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障害と外道  今日のアウトサイダー・アート

「病とは一つの状態である。健康もまた然り。」
(アントナン・アルトー)
 
 
 広島県の福山からバスに揺られ約三十分、車窓から見える建物がにわかに古色を帯び始め、島の点々とする穏やかな瀬戸内海を向こうに望むと、昔ながらの港町・鞆の浦(とものうら)に到着する。カモメの声を聞きながら海岸沿いを歩き、トンビを目端にとらえながら細く入り組んだ路地を歩けば、古寺旧跡がそこここに散らばって、福禅寺対潮楼から眺める景色に代表されるように、さながら一幅の絵のような景勝地である。
 そんな風光明媚な町並みに、アール・ブリュット専門の美術館・鞆の津ミュージアムは、幕末の風情を纏って佇んでいた。
 社会福祉法人によって運営されているにもかかわらず、同館キュレーター・櫛野展正の功績であろう、これまでに「極限芸術~死刑囚の表現~」(2013)や「ヤンキー人類学」(2014)、「スピリチュアルからこんにちは」(2015)といった、あまりにもエッジの効いた展覧会がたびたび催され、かねてから足を運ばねばと思っていた矢先、同館が自主企画を現行の展示で打ち止めにすると小耳に挟んで、2015年初冬、ようやく駆けつけることができたのだった。
 戸口で靴を脱ぎ座敷に上がると、築百五十年の蔵を改修して造られたというその空間は土壁に囲われ、高い天井の縦横に太い梁が走っている。入り口には趣旨説明のパネルが貼られていた。展覧会のタイトルは、「障害(仮)」——————。
 
アール・ブリュットとアウトサイダー・アート
 そもそもアール・ブリュット乃至アウトサイダー・アートとは何か。
 「アール・ブリュット」は、1945年頃にフランスの画家ジャン・デュビュッフェが考案した、「生の芸術」といった意味の言葉である。それを論ずるにあたってイギリスの批評家ロジャー・カーディナルが1972年に英語圏で出版した著作名が、「アウトサイダー・アート」だ。
 多くの論者がまずその定義に口籠るほど両者に含まれる意味合いは多岐に渡るが、広義では、「正規の美術教育を受けていない」「美術教育とは無縁の作者たちが作り出すもの」(『アウトサイダー・アート 現代美術が忘れた芸術』服部正, 光文社, 2003)である。たとえばヘンリー・ダーガーの《非現実の王国で》、アドルフ・ヴェルフリの一連の絵画、フェルディナン・シュヴァルの《理想宮》、サイモン・ロディアの《ワッツ・タワー》から、日本においては渡辺金蔵《二笑亭》、山下清の一連の貼り絵などが挙げられよう。
 さらに、しばしば勘違いされているが、それらの作り手が精神病や知的な障害を持っていることは、十分条件でこそあれ、必要条件ではない。これは後述するが、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートにおいては、「作者が生きる社会の規範と照らし合わせて、それがいかに大胆であるかが重要となる」(同上)からだ。それゆえ結果的に、障害を持つ人の作品が多く含まれることにもなる。
 では、アール・ブリュットとアウトサイダー・アートの差異とは何だろう。
 むろん翻訳的相違はあれど、それらをほぼ同一とみなす向きも多い。ただ狭義において、殊に日本では、前者は福祉や教育の問題を担っていると言える。福祉施設や公的機関主導で、障害のある人や社会的弱者の「心のケア」や「芸術療法」をその中心に据えているのだ。一方後者には、椹木野衣が述べるように、「反社会的な存在にまで開かれている」ような「負の痕跡」が刻まれている。アール・ブリュットに「生」「無垢」「純粋」のニュアンスがあるとすれば、アウトサイダー・アートは世間との軋轢も厭わない「悪」「外道」「異端」といった「負」のニュアンスをも含意するのだ(『アウトサイダー・アート入門』椹木野衣, 幻冬舎, 2015)。もちろんどちらが良い、悪いということはないが、美術・芸術という観点から見たとき、アウトサイダー・アートという呼称の方がより深い懐を持つと言うことは可能だろう。ゆえに本稿では、これから取り上げる二つの展覧会「障害(仮)」(鞆の津ミュージアム)と松田修個展「何も深刻じゃない」(ガーターギャラリー)を、一種のアウトサイダー・アートとして便宜的に括って考えていこうと思う。
 また上記の展示のみならず、形式的思考障害を抱えた作家であるタタラ・タラの個展「悩める脳内パラダイス」(ナオ ナカムラ, 2015)や、東京芸術大学油画科在籍の学生・あおいうにが主催した「メンヘラ展 Dream」(TAV GALLERY, 2016)など、目下アウトサイダー・アートと名指し得る展覧会が多々催されている。なるほどそれは美術館やギャラリーといった〈インサイド〉に類する場で発表された展覧会かもしれない。しかし、旧態依然とした公的なハコや制度ではなく、それらはオルタナティヴなスペースやプレイヤーから自生的に芽吹いていると言って過言ではない。そこに今日のアウトサイダー・アートの萌芽を見出すのは、単なる私自身の独断に留まらないだろう。
 
