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大森隆志×平野 悠 ー『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談(Rooftop2017年6月号)

  元サザンオールスターズの大森隆志、実はもともと下北沢ロフトの店員だったということをご存知だろうか。なんと新宿ロフト立ち上げの時にはセメントを運んだりと、内装の手伝いまでしていたという。当時、店員だった大森にとってはイケイケで怖い存在だったロフトグループ創始者・平野悠との初対談は、サザン結成当時のエピソードから、現在のバンドThe Rambling Brothersワンマンまで、自身の音楽人生を辿るものになった。年齢こそ違えど苦楽をともにした男の友情に胸を熱くせよ![文:成宮アイコ/構成:椎名宗之]

コネを作りたくて始めた下北沢ロフトのアルバイト

平野:ター坊とは2年くらい前にフェイスブックでつながったんだよな。

大森:うん。悠さんの70歳を過ぎた純愛物語、楽しく読ませてもらってましたよ(笑)。

平野:今や国民的バンドになったサザンオールスターズはロフトとは遠い存在になってしまったのに、元メンバーのター坊がなんで友達のリクエストをしてくれたのかと思ってさ。

大森:悠さんは昔から売れてるバンドに興味がないもんね(笑)。テレビやメディアにも関心がないし。西荻窪や荻窪のロフトにはテレビに出てない人たちばかり出てたじゃないですか。

平野:無名でテレビには出れないからウチに出てくれたんだよ。ライブハウスは基本的にサブカルチャーだからね。それと相反するメインカルチャーの象徴みたいなサザンの元メンバーが連絡をくれるなんて思ってもみなかった。

大森:10年くらい前、いろんなことがあった時に悠さんが連絡をくれたじゃないですか。「トークライブをやらないか?」って声をかけてくれて。

平野:俺は店も持ってるし、ター坊が何か困っているようならお手伝いをしたかったんだよ。そのトークライブの話は流れちゃったんだけど、せっかくフェイスブックでつながったことだし、ウチの下北沢シェルターでライブをやらないかとター坊にメールしたんだよね。今日はそんなター坊の半生を辿ってみたいんだけど、宮崎から東京へ出てきたのは18歳の時?

大森:そう。青学への入学をきっかけにね。

平野:それは口実で、バンドをやりたくて東京へ出てきたんでしょ?

大森:そうそう。で、音楽業界の人とも知り合えるし、ライブもタダで観れるし、ライブハウスでバイトするのが一番だと思ったの。レコード会社やプロのミュージシャンとのコネも作れるしさ。ちょうど青学の一つ上の先輩が下北沢ロフトで働いていて、当時の店長だった(佐藤)弘を紹介してくれたんだよ。それで1976年から下北ロフトで働きだした。ロフトから歩いて帰れる距離の池ノ上にアパートを借りてさ。当時の悠さんはすごく怖かったよ(笑)。

平野:あの頃の俺は店をいくつも持っていて、イケイケだったからね(笑)。

大森:当時は西荻窪と荻窪と下北沢と3軒のロフトがあって、悠さんが店の見回りをしてたんだよね。荻窪ロフトから「今、悠さんがそっちに向かってますから」って電話が入ると、「おい! 悠さんが来るってよ! ちゃんとゴミを片づけとけよ!」って弘にどやされるんだから(笑)。

平野:俺はそうやってバイトが萎縮するのがイヤで見回りをやめたんだよ。まぁそれはともかく、当時の下北ロフトはミュージシャンや音楽業界の連中が連日集まって、とにかく活気があったよな。

大森:ありましたよ。バイトの時給は200円くらいだったけど(笑)。

平野:そうだ。それでバイトの連中が組合を作って、俺は満額回答したんだよ。バイト代を一気に5、600円まで上げてさ。

大森:ありましたねぇ、赤旗振って賃金交渉(笑)。アルバイトが一致団結してステージの上で賃上げの要求をしたんだよね。そういうのも含めてすごく活気があった。関西からは上田正樹さんや桑名正博さん、北陸からはT-Birdやめんたんぴんといった感じで全国からありとあらゆるバンドが出てたし、東京には大橋純子さんや金子マリさん、鈴木茂さんといった錚々たる面子が揃ってた。Charさんのファースト・アルバムのお披露目ライブも下北ロフトでしたね。

 

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ロフトがなかったら今のサザンもなかった

平野:ロフトにはすぐに溶け込めた?

