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「市街(いわき)」の上の「ほんとの空」 カオス*ラウンジと毒山凡太郎+キュンチョメ

 

 福島県は小野町の蕎麦屋に入ってから、既に一時間余りが経過しようとしていた。
 いわきからの帰路、ちょっと小腹を満たそうと立ち寄ったその店で、私たちはひたすら蕎麦を待っていた。膳が運ばれてくる気配は一向に無い。それどころか、一人切り盛りしているらしい老齢の店主は、テーブルや厨房の片付けを今しがた終えて、ようやく蕎麦を打ちはじめたところだった。それも、異様にスロウなテンポで。というかもはや若干、小刻みに震えながら。
 生ぬるい空調の店内にはサスペンダーを着けた禿頭の爺さんがひとり、頬杖を突いて微睡んでいる。飯を頼みもせずに漫画を読み耽っていた中学生の二人組は、気づけばどこかへ行ってしまった。
 「俺たちは本当に東京に帰れるのだろうか…?」
 時間が静止しているような、あるいは急速に回転しているような両義的な気分に苛まれながら、虚実の間(あわい)を引き摺ったままの私たちは、まるで時空の裂け目に嵌り込んでしまったみたいで、さながら浦島太郎の気分を味わっていた。……

 

福島という〈現場〉

 2015年の秋、福島県ではいくつかの重要な展覧会が同時多発的に催されていた。帰還困難区域においてはChim↑Pomらによる“見ることができない”展示「Don’t follow the wind」がスタートしていたし、猪苗代にある「はじまりの美術館」では岡本敏子賞作家・サエボーグがグループ展「のけものアニマル」に出品、そしていわきでは、黒瀬陽平キュレーションによるカオス*ラウンジが、また毒山凡太郎とキュンチョメが組んで、大規模な展覧会を開催していた。
 震災・原発事故から四年経った今もなお、否、むしろ今でこそ、福島というトポスが単なる記号性を超えて、ラディカルな〈現場〉となっていることは自明だろう。さらにそれらのムーブメントが行政や公共団体主導の所謂「地域アート」や「芸術祭」といったものではなく、完全にオルタナティヴな展開であることも注目に値する。各々の作家が独自に地域とコミットし、誰に言われるでもなく手弁当で活動しているのだ。それは「復興」や「応援」といった標語を唱える表層的な外発性ではなく、独自のリサーチとインディペンダントなコネクションからくる徹底した内発性に支えられている。こういった状況こそが、現代美術、さらには被災地やこの国を巡る現実に対し、ある批評的な機能を果たし得ると言っておおげさではないだろう。
 特に本稿では、いわきで同時期に行われた二つの展覧会、カオス*ラウンジ市街劇「怒りの日」と毒山凡太郎+キュンチョメ「今日も きこえる」について詳述してゆく。

「市街劇」としての「怒りの日」

 まず、カオス*ラウンジによる「怒りの日」は、展示会場にて配布されるいわき駅周辺の「市街図」(藤城嘘)に顕著なように、言うまでもなく寺山修司の『ノック』をはじめとする「市街劇」の構造に依拠していた。
 そもそも「市街劇」とは何か。たとえば『ノック』は1975年に阿佐ヶ谷にて上演された。観客はチケットの代わりに「住民票」を購入し、特定の日時に指定された場所にて「地図」と交換する。それを頼りに、観客や住民たちは、同時多発的に街中で演じられる18の劇と偶発的に出会うのである。仕掛けられた劇は、役者がマンホールを出入りしたり、見知らぬ人間から手紙が届いたり、銭湯にて全裸の男たちが突如踊りだしたりする、様々なイヴェントから成っていた。
 それにはどういった企図があったのか。寺山はこう記している。

 

われわれは、この劇を通して、日常の現実原則に疑問符をさしはさみ、虚構を媒介として、日常の現実原則を再組織しようと意図するものである
(『演劇実験室◉天井桟敷新聞 第十六号』, 1975)

 