「障害(仮)」⇔〈健常(仮)〉
 さて、鞆の津ミュージアム「障害(仮)」展は、「障害者」から「健常者」の作家、さらには会田誠やチンパンジーのアイまで14名が参加するグループ・ショーだ。入口のパネル「ごあいさつ」には、こう書かれていた。
 
今日、「障害者」についての理解および人権の尊重は、以前とくらべて格段に進展してきています。また、障害のある人が生みだした創作物は、展覧会などを介して広く知られるようになりました。その一方で、メディアを通じ、「純粋」「頑張る」「天才」などといったステレオタイプな障害者像が、相変わらず世の中に流布していることも疑いのない事実です。しかし、当然ながら、障害のある人たちの生き方は多様であり、そのような特定の障害者観にもとづいた語り方は、障害のある人たちの現実を適切に伝えているとはいえません。にもかかわらず、「障害者」に対する思い込みや期待、見るものを感動させ勇気づけようとするための誇張などに基づいた紋切型の障害者像は再生産され続けているのです。私たちは、こうした健常者中心の考え方に対して自覚的にならなければ、意に反して、障害のある人やその表現を排除することになってしまうでしょう。
 
 やや長い引用になったが、きわめてビビッドな宣言文である。
 私たちが日頃刷り込まれ、慣れ親しんでいる「障害者」像が、その実、「健常者中心の考え方」によって染め上げられており、その視線が結果的に、多様な「障害者」を一元化して語らせしめ、あまつさえ「排除」すら生み出すと看破しているのだ。その上で、「障害/健常の境界に光が当てられ、新たな視点で日常が見つめ直されること」を目論んでいる。これは「無垢」な表現では為され得ないだろう。タイトルの「(仮)」に徹底的な批評性が込められていることに瞭然なように、言うまでもなく本展は、なにが障害でなにが健常かという自明性に揺さぶりをかけているのだ。すなわち、私たち鑑賞者こそが「障害(仮)」者ならぬ〈健常(仮)〉者として、自身の固定観念の喉元にナイフのエッジを突きつけられるのである。あえて言えば、この展示の創作物はアール・ブリュット的なるもの(障害=純粋)ではなく、アウトサイダー・アート的なるもの(障害≠純粋)であると、高らかに宣言しているのだ。
 その宣言に呼応するかのように、24時間介助を必要とする身体障害を持つコメディアン・あそどっぐの映像はプロジェクションされていた。
 第一印象である種のショックを覚えたことは正直に書き記しておこう。脊髄性筋萎縮症という病気の詳細は知らなかったものの、成人男性の頭部と小さく萎えた身体が、真緑に塗られて画面中央に横たわっていたからだ。視線を逸らさずに映像を見続ければ、しかし、それが自身を昆虫に見立てたネタであり、ストーリー性を持ったコントであることが分かってくる。タイトルは《かんさつ日記》。終盤、フレーム外から殺虫剤を持った手が入り込み、虫に擬態するあそどっぐに一切の容赦なくスプレーを吹き付けてオチとなる。
