2008年にデビュー・アルバム『少女は二度死ぬ』を発表してから10年を迎えるアーバンギャルドが8枚目のオリジナル・アルバムにして10周年記念アルバムとして発表する『少女フィクション』は、コンセプチュアルな大作志向を突き詰めた前作『昭和九十年』から一転、本来の持ち味である多彩なソングライティング・センスにさらなる磨きをかけ、純度100%の極上ポップ・ソングばかりを精選した軽やかな快作である。初期の少女三部作を想起させるタイトルからも窺えるように、病的にポップで痛いほどガーリーだったあのころのアーバンギャルドを彷彿とさせる面もある。だが10年前とは明らかに違う。死にたい、消えたいと訴えていた少女は暗黒の青春期を微笑みながら回顧する悠然さを手に入れた。レコードみたいに捨てないでと懇願していた少女は自分の正体をただの歌だと言いきる強さを身につけた。アーバンギャルドという10歳の少女は虚構と現実の境界線を自由に行き来する歌となり、虚構のなかにこそ人生の真理があることを伝えるフィクションとして機能し、インスタ映え至上主義の不条理な時代をしなやかに生き続けるのだ。(interview:椎名宗之)
楽曲に身体性が伴ってきた10年
──今年の10周年記念イヤーへ向けて、去年からカウントダウンキャンペーンを着実に重ねて布石を打ってきた感がありますね。
松永天馬(vo):一昨年の段階から中野サンプラザという自分たちがこれまでやったことのない広い会場でワンマンをやろうと話し合いをしていて、そこまでのあいだにこれまでやってきたことを振り返ってみようと思ったんですね。それで去年の5月にリクエストワンマンを東阪でやったんです。ファンの方にライブの定番曲からレアな曲まで聴きたい曲を投票していただいて。その後、11月には東名阪でフラッシュバックワンマンと称して過去7枚のオリジナル・アルバムの収録曲をアルバムごとに再現するというかなりムチャなライブをやりまして。発表当時とは編成もメンバーも違うし、当時の曲をいま聴くとだいぶライブ向きではないものもあったんです。
おおくぼけい(key):普通のロック・バンドだったらむかしの曲をやるのは意外とすぐにできると思うんですよ。
松永:アーバンギャルドはギター、ベース、ドラム、ボーカルが揃った一般的な編成じゃないし、シーケンスを駆使したバンドですからね。
おおくぼ:それに、10年前の打ち込みはそこで成長が止まってるんです(笑)。
松永:シーケンスっていうのはオケですから、当然のごとく上手くなってくれないわけです。だからものによっては音を精査して入れ直したり、いまの演奏に馴染ませる作業に時間を費やしたんですよ。
──デジタルなのかアナログなのかよくわかりませんね(笑)。
松永:そうした作業をやってみて思ったのは、10年前のアーバンギャルドは妄想のなかだけのものというか、部屋に閉じこもった人の頭のなかで鳴らしてる音をそのままCDにしたみたいな感じなんですよね。ひきこもりの子のベッドルームで鳴り響いていた音。だからその音をライブハウスで鳴らそうとすると、PAさんを非常に手こずらせるわけですよ。たとえば都内の某ライブハウスの場合、どんなにお願いしても打ち込みの音を大きくしてくれないんです(笑)。おそらくその卓で出せる音の限界があるんでしょうね。ドラマーがいないときはドラムの打ち込みの音が全然聴こえなくて、次に出てくるハードコアノイズ・バンドに音が負けてしまうことがあったり。それがライブを繰り返すことによってだんだんと身体性を伴ってきた。そういう変化を続けた10年だったんだなと思いましたね。
──オリジナル・アルバムの再現ライブをやることでこれまでの歩みをトレースして、バンドを客観視できたところもありますか。
おおくぼ:僕は途中から入ったので、むかしの曲を改めてブラッシュアップすることによって当時のアーバンギャルドの歩みに自分を重ねられたところがありましたね。
松永:10代のときに観た古典映画を30代になって観ると全然違う印象を覚えることがあるじゃないですか。かつて自分の書いた歌詞にも似たようなことがあるんです。僕が20代のころに書いた「あたしたちの青春はあなたのものです」という「プリント・クラブ」の歌詞もいまの自分が唄うと当時とは印象が変わるし、何年もライブに通い続けてくれるファンの方が聴くと全然違う意味合いを持ってくる。そうやって年を経て曲にいい風合いが出てくるところがありましたね。あと、アーバンギャルドというバンドがリスナーやファンの方、メンバーやスタッフなどいろんな人たちのものになって、アーバンギャルドという一人の少女、一人格として成長したようにも思うんです。
松永:そう、10歳ですよ。多感な少女です。そして10年前といえば、みんなまだmixiをやってたじゃないですか(笑)。
──天馬さんが浜崎さんにボーカルをやってくれないかと連絡したのもmixiでしたよね。瀬々さんはアルバムの再現ライブをやってみていかがでしたか。
瀬々信(g):10年前はこんなにライブをやることをまったく考えずにアルバムをつくっていたので、いざライブをやると演奏面で矛盾が生じることもあったんです。ベースラインが特にそうで、フラッシュバックワンマンで使った打ち込みではベースを僕が生ベで弾いたものに差し替えたり、いろんな細かい修正をしたんですよ。かつてシンセでつくったベースとまったく同じフレーズを生ベで弾いて重ねてみたりして。とても人間が弾けるもんじゃないよ! と思いながら弾いたんですけど(笑)。
松永:あと、アーカイブが残ってるものと残ってないものがあるんです。音もそうなんですけど、当時、浜崎さんが考えていた振り付けでライブ映像が残っていない場合はなんとか思い出してみたり、新たに振り付けを考えるしかなかったんです。ライブで初披露した「バースデーソング」は新たに振り付けをつくって、全員がオケで踊りましたからね(笑)。
ライブありきの曲づくりへと意識が変化
──浜崎さんもフラッシュバックワンマンにはだいぶ骨が折れましたか?
