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斎藤文彦(web Rooftop2018年7月号)

 『昭和プロレス正史』シリーズや『アメリカン・プロレス講座』など日本のみならず世界のプロレス史研究の第一人者・斎藤文彦さんが新著に選んだ題材はブルーザー・ブロディ。
 「でも今の若いプロレスファンはブロディを知らないんです。」
 衝撃的な言葉でした。自分もプロレスファン歴30年以上の小古参ですが、未だにブルーザー・ブロディを超えるインパクトのあるレスラーはいないと思っています。全日本、新日本という2大プロレス団体で文字どおり暴れまわり圧倒的な存在感を残したことに加え、絶頂期のままレスラー仲間に刺殺されるという衝撃的な最期も相まって、色あせないままの超獣のイメージ。デカくて動けてワガママで、カッコよくて強い。まさに不世出と言っていい唯一無二の個性を持ったレスラーでした。プロレス業界が何度目かの絶頂期を迎えつつある今だからこそ知ってほしい"哲学獣"の"プロレス哲学"。
 プロレスラーへのインタビュー取材も多い斎藤さんに、掟破りの逆インタビューを敢行!めったに聞けないご自身のプロレス史をお聞きしました。[INTERVIEW:サイトウワタル(LOFT 9 Shibuya)]

はじまりはBIのI

 
──まず斎藤さんが最初にプロレスに触れたきっかけは?
 
斎藤:3歳のときです。母方のおじいちゃんの家で、金曜夜に近所のおじさんたちも一緒にお茶の間で正座して白黒テレビで観た日本プロレス。馬場さんとか、吉村道明の6人タッグだったかなぁ。相手の外国人選手が思い出せないのが悔しいんだけどね(笑)。ウルトラマン、仮面ライダーに巡り会うよりも先にプロレスに出会っちゃった。当時は今よりもはるかに日本じゅうがテレビを観ていて、金曜ゴールデンタイム、地上波の影響力は凄かったんだよね。放送倫理もあれからかなり変わったと思う。ブッチャーも馬場さんも血だらけでテレビに写ってましたからね。ブッチャーなんかそもそも血を出さないとブッチャーじゃないんだから(笑)。
 
──好きになったレスラーは誰でしたか?
 
斎藤:馬場、猪木のタッグ”BI砲”なんですよ。当時の番付は馬場さんがトップ、猪木は二番手で、でも猪木の方を好きになっちゃうんですよね。試合の7割がたリングの上にいるのは猪木。それで小学5年生のとき、蔵前の二度目の方の猪木対カール・ゴッチを最初に観に行ったんです。”幻のベルト”のほう。それから6年生のときに猪木、坂口対ゴッチ、テーズにも行きました。世界最強タッグ!この『世界最強タッグ』っていうネーミングも、全日本プロレスよりこっちが先に使ってたんですよね。三本勝負、カットプレーも場外乱闘もない特別な試合でしたね。最初に好きになったのは猪木さんでしたけど”猪木信者”ではなかったんですよ。月曜8時は国際プロレス、金曜8時は新日本プロレス、土曜8時は全日本プロレスと、週に3本も地上波ゴールデンタイムにプロレス中継がやってた時代ですから!全部観てました。
 
──当時はそういう言葉もなかったと思いますが、その中では国際プロレスは”インディ感”がありましたか?
 
斎藤:どインディですよ(笑)。メインイベントの外国人選手のシブさ、放送していたテレビ東京の画面の色とかね。カメラワーク、OPのグラフィックのチープさとかもね。独特な魅力はありました。
 
 
斎藤文彦 著
『ブルーザー・ブロディ 30年目の帰還』

ビジネス社/¥1,620

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いまから30年前の7月18日、“あなた”はどこにいて、そのニュースを耳にしたのだろうーー。
超獣!キングコング!インテリジェント・モンスター!
世界に衝撃を与えた刺殺事件から30年!
不世出のレスラーの知られざる人生を語る
[独占インタビュー掲載!]
リング上では超獣ギミックを一貫して演じたが、
本来は家族思いの穏やかな人柄。
独自のレスリング哲学を持ち、
インタビューでは知性を感じさせる発言が多い。
また、緻密な試合運びは
ジャイアント馬場やジャンボ鶴田も称賛していた。