 あるいは、《達人》というコント。寝たきりのまま着流しを纏い武術の達人と化したあそどっぐが、「さぁ、どっからでもかかってこい」と言い終わるか終わらぬかのうちに、再び闖入した手に握られたハリセンによって、おもいきりはたかれてしまう。さらに、散々やられたあげく顔面の大写しへとカットが切り替わり、表示されたテロップと共に「空気よんで 障害者だよ!!」と叫ぶのである。
 文字通りシック・ジョークとも言うべきこれらのコントには、非常にアイロニカルな諧謔が漲っている。たとえば嘱目すべきは、他者の手があそどっぐの頭を叩くときの容赦のなさだ。むろん彼自身による演出だろう、強く執拗に行われるそれが、もし生ぬるく、少しでもいたわりを感じさせる手つきであれば、途端に中途半端な、笑えない代物となってしまうであろうことは想像に難くない。躊躇のない全力の突っ込みでもって、障害からくる特異な身体性が自虐的に晒されるからこそ、そこに笑いが生まれるのだ。
 また、障害者を巡る偽善的・表面的な「空気」を皮肉っているのは明白である。障害者は可哀想な人たちなのだから親切に接しなければならない、優しく包み込まねばならないといった、多くの人に内面化された〈常識〉を、当事者の立場から揺さぶっているのだ。もちろん、世間が障害者に対して様々な領域で充分な配慮を払うべきであることは言うまでもない。しかし、それが過度な不可触や、体裁のみを取り繕った無関心へと変わってしまえば、私たちはマイノリティという題目の下に彼らを疎外し、無意識のレヴェルで差別すらしてしまいかねない。
 すなわち、ここで問われているのは鑑賞者自身の視線である。笑いとはそもそも不可避的に暴力性を孕む。コントを見る / 見られる、笑う / 笑われるという安全な関係は、あそどっぐの批評的ユーモアを媒介に、容易に反転しよう。彼に眼差され、笑われている私たちは、自らの〈内なる常識〉を相対化せざるを得なくなる。それはおのずと、障害 / 健常という区分が一種の制度的なフィクション=「(仮)」に過ぎないのかもしれないということを想起させるのである。
 ここまで見れば分かるように、あそどっぐは決して「純粋」で「無垢」な障害者などではない。むしろ、鋭敏でダーティな危険性を湛えたアウトサイダー・アーティストなのだ。
 ちなみに、上映されていた6つの新作コントの中で最も笑えたのは、《ヒッチハイク》だった。熊本県在住のあそどっぐはこの展覧会を機に広島へと渡ることを思いつくが、資金が足りない。そこでヒッチハイクをしようと決意する。暗転。すぐ後、やや引きのアングルで映し出されるのは、道路脇、「広島」とだけ書かれた紙を持ち、専用の車イスに乗ってぽつねんと佇むあそどっぐだ。立ち止まる素振りすら見せぬ自動車たちは猛スピードで前方を行き交う。言うまでもなく、そのまま事態は何も進展しない。再びの暗転—————その哀しさと乾いたセンスの同居した映像に、私は吹き出すのを禁じ得なかった。
 
