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牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その1 - 山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者'チョーさん'

月刊牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その1 - 山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者'チョーさん'

2020.02.04

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2019年7月7日(日)ROCK CAFE LOFT is your room
【講師】牧村憲一
【ゲスト】長曽我部久
 
 70年代後期より山下達郎、竹内まりや、YMO等のサウンドエンジニアにしてPA界の先駆者、長曽我部‘チョーさん’久氏を迎えての夏期ゼミを開催します。連続3回の予定です。70年代の音創りに秘話なんて全くいりません。本当のことが驚きの連続だったのです。(文責・牧村憲一)
 

愛奴のメンバーとの出会いは広島の楽器店

 
長曽我部:どうも、こんにちは。よろしくお願いします。
 
牧村:チョーさんは山下達郎、竹内まりや双方の独身時代のメイン・エンジニアを担当されていました。そもそも広島出身で、70年代の広島と言えばあの方(吉田拓郎)。そして当時のバッキングは愛奴で、浜田省吾が在籍していました。まずは1曲聴いてから話に入りましょう。
 
──愛奴「二人の夏」
 
長曽我部:もともと僕は音楽の仕事をやろうと思っていたわけではなくて、10代の頃、写真を撮っていたんですね。17歳の時にカメラマンを目指して広島から上京したんですが、いろいろあって挫折して、また広島に戻ったんです。広島市内のライト・ミュージック専門の楽器屋でアルバイトを始めて、そこに浜田省吾くんがドラムを叩いていた愛奴のメンバーが来てくれてたんです。広島には吉田拓郎さんを輩出した広島フォーク村という、フォーク愛好者のコミューンのようなものがあって、愛奴はそこに参加していました。僕自身は、広島フォーク村には参加していませんでしたが。その楽器屋でしばらく働いた後、ちょっときっかけがあって二度目の上京をするんですが、それとほぼ同じ時期に愛奴が上京して拓郎さんのバックをやることになったんです。拓郎さんがアメリカでボブ・ディランとザ・バンドのライブを観て、自分もザ・バンドのようなバック・バンドが欲しいと思ったそうで。それで拓郎さんが指名したのが愛奴だったのです。
 
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自腹で吉田拓郎のツアーに参加

 
牧村:拓郎がアメリカで、ボブ・ディランとザ・バンドを観る前の話だと思います。ユイ音楽工房の後藤由多加さんが拓郎の要請もあって、ザ・バンドをバックにツアーができないかとアメリカへ交渉に行ったんです。マネージャーの返答は、ザ・バンドのスケジュールはディランで一杯になっていると。代わりのメンバーを紹介しようと出た候補がポコだったんです。
 
長曽我部:その話は初めて聞きました。
 
牧村:後藤さんがその時断らず、ポコが受けてくれて拓郎のバックをやっていたらどうなったんだろうと思いますね。ですので愛奴はポコの代わりですね(笑)。
 
長曽我部:ダジャレじゃないんですが、当時の僕は愛奴のメンバー5人と経堂で共同生活していたんです(笑)。愛奴は自分たちの周りに、彼らの味方がいないことが心細かったみたいで。2DKのマンションに男5人が押し込められて、給料も安く生活もギリギリだったわけですから。それで「チョーさん、一緒に同行してもらえないか? マネージャーとして」って。引き受けることにしたんですが、アルバイトで稼いだお金で、自腹でツアーに参加しました。ギャラも交通費も出ないし、ホテルも取ってもらえない状況だったけど、当時の拓郎さんはスタッフを含めて多人数でツアーをやっていましたから、メンバーの部屋に潜り込んだりして凌いでいました。メンバーにフロントに電話してもらって、寒いから毛布を一枚持ってきてもらったりして。そのうちツアー・スタッフの重鎮の方に「お前、面白いな。拓郎さんのマネージャーに話してやるから、正式な形でツアーへ来い」と言われまして。ギャラは出ませんでしたけど、いわゆるアゴ・アシ・マクラは出してもらえるようになったんです。
 
牧村:渋谷(高行)くん、本当に気が利かないなあ(笑)。それは置いといて、拓郎は拓郎なりに愛奴を可愛がり、ライブのプログラムの中に愛奴コーナーを設けたんですよね。
 
長曽我部:そうなんです。拓郎さんのワンマン・ツアーにもかかわらず、途中で3曲くらい愛奴だけで演奏する時間をいただいたんです。
 
牧村:当時の観客が会場で録音した愛奴のライブ音源があります。一本のマイクに顔を付き合わせるようにしてコーラスをしているので音は酷い状態なんですが、愛奴の演奏をワンコーラスだけ聴いてみましょう。
 
長曽我部:実はこれ、僕も初めて聴きます。ちょっとドキドキしますね。
 
──愛奴「二人の夏」(ライブ音源)
 

愛奴はロフトによく応援してもらった

 
 
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▲1976年8月のロフトのスケジュール。愛奴は荻窪ロフトの常連だった。
 