 寺山は、日常・現実に対し、非日常・虚構をぶつけることによって新たな地平を獲得しようと試みていた。とはいえここでは、単純に「市街」=日常・現実、「劇」=非日常・虚構というわけでもない。現実と虚構は容易に反転し得る。しばしば私たちの日常が劇的であり、劇が日常的であるように、「劇はそれ自体としての輪郭をもったコスモスとしてではなく、現実と虚構との地平のあいまいさによって成立するものである」(「人力飛行機ソロモン」寺山修司)。つまり、虚構の介入を契機に、「市街」も「劇」も含めた曖昧模糊とした「現実の総体」そのものを取り扱うことが「市街劇」であり、それによって鑑賞者の既存の価値観を揺るがすことが狙いであった。
 その意味において「怒りの日」は、三つの会場から成る展示を通して、福島・いわきという土地に対し私たちが抱いている「現実原則」を読み替えさせる「市街劇」であったことは自明だ。土地に眠る様々な意志を召還することによって、近代以降、あるいは3.11以後に形成された福島のイメージを別の視座へと導くのである。

 

 

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藤城嘘「市街図」

 

時空の〈越境〉

 洋服店でもある第一会場「もりたか屋」の入り口には、蕗野幸樹による書の作品を右手に、いくつかの鳥居が設置されている。鳥居が示唆するのは〈越境〉である。堅牢な門を持つ西洋建築と異なり、神社が構える鳥居は象徴的に機能する。鳥居とは、物理的にあってないようなそれを跨ぎ越すことで、世俗とは異なる位相に這入ったことを認識させる境界だからだ。
 さらに「怒りの日」において、〈越境〉は空間のみならず、時間に関しても及んでいる。前者で言えば、そもそも私(たちの多く)は県外から常磐道を通り、いくつかの山や県境を越えて旅をしてきた。その上でいわきの市街を遊歩し、ようやく展示空間へと足を踏み入れるのだ。一方後者で言えば、この展示には数多の前近代的モティーフが埋め込まれている。言い伝えや伝説、民話を参照し、二人の僧侶・袋中上人と徳一の「怒り」を軸として、「ニライカナイ、竜宮、滝壺、底なし沼、死人田」(黒瀬陽平「市街劇「怒りの日」のためのノート」)といった「「他界」のイメージ」(同上)が散りばめられることで、われわれは「いま・ここ」の時間を跨ぎ越すこととなる。要するに、もりたか屋へ入ることそれ自体が、時空の〈越境〉なのだ。
 鳥居の境界性に連なるように、まずは山内翔太のインスタレーション《もっと遠くへ行きたい》が現れる。3Dスキャンとクロマキー合成からなる映像の舞台は、福島の鍾乳洞「あぶくま洞」だ。私自身による体験も踏まえれば、鍾乳洞とはさながら自然の子宮であり、往って還ってくる「胎内くぐり」であった。だからこそ本作のテレビゲーム的な画面には必然性がある。私たちはプレイヤーとなって、一度死んで生まれ変わるような生死(精子?)の〈越境〉を擬似体験できるからだ。

 

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山内翔太《もっと遠くへ行きたい》 撮影=中川周

 

 この女陰的メタファーは2階に上がっても散見される。村井祐希の巨大な壁画のごとき油絵、藤城嘘の描く「ズリ山」、パルコキノシタによる「亀姫」、乙うたろうの壷などの作品が並ぶ中(これらにも呪術的エロスが充ち満ちている)、殊に気になったのは富樫達彦の《いわき》であった。
 観客は、滝の映像が投影されているスクリーンの真ん中の割れ目をくぐり、滝壺じみた向こう側に出る。振り返るとスクリーン裏面には別の映像が投影されていて、これを鑑賞するという仕掛けだ。その内容はというと、作家自身による「落語」なのである。背景は映像中映像になっており、作家が何かの箱を背負ったまま、福島の山岳をそぞろ歩く様がプロジェクションされている。そのような入れ子構造のもとに座して語られる肝心の演目は、いわきにまつわる底なし沼やウナギ、浦島太郎の伝説に関する創作落語だ。
 「怒りの日」のキュレーションは黒瀬陽平が担っているが、自他ともに認めるように、今回の「演出」はテーマも含めて作家に対するコントロールが強い。もちろん、それによって作家の能力を最大限に引き出すことはできるだろうが、しかし同時に、作家側が主題の昇華に苦心するのは事実だろう。
 そう考えたとき、富樫の返答は非常にクリアに見えたのだった。「落語」という、動きと語りによる最小限の芸だからこそ、前近代の超現実的な逸話も違和感無く物語ることが出来たのではなかったか。映像の最後、開けられた玉手箱からもうもうと煙が立ちこめる混沌の中、下げを述べて割れ目に消えていくという虚実入り混じる構成には、一種のイリュージョンが成立していたと言えよう。

