重要な働きを担った紫ベビードール
──いい話です。今回の実況録音盤ですが、CDもDVDもあえて全曲完全収録にしなかったのは、記録をそのまま出すよりも作品としての完成度や純度を高めたいという意図からですか。
M:その通りです。さすがわかってらっしゃるわね。
──たとえば、支配人のバイオリンとケメさんのスチールギターが醸し出すエキゾチックな人力トリップが堪能できた「風景」は個人的にも収録してほしかったんですけど、10分以上もある大作だからひとつの作品のなかでは冗長になってしまう部分もあるのかなと思って。
M:「風景」は映像や音で振り返ると、あの場限りのもので良かったと思うの。演奏や映像が悪かったわけではないんだけど、単純に長いですしね。あの日の「風景」をすごく良かったと言ってくださる方も多かったし、収録から外すのはいろんな方から指摘される気がしていたんだけど、あえて外すことにしたんです。そもそも今回の実況録音盤はリリースするのを前提としていなかったものだし、後日、まわりのスタッフから「記録したものを具体的にどうしますか? 気は変わりましたか?」と訊かれて「CDだけならいいわ」と答えたの。それも完全収録にするかはまだ決めてなくて、ちゃんとぜんぶチェックしてから決めたかったんですけどね。DVDの話が出たのはその後だったのよ。せっかくカメラマンも9人くらい入れて映像を押さえていたし、おまけとして2、3曲でもいいから映像を入れたほうがいいのではないか? という話をスタッフからされたわけ。
──粘り強いスタッフ、グッジョブですね。
M:そこまで粘られたから、「じゃあ本当に少しだけね」と話したの。「30分くらいのボリュームだったら考える」って。それから監督に編集前の映像を見せてもらったら、思いのほか良い雰囲気に仕上がっていたんです。そこから良いテイクだけを選んでいって、自分ではかなり外したつもりだったんだけど、結果的には15曲も残ったのよね。最初はそんなに入れるつもりはなかったのに。
──DVDだけで78分もありますからね。
M:あの曲は照明が美しいとか、この曲はダンサーさんたちが生き生きとしているとか、あの場面はワタクシがとても美しく映っているから外せないとか(笑)、いろいろとあるわけ。ゲストのおおくぼけい(アーバンギャルド)もせっかくだし残そうとか。そういうふうにしていくうちに外せる曲が少なくなってしまって。
──だけど、支配人が2メートル以上もあるトロッコに乗って客席から現れる冒頭のシーンはやはり映像化されて良かったと純粋に思いますよ。
M:バイトくんが押す人力トロッコ(笑)。それも含めて、監督が撮った映像をおまけ程度に扱うのはなんか違う気がしたので、当日の流れがダイジェストで振り返られるようにしたつもり。
──「愛と教育」だけDVDのみに収録という選曲の妙も楽しめますね。
M:あれは画なしで聴くとけっこうキツいのよ。当日はステージの中音をすごく大きくしていたので各パートの音も聴きづらかったし、拡声器の音の拾い加減も難しかったの。あえてそういう環境に挑んだんですけどね。なので画をつけたほうが聴く方も理解しやすいだろうし、補足として映像が必要な気がして。それでDVDのみの収録にしたんですね。
──「おねだりストレンジ・ラヴ」然り、「あたしのスナイパー」然りですが、映像で見ると紫ベビードールとのコラボレーションの素晴らしさをあらためて実感しますね。
M:彼女たちがいなかったらどうなっていたのかしら? と思うくらい、ダンサーの皆さんが重要な働きを担ってくださったわね。
──紫ベビードールとはそもそもどんなきっかけで知り合ったんですか。
M:直接の面識はなかったんですけれども、もともとお名前は存じあげていたの。もしかしたらキノコホテルを始める前かもしれないけど、ライブハウスの何かのイベントで一方的に見ていたんです。赤坂ブリッツでどなたかゲストをお招きしたいと考えたときにダンサーは必ず入れたいと思って、そこでふと紫ベビードールさんのことが頭に浮かんだわけ。それで彼女たちにオファーできないかしらといろいろ調べてみたら、メンバーのどなたかがワタクシのツイッターをフォローしてくださっていることがわかったのね。「あ! 胞子がいる!」と思って(笑)、それから紫ベビードールさんとワタクシの共通の知り合いの方に間に入ってもらって、オファーをしてみたら「ぜひに」ということで実現したの。
