こんちは、城田堀男です。さて今回は「幻の城」をいってみましょう。そう、幻、かつては確実に存在したが、今やその姿は残ってないロマン〜なやつ。てなると先ず頭を掠めるのはあそこしかないっしょ! 「安土城」! そうしましょったらそうしましょ!(吉幾三)
安土城は織田信長が天下統一の仕上げ段階で築いたことでお馴染みの巨城であります。1576年に築城開始、1579年完成と言われとります。滋賀県の琵琶湖沿い安土山に築いた理由は京都に近いし琵琶湖の水運も使える、北国の上杉や一向一揆にも抑えが効くからとも考えられます。
で、安土城の一番の特徴と言えば「天主」でしょう。誤字ではないです。普通「天守」とか「天守閣」と書かれますが、安土城に関してはこの字であります。第六天魔王として畏れられた織田信長らしい、まさに日の本の覇者たらん絶大な力を感じられます。
そしてこの「天主」は、前代未聞の地下一階、5重6階とも6重7階とも言われる豪華絢爛、壮大な規模で、そこに信長本人が住んでたっつうのが特徴でしょう。これ以前の天守は防衛の最後の拠点で、規模も櫓の延長的なもんが一般的。住むって発想もないです。天下統一を目前に控えた信長が自身の権力の象徴としておっ建てた、どでかくて目立つ天主は以降の城造りと権力の象徴という天守の役割に大きく影響を与えたのは確実。
実際、安土城は防御をそこまで重視してる感はないのです。大手門からズバーンと広くて直線的な階段の通りもあるし、城の中腹に重臣の屋敷を構えさせたりと、どうも実戦面より政治や経済の実務面に重きを置いてたと思われます。で、城下には楽市楽座で町を発展させてそこの中心に聳える壮大な巨城! って視覚的効果でも意味があったでしょうな。
んで、この天主が豪華絢爛と書きましたが、どうやら地下1階から3階まで吹き抜けがあってどでかい宝塔がズコーンと設置されてたとか、最上階は金色でその下の階は八角形の朱色でキメてたとか、内部は豪華な障壁に囲まれてたなんて説があります。バッチリ確かな姿の絵が残ってないんすけど、実は狩野永徳が金箔の屏風に描いた安土城の絵が天正遣欧使節団とともにヨーロッパに渡っているという話があります。それが発見されたら世紀の大発見ですよね。
ともあれ謎が多い、っつうのもロマンがあって魅力的なんすよね。天主台は残ってんすけど、なぜか不等辺な六角形。六角形に沿って天主が建てられてたとも、四角の天主で残りの辺には曲輪があったとか、そういうのもいろんな説があって想像するのも楽しいです。と書いてると安土城まだまだ書けんな。てことで次回に続く! んがっ!(吉幾三)
撮影:岡峰光舟 挿絵:西 のぼる 協力:新潮社