 

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富樫達彦《いわき》 撮影=中川周

 

 3階では、今井新《いわき市平・ゲリラ戦想定図》に目を引かれた。いわき市の引き延ばされた地図に、赤ペンで「拠点」、「補給ライン」などと書かれている。隣に展示されている漫画『アイアムジョンキャントリー』を読めば分かるように、これはIS(イスラム国)をモティーフに、東北地方の独立戦争とテロリズムを描いた近未来SFなのである。
 つまり、本展はなにも過去への遡りばかりでなく、未来の想像力にも開かれている。言うならば「怒りの日」は、現在のいわきを、過去と未来の歴史的な縦軸で貫いているのだ。それによって近現代のいわきのあり方への再考を促しつつ、ありえたかもしれない現在を炙り出すのである。
 ゆえに、フロアから出る際に捲った《ISのれん》(今井新)は、ノスタルジックな昭和日本的過去形とグローバルなテロリズムによる世界的現在形、そしてやがて訪れるかもしれないディストピア的未来形のいびつな同居として、「のれんに腕押し」ならぬ充分な手ごたえを持って迫ってきたのだった。

 

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今井新《いわき市平・ゲリラ戦想定図》 撮影=中川周

 

ぬいぐるみ・フレコンバック・曼珠沙華

 第一会場を見終わると、「市街図」を見ながら第二会場へと向かうことになる。いわきの市街を改めて泳ぐ。大竹伸郎「日本景」的な地方都市特有の風景——キッチュなネオンサイン、老舗の居酒屋、全国チェーンの店舗——のさざ波を抜けると、「平廿三夜尊御札受所」が現れる。そこで展開される柳本悠花《天狗の住む街》は、仮設住宅化した神社、ズリ山、防波堤、立入禁止区域のバー、フレコンバックなど、いわきのみならず3.11以後の福島をフェルトによってミニチュア的に再現したスカルプチュア郡だ。
 私も以前から福島の被災地や第一原発周辺地域は見て回っていたが、たとえば富岡町中心に堆積し続けるフレコンバックは、行き場なき廃棄物である。仮置き場は中間貯蔵施設と呼ばれるが、しかし事実上、半永久的にそこに留まらざるを得ないことを約束されている。その上、除染作業による「復興」が進めば進むほど、汚染土を詰めたそれは日に日に増えてゆくのだ。フレコンバックは、放射能という不可視の恐怖が可視化される、原発事故処理の欺瞞の象徴———みたくないけどみえてしまうもの———に成り果てていよう。
 そういった福島のシビアな「現実原則」が、柳本の手にかかると、ぬいぐるみ的なグッズにされてしまう。私はそれらを擬人化し、感情移入することを禁じ得なかった。なにもフレコンや防波堤、立入禁止のバーだって、存在したくてしているわけではなかろう。仕方なく生を受けた事物がポツリポツリと所在なげに点在している、それらいたたまれなく愛くるしいぬいぐるみたちが、マイク・ケリーを例に挙げるまでもなく、逆説的に、禍々しい「怒り」を纏って立ち現れるのだ。結果、ソフトな質感のぬいぐるみたちからなる風景に、ある硬質な絶望を見いだすことになるのだった。 

 

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柳本悠花《天狗の住む街》 撮影=中川周

 

 怨恨の残響を耳にリフレインさせながら再び市街に出る。第三会場へはかなりの距離を歩かされることとなるが、道中、仕掛けやイヴェントは見当たらない。換言すれば、寺山「市街劇」的なハプニングは特に見受けられない。はじめは拍子抜けもしたが、しかし、道々にひそむ多くの諸事物に気がついた。
 トンネルから伸びる線路に掛かった踏み切りを跨げば、市街というより田舎道となる。緩い勾配を登っていくと、もう日が落ちかかる頃合いの夕暮れ時に、ふと見れば古びた角材を組み合わせただけの小さな鳥居や、木々の陰影に消えていく急で長い石段が幾つもある。遠くで踏み切りが微かに鳴り、足下には紅々とした曼珠沙華がひっそりと咲いている。
 おそらく、「怒りの日」の主役は展示された美術作品ではない。いわきという土地自体であり、また土地の持つ記憶や磁場であろう。カオス*ラウンジのキュレーションや作品群は、あくまでそれらを召還するための媒体(メディウム)として機能しているのではなかろうか。
 ちなみに、曼珠沙華とは死人花、お彼岸に咲く彼岸花であり、此岸と彼岸の境界花だ。またぞろ私たちは、物理的・象徴的な〈越境〉を幾度も経て、鳥居を潜り、「菩提院」へと到ることになるのである。

