ブロディ刺殺事件から30年、そして現在のプロレス
──今回はブロディ選手についての書籍を出されるということですが。
斎藤:タイトルはそのものズバリ『ブルーザー・ブロディ 30年目の帰還』です。ブロディが刺殺されたのが30年前の1988年。たとえば45歳ぐらいの人にとっては、30年前って15歳でしょ?亡くなったのが7月17日だから、夏休み直前に学校で「ブロディ死んだってよ!」って話題になったのが強烈に印象に残ってるんですよね。音楽界でいうとジョン・レノンだったり、カート・コバーンみたいに。だから、この本はプロレスファンひとりひとり、読む人ひとりひとりにとって30年前の自分に会えるような本に出来ればと思ってます。ブロディは、イメージを壊さないまま死んじゃったから、思い出してもあの時のイメージのままで、年取っちゃったブロディのビジュアルって想像しづらいんですよね。テリー・ファンクみたいにボロボロになってまでリングに上がり続ける姿も想像つかないし...。引退していたら二度と表舞台には出てこなかったんじゃないか、とかね。
──...かといってWWFに上がっていた姿も想像できないですしね。
斎藤:WWFに上がっていたらホーガンの引き立て役になっていただろうから、それは良しとしなかったでしょうね。メインには出てただろうけど...。とにかくフォール負けを許さない人でしたからね、ブロディは。日本でも馬場さんとジャンボ鶴田だけ。最後の来日でジャンボ鶴田に初のフォール負けをしたというのは、なんか「最終回をやっちゃった」ように感じちゃうんですよね。80年代のアントニオ猪木とは7回シングルで戦って、一度もフォール負けしなかったんですよ?サイズ的なつり合いもあったんだろうけど、ブロディはジャンボ鶴田を一番評価していたんですよね。ファンクスのスタイルとジャパニーズスタイルの融合で、二人は実は似たようなレスラーだったと言えるんですよね。
──確かに、三沢率いる超世代軍との抗争でのジャンボさんにはブロディっぽさがありましたね。
斎藤:なかなかフォール取られなかったよね。だからこそ、三沢がジャンボさんに初めて勝ったときの事はみんなすごくよく覚えてるんだよね。
──最近のプロレスはどうですか?
斎藤:もちろん観てますよ。WWEも新日本も、会場では全日本も。全日本は宮原健斗もいいし、ゼウスが好きです。ゼウスはハッスルとかボクシングとかK-1とか、あの身体に目をつけたいろんな人たちがいろんな事をさせようとしてきた中で、今やっと伸び伸びとプロレスだけに集中できるようになったんだと思います。秋山率いる全日本の所属になってから見違えるように良い選手になりました。ディラン・ジェイムスも良いですね。これからどんどん伸びていくんじゃないかな。新日本と全日本は、理想をいえばやっぱり両輪ぐらいのバランスになっていけばいいと思います。
(Rooftop2018年7月号)