桑田佳祐との運命的な出会いとサザン結成
平野:そもそもサザンは桑田(佳祐)さんが作ったバンドなの?
大森:それまでにピストン桑田とシリンダーズとか青学ドミノスとか温泉あんまももひきバンドとか前身バンドはあったけど、プロを目指すという明確な目標を掲げて、桑田を誘って今のサザンを組んだのは僕です。青学の「Better Days」という軽音サークルで僕は桑田と知り合ったんですよ。ある日、校庭を歩いていたら「ジョニー・B.グッド」が聴こえてきて、その音が鳴っている教室へ行ってみたの。当時の僕はロッド・スチュワートみたいな髪型でグラム・ロックみたいな派手な格好をしていたから、教室の窓を覗き込むと彼らの演奏が止まるわけ(笑)。演奏していたのは桑田たちで、何度かのアイコンタクトの後に見学させてもらうことになったのね。
平野:それが桑田さんとの初めての出会いなんだ。
大森:うん。すごい小さなアンプにギターを3本くらい突き刺して演奏してグチャグチャなんだけど、気がついたら僕もケースからギターを出してそのアンプに差し込んでたんだよね。そういうセッションって、普通は2コーラスずつ弾いて次の人に回すものなんだけど、桑田は延々自分一人で弾き続けるんだよ。白目むいて悦に入ってさ(笑)。ヘンなヤツだなぁと思ったね。その後にコンパで呑む機会があって、宮益坂を歩いてる時に桑田にちゃんと挨拶したのを覚えてる。今までに会ったことのない面白いヤツだなと思って、こいつと一緒にバンドをやろうと決めたんです。で、目黒公民館とかを借りてやるサークルの発表会が年に2回くらいあるんだけど、いつも離合集散なんですよ。
平野:毎回メンバーが違うんだ。
大森:一つのバンドをやり続ける人が誰もいないわけ。それじゃプロにはなれないと思って、「ちゃんとしたバンドをやろうよ」って桑田に声をかけたの。
平野:それがサザンオールスターズだった。
大森:そう。僕はずっとレコード・デビューを目指していたので、プロの登竜門だったヤマハ主催の『EastWest '77』にも自分で申し込んで出ることになってね。プロを目指すにあたってはメンバーの親にも会って、理解と協力を求めたんです。
平野:桑田さんの実家にも行ったの?
大森:行きました。ただ当時はいいドラムがいなかったので、僕が中学の頃から一緒にバンドをやっていた松田弘に入ってもらったんです。彼はすごく上手くてね。僕と同じ宮崎一の進学校に入ったんだけどドロップアウトして、地元のディスコやキャバレーで腕を上げていたんです。毛ガニはさっきも話した通り下北ロフトで知り合ったし、キーボードは今ヨーロッパに旅行へ行ってる原(由子)さんっていうのがいる、ベースは関口(和之)っていうのがいる…という感じでサザンのメンバーが固まっていったんですよ。
平野:なるほどね。サザンオールスターズってバンド名は誰がつけたの?
大森:それは宮治淳一っていう桑田の友達が風呂に入ってる時に適当に思いついたの。僕が桑田と知り合う前から桑田佳祐&サザンオールスターズっていう名前はあったんだけど、僕が弘と毛ガニを連れてきてプロを目指すバンドの集合体として頑張ろうよってことになった頃にサザンオールスターズに落ち着いたわけ。
平野:サザンのメンバーはよく下北ロフトに出入りしてたけど、俺は桑田さんと話をした記憶がほとんどないんだよ。彼がコーヒーを配るとか手伝いをしてたのは覚えてるんだけど。
大森:桑田はシャイだからね。『EastWest '77』の最終ブロック大会が渋谷のエキピュラスであったんだけど、彼は酒を呑まないと人前で喋れなかったから僕がMCをやったんだから。
平野::分かる気がする。
とにかく客が入らなかったアマチュア時代のサザン
平野:サザンはデビューするや破竹の勢いで売れていくわけでしょう。テレビの常連にもなってさ。当時はあの快進撃をどう受け止めていたの?
大森:何が起こっているのか自分たちでも訳が分からなかった。ただそれも6人だったから乗り切ることができたんだと思う。誰がピンでも潰れていただろうね。純粋にバンドやロックが好きで始めたことなのに、歌番組の楽屋の隣りに森進一さんや和田アキ子さんがいるんだから。普段着のままステージに立ってるのは僕らくらいだったし、完全に別世界でしたよ。
平野:サザンがあれだけブレイクしたのは桑田さんの圧倒的なパフォーマンスと歌唱力が大きいよね?
大森:もちろん。唯一無比のメロディ・センスと作詞のユニークさ、早口で巻き舌の歌唱法といった桑田しか持ち得ない才能をメンバーが支える形になっていったよね。世に出るべくして出た才能だし、ラブソングからメッセージソングまでものすごく引き出しが多いんです。僕が一緒にレコーディングしたのは200曲くらいだけど、あれだけバラエティに富んだ楽曲を生み出せるミュージシャンは他にいませんよ。
平野:桑田さんの才能を引き出したのは大里さんのマネジメント力も大きい?
大森:才能は最初からあったし、その才能を大里さんがバックアップしてくれたんです。僕が初めて桑田に会った時に感じたものと、大里さんがデモテープを聴いて感じたものはきっと同じだったんじゃないかな。
平野:俺はね、あれだけ身近にいたサザンの才能を見抜けなかったのが悔しいんだよ(笑)。当時のサザンはとにかく客が入らなかったし、格好は薄汚いし(笑)、正直言って俺は全然買ってなかったわけ。それがあれだけ絶大な支持を得たわけでしょう。ター坊は桑田さんの才能がこれだけ開花すると思ってた?
大森:思ってた。ただ、ロフトに出てた頃のサザンは良くも悪くも学生バンドの延長で、楽屋オチと言うか宴会ネタが多かったんですよ。演奏ばかりやってもつまらないからって桑田がものまねをやるんだけど、それがまた上手いわけ。王貞治とか長嶋茂雄、アントニオ猪木や田中角栄の形態模写をやると客にすごくウケてね。そういう桑田の芸とロックをやることが僕らには何の違和感もなかったんです。多分そういう世代なんでしょうね。ティン・パン・アレーの世代の人は絶対にものまねなんてやらないでしょ?(笑)
平野:しつこいようだけど、ロフト時代のサザンはなんであんなに客が入らなかったんだろうね?
大森:まだレコードを出してないアマチュア・バンドでしたからね。そりゃしょうがないですよ、当時はカシオペアだって客が入らなかったんだから(笑)。
平野:一度ター坊に怒ったことがあったよな。サザンが渋谷屋根裏の昼の部に出たことがあって、おいおいちょっと待てよと。
大森:ああ、屋根裏にも出たことあったね。客が3人だった。ロフトのほうが入ったよ(笑)。
平野:よりによってロフトに出てるバンドが屋根裏の昼に出るなんてウチの面子が丸潰れだと思ってさ、屋根裏の夜はいいけど昼だけは出ないでくれって怒ったんだよ。それも土日じゃなくて平日の昼間なんだから(笑)。
大森:だから本来はそういう平日の昼間にしか出られないバンドだったんですよ。それがありがたいことにロフトに出させてもらっていたわけです。