大森:僕は人懐っこい性格なので早かったですよ。仕事は何でもやったし、芸のないヤツは裸になれっていう掟も守ったし(笑)。

平野:それはすぐに脱ぎだす野毛ハーレム・バンドの影響だな(笑)。で、サザンはター坊のバンドだから月に1回はウチでライブをやることにしたんだよね(1977年10月9日、荻窪ロフトに初出演)。

大森:僕が店長の弘にお願いしてね。開店前の下北ロフトでリハーサルさせてくれって。だから朝だよね。南佳孝さんも同じように朝の下北ロフトでリハーサルをやってましたよ。佳孝さんにコーヒーを出したこともある(笑)。

平野:ター坊はフェイスブックに「ロフトがなかったら今のサザンもなかった」と書いてくれたけど、それは本当なの?

大森:僕はそう思ってます。いつもタダで練習させてもらったし、荻窪や下北のロフトに月一で出させてもらったし。荻窪には毎月出ていたんだけど、いつもお客さんが5、6人でね。それでも店長の弘を始めロフトのスタッフはサザンを応援してくれた。当時のスタッフはみんなロフト愛に満ちていて、深いつながりがあったんだよね。

平野:で、下北ロフトによく出入りしていたビクターの高垣健というディレクターが現れてサザンの運命を変えるわけだ。

大森:ロフトで働いていたおかげで高垣さんと知り合って、レコード会社がビクターに決まってね。その後は高垣さんが事務所探しに奔走してくれて、確かビクターで作ったデモテープをいろんなところへ配ってくれたのかな。

平野:そのデモを聴いたアミューズの大里洋吉さんがいたくサザンを気に入ったんだよな。

大森:うん。大里さんが『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」というコーナーにサザンが出演できるように働きかけをしてくれたんだけど、その中継先がご承知の通り新宿ロフトだったわけですよ(1978年8月31日)。あの番組に出たのがサザンにとって一つのターニング・ポイントになったと僕は思ってるんです。これは聞いた話だけど、最初は新宿ロフトからライブ中継の話を断られたらしいんですよ。反体制のロフトにとってテレビの生中継なんてとんでもないということで。

平野:それは記憶にないな(笑)。

大森:でも、ロフトのバイトだったター坊がテレビに出るならということで悠さんがOKしてくれて、全面的に協力してくれたと後で聞いたんです。悠さんは覚えてないかもしれないけど(笑)。

平野:結果的にその新宿ロフトで披露した「勝手にシンドバッド」がサザンのブレイクするきっかけになったんだよね。

大森:ライブハウスならではの熱気や空気感が功を奏したところが大きかったと思いますよ。ちなみに僕はその新宿ロフトの内装を手伝ったこともあるんです。ブロックやセメントを運んで、潜水艦のオブジェもみんなで作ったりしてね。だからサザンのルーツはロフトにあるんです。それも紐解いていけば下北ロフトなんだよね。毛ガニ(野沢秀行)も下北ロフトで知り合って、僕がサザンに誘ったんだから。下北ロフトというライブハウスがなければ今のサザンはなかったんじゃないかと僕は本気で思ってる。少なくとも僕にとって下北ロフトは青春そのものですね。

 

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Live info.

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loft presents Takashi Omori (ex.Southern All Stars) Back to Shimokitazawa
出演:The Rambling Brothers[Shime(Vo, Gt)、大森隆志(Eg, Vo)、尾崎博志(Pedal steel, Vo)、六川正彦(B, Vo)、上野義雄(Dr, Vo)]
2017年6月28日(水)下北沢SHELTER
開場 19:30/開演 20:00
前売 4,000円/当日 未定(ともにドリンク代別)
※椅子席(全自由席)
※チケットはぴあ(Pコード:329-953)、e+にて発売中
問い合わせ:SHELTER 03-3466-7430