トップ > インタビュー > 黃亞歷監督(『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』)インタビュー(Rooftop2017年8月)

黃亞歷監督(『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』)インタビュー(Rooftop2017年8月)

 近年、台湾では『KANO 1931海の向こうの甲子園』『湾生回家』など、日本統治時代に関連する映画が多く作られている。今回紹介する黃亞歷(ホアン・ヤーリー)監督の『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』もそうした映画の一つだ。
 1933年、台湾の地方都市・台南で、シュルレアリスムを掲げた文学の同人サークル「風車詩社」が設立された。日本による植民地支配下の台湾で、母語ではない日本語で詩作することへの葛藤を抱きつつ、新しい文学を生み出そうとしたこの風車詩社とは一体どのような存在だったのか。
 ダダイスム、表現主義、シュルレアリスムなど、20世紀初頭に文学、アート、建築、思想の多分野で同時多発的に起こった芸術運動であるモダニズムは、第一次大戦の荒廃と虚無の中で従来の価値や常識を疑い、これを否定し破壊するところから、人間の理性や存在意義そのものを新たに問い直すものであった。その巨大な波はヨーロッパ、アメリカを中心に、日本をはじめとするアジアの各地まで影響を及ぼしたが、当時、日本の統治下にあった台湾の地にも届いていた。

僕は静かな物を見るため眼をとぢる...
夢の中に生れて来る奇蹟
回転する桃色の甘美......
春はうろたへた頭脳を夢のやうに──
砕けた記憶になきついている
    楊熾昌「日曜日的な散歩者」

 風車詩社のメンバーは、楊熾昌、李張瑞、林永修、張良典の4名に台湾在住の日本人3名を加えた7人の若き文学者達だった。張良典以外の3人は日本留学を経験している。彼らは昭和モダン花開く東京で、銀座のカフェに入り浸り、龍胆寺雄や西脇順三郎をはじめとする日本文学者たちとの交流する中で、マルセル・プルースト、ジャン・コクトーなどの西洋モダニズム文学に触れていった。
 風車詩社の詩人達は、地元新聞の学芸欄やガリ版刷の同人誌『LE MOULIN(風車)』を主戦場にして、精力的に詩や小説、随筆を執筆した。しかし、彼らの詩的実験は、プロレタリア文学やリアリズム中心の台湾文学の中ではあまりも異質な存在だった。『風車』はわずか4号で廃刊し、設立から2年で風車詩社はあえなく解散してしまう。1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発し、やがて第二次大戦に突入。軍国主義が台頭する時代に彼らが活動する場はどこにもなくなった。
 日本の敗戦を経て、台湾は中国国民党による独裁時代へと移っていくが、1947年の二二八事件で楊熾昌と張良典が無実の罪で入獄させられ、1952年には白色テロによって李張瑞は銃殺されてしまう。日本語そのものが禁止されていた戦後の台湾では、風車詩社は人々から長らく忘れられた存在となっていた。

 そして時代は下って、2012年。黃監督はある映画の資料を探す過程で、林永修の文章を偶然見つけ、風車詩社の存在を知ることになる。彼らの作品に衝撃を受けた黃は、元メンバーの家族、研究者など関係者への取材と綿密な資料調査を開始し、約3年かけて本作品を完成した。黃監督の初長編となる本作は、2015年に上映されると台湾で熱狂的に受け入れられ、台湾のアカデミー賞と言われる金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞を受賞する。文学的にも社会的にも大きな意義のある本作の日本公開を控えた黃監督に、映画の背景について聞いてみた。(TEXT:加藤梅造)

日本と台湾の文学交流

Nichiyobi_01.jpg
 『日曜日の散歩者』はシュルレアリスムをはじめ、当時のモダニズム全体を俯瞰する作品となっている。なぜ監督は戦前の前衛芸術を現代の映画にしようと思ったのだろう?
 
「もともとシュルレアリスムの持つ前衛性が私自身も好きなんですが、今回は興味の範囲を拡大して、西洋から入ってきた文化・芸術が現代の社会の中でどのように影響しているのかを探究してみたかった。シュルレアリスムとアジアとの関係は今まであまり知られていませんでしたが、その距離感に興味を持ったんです。例えば、心と心のある種の伝達は言葉を越えるものだと思いますが、異文化に暮らす私達に西洋のシュルレアリスムが伝わってきた時に、我々はそれをどういうふうに感じ取り、理解し、受け入れるのか? 映画を撮っている間、私は常にそれを自分自身に問いかけていました」
 
 当時、日本を経由したシュルレアリスムは台湾でどのように受け入れられたのか。
 
「台湾は日本の統治下でしたから、対外的には彼らも日本人として活動していました。日本の文化人は特にフランスの文化に憧れ、ある者は留学して学んだものを持ち帰り、それを日本語に翻訳して紹介した。日本にやってきた台湾人はそうした本や雑誌を通してヨーロッパの文化を知ったと思います。楊熾昌は1930年から31年迄の2年間日本に留学したんですが、台湾に帰ってからもずっと日本の雑誌などに触れ、また自らも新聞や雑誌に投稿して創作活動を続けていたんです。日本と同様、台湾にもこうした文学の同人サークルがあり、お互いが同人誌に投稿したりそれを読んだりすることで、他の人が何を考え、何を表現しているのかを知る。こういった交流を通して台湾の詩人達も新しい文化を作っていたんです」
 
 李張瑞は「僕達が文学してゆく上に最初にぶつかる難関は何か、と云へば、文字を持たぬ、伝統の文字を持たぬ民族の悲哀である」と書いている。被支配者である自分たちが、支配者の言語である日本語で創作しなければならなかった苦悩の一方で、プラスになる側面もあったのだろうか。
 
