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『麻田 浩「聴かずに死ねるか!」出版記念』その3

#3『麻田 浩「聴かずに死ねるか!」出版記念』その3

2019.08.01

月刊牧村 冬期ゼミ#3
『麻田 浩「聴かずに死ねるか!」出版記念』その3
2019年1月14日(月)ROCK CAFE LOFT is your room
【講師】牧村憲一【ゲスト】麻田 浩
 
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 麻田さんの著書『聴かずに死ねるか!』を軸に、書かれていないエピソードも含めてお聞きしたトークイベントの最終回、3回目を掲載いたします。(文責・牧村憲一)

誰も賛同してくれないのなら自分でやるしかない

麻田:キョードー東京にシンガー・ソングライターを呼びましょうと持ちかけてもまるで相手にされず、黒人音楽に理解のあった労音にブルース・フェスティバルの企画書を持っていっても全然ダメで。誰も賛同してくれないのなら自分でやるしかないと、トムス・キャビン・プロダクションを立ち上げることにしたんです。1975年の終わりに立ち上げて、1976年の初めにアメリカへリサーチに行きました。アメリカのマッケイブスという楽器屋のブッキングをやっていたのがボビー・キンメルという男で、彼はリンダ・ロンシュタットと一緒にストーン・ポニーズというバンドをやっていて、業界に顔が広かったんですね。そのボビーに相談してトムスのアメリカ代表みたいな形でブッキングをお願いしたんです。

牧村:設立時のトムス・キャビンの記事が『宝島』1978年11月号に掲載されています。当時トムスの宣伝担当だった渡辺さんと麻田さんによる対談が、3ページにわたって載っています。トムスと僕のアワハウスという音楽制作宣伝会社以外は、キティレコード、ヤングジャパンといった成功をおさめた会社ばかりなんですけど(笑)。さて、トムスの最初のコンサートのことを聞かせてください。

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麻田:そのボビー・キンメルのすすめで、一緒にサンフランシスコへ行ったんです。行った先でリハーサルをしていたのがデヴィッド・グリスマン・クインテット(DGQ)でした。ジャンゴ・ラインハルトみたいな音楽を生楽器でやっていて、それがそれまで聴いたことのない新鮮な音楽で感動しましてね。シンガー・ソングライターを手がけるつもりでトムスを立ち上げたのに、最初は彼らでいこうと即決しちゃったんです。ただ、DGQはまだレコードも出ていなかったからちょっと弱いなと思って、リチャード・グリーンとビル・キースというブルーグラスのミュージシャンをくっつけたんです。それが1976年の5月6日に神田の共立講堂で開催したトムス初のコンサートでした。ドーグ・ミュージックとブルーグラスの二部構成でしたね。

演出家でもあった“酔いどれ詩人”トム・ウェイツ

麻田:シンガー・ソングライターに戻って、エリック・アンダーセン(1976年9月)。向こうで言うクラブみたいな会場も入れたくて、ホールの他に京都の拾得でも特別にやりました。次がニュー・グラス・リバイバル(1976年12月)。新しいブルーグラスみたいな音楽をやっていて、今や大物になったサム・ブッシュがリーダーだったバンドです。その次がトム・ウェイツでした(1977年1月)。アサイラム・レコードからデビューした中でもちょっと異色のシンガー・ソングライターでしたね。

牧村:トム・ウェイツの曲を聴きましょう。

──トム・ウェイツ「Ol' '55」

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麻田:トム・ウェイツのデビュー・シングルで、イーグルスもカバーしていましたね。最初の『Closing Time』こそ比較的アサイラムぽかったけど、だんだんジャズのほうへ近づいていきました。その後は若干アバンギャルドな感じになって、今やもう唯一無二の存在感を放つようになりましたね。

牧村:リッキー・リー・ジョーンズもそうでしたけど、ステージ上でお酒を呑んで酔っ払ったふりをするのがひとつのスタイルでしたね。

麻田:日本でも「酔いどれ詩人」とか「酔いどれ天使」とか呼ばれましたけど、彼はほとんど酒を呑まないんですよ。ステージに上がる前に缶ビールを振っておいて、出番が来て最前列のお客さんの前でプシュッと開けるとビールが飛び散るわけです。それでお客さんはワッと一気に引き込まれる。彼は後に映画俳優としても活躍しますが、巧みな演出家でもありますよね。自分を演出するのが非常に上手かった。

牧村:そもそもダミ声であるということ自体が演出になっていましたよね。

麻田:そうですね。ちなみに、いま聴いていただいた「Ol' '55」はとてもいい曲なのに、最初の日本ツアーではやりたくないと本人から言われたんですよ。「この曲はあなたの一番知られている曲だからやらなきゃダメだよ」と説得して、何とか唄ってもらいましたけどね。結果的にどこの会場でも「Ol' '55」は盛り上がって、お客さんはみんな大合唱していました。