 
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あそどっぐ《犬》 撮影=立堀和仁
 
コンテクスト「からの孤絶」/〈への拘束〉
 『精神病患者の創造』(1922)を出版した精神科医ハンス・プリンツホルンよろしく、キュレーター・櫛野が働いていた福祉施設で〈発見〉したのが、武田憲昌だ。彼がこれまで蒐集してきた好きな施設職員に関する無数の品々が展示物である。その拾得物はメモ書きから食後のプラスチック容器、果ては靴下にまで及ぶ。
 それらの物を、武田は、人間の魂の依り代と看做している。シュヴァルが郵便配達の傍ら石を拾い続けたように、武田は職員の化身としての物質をコレクションし続けているのだ。もちろん、彼はそれで何かを造形するようなことはないし、アーティストであるという自意識も皆無だろう。しかし、その過度な継続と物量、つまり偏執と反復に、私たちは身震いして感嘆を覚える。武田において、蒐集という行為(アクション)そのものが強い欲求からくる表現に他ならないからだ。
 三戸なつめのMVでも昨今話題となった伊勢田勝行は、「日本のヘンリー・ダーガー」とも称される徹底したDIYの映像作家である。彼は80年代の少女マンガ乃至ラブコメ的世界観をベースに、学生時代から現在まで全くブレることなく、自身のマンガを原作とするアニメや特撮を制作し続けている。シナリオや絵コンテ、作画はもちろん、声優から劇中歌の作詞作曲まで全てを独りでこなすその作品は、独特の技法によって撮影・編集された異常にアナログな“ヘタウマ”的世界観を見事に刻印しているのだ。
 彼が拘泥する少女趣味的価値観は、一般的に大人になるにつれ卒業していく類いのものかもしれない。それらは未熟さとして生活から切り離され、やがて忘却されていく。しかも高度な専門的技術もなく、仕事やお金にもならないとあれば、社会的に無用であるという烙印を方々から押され、周囲、そして自身による抑圧によって内的欲求の表出が頓挫せしめられることは必至であろう。伊勢田はしかし、それでもなお制作を辞めずに続けてきた。そこには想像を絶する孤独と耽溺があったはずだ。無用の遊戯を終わらせないこと—————彼の場合それは「無垢」な子供でありつづけるというよりもむしろ、過敏でどろどろとした「負」の側面を抱える思春期に居続けることを意味しているようにも思える(少女マンガ雑誌への投稿時のペンネーム「伊勢田しま」が大学浪人の予備校生であるという“設定”も、ともすればその裏づけになろう)。結果として、二台のDVカメラを繋いでダビングするという甚だ鈍重な編集法によって創りだされる映像が、あたかもヴァイナルをプレイするDJのように、いまや完全にオリジナルな表現として稀少価値を帯びるのである。
 
 
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伊勢田勝行 展示風景 撮影=立堀和仁
 
 また、アルコール性神経炎を患う小林一緒は、日々自身が食べた料理の絵を描き続けている。それらは膨大な枚数を誇るが、決まって広告じみた同じ構図である料理の真上か、せいぜい斜め上からの視点によって端的に描かれている。そして隣にはその料理に関するメモがびっしりと書き込まれるのだ。絵画が本来、自身の内における切実なものを描くのだとすれば、小林は「三度の飯」という本能を司る事物を同じ様式(スタイル)でもって反復し続ける。その文字通りのライフ・ワークぶりにこそ、常軌を逸した凄みが宿るのだ。
 料理屋で働く三浦和香子もまた、料理をモティーフに、フェルトや毛糸を用いて、たくさんの食品サンプルを作ったのだった。一方、18歳から統合失調症である高橋重美は、ボールペンを使って執拗に空想のセックスを大学ノートに定着させている。あるいは、滝本淳助による自身が見た夢を記録した「夢絵日記」には、お決まりのフロイト的精神分析を想起させつつ、半醒半睡の状態でオートマティスム的に無意識を顕現させるような、まさしくシュールレアルなイメージが広がっていた。これらからは、食・性・睡眠といった生物的欲求の次元に属する、人間における根源的なるものが追求されていることが分かる。そしてそのリビドーが、荒々しくすらある野放図な表現衝動として横溢しているのだ。
 
 
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小林一緒 展示風景 撮影=立堀和仁
 
 上記のごとき創作物に対し、私たちが「「芸術」としかいいようのない状態を感じ取る」(中村政人「「純粋」×「切実」×「逸脱」」, 『アール・ブリュット アート 日本』, 監修 保坂健二朗, 平凡社, 2013)のは一体なぜなのだろうか。
 おそらくそれは、「コンテクストからの孤絶」ゆえに他ならない。
 
アウトサイダー・アートの特徴はコンテクストからの孤絶である。(中略)このようなコンテクスト上の手掛かりの欠落は、ますます確信を深める。これはまさしく「出し抜けに」出現した何かだ、文化的空白地帯の中で創られたものだ、全く他に類を見ない、自閉的だ、どこかにひきこもってひっそり創られたのだ。
『アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所』(デイヴィド・マクラガン, 松田和也訳, 青土社, 2011)
 
