーティストたちがこぞって山下くんのライブを観に来るようになったんですよ。その中の一人がサザンオールスターズの桑田(佳祐)くんなんです。桑田くんが中野サンプラザでの山下くんのコンサートを観に来た後、「あのエンジニアにやってもらえないか」とオファーをもらったんです。「いとしのエリー」の翌年くらいに、PAをやらせてもらいました。山下くんとは音楽性が違えど桑田くんもまた、音のこだわりがすごい人でした。
 
牧村:ここで『IT'S A POPPIN' TIME』に収録曲の『ウインディ・レイディ」を聴いてみましょうか。
 
長曽我部:このアルバムのレコーディング・ミックスは吉田保さんがやられています。
 
牧村:六本木ピット・インの上の階はソニーのスタジオだったから、ライブをやるとスタジオまで音を持っていけたんですよね。
 
長曽我部:そういう仕組みになっていました。
 
──山下達郎「ウインディ・レイディ」(ライブ音源)
 
長曽我部:こうして改めて聴くと、みんなすごい演奏をしていますね。今ちょっとビックリしたくらいです。ロックしてるなぁ…って感じで。いま音を聴きながらドラムとベースしか鳴っていない瞬間がいくらでもあったり、教授が弾く白玉もあまり主張しない感じなんだけど、ちゃんとグルーヴのある演奏をしている。やっぱり只者じゃないですよね。
 
牧村:山下くんの歌、内在するリズムがあるんです。だから合間を保てるんですね。それをバッキングのミュージシャンも理解していたので、あのグルーヴを作ることができたんでしょう。
 
長曽我部:だからあれだけ素晴らしい演奏だったわけですね。
 

竹内まりやのデビュー

 
牧村:山下くんの話はまだまだ続きますが、ここでもう一人チョーさんにとって重要な音楽家、竹内まりやとの出会いについてもお聞きします。
 
長曽我部:まりやとは、最初は牧村さんを通してだったと思います。当時の牧村さんは山下くん周りにいらっしゃる優秀なプロデューサーのお一人だったので、まず牧村さんと僕が出会ったんです。それで「チョーさん、今こういうシンガーがいるんだけど」と、声をかけてもらったんじゃないでしょうか。当時の僕はフリーランスでコンサート・エンジニアをやっていたんですが、もうちょっと音楽制作の現場に関わりたい気持ちもあったんです。牧村さんからまりやのデビュー・アルバムをロサンゼルスでレコーディングすると聞いて、どうしてもその現場を見たかったんです。現地のミュージシャンがどんな雰囲気で、どんな技術でレコーディングするのかを確かめたくて、無理やりロサンゼルスまで同行させてもらったんです。まりやのレコーディングを見学するだけのためにでした。
 
 ──まりや、そしてまりやをサポートするセンチメンタル・シティ・ロマンスとの話は、次回へと続きます(文中敬称を略させていただきました)。
 
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