銀婚式=25周年ということでホーム「新宿LOFT」で12月30日に開催されるDJ・ライブイベント「東京ロンドン化計画」その黎明期から現在に至るアレコレをTUFF SESSION内田コーヘイ、LOFT店長・大塚智昭を交え主催のINAMIに話を聞く、ギュっと凝縮おさらい企画!(Interview:ハルキカナマ)
東京も最高だろう!という意味を込めて
ー25年、長いですよね。そもそもイベントの成り立ちはどんな感じだったんでしょうか?
INAMI:中学から私立に行ったもんで、近くに仲間があまりいなくて。高校生くらいになると都心に出てクラブで遊ぶようになったんですけど、良くないグループと付き合うようになってしまって。そしたらパー券捌けとか、とにかくバイオレンスだしこれはダメだなと。そこを抜けてから文化服装学院やバンタンや美大の友人ができたので、みんなでなんかお洒落なイベントやろうと、初めてやったのは1992年頃、下北沢251だったかな。でも自分の中で当時は下北沢じゃなくて芝浦とか麻布がクラブでしょ! ってのがあったのでその辺を探したら六本木にJクラブっていうハコがあって、そこがスタート。Jリーグとか、なんにでもJがついてたなぁ(笑)
ー時代ですね(笑)。それはマンスリーイベント?
INAMI:そうですね、ロフトで最終回をする2012年までずっと毎月です。その後、表参道にあったUKのセレクトショップ「ストナ・アベニュー」という洋服屋さんに出入りしているときに、クラブ界隈に詳しかった元店長のYさんから紹介されて西麻布Juiceでやるようになりました。
ー音楽的にはどんな感じだったんですか?
INAMI:UKでアシッドジャズが流行ってて「これはかっこいいぞ!」とその辺の音楽を中心に選曲してました。普段聞くのはスラッシュメタルとかだったんですけど。
ー意外ですね。ロンドンとはいうもののMODsなイメージではなかったといことですか? たとえばGANG STAGEやFACING FACTSのような感じというよりは少し亜流だったと。
INAMI:そうですね、もともとのイベントの名前もFuckn’LoudっていうTalkin’Loudからとった名前でしたし(笑)。ただ、ロンドン最高! だけじゃなくて東京も最高だろう!という意味を込めて「東京↔ロンドン化計画」になりました。いろんなシーンを知っていくうちに仲間の影響でスカが好きになって、スカつながりでMOD sの人たちと仲良くなったりしていきました。たまにMODsの人たちがスクーターで遊びに来てくれたりで。かっこよかったなぁ。
ーハコは変えずに?
INAMI:いや、その後いろいろあったりJuiceが閉店してしまったりして、メンバーも自分一人になってしまって、恵比寿MILKでイベントがすでに決まっているのにそんな状況で困ったな、と。ひとまず面白そうな所に行って仲間を探そうと、ラフォーレの地下にフライヤー置き場があって色々見て、なんとなく気になった「BlueBeat」ってイベントに行ったんですよね、金もないのに。キャッシャーで「500円しかないけど遊ばせて」って主催者のスキンヘッドに言ったら「は? 何言ってんの、入れよ!」って入れてくれて、そのうえテキーラガンガン飲ませてくれて。そのスキンヘッドが内田コーヘイ(TUFF SESSION)で。即、出演オファーして。
ーコーヘイさん、スキンズだったんですか!?
内田:みんなそうだったよ(笑)。そのMILKのイベントすごかったね。超満員でさ、地下で相方のガリオ(現、渋谷ROOTS店長)がDJしてたんだけど飲みすぎて、ブースで寝ちゃってさ、お客さんパンパンなのに(笑)。
ーゆるいですね(笑)。
箱・人・イベンターの三位一体
INAMI:実はその前に同じフライヤー置き場で、モッズコート&ハットの男に声かけたりもしてて、それがZAKOで「今度バンド始めたから見に来てよ」ってOne Track Mindのフライヤーもらったりで仲良くなって。その頃ZAKOは「Rudie’s Love Affair」ってネオスカのイベントやってたけど、なんか気づいたら一緒にやるようになってた。
ーやはりスカが中心にあると。
INAMI:いや、スカはもちろん好きなんだけど、ジャンルにこだわるというよりLondon NiteやCLUB SKAなど素晴らしいイベントがすでにあるなかで同じことをやっても生き残れないので、他にないオールジャンルで筋の通ったイベントを目指しました。なんでもかかるんだけど、ロンドン化のカラーがあるような。それは今も強く意識しています。
ーロフトプラスワンでのロンドン化をよく覚えているのですが、どんな経緯でしたか?
INAMI:六本木ブレスや高円寺UFOクラブの次に青山の蜂でやってた時に、プラスワンってとこがあると声をかけられてから一度やってみたら、店側もとても協力的で、自分のテーマとして持っている「箱・人・イベンターの三位一体」が強く体現できるんじゃないかと。本当に横山さん(当時のロフトプラスワン・マネージャー)にはお世話になりました。
ーですが10年近く続けたプラスワンもやめてしまうわけですよね
INAMI:そう、もちろん続けたかったんですが当時風営法が急に厳しくなって歌舞伎町のクラブがオールナイトで営業できなくなってしまって、コマ劇にあったCODEに手入れが入ったりで、新宿を離れざるを得ない状況になっちゃった。そんな時、拾ってくれたのが下北沢Basement Barで当時の店長、小栗ちゃんだった。その後、渋谷のコーヘーの店(渋谷roots)で2年くらいやったかな。