 そう、既存の枠組みからの逸脱が孕む強度こそが、それらを「芸術」たらしめているのである。その「コンテクスト」は無数のレイヤーを擁するだろう。美術、社会、文化、伝統、風俗、規範、国家、そしてあらゆる〈常識〉……そういったコードから徹底して「孤絶」しているがゆえに、私たちは慄然としてその場に立ち竦むことになる。
 何より「コンテクストからの孤絶」によって逆照射されるのは、私たち自身の〈コンテクストへの拘束〉に相違ない。私たちが日々如何に多くの「コンテクスト」に縛られ、監獄的環境・発想の中でがんじがらめにされて生きているかを、アウトサイダー・アートは逆説的に炙り出す。
 再び書こう、なにが障害でなにが健常か—————————?
 問われているのはやはり、「障害」/〈健常〉の「(仮)」なのだ。
 幸い、現在も鞆の津ミュージアムは自主企画を開催しており、今後も継続して展示を打っていくという。一方、キュレーターの櫛野は独立してアウトサイダー・アート専門のギャラリー「クシノテラス」をオープンした。
 彼もまた一人の社会的アウトサイダーとなって、活動を続けるのだろう。
 
 
何も深刻じゃない「外道(アウトサイダー)」
 2015年10月、東京は高円寺、キタコレビル内にあるガーターギャラリーにて、松田修個展「何も深刻じゃない」が開催されていた。狭い路地にある小さなドアをくぐると、白目を剥いて額に「EMPTINESS」とマジックで書かれた松田の阿呆面がのっけから大写しで待っていた。24コマ/ 1秒で朝と夜のシーンを365秒間ループするビデオ《24fps,365”》だ。完全なる楽観か、あるいは全てを嘲笑っているかのようなそれは、特に昨今の世界情勢や政治状況、社会的空気を含めた息苦しい現実に対して、「外道」としてのメッセージを静かに叫んでいる。そう、何も深刻じゃない。
 松田は兵庫県尼崎で育った。治安の悪いダウンタウンで奔放に過ごし、鑑別所に入れられたこともあるという。高校卒業後上京し、トラックの運転手などを勤めてから、関西のノイズシーンやアメリカ西海岸のアートに影響されて東京芸術大学に入学するという、異例のキャリアを経ている。
 たしかに出自こそアウトロー的であるとはいえ、最終的に東京芸術大学大学院美術研究科まで修了し、しっかりとアカデミズムを経由した彼を、アウトサイダーとは言えないのではないかという疑問が頭を掠めるだろう。しかし、それでも尚、彼をアウトサイダー・アーティストとしてあえて見立てて考えてみたい。
 椹木野衣は『アウトサイダー・アート入門』において、女性であるルイーズ・ブルジョワの生涯を通じた父(男性)への憎しみを論拠として、「真っ当な美術教育を受けた健常者であっても、アウトサイダー・アーティストとしか呼びようのない存在はれっきとしてこの世界に存在する」と書いている。「「アーティスト」ということばは、本質的には「アウトサイダー・アーティスト」の略称でさえありうる」とまで言ってしまう椹木は、なるほどそれを自身の言説(「後美術」)に接続させ過ぎているきらいはあるが、しかし、ここではアウトサイダー・アートという概念枠組みの拡張それ自体には首肯しよう。
 松田もまた、「真っ当な美術教育を受けた健常者」である一方で、「どんなときでもおのれ自身に、そしておのれを取り巻く社会にも、完全に受け入れられることはありえない」ような作家である。それは、ダミアン・ハーストやポール・マッカーシー、チャップマン・ブラザーズを彷彿とさせる俗悪なバッド・テイストを擁する松田の作品郡を見ていく過程で明らかになるだろう。
 さらに言えば椹木は、「[アウトサイダーを]あえて日本語に置き換えれば、『外道』というのがぴったりくる」とも書いていた。「外道としてのアウトサイダー・アート」を「道を外れた者」による「勝手で野放しな創作」と定義づけるのだが、松田は自身が講師を務める美学校において、文字通り「外道ノスゝメ」という講座を持ち、アーティストとして「道を外れ」、「勝手で野放し」に創作する方法を実践的に説いている。
 これらを加味すれば、松田が「正道」の美術教育を受けながらも、「外道」を信条として制作を行っているアウトサイダー・アーティストであると看做すことは可能だろう。
 