浜崎容子(vo):歌詞や振り付けを覚えるのは別に苦じゃないんですけど、やっぱり10年も経つと同じバンドでも全然違うものですよね。ライブで定番化していないむかしの曲をいまやると、自分たちの曲をコピーしているような感覚になっちゃうっていうか。アーバンギャルドのコピバンをやっているような気持ちになるというのは、自分たちが過去を振り返らずに前へ進んでいるからこそだと思うんですけど。個人的にはいまやると違和感を覚える曲がけっこう多かったですね。
──たとえばどんな曲ですか。
浜崎:それこそ「バースデーソング」は演奏で真面目にやる曲じゃないから振り付けにしたところもあるんです。
──だけどそういうレア曲ほどコアなファンの方は嬉しいものですよね。
松永:そうなんです。筋肉少女帯が「バラード禅問答」をオケで全員が唄うみたいなことですよね(笑)。
浜崎:それはそれで、お祭り的な要素でこれまでの10年を振り返る意味もあって良かったんですけど、定番化はしませんよね。それはつまり、いつからそうなったのかはわからないけど、自分たちがライブバンドになってきたということだと思います。CDという作品のなかで完結させることももちろんバンドとしてやりたかったことではあるんだけど、この10年のあいだでライブありきの考え方に変わっていったんですよ。むかしのライブ向きじゃない曲をいまのライブでやったことで、今回のアルバムに活かせたところがありましたね。
──伺いたいポイントはそこなんです。フラッシュバックワンマンを敢行したことが今回の10周年記念アルバムである『少女フィクション』の制作にどれだけフィードバックしたのかなと思って。
浜崎:作品は作品として、音源ありきで完結する考え方があってもいいと思うんです。その一方でライブならではの良さもありますよね。それら両方を上手いこと混ぜられるようになったんですよ。以前はライブじゃ成り立たない曲もいっぱいあったけど、いまはライブでやったときの良さを出せる曲をたくさんつくれるようになったんです。
松永:たとえばクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」も、ライブ映像を見るとあのオペラ調のガリレオ・パートはライブではオケに変わっちゃうんです。メンバーみなさん霧に包まれて、ステージ上からいなくなって!(笑) だから自分たちもライブでどう再現するのかを考えて曲づくりをするようになったし、あるいはもう潔くライブでは再現しないで別のアプローチを試みるとか、いろいろと考えるようになりましたね。それを踏まえて今回のアルバムの話をすると、前作の『昭和九十年』はテーマ性が重くあって、それをやりきったからこそ今回は逆にテンションの高い、カラフルで若い感じになったんだと思います。
おおくぼ:「トーキョー・キッド」とか、だいぶ若いもんね(笑)。
浜崎:若いんだけど、10年やってきた感じはちゃんと出てますね。荒削りだけどしっかり計算されたものになってるし、やりたいことをやってるように見えるけどバランスはちゃんと取れてる。
──『昭和九十年』は右傾化する現代を反映したコンセプチュアルな大作でしたが、そのすぐ後に出たミニ・アルバムの『昭和九十一年』はポップな楽曲を集約した軽やかな作品でしたよね。作品全体の統一性よりも楽曲ごとの完成度を突き詰めるという。あの振り切り方がいかにもアーバンギャルドらしくて好きなんですが、今回の『少女フィクション』はその『昭和九十一年』の延長線上にある作風ですよね。
浜崎:最初は『あくまで悪魔』の次のシングルをつくろうと思っていたんです。それでいっぱいコンペをやって、何十曲も集まって、そのなかの曲も今回のアルバムに入ってるんですよ。
おおくぼ:そこから合わさったり、精査していったり。
松永:難航したんですよね。昨年の3月くらいから半年ほどデモ会議を続けていたんです。前作から間隔も空いてたし、メンバーそれぞれのやりたいことも違ったので、そこである程度のコンセンサスを得たり、共通のワードを見つけるのに時間がかかってしまって。結果的にすごくアグレッシブな作品になったので良かったですけど。