牧村:愛奴のライブは、楽器演奏もコーラスも含めてのバランスを取らなくちゃいけない。1974年当時はまだそういうスタイルが理解されませんでしたね。
 
長曽我部:その通りです。拓郎さんのツアーは、約2年くらいやらせてもらったのかな。その後、愛奴をデビューさせようという動きがユイの中であったんですが、それは拓郎さんがプロデュースするのが条件としてあったんです。拓郎さんには「結婚しようよ」みたいなポップな曲もありましたけど、基本的にフォークソングとしてのメッセージ性をすごく大事にされていた方だし、かなり尖った部分が前に出ていたんです。片や愛奴のほうはアメリカン・ポップスにかなり影響を受けていたこともあって、明るく楽しい音楽をやりたがっていました。それで結局、拓郎さんのプロデュースを断っちゃったんです。で、ユイをクビになりまして、共同生活をしていたマンションからも即刻出て行かなくちゃならない。僕らとしては、この状態を何とかしようということで、広島フォーク村の2代目村長だった方がCBS・ソニーの邦楽の制作ディレクターだったので、その方を頼ることにしたんです。結果として1975年5月にCBS・ソニーからデビューすることが決まったんです。
 
牧村:CBS・ソニーの邦楽には拓郎も在籍していて、金子マリ&バックスバニー、四人囃子、センチメンタル・シティ・ロマンスは洋楽のレーベルからリリースしたんですね。同じCBS・ソニーの中で両部門が争っているところがあって、ギクシャクした感じはありました。ところが愛奴とセンチメンタル・シティ・ロマンス、そしてシュガー・ベイブはそんなことはなく、それぞれいい関係でしたね。
 
長曽我部:そうなんです。3組とも1975年にデビューしていますし。当時、関西では上田正樹とサウス・トゥ・サウスやウエスト・ロード・ブルース・バンドといった本物のソウルやロックを志向するバンドがいた中で、その3組はいわゆるシティ・ポップを前面に押し出していました。たとえば日比谷の野音でロック・フェスティバルにその3組が出ると、とにかくボロクソに言われるわけですよ。生卵は飛んでくるわ、トマトは飛んでくるわといった有様で(笑)。「お前らみたいな軟弱なロックは帰れ!」と言われたり、そういう時代だったんです。ロフトでは愛奴とシュガー・ベイブでジョイント・ライブをやったり、その3組がそれぞれ、組み合わせを変えながら出させてもらいました。当時、下北沢ロフトでバイトをしていた原田さんは特に応援してくださった方で、のちにソニー・ミュージックアーティスツの社長になったんですよね。
 
牧村:ゴーレムこと原田公一さんですね。ユニコーンのマネージャー。
 
長曽我部:奥田民生くんのソロのプロデューサーでもありましたね。
 
牧村:今日は「二人の夏」ばかりかけていますが、これからかけるのも「二人の夏」なんです(笑)。今度は声を聴けば分かる「二人の夏」です。
 
長曽我部:ちょっと補足します。少し話が飛びますが、僕がのちにエンジニアとして独り立ちして、山下達郎くんのツアーに同行します。そのきっかけになったのが、荻窪ロフトでの愛奴とシュガー・ベイブのジョイント・ライブだったんです。こんな音源が世の中に出ていますので聴いてみてください。
 
──山下達郎「二人の夏」(ライブ音源):〜アコギのイントロで「二人の夏」が披露される〜
 

マネージャーからPAエンジニアへ転身

牧村:この音源は、『TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE』というシュガー・ベイブ解散後20周年を記念して行なわれた1994年のコンサートなんです。これまでも山下くんの番組で流れたり、シングルのカップリングに収録されたりしています。あらためて、チョーさんと山下くんの出会いの話を聞かせてください。
 
長曽我部:僕がまだ愛奴のマネージャーをやっていた時代、当時の売れないバンドのスタッフというのは何でも屋でした。ライブハウスにお邪魔すると、音はもちろん照明や楽器のセットアップまで何でもやらなくちゃいけなかった。僕はたまたま中学時代からアマチュア無線をやったり、電機のほうを少しかじっていたものですから、愛奴のライブを重ねていくうちに音をミックスすることが楽しくなったんです。もしかしたら自分に向いてるかな? と思い始めた頃だったんですね。
 
牧村:それまでにPAに興味を持ったり、自分が音に関わる仕事に就くのを想像したり、望みを持つことはあったんですか?
 
長曽我部:それはライブをやっていく中で、ミキシング・コンソールを触っていると楽しいなとか、そういうのがきっかけでしたね。19歳くらいかな、ハタチちょっと前だったと思います。さっきも話したように、愛奴とシュガー・ベイブがジョイント・ライブをやるみたいなことをしょっちゅうやっていたし、愛奴もシュガー・ベイブも解散した年が一緒で、浜田くんも山下くんも同じタイミングでソロになったんです。浜田くんはソロになりたいからと愛奴が解散する前に脱退したので、彼とはそこで一旦縁が切れたんですけど、そんな頃にソロになった山下くんから「チョーさん、PAを手伝ってくれないか?」と声がかかったんです。彼は僕が愛奴でミックスしていた音を聴いていたので。シュガー・ベイブも大ブレイクしたバンドじゃなかったし、山下くんもソロとしての知名度がまだまだの頃です。
 
牧村:シュガー・ベイブのファースト・アルバム『SONGS』は、レコード会社の経営状態が悪かったせいもあるけれど、リリース当初2,000枚くらいでした。それが現実だったんです。
 
長曽我部:こうして40年以上経って振り返って、愛奴やシュガー・ベイブやセンチメンタル・シティ・ロマンスといったバンドがあの時代を担っていたのをあらためて実感しますね。今やっとそう実感できる良い時代になったとしみじみ思うし、当時はどちらかと言えば世の中に受け入れられているとは言えなかったので。
 
牧村:観客から石を投げられたのは冗談じゃないですからね。
 
──さて、今回は始まりの始まりです。チョーさんとの対話は、これからが本番です(牧村)。
 
※文中敬称を略させていただきました。
 
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