 
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松田修《24fps,365”》 撮影=井手康郎
 
結合双生児・小人・差別
 いびつな構造の建物内を進むと、プロジェクションされたビデオコラージュの向かいに一枚の写真があった。《hall of shame / BIG the Gedo》だ。「外道ノスゝメ」の共同講師・古藤寛也との共同制作であるこの作品は、松田と古藤の双頭を持った悪役(ヒール)プロレスラーという設定のポートレートであり、そのレスラーの人となりを説明した長い架空のテキストが付されている。
 「1931年2月5日生まれ 米・メリーランド州ボルチモア出身 日系アメリカ人 TOKYO JOE&OSAKA JOEからなる二人で一人の結合双生児悪役レスラー」であるBIG the Gedoは、「主に反則攻撃(目つぶし、咬みつき、金的等)」を得意技としており、「結合双生児としては稀な強靭な肉体と精神に恵まれ、ハンディキャップをものともせずアメリカのリングで依然として残っていた反日感情を利用して悪役に徹し」、「原爆で死んだ両親の復讐にやってきたというギミックで全米を震撼させた」伝説の悪役レスラーである。最終的には“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーさながら、「1962年にデトロイトにて行われた試合で残虐な反則行為を目の当たりにした老婆がショック死するという事故」をきっかけにアメリカマット界から姿を消している。
 この無駄に緻密な設定のプロフィールには、プロレスの持つ虚実混淆性、猥雑さ、外連味、フリークス性、さらに太平洋戦争やベトナム戦争を想起させる捻れたナショナリズムなどが、余すところなく畳み込まれている。何より「差別や偏見をもエンターテイメントとして消化するそのスタイル」を肯定的に物語ることで、ポリティカル・コレクトネスや法的正統性を絶対視する現今の風潮に対し、一般的な倫理や道徳から外れた作家の「外道」としての姿勢を明確にしているのだった。
 
 
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松田修《hall of shame / BIG the Gedo》 撮影=井手康郎
 
 また、本作から想起されるのは、たとえば「小人プロレス」というジャンルである。かつて全日本女子プロレスにおいて、テレビ放映こそされなかったものの、前座として高い会場人気を誇っていた低身長症のレスラーたちによる「小人プロレス」は、しかし現在、現役選手が二名しかおらず、定期的に試合も行われていない。このジャンルが風前の灯になってしまった理由のひとつに「みせかけのヒューマニズム」がある、とルポライターの高部雨市は書いているが、高部によるインタビューで、「小人プロレス」全盛時代を支えたレスラー、故ミスター・ポーンはこう述べていた。
 
放送禁止用語っていうのがあるように、私らの体型は、放送禁止画面っていうのにあたるんじゃないですか。テレビ局が身体障害者の連盟みたいのに、投書でたたかれるんですヨネ。けれど、僕らにとっちゃ非常に迷惑なんですヨ。僕自身を見てネ、みなさんが喜んでくれればそれでイイんですヨネ。
(『君は小人プロレスを見たか』高部雨市, 幻冬舎, 1999)
 
 ここに反差別が差別を生む逆説がある。プロレスを生業にしているミゼット・レスラーたちに対し、うわべだけの差別反対を訴えることによって、むしろ彼らの職を奪い、疎外し、不可視化させて、自らの感情的安全に胡座をかいているのだ。これぞまさしく「みせかけのヒューマニズム」だろう。
 ちなみに、BIG the Gedoもこの種の逆説的差別に晒されていたようだ。テキストによれば「ハンディキャップがあることから人権団体の抗議も殺到した」とある。しかし彼はそれに対し、「余計なお世話だ!おまんまの食い上げじゃねーか」と一蹴したという。
 この台詞はそのまま、松田によるアウトサイダーへの寄り添い方として受け取ることができる。一見して露悪的な表現を行っているにもかかわらず / であるがゆえにこそ、「みせかけのヒューマニズム」により〈虐げられる者〉への、リスペクトを伴った鋭敏な眼差しを有しているのだ。
 