 

往還する〈カオス〉

 第三会場は、寺の客殿、廊下、本堂、そして裏庭から構成されている。ここ「菩提院」に深く関係しているのが、浄土宗の僧・袋中上人だという。
 まずは客殿にて、曾我蕭白の風景画を下敷きとして襖を模した梅沢和木の大作《彼方クロニクル此方》が、サイト・スペシフィックに鎮座している。その奥でたかくらかずきの仏教版シューティングゲームを遊ぶと、袋中が渡ったという沖縄に関する荒木祐介の写真が展示された廊下を通り、山本卓卓の朗読劇「頭」をmp3プレイヤーで聴きながら本尊を拝むことになる。
 この会場で嘱目すべきは、なにせ寺という場の持つパワーである。たとえば本堂に奉られた仏像に跪きながら聞く「頭」は、安部公房の小説世界にも似て、人間の根源的な在り方そのものを問い直されるような語りであった。それは自身の頭が無化してゆくようなある種の宗教体験に近いものだったと言えるかもしれない。私はただただ、超越的なるものに対する畏怖を覚えた。
 寺院を出ると、既に辺りはうっすらと暗くなり始めていた。私たちは長靴に履き替え、泥濘んだ足場の悪い道ならぬ道を、懐中電灯を頼りに下っていく。墓地を横切り谷底に至ると、林の中から荒渡巌の大規模なインスタレーション《画像の一本松》が現れる。漂流物によって作られたそのオブジェは、象徴的には「地獄」であるらしい裏庭にどっしりと根を張っている。さらに奥へと続く小さなトンネルを抜けると、梅田裕による《さいのかわら》が広がっていた。そこは枝葉や土石で形成された庭園だ。小さな窪みのような洞穴を覗くと、第一会場にもあった、井田大介の手からなる徳一の精巧な座像が照らし出される。
 なるほど、私たちはようやく「彼岸」へと到達したことになる。まさしくここは〈越境〉の果ての「賽の河原」(三途の川の河原)だろう。

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梅田裕《さいのかわら》撮影=中川周

 

 ただ、私はある不完全燃焼を感じずにはいられなかった。もちろん、その徹底したストーリー・テリングや、土を堀り小川をつくり(!)、という土木的スケールには圧倒される。歩行困難な道を乗り越えて作品に出会えるというハードな体験も、一般的な芸術祭や安易なインタラクティブ・アートなどに比して、ずっと充実した身体性に満ち溢れている。
 しかし、たとえば梅田の作品は、前回の展示(「キャラクラッシュ!」カオス*ラウンジ, 2014)における《にがびゃくどう》の方が庭園としての構造的な意味論や密度が強かったように感じられたし、あるいは徳一の像もまた、その超絶技巧ゆえか、または都合三体現れるその複製性に拠るのか、むしろ「怒り」が霧散し、形骸化してしまっている印象を拭えなかった。本展の作品たちは劇内の役者に位置するとはいえ、あまりにも黒瀬キュレーションの精巧な絵解きになってしまってはいないか。
 そんな違和感を心に抱きながら会場を出ようとした折に、ちょっとしたハプニングが起きた。菩提院にお墓参りに来ていた地元の老人一行に、突然呼び止められたのだ。聞けば、一人のお婆さんが墓地で手提げカバンをなくしてしまったので、私たちにも一緒に探してほしいという。
 日もとっぷりと暮れ、街灯もまばらな暗闇の中で、カバンを求めて墓場の中を老婆と一緒に彷徨い歩く。こんなお彼岸の夜に、いわきで、幾百もの死者たちに囲まれながら。
 私は端的に言ってトランスしていた。どうやらなかなか「此岸」には還らせてくれないらしい。現実と虚構が曖昧に溶融していく。そしてある妄念が頭をもたげる。
 このハプニングこそ、カオス*ラウンジの仕掛けなのではないか…?
 瞬間、全てが腑に落ちるのを感じた。これぞ「市街劇」だ。この展示を契機として、日常とは異なる変性意識状態に置かれ、拠って立つ「現実」が再組織されていく。
 そう、私は何が何だか分からない〈カオス〉に飲み込まれていたのだ。
 やがて、向こう(此岸?彼岸?)から聞こえた「あったわよ〜!」という掛け声のもと、ようやく捜索はお開きとなったのだった。
 むろんその夜、私たちはいわきの繁華街へと繰り出していった。
 

