▲鹿児島城の石垣。角が鬼門除けで入隅になっている(2009年撮影)。
ナマステー、小手先達也です。いやーほんと寒過ぎ、寒杉謙信てことで今月も城にまつわる話しちゃおうかしら。
城、っていうか昔の人たちはメッチャ風水気にします。どうしても鬼門の方角があるんですなぁ。その鬼門除けのためにいろんな方法で対処します。開かずの門を設置する例も多いっす。普段は全く開かない門です。江戸城にもありまして、忠臣蔵でお馴染み、松の廊下で吉良上野介(こうずけのすけ)を斬りつけた浅野内匠頭(たくみのかみ)は、この門から場外に出されました。よっぽど厄介者扱いですね。
江戸城の鬼門といえばもう一つ。平安時代に京で晒された平将門の首がふらふら彷徨いながら飛んできた、って所に平将門の首塚がありますね。『帝都大戦』て映画が私の小学生の頃(約30年前)にやってましたが、この映画も将門の怨念絡んでるんですよね? ポスターや看板が当時怖すぎて観てないんですけど(照)。で、この将門さんはその後ずっと江戸城主に崇拝されて、将門の「からだ」が訛って「かんだ」になったと言われる神田明神が徳川時代の江戸城の鬼門守護のために現在の場所に移されたそうですよ。今も大手町にある首塚は触れると祟りがある、ってことで周りのオフィスは尻を向けないように配慮されてるとか。
開かずの間も各地の城にあるようで、姫路城では天守に現れる妖怪を退治した宮本武蔵が3年過ごして、そのまま開かずの間になった伝説があります。岡山城では関ヶ原の戦いで西軍を裏切って東軍を勝利させちゃった小早川秀秋さん。メンタルぶっ壊れたらしく奇行悪行に走ります。それを窘めた家臣をぶっ殺しちゃって、その部屋の壁や畳の血シミが拭いても拭いてもとれねー、ってなって開かずの間になったなんてやつもありますねぇ。まぁ開かずの間だったところが後々伝説ができやすい環境だったんでいろいろ話ができた、とも想像されます。
石垣とかにも鬼門除けで角を欠いたように積んでる例もありますね。鹿児島城の石垣もびっちり角を欠いて積んであります。積む手間的には相当面倒くさい作業になるんでしょうが、それ以上に風水を重んじたんですなぁ。
昔の人はやはり信心深いなぁ、と感じつつ、ふと現代にも脈々と無意識にそういう文化が残ってるなとも思います。なんとなく北枕はいやだ、とか、厄年も気になりますし、迷信もいっぱいありますもんね。我々バンドマンもそろそろ鬼門とかを意識したほうがいいかもしれません。「ちょっと今日の会場、俺の立ち位置鬼門だからベースアンプの角削って封じとくわ」「搬入口が鬼門だからそこは開けずに違う入り口から機材を気合いで階段搬入するわ」とか。ていうか結成20周年のバックホーン、ドラムのマツが前厄で楽しみです。来年はマツが本厄、我々フロント3人が前厄になるのでより楽しみです(震)。
撮影:岡峰光舟 挿絵:西 のぼる 協力:新潮社