「陰茎」と表現規制
 低く入り組んだ階段を上がると、メインフロアに出る。そこにはたくさんの悪趣味な作品が並んでいた。たとえば、発ガン性が疑われる食品など体に悪いとされるものからつくった石鹸《メリー・バッド・ソープ》や、匿名的主体によって自動で藁人形に釘を打ち続けるオブジェ《無人呪詛装置「むじのろくん」》、9.11テロ事件の死者の数だけゲーム画面上のマリオが死ぬ映像《9.11ぶん死ぬマリオ》、そしてネット上にある死刑囚のインタビューをコラージュし、音声的に「ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」と言っているように聞こえるビデオ《ごめんなさい。》など、日常現象から社会や政治を題材に扱った作品までが、多様なメディアを用いて展示されている。
 これらに共通しているのは、犯罪や死、テロや戦争といった重く触れ難い「深刻」なテーマを、ある種のギャグとして徹底して軽薄に提示していることだった。あそどっぐにも通じるこの手法には、たしかに不謹慎で不道徳な匂いが漂うが、タブーを自明視して「深刻」そうに口籠る私たちの〈常識〉をえぐり出す、松田の反知性的知性が認められる。
 特にその傾向が顕著に表れているのが、《インケイ先生の憂鬱》なる2009年につくられた短いビデオだ。この作品は、タイトル通り松田の「陰茎」が「先生」というひとつの人格を持って大写しにされ、口腔に見立てられた尿道をパクパクさせながら、世界から包茎か否かによる差別がなくならないことを嘆くという代物(!)である。
 この圧倒的な酷さは、しかし重要な論点を孕んでいる。すなわち、表現規制の問題だ。自身の女性器をスキャンしたデータを配布して逮捕されたろくでなし子や、愛知県美術館で展示していた男性器の写っている写真作品の一部に市民の通報を受けて布をかけることを余儀なくされた鷹野隆大、直近で言えばギャラリーにアート行為としてデリヘル嬢を呼ぼうとしてネットを中心に炎上した丹羽良徳など、昨今、性的表象を巡る「事件」は枚挙にいとまがない。しかし、松田はそれらの「深刻」さをやすやすと回避しているように見える。
 私がこの作品から連想したのは、イギリスのコメディアンであるサシャ・バロン・コーエン主演の映画『ブルーノ』(ラリー・チャールズ監督, 2009)だった。誇張されたゲイの主人公「ブルーノ」は、同性愛、世界的格差、ナチス、パレスチナ問題、イスラム過激派のテロといった、世界で最もアンタッチャブルなトピックの数々を、執拗かつ変態的なパフォーマンスによってその都度笑い飛ばしていく。その劇中で、《インケイ先生〜》と同じく、「ブルーノ」がぶんぶんと振り回している「陰茎」がアップになり、口腔的尿道で「Brüno!!」とシャウトするシーンがあるのだ。ただアメリカでの公開時とは異なり、日本の劇場版では画面に大きくボカシが入れられていた。ここに日本の性に対する屈折した後進性を見て取ることは可能だろうが、とにかく、松田の「陰茎」は完全なる無修正で展示されていたのだった。(ちなみに、松田が作品制作にあたり『ブルーノ』を知らなかったという言質は取っている)
 《インケイ先生〜》が公開可能だったことは、まずひとえにガーターギャラリーが本展のキュレーションも務めるChim↑Pomによって運営されるオルタナティヴ・スペースであることが挙げられる。美術館とも既存のコマーシャル・ギャラリーとも映画館とも違う代替項(オルタナティヴ)だからこそ、直截に性的表象を扱った作品も展示することができたのではなかったか。さらに、形式のみならず内容による要因もあろう。このビデオの馬鹿馬鹿しい可笑しみは、LGBTやSWに関するフェミニズム的な議論や、合法か非合法か、芸術か否かといった「正道」なイデオロギーの堅苦しさを脱臼させてしまう力を持っているのではないか。ここに「外道」ならぬ〈道化〉として、軽やかな低俗さを媒介に硬直化した問題を遊撃する秩序反転機能が有効に作用していることは否定できまい。
 