福島を巡る当事者性

 野郎五人でいわき市内のラブホテルに泊まり、朝までしこたま酒を浴びてから失神するように眠って、翌日、私たちは浜通りにある「ワタナベ時計店」に赴いた。ここが毒山凡太郎+キュンチョメ「今日も きこえる」の会場だ。前述の「市街図」に書き込まれていることからも分かるように、この展示もまた「市街劇」の一部に組み込まれていると言っていい。もちろん、それはどちらの影響力が勝るかなどといった貧しい話ではなく、若い作家たちが意識的・無意識的に聯関し合って、ひとつの大きなグルーヴを生みだしているということである。シルバー・ウィークの福島が「新芸術祭」と化していたゆえんだ。
 本展の仕掛人・毒山凡太郎は、福島県田村市出身の作家である。これまで彼は、アーティスト集団「天才ハイスクール!!!!」(解散済)のメンバーとして、ミステリアスな仮面の作品などを制作してきたが、おそらく直接的に福島を扱った展示は今回がはじめてだろう。そして何より彼が福島出身であることで、この展示は当事者性を担保していると言える。
 開沼博『はじめての福島学』(イースト・プレス, 2015)を例に挙げるまでもなく、3.11以降の福島を巡る当事者性の言説は議論の的となってきた。たとえば作家や批評家が原発事故に関する言及を行うことで、他人事なのに首を突っ込んでいると非難する向きもある。むろん東浩紀が言うように、「観光客」(『弱いつながり 検索ワードを探す旅』, 幻冬舎, 2014)として原発事故という人類史的問題にコミットすることに、何らかの瑕瑾があるとは思えない。むしろ私は人々の意識から3.11を忘却させないためにも、それらの話題を積極的に取り上げるべきだとすら考える者である。ただ、そういった批判を毒山の存在によって一定程度回避できるのは確かだろう。さらに当事者であることによって、主題を公的な問題から私的なレヴェルにまで掘り下げられる可能性がある。そこに深みが宿るのは必至だ。なぜなら人はみな、故郷に対しては濃密な記憶と一筋縄ではいかない愛憎が入り混じっているからである。
 また本展で共演するキュンチョメは、震災後の福島について最もアクティブにリサーチと制作・発表を重ねてきた若手作家のひとりと言って過言ではない。第十七回岡本太郎賞に輝いたインスタレーション《まっかにながれる》に顕著なように、《指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く》(2011)、《ナマズ君の誓い》(2012)、《遠い世界を呼んでいるようだ》(2013)、《立入禁止区域に除夜の鐘を鳴らしに行く》(2014)など、福島に関する作品は枚挙にいとまがないからだ。何より彼らは茨城県出身の作家であった。同じ常磐エリアを出自として、福島の震災・事故に対しても痛切なリアリティを持って接していたであろうことは想像に難くない。キュンチョメもまた、福島を故郷の圏内に持つ(半)当事者のひとりなのだ。

 

現在性・方言・面

 入り口の扉を開けるとまず、眼前には鏡が置かれている。反転した世界に写し出されるのは、立入禁止区域にあったものだという赤く点滅する信号機だ。そしてどこからともなく、「ボーン。ボーン。」と柱時計の音が響いてくる。どことなく寺山的なガジェットとして「怒りの日」とリンクするのを感じながら小さな階段を上がると、最初に現れるのは二点の作品である。
 キュンチョメによる《DO NOT ENTER》と毒山による《1/150》は、ともに浜辺から海を映した映像作品だ。前者は津波の侵入した跡地で、立入禁止のテープを海岸線に沿って張り巡らそうと試みている。一方後者は、2015年4月に茨城県鉾田市の海岸に打ち上げられた150頭のイルカのうちの最後の一匹の死骸を映したものだ。水平線で繋がれたこの二作品は、共に人間の文明を越えた自然災害の予感を孕む。なるほどイルカの座礁から大地震を想起するその根拠には陰謀論的な危うさが見え隠れするが、しかし、目下大きな震災を経験した私たちがその画に畏れを抱かないことは不可能に近いだろう。

 

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キュンチョメ《DO NOT ENTER》(左), 毒山凡太郎《1/150》(右)