牧村:麻田さんはロフトとは、トムス・キャビン時代にご縁があったんですよね。

麻田:トムスとロフトの共同プロデュースで『アメリカを聴く』というシリーズ企画を立ち上げましてね。エリオット・マーフィー(1978年12月)、ハッピー&アーティ・トラウム(1979年1月)、ジェフ・マルダーとエイモス・ギャレット(1979年3月)、トニー・ジョー・ホワイト(1979年5月)のコンサートを新宿ロフトでやったんです。まだそれほど売れていない海外のミュージシャンは向こうでクラブ・サーキットを回っているじゃないですか。お客さんも間近で観られる面白さがあるし、そういうことをやりたくてライブハウス・ツアーを組んでみたんです。ジェフ・マルダーとエイモス・ギャレットはロフトでやったライブが音源化もされましたね。確かロフトの裏にバスを入れて録ったんじゃなかったかな。それまでの外タレのコンサートって、東京、名古屋、大阪、後はせいぜい福岡くらいの大都市しか回らなかったんです。それ以外の地方にだってファンはいるわけで、僕が呼んだミュージシャンにはできるだけ地方も回ってもらいました。トム・ウェイツだって札幌、仙台、京都、福岡、岡山、金沢、横浜と回ってもらいましたし。札幌を回れたのは、はちみつぱいをやっていた和田(博巳)君が札幌で和田珈琲店という喫茶店をやっていて、十店満点という音楽好きな喫茶店や呑み屋の有志が集まる組織を作ってくれたからなんですよ。それでトム・ウェイツを札幌まで呼べたんですが、打ち上げには130人くらい集まったから大変でした(笑)。当時、札幌に屯田の館という呑み屋があって、その大広間には人が満杯だったんです。さすがのトム・ウェイツもその時ばかりは、みんなからお酒を注がれて呑んでいましたね。

銀座でゲリラ・ライブを断行したエルヴィス・コステロ

牧村:エルヴィス・コステロを日本へ呼んだのもトムス・キャビンの大きな功績のひとつですね。

麻田:シンガー・ソングライターを一通り呼んだ後、オーティス・クレイやジェイムス・カーといったソウル系のミュージシャンを呼んだんですよ。ビルボード誌を読んでいたらスティッフというイギリスのレーベルのアーティストがみんなでバスに乗ってツアーをやっているという記事を読んだんですね。スティッフのことを調べてみたら面白い会社で、僕好みのアーティストをいっぱい手がけていたので、創設者のジェイク・リビエラという人の連絡先をレコード会社の人に聞いていきなり電話してみたんです。本当はコステロを最初に呼びたかったんだけどスケジュール的に無理で、グラハム・パーカーとルーモアを最初に呼ぶことになったんです。コステロはその次に呼びました。それが1978年の11月です。

牧村:シンガー・ソングライターの招聘で名を馳せたトムス・キャビンがパンクやニュー・ウェイヴを手がけることになって、トムスのファンは戸惑いませんでしたか。

麻田:「何だよこれ」と言う人と「面白いね」と言う人に分かれましたね。ちょうどトムスのお客さんの層が若い世代に移っていった頃で、コステロはその分岐点だったと思います。コステロに関しては、あの有名な銀座の事件を含めて逸話がいっぱいありますよ。

牧村:コステロが銀座でゲリラ・ライブをやって捕まった話ですね。

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麻田:チケットの売れ行きをコステロに訊かれて「あまり売れてないよ」と答えたら、「じゃあ街頭でプロモーションをするよ」と。それで武道館の駐車場で楽器とPAを平床式トラックに積んで、銀座の繁華街へと繰り出したんです。なぜ銀座だったのかと言えば、コステロに「東京で一番賑やかな場所はどこだ?」と訊かれて僕が銀座と答えたから。彼らは銀座で演奏しながらチラシを撒くと言い張るんだけど、そんなことをしたら絶対に捕まると僕は思ったんですよ。4丁目に交番がありますからね。そこにカメラマンの桑本正士とサンケイスポーツの中山さんという記者にスタンバイしてもらったら、ちょうどヤマハがある辺りでゲリラ・ライブを始めたコステロたちは案の定捕まった。そんなことを僕がやらせていると言われたらコンサートは中止になってしまうので、自分たちの考えでやっていることにしてくれ、日本語はわからないと英語でまくし立てろと言い聞かせました(笑)。

牧村:コステロを呼んだことでシンガー・ソングライター以外のジャンルもやれる自信につながったり、違うジャンルをもっとやりたいと思うようになりましたか。

麻田:そうですね。その後にトーキング・ヘッズ(1979年7月)やXTC(1979年8月)、B-52's(1979年11〜12月)やストラングラーズ(1979年12月)といったバンドを呼びましたし。

牧村:ここまでのお話でも、麻田さんは本当に好きなアーティストしか招聘してきていない、知名度が低くても、どれだけ偏っていても、興行的には危ういアーティストを呼んでしまう(笑)。それは麻田さんのセンスであり、もしかしたら生き方とも関係していると思うんです。まだまだお聞きしたいことがありますが、機会をあらためてお願いいたします。麻田さん、そしてご来場くださった皆様、本日はありがとうございました。

麻田:語りきれなかった細かいことは全部本に書いてありますので、読んでいただけたら嬉しいです。今日はありがとうございました。

 麻田さんは音楽家として現役に復帰し、現在、精力的にライブ活動をしていらっしゃいます。(牧村・記)

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聴かずに死ねるか!小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事

【著者】麻田浩/奥和宏
【仕様】A5判/256ページ
【価格】本体2,200円+税
【発行】株式会社リットーミュージック

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