入社年月をまじえた従業員紹介はアドリブ
──「荒野へ」、「月よ常しえに」で客演したおおくぼけいさんのエレガントなピアノ演奏も見どころのひとつで、絶妙なアクセントとして花を添えていますよね。
M:最初、おけいサマには「荒野へ」だけをお願いするつもりだったんだけど、いろんなバンドさんのサポートやゲストで引っ張りだこの彼としては、いつも1曲だけ弾いて引っ込むのが寂しいって言うわけ。それで「それならもう1曲やれば? 『月よ常しえに』でも弾いたらいいじゃない?」なんてすごく軽いやり取りをして公演の直前に決まったの。
──「夜の素粒子」の系譜を継ぐ「月よ常しえに」は、支配人にとってとりわけお気に入りの楽曲という印象が強いのですが。
M:良い歌よね。エンジェル支配人が垣間見れるような(笑)。支配人の真の姿というか、丸裸の支配人を感じていただく曲ね。
──「荒野へ」と「月よ常しえに」はジュリ島さんのアップライトベースが曲の叙情性をさらに引き出していますね。
M:ジュリ推しの胞子たちはあのアップライトベースになりたいでしょうね(笑)。彼女のうっとりとした表情が個人的にお気に入りなの。「あんたいいわね、顔で弾いてるじゃないの」って言ったら、(ジュリエッタ霧島の声真似をして)「なんかすごぉく曲の世界に浸ってしまってぇ、うっとりしてしまいましたぁ…」とか言うわけ(笑)。彼女の恍惚とした表情にも注目していただきたいわ。
──ファンキーなインスト「#84」で支配人が各従業員の入社年月をまじえながらパート紹介していたじゃないですか。あれも10年の歳月を感じさせるハイライトのひとつでしたね。
M:あの入社年月はマニアックな胞子しか知らない情報だったりするのよね。あれは3人の紹介をするときにパッと思いついて、アドリブ的に言ってみたの。
──「2008年12月入社」とか、事前に調べていたわけではなかったのですか?
M:その場の思いつき。それでもちゃんと出てくるものなのよね。言うぞ言うぞと決めていたわけではないし、そういうのを言ってあげたら従業員も喜ぶんじゃないかしらというワタクシのサービス精神ね。まぁ、ケメさんとファビエンヌさんは同期入社なので覚えやすいのもあるのだけれど。
──CDに収録された「朝焼けの逃亡者」なるインストは、今回が初の音源化ということで。
M:あれはまだどこにも収録されていないインストですね。今回の実況録音盤に収録することになってようやくタイトルが決まったんです。それまでは無題で、4人のあいだでも適当に「新インスト」などと呼ばれていて、いつまで新しいんだ!? って感じだったの。これでまた次のインスト曲ができると「ひとつ前のインスト」とか呼ぶ感じで、ワタクシがなかなか曲のタイトルを決めないものだから、結果的に良かったですよ。この実況録音盤に収録したおかげでタイトルが決まりましたから(笑)。
──前から伺いたかったんですけど、先述したインストの「#84」というタイトルにはどんな意味が込められているのですか。
M:展開のために決めた合図のようなものですね。8小節、8小節、4小節、4小節…みたいな合図の決め方をしたの。ファビエンヌさんは特に何小節回したらこう来てああ来て…という段取りをしっかり決めたがる人なので、指標としてきっかけを決めたというだけの話で。それで曲ができてタイトルを考えたときに「#84」でいいやと思って。4人のあいだではただの記号みたいなものなの。それを言ったら「Fの巡回」も似たようなもので、あれはただFのコードで回しているだけだからそういうタイトルにしたわけ。
──なるほど。あと、「恋はモヤモヤ」が晴れてメジャー流通盤に収録されたのも喜ばしいですね。
M:そうね。あれは会場限定でリリースしたCDと、レコード・ストア・デイのために出した7インチのアナログ盤にしか入っていない曲なので。