 

 観客はその二つの水平線の間に設けられた通路を、再び〈越境〉的に、モーゼのごとく渡っていく。海の向こうに出現するのは、3.11をコアとした福島である。
 「怒りの日」が過去や未来を幻視させる歴史的縦軸によって貫かれていたとすれば、「今日も きこえる」を貫くのは、明確に「いま・ここ」の同時代的横軸だ。カオス*ラウンジが一種の〈ファンタジー〉によっていわきを炙り出そうとしていたのに対し、毒山+キュンチョメは〈リアリズム〉をもって福島を眼差していると言ってもいい。もしかするとそれは、各々の出自乃至アイデンティティである「オタク」と「ヤンキー」の差異に拠っているのかもしれない(カオスは初期から一貫してオタク・カルチャーをテーマに掲げてきたし、毒山とキュンチョメはアート界に悪ノリやストリート感覚といったヤンキー的なるものを導入したChim↑Pomのリーダー・卯城竜太を師匠筋としている)。繰り返すようだが、むろん私は両者の展示の優劣を騙りたいのではない。縦軸と横軸、つまり歴史性と現在性が交わった地点に2015年の福島、そして現代美術があるということそれ自体が、ある豊かさを持っているように思えてならないのだ。
 小部屋に置かれたデスクトップPCに映されるキュンチョメ《ウソをつくった話》は、仮設住宅の住人に、帰宅困難区域に設置されたバリケードの写真をPhotoshopでヴァーチャルに消してもらうという作品である。この作品の要は、住人たちにソフトの使い方を指南する毒山の口から発せられる方言だろう。東北弁特有の訛りが住人と作家を繋ぐ架け橋として機能し、老人たちは徐々に本音を漏らし始める。ついにはバリケードを消す作業をきっかけに土地の記憶が呼び覚まされ、現状への「怒り」とも取れる言葉が飛び出すのだ。
 それらの言葉を端的に本音と認めてしまうのはいささか性急かもしれない。毒山の言葉に煽動の影が無いとは言い切れないし、たとえば私が初めて被災地に赴いた際にも、久之浜復興商店街のラーメン屋で原発からの距離によって異なる補助金の多寡に対する皮肉混じりの会話を聞くこともできたからだ。しかし、二十四時間テレビよろしく、メディアでは常に〈哀れな善者〉として一面的にしか描かれない被災者たちの、たくましい〈リアルなネガ〉を炙り出すその手つきは、彼ら一流の手腕であろう。

 

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キュンチョメ《ウソをつくった話》

 

 なにより方言による会話によって暗に照射されているのは、標準語という問題だった。方言の多様性を無視し、標準語を〈国語〉として画一化することで常に抑圧されているのは、話し手の血肉化した言葉のダイレクトな表出である。遡れば明治以降の「言文一致運動」に始まり、近代国家としての中央集権体制を実現するための礎であった標準語と方言の関係は、必然的に〈中央と地方〉、特に本作では〈東京と福島〉という対立項を浮かび上がらせよう。そしてその二項はすぐに、東京の電力を賄うための原発を福島に置いている捻れのメタファーとして感得される。その上で、放射性物質飛散の象徴的な境界線であるバリケードを遊戯的に消滅させることで、〈東京と福島〉、〈汚染と非汚染〉、〈あっちとこっち〉といった二元論が無化されるのだ。そのような困惑の中で指差されるのが、《あっち》である。
 映像・写真・ハガキなどから成る毒山の《あっち》は、仮設住宅在住者に福島民報などの新聞を貼り付けた面を作成してもらい、それで顔を覆ったまま故郷の方向を指差してもらうという作品だ。住人は面によって固有名を喪失して匿名化されると同時に、故郷という最もパーソナルで地縁的な場をも指差すことになる。この二重性が示すのは、故郷が〈あるのにない〉(住めるのに住めない)というアンビバレンスだろう。それゆえにか、映像の中の住人たちの立ち姿はまるで舞踏家のような身体性を獲得し、宙ぶらりんの不思議な浮遊感を醸し出していた。

 