「風車詩社の4人は台湾の中ではエリートと呼ばれる豊かな暮らしをしていた人達で、子供の時から日本語を話していました。日常会話はもちろん、文学的な日本語レベルも高かったので、彼らが創作活動で日本語を用いることはごく自然なことだったと思います。しかし、一方でプロレタリア文学と言われる左翼的な文学作品では中国語も使われていました。これは断定はできませんが、風車詩社の人達が文学表現として日本語を使うことは、日本の詩人や文化人、あるいは文壇と対等に渡り合うための一番合理的な手段だったのではないか。もっと重要なのは、彼らが生きてきた1930年代の台湾の社会状況がいかに複雑だったのかということです」
Nichiyobi_04.jpg

あらゆる可能性が存在していた

 映画は、風車詩社の詩はもちろん、当時の新聞やニュースフィルム、写真や絵画などがコラージュのようにつなぎ合わされていて、映画自体がシュルレアリスムの手法で作られた一つの作品となっている。
 
「最初に風車詩社の作品を読んだ時、彼らが日本だけでなく、世界と結びついていたということに気づきました。つまりこれは世界同時的な現象だった。現代では文学も映画も音楽も細かくジャンル分けされていますが、もっとずっと前の人類は、美術や芸術を分類されたものではなく、人間が心の底から表現したいものとして捉えていた。もともと枠があったわけではなく、後から分類がされたのです。だから私は、この映画で世界を分類される前の状態に戻してみようと試みました。1930年代、日本人、台湾人、そして西洋の芸術家達はあらゆる表現手法を試みており、そこにはあらゆる可能性が存在していた。私はこの可能性こそがこの映画の核心だと思っています。映画を観た人から様々な感想を言われました。ある人は人間と人間の心の交流を感じたと言い、またある人は、人間の知や感性や理性の衝突だと感じたそうです。つまり映画は観る人の感じるままでよく、それがどのように一枚の絵になっていくのかは、人それぞれなんです。これをシュルレアリスムの映画とみてもいいし、モダニズムの映画、あるいは政治の映画とみてもいい。様々な見方ができるというのが芸術の原始的な形だと思うからです」
 
 この映画の一つの特長は、登場人物の顔がほとんど映らないところだ。それは、まるでシュルレアリスムを代表する画家ジョルジョ・デ・キリコの絵画の中に迷い込んだかのようだ。
 
「なぜ顔を撮らないのかとよく訊かれます。通常、映画を見る時に観客は登場人物の表情を見ることで物語を理解しようとします。ただ、もしその顔をあえて映さないとしたら、観客は何を見るのだろうか? 顔を見るという従来の慣習を破ることで、観客になぜこういう映像になっているのかを考えて欲しかった。もちろん私の手法そのものを否定する人もいるでしょうし、それも含めて、私自身と映画と観客の対話だと思っています。私がいつも思うのは、歴史に完全なものはないということです。だからドキュメンタリー映画というのは、完全な世界を見せるのではなく、作品を通して観客と一緒に考えていくことが大切なんだと思います」
 
 世界が戦争状態に入っていく中で、プロレタリア文学だけでなく風車詩社のようなモダニズム文学も次第に活動を制限され、戦後の国民党独裁時代も文学者の受難は続いた。彼らはそうした社会状況にどう向き合ったのか?
 
「日本が戦争の時代になっていくと、台湾でも軍国主義が台頭していきます。そうした社会状況に対して彼らは自分のスタンスをどこに置き、何を表明したのか? それについていろいろな資料を調べたのですが、明確にそれがわかるようなものは見つかりませんでした。もちろんこの映画にとって戦争と文学、戦争と芸術は大きなテーマです。だから今後、映画を観た観客とそのことについて対話をすることが非常に重要だと考えています」
 
 風車詩社の作品は、現実からの逃避だという批判もされたが、今振りかえってみると、軍国主義の時代に多くの文学者が弾圧され、また転向していく中で、彼らが取り組んだシュルレアリスムという手法は、精神の自由を守るための非常に有効な手段だったと言えるだろう。
 いま世界が再び戦争と独裁の影に脅かされている中、一度は砕け散った風車詩社の記憶が呼び起こされたのが単なる偶然ではないことを、この映画は静かに伝えているのかもしれない。
Nichiyobi_02.jpg
Huang Ya-li Prof picture.jpg
黃亞歷(ホアン・ヤーリー)監

Live info.

日曜日の散歩者
わすれられた台湾詩人たち
8月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
 
Nichiyobi_FLYER.jpg
監督:黃亞歷(ホアン・ヤーリー)
エグゼクティブプロデューサー:閻鴻亞(イェン・ホンヤー)
プロデューサー:黃亞歷(ホアン・ヤーリー)、張紋佩(チャン・ウェンペイ)、張明浩(チャン・ミンハオ)
撮影:黃亞歷(ホアン・ヤーリー)、蔡維隆(ツァイ・ウェイロン)
出演:梁俊文(リァン・チュンウェン)、李銘偉(リー・ミンウェイ)、沈君石(イアン・シェン)、沈華良(イーブン・シェン)、何裕天(デヴン・ホー)
 
原題:『日曜日式散歩者』
制作:本木工作室 、目宿媒體
配給:ダゲレオ出版
配給協力/宣伝:太秦
監修/大東和重
協賛/株式会社遊茶
後援:台北駐日経済文化代表処 、台湾新聞社、慶應義塾大学アート・センター
 
©2015 Roots Fims Fisfisa Media All Rights Reserved.
2015|台湾|カラー|DCP|5.1ch|162分