鉄道・宗教・汚音
 さらに階段を上がると擬似的なホワイトキューブが現れる。途端に雰囲気が変わり、静謐さすら湛えた空間には、小さな写真が点々と掛けられていた。
 タイトルは《普通の写真》、松田がヘルパーのアルバイトで知り合った頸椎損傷者で鉄道オタクの麩澤孝さんと共に撮影した電車の写真だ。壁に掛けられた写真の高さは麩澤さんの視点と同じ135cmに設定されている。彼が目指しているのはアマチュア的な「普通の鉄道写真」だという。全国を旅しながら、首から下が動かない麩澤さんに代わって、松田は彼の指示通りに写真を撮ってきた。
 そこに映し出されているのは本当に他愛ない、引きやフィックスで撮られた鉄道写真だ。そのあまりの「普通」さに軽く眩暈を覚える。プリンツホルンなら「模倣衝動」と呼ぶであろう現実模写への傾向は、鞆の津ミュージアムで展示されていた福島尚の一連の鉄道絵画の驚くべき再現性にも連なって、電車という高速で〈移動する機械〉が与えるロマンに固執する麩澤さんの心性を私たちに想起させる。それはおそらく、彼が一人で自由には〈移動できない身体〉を抱えていることの裏返しの「衝動」なのではないだろうか。だからこそ麩澤さんは、「普通」=「健常」の写真を撮るために、松田の力を借りて〈移動〉するのだ。
 この作品において松田は多様な役割を演じている。ヘルパーという施設職員であり、麩澤さんの欲求を引き出すカウンセラーであり、車椅子を押して移動する介護者、指示通りシャッターを切る技術的カメラマン、撮った写真を現像・額装・展示するアーティスト……それらを兼ねながら、しかし松田は、二人が協力して初めて作品が成立するその「ニコイチ」(2012年に無人島プロダクションで行われた松田の個展タイトル)ぶりにおいて、麩澤さんと同じ目線に立つことができている。作品を足がかりにして介護 / 被介護の関係は無化され、平等化されて、それこそBIG the Gedoのように一心同体で恊働しているのだ。ここに松田の誠実な倫理を読み取ることは、決して「外道」の冒涜にはならないだろう。
 空間に微かに鳴る介助音《F氏の出発音》は、松田の繊細な手つきを伝えていた。
 
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松田修《普通の写真》 撮影=井手康郎
 
 そして最後の空間には、「外道ノスゝメ」受講生との共同制作《幸せになる方法の方法》が所狭しと置かれていた。この作品は様々な宗教関係者へのインタビュー映像、経典、像などの宗教的文物からなるインスタレーションである。特徴としては、メジャー、マイナー関係なく、全ての宗教をフラットに扱っている点だろう。
 そもそも、宗教は社会の「外部」にある。世俗の事象を超えた包摂をもたらすことこそが宗教の役目だからだ。その意味で神とはアウトサイダーかもしれない。その神=アウトサイダーを無秩序に寄せ集めることで、日本的多神教も想起させながら、「外道」たちは彼らを単なるいかがわしい俗物へと堕さしめる。混線した教義や御神体は、ひとつひとつが護持していたであろう聖性を相対化して、いよいよ禍々しさを増すのである。
 どん突きには「外道ノスゝメ」の受講生たちが出す汚い音を、松田がカットアップしてコラージュした《11分6秒の汚音》が響いている。松田の編集を介することで「汚音」の「脱汚音化」が図られており、実際、ひとつの集合的ノイズと化したその音は、最早それぞれの文脈が脱臭されて浄化されていた。
 神を汚し、「汚音」を清めるその逆説こそは、まさに「外道」の所業であった。異形のものに寄り添いながら、下らぬ態度で規制をかわし、障害者と等しい立場で聖俗をひっくりかえす松田修は、やはり今日の重要なアウトサイダー・アーティストの一人に数えられるであろう。
 
おわりに
 斯様な事例は片々たるものに過ぎないが、二つの展示から浮き彫りになるのは、今日のアウトサイダー・アートが胚胎する新しい輪郭である。
 アウトサイダー・アートとは常に既成の芸術のフレームの「周縁(マージナル)」に位置する。それはむろん、二十世紀初頭のシュールレアリスムから退廃芸術、アール・ブリュット、日本のエイブル・アートなどへと連綿と続くテイストに染まっている必要などない。むしろ、これまでとは全く異なるオルタナティヴな作家・場・文脈から産声を上げるだろう。
 
■ 中島晴矢プロフィール
現代美術家/ラッパー(Stag Beat) 1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。 主な個展に「ペネローペの境界」(TAV GALLERY)、「上下・左右・いまここ」(原爆の図 丸木美術館)、「ガチンコ—ニュータウン・プロレス・ヒップホップー」(ナオナカムラ)など
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