唯一無二の声と個性を持った2人のボーカリスト、中島卓偉とNoGoDの団長。
ジャンルは違えど自分のスタイルを貫いてきた2人が、お互いの印象や音楽に対する気持ちなどをじっくりと語り合いながら、お互いの存在を認め合っているのがとてもよく伝わってきたこの対談。この記事は一部掲載となるが、後日公開される全文記事も是非読んで欲しい。[interview:河西香織(新宿LOFT)]
※この記事の「完全版/前半」はこちら 「完全版/後半」はこちら
2人の出会い
——お2人の出会いはいつ頃ですか?
卓偉:前に対談したのはいつ頃でしたっけ?
団長:もう4〜5年くらい前です。
卓偉:そんなに前になるんですね。
団長:自分が本を出すことになった時に、編集の方に対談コーナーを設けたいっていうお話を頂いて、誰と対談をしたいか訊かれた時に、真っ先に「卓偉さんがいいです」って答えたんです。お会いしたことがなくて、自分がすごく憧れてる人がいいですって。卓偉さんも快くOKして下さって。その時は舞い上がっちゃって、ほとんど卓偉さんの話をしてなくて(笑)。俺が一方的に話して終わるっていう失態をしたので、今回は卓偉さんのお話が聞きたいです。
卓偉:いやいや、何言ってるんですか(笑)。
——対談のオファーの時は、卓偉さんは団長さんのことは知っていたんですか?
卓偉:CDを頂いて、聴かせて頂いてからの対談だったので。今、団長さんが言った通りずっと話されてたので、話を聞いてるだけで楽しかったです(笑)。
一同:(笑)
——お会いして印象はどんな感じだったんですか?
卓偉:団長さんがメイクをされていて、骨太の音楽を鳴らしてて、キーもハイヤーで高い歌を歌われてたんで、ボーカリストとしてすごく立派な人なんだなっていうのが、最初の印象でしたね。
団長:本当に恐れ多いです。
卓偉:自分はあんまり通ってないかもしれないんですけど、メタルとかハード・ロック的なもののエッセンスの中で、団長さんが考えてるコンセプトでやってるNoGoDっていうバンドというのは、今までのポストも何もなかったところからやってるような新しい位置で活動されてるなっていうのは、ジャケットを見ても、ひしひしと伝わってくる感じはありましたね。
団長:それを言ったら卓偉さんも一緒ですよ。90年代後半とか2000年代頭とかに、みんなが骨太のロックンロールをしなくなった時代に1人でポンって出てきた時は、衝撃でしたよ。
卓偉:ロックンロールってその時代やってる人って少なかったですかね?
団長:もっと上の世代はいたんですけど、自分が18歳くらいの時の90年代に、20代とかでやられてた人を俺はあんまり見かけなかったんですよね。ガレージ・ロックとかLOFTに出てるような、いわゆるロックンロールなバンドの人はいっぱいいたんですけど、カリスマ性を一緒に持ってる人は見つけられなかったんですよね。良くも悪くもオールドスクールな人はいたんでしょうけど、表に出て若者の心を掴み取るようなロックンロール・ヒーローっていうのは、俺はあの時代は卓偉さんしか知らなかったんです。
卓偉:ロックンロールっていう言葉を使って頂いて、ありがとうございます。僕も歳を取って、今の若い子がどうこうっていうのは全然ないんですけど、僕の上の世代でも同世代でも下の世代でも、どの世代にも言えるんですけど、僕はロックンロールを感じられる音楽がやっぱり好きなんですよね。だから曲調の中とかにロックンロールがエッセンスとして散りばめられてるってことと、活動とか発言とか、ポスターとかチラシのデザインとかを含めなんですけど、そういうところにスリーコードっぽい感じが匂うかどうかっていうのが、自分の一番曲を書くポイントだったり活動するポイントだったりとかもしたんです。ロックとかロックンロールとか言ってるわりに、あんまりロックンロールを感じられない人も多いじゃないですか。否定的な話じゃなくてね。そこはすごく拘ってるところだったりしたんで、そこを感じてくれたらすごく嬉しいですね。
団長:新譜の『我が子に捧げる PUNK SONG』とか、音源自体はわりと打ち込みっぽいドラムンベースみたいな感じなんですけど、ロックンロールを感じるんですよね。
卓偉:嬉しいね。
団長:フレーズとか、リズムの取り方なのか、自分はロックンロールに詳しくないので上手く言えないんですけど。
卓偉:多分ね、ベースなんですよ。ベースは生で弾いてて、スリーコードのロックンロールだったらこう動くだろうな、みたいなラインっていうのがやっぱりあってですね。そういうところに拘ってやってきたっていう感じですね。