「ほんとの空」と〈うその空〉

 本展のメインとなる映像作品である毒山の《千年たっても》は、彫刻家・詩人の高村光太郎の妻であり、晩年に精神薄弱に陥って狂人と化した福島県出身の画家・高村智恵子と、彼女の残した文言がテーマとして扱われている。福島県二本松市の安達太良山に聳え立つ智恵子の記念碑には「この上の空がほんとの空です」と刻まれているが、たしかにその断言は眩惑的だ。では、その言葉は果たして何を意味していたのであろうか。
 高村智恵子は福島県安達郡に生まれ、大学入学を機に東京へ移る。その後も東京に留まって洋画家として生活し、高村光太郎との結婚などを経ると、やがて統合失調症の兆候が表れはじめ、睡眠薬自殺を図ったりもした末に、晩年は精神病院でその一生を終えている。
 そんな智恵子について書かれた高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた「あどけない話」という詩に、こうある。

 

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
(中略)
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
 
 
 また光太郎は随筆「智恵子の半生」でこのようにも書いていた。
 
彼女にとっては肉体的に既に東京が不適当の地であった。東京の空気は彼女には常に無味乾燥でざらざらしていた。(中略)田舎の空気を吸って来なければ身体が保たないのであった。彼女はよく東京には空が無いといって歎いた。
 
 要するに、智恵子にとって「ほんとの空」とは、「田舎」(故郷)である「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空」のことであり、逆に言えば〈うその空〉とは、気が狂うまで居住した「不適当の地」である「東京」の「空」のことであった。従って明らかに、「空」をモティーフとして〈東京と福島〉が対照されていたのだ。
 一方、毒山の《千年たっても》では、実際に作家自身が安達太良山の碑に並んで立ち、雨の吹きすさぶ中「この上の空が、ほんとの空です!」「他の空は、全部にせもの!」などと絶叫していた。ここに智恵子の言葉の致命的な誤読がある。言うまでもなく〈うその空〉とは「東京」の「空」であり、決して福島以外の全ての空ではなかったからだ。結果として、智恵子の言霊が薄められてしまっている印象は否めなかった。もちろん、雨の中必死に何かを叫び続けるというシチュエーションは感動的であり、事実私もエモーショナルに心を突かれた。しかし、〈東京と福島〉という側面に照準を定められていたならば、《ウソをつくった話》をも含め、より説得的に震災以降の福島が抱える歪みをえぐり出すことができたのではないだろうか。

 

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毒山凡太郎《千年たっても》

 

 とはいえ、この作品が私たちにある気付きを与えてくれるのは確かだろう。後方に目をやれば、キュンチョメの映像《WAKE UP!》が映されている。タイで撮影されたこの作品は、テロや地震といった大きな事件のあった時刻に目覚まし時計をセットし、路上で眠る犬の側で鳴らすというものだ。これによって主題は時間的にも地理的にも一息に普遍化される。そう、毒山凡太郎とキュンチョメの耳に「今日も きこえる」のは、故郷を想う智恵子の慟哭であり、不意に鳴りだす目覚まし時計のような〈警鐘〉だ。それは私たちも常に鼓膜の奥で振動させてしかるべき、現代のアラームなのである。
 会場を立ち去る際に再び鳴った柱時計の音は、入室時より切実な音色をもって耳に響いた。

 

おわりに

 かくして、展覧会を巡るいわきの旅は終わった。現実と虚構、日常と非日常、此岸と彼岸、汚染と非汚染、東京と福島、そして「ほんと」と〈うそ〉が混淆し、過去・現在・未来が交錯したその旅は、まさしく往って還ってくる、往還としてのアート・ツーリズムだった。
 ……ああ、そういえば、小野の蕎麦屋では、永遠に続くと思われた無時間的な時間が過ぎた後、店主が緩慢な動きでようやく食膳を運んできてくれた。何の変哲もないがそれなりに旨そうな天麩羅蕎麦やかけうどんから立ち昇る湯気が、まるで玉手箱の煙みたく濛々と立ち籠める。私たちは一気に麺を啜り上げ、汁を飲み干して、我に返ったように時計を見上げると、何のことはない、ただ二時間ばかりが経過していただけだった。これでようやく現在の東京に帰れる…。
 店を出てのれんを見上げると、そこに記されていた屋号が『暦』であったことは、〈うそ〉のような「ほんと」の話である。

 

■ 中島晴矢プロフィール
現代美術家/ラッパー(Stag Beat) 神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業、美学校修了。 主な個展に「ペネローペの境界」(TAV GALLERY)、「上下・左右・いまここ」(原爆の図 丸木美術館)、「ガチンコ—ニュータウン・プロレス・ヒップホップー」(ナオナカムラ)など

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