滲む場所
卓偉:90年代の半ばか終わりくらいに、化粧をすれば全部ヴィジュアル系、黒っぽいファッションに身を包めばヴィジュアル系っていう風になった時代があって。お客さんもそういう線引きが分からないというか。まあ元々線引きする必要もないことなのかもしれないですけどね。そういう時代の中でNoGoDさんが貫いてることは音として伝わってきたので、すごく嬉しかったですけどね。
団長:曲げちゃいけないところだったんですよね。エンターテイメントとして生き続けなきゃって。俺が憧れたロック・スターっていうのは、化粧をする、しない、薄くなるどうこうじゃなくて、やっぱり存在として貫いてたじゃないですか。
卓偉:うんうん、そうだよね。
団長:化粧をしなくてもサングラスを掛けてカチッとキメて、卓偉さんみたいに常にシャウトしてる人も多いですし。場所によってころころ変わっちゃうのが、あんまり格好よくないなって思って。
卓偉:分かる分かる。貫くっていうのは、スタイルも一つあるしね。例えば、もう亡くなっちゃいましたけど、デヴィッド・ボウイは時代に合わせてスタイルを変えたんじゃなくて、自分が今こう思うってものをただ提示してあのスタイルになっただけだと思うんですよね。やっぱりジャンルに括れない場所にいたと思うし。日本人ってどうしても区切りたがるじゃないですか。日本のレコード屋はものすごくジャンルが区分けされてるけど、海外に行くと4つくらいしかないんですよね。ロック、レゲエ、クラシック、ブラックくらいしか。あとテクノかな。っていう分かれ方の中で、日本人はすぐ、「これは何? あれはどういうジャンルなの?」ってカテゴライズしたいってところがあるんでしょうけど、よく言ってるんですけど、やっぱり僕は区切る場所の、滲む場所にいるアーティストが一番強いと思ってるんですよ。僕自身の先輩ですごく尊敬している人でZIGGYの森重樹一さんがいて、片やTRICERATOPSの和田唱さんがいて。和田さんと森重さんは、もしかするとイコールではないかもしれないけど、僕が真ん中に立てばイコールになる自信はあるんですよ。どっちにも繋がるっていうね。
団長:確かに。
卓偉:で、僕はメタルは聴いてないかもしれないけれども、NoGoDとはイコールになる部分があると思うんですよね。NoGoDの先にもう一つのメタル・バンドがいても、団長さんがいてくれることによって、イコールになることもあると思うんですよ。ということは、やっぱり滲む場所に立ってる人の重要さっていうのが、ものすごく重要だと思っていて。化粧をしてればヴィジュアル系とか、タトゥーを入れてればハードコアなのかとか、ヘヴィ・ロックをやってるにはこういうギターを持ってなきゃダメとかあったんでしょうけど。そういうのがもっとなくなっていけばいいなって思うし、一番はそれがなくなった理由として、滲む場所にいる人が頑張ったからだっていうのがあると思うんですよね。今も気分によってはすごくキツくアイライナーを引いてライブをやる日もあれば、この前の8月3日のLOFTでのライブみたいにノーメイクでやる時もありますし、気持ちが音楽とリンクしてれば全然いいなって思いますね。
団長:滲む場所っていうのが、すごくしっくりきましたね。
卓偉:NoGoDは滲む場所に立ってると思うよ。
団長:そうだと思います。お客さんからすると、分かりづらいっていう風にとられるのかもしれないんですけど、1回飛び込んだら分かってくれるんですよね。うちの場合は見た目上、卓偉さんよりも遥かに誤解を受け易いというか(笑)。
卓偉:写真だけだとそうかもしれないけど、音楽はそうじゃないよ。
団長:これだけ写真から先に行き易い時代にみんなが行かないっていうことは、よっぽど写真が…。もっとPhotoshopをかけるべきだったかなって(笑)。
一同:(笑)
9月22日公演に向けて
——セッションも行なって頂けることになり、楽しみが倍増しました! 初の共演となる9月22日の2マンに向けて、意気込みをお願いします!
卓偉:ようやく一緒にできることになって、セッションも是非やりましょう!
団長:はい! 是非是非!! もうとにかく、俺が一番楽しみです! なので終始浮かれてる俺を、是非観に来てください(笑)。
一同:(笑)
卓偉:嬉しいな、本当に。笑顔の絶えない、いいイベントにしたいなって思います。
※この記事の「完全版/前半」はこちら 「完全版/後半」はこちら