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INTERVIEW

トップインタビュー映画『残されし大地』──奥山和由(配給プロデューサー)×鵜戸玲子(ジル監督夫人)(Rooftop2017年3月号)

2016年3月22日、ブリュッセルのテロに倒れたジル・ローラン監督が残した映像詩。FUKUSHIMAの“人と土地のつながり”

2017.03.01

 ベルギーを拠点に活動するサウンドエンジニアだったジル・ローラン。2013年に彼の妻の母国である日本に来日し、福島について調べている中で、運命的な人物、松村直登と出会う。3.11直後、町に残された動物を保護するために、避難勧告を無視して故郷・富岡町に残ることを決めた松村に対し「根源的な何かで私と彼は繋がっている」と感じたジルは、自身のエコロジーやアニマルライツの思想を表現するためのドキュメンタリー映画を制作することを決めた。松村をはじめとする3組の家族に〝土地と寄り添いながら生きる人達の力強さ〟を感じたジル。しかし、ジル監督は映画の完成の直前に2016年3月22日のブリュッセルのテロに巻き込まれ命を落としてしまった。
 そして、ジル監督の意志を受け継いだ映画関係者とジル夫人・鵜戸玲子の思いが、日本の映画プロデューサー奥山和由の心を動かし、6年目の3.11に運命的な日本上映が決定した。映画の公開に向けて奔走する奥山和由と鵜戸玲子に今の思いを語って頂いた。(INTERVIEW:加藤梅造)

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映画として存在して欲しい映画

 
──今回『残されし大地』を奥山さんが配給することになったきっかけを教えて下さい。
 
奥山:僕はNHKの「おはよう日本」で映像の一部を偶然見たんですが、ぐっとその映像に引き込まれた。あ、この映像は外国の人が撮ってるなと。映画はまだ日本での公開が決まっていないということだったので、これはなんとしても観たいと思って、すぐにNHKはもちろん、ベルギー大使館にも電話をして問い合わせた所、鵜戸さんから連絡をいただき、数日後に映画を見せてもらうことになった。福島の原発を扱った映像は、どうしてもイデオロギー的な所があって、こういうふうに観なければいけないという圧力を感じてしまうんです。それが僕は苦手だったんだけど、この映画に関しては全編すごく心地よく観れたんです。それはジルさんの息づかいがやさしくて、生き物に対しての慈しみがあって、大地に命が営々と育まれるという未来の希望があった。たとえ原発によって人為的にねじ曲げられたものがあったとしても、松村さんの言葉にあるように、一度はこの町は死んでも必ず甦る。富岡町について、除染すれば戻れますよとか、これでもう安全ですなど、政府の言うことは全部嘘なんだけど、それでも命は続いていくと信じている。その明るさがすごくいいなと。これは是非配給したい映画だった。ヒットして欲しいとか、儲かって欲しいとかいう感覚ではなく、存在して欲しかった。映画館で上映して観客が観ることで映画として存在して欲しい。今まで映像に携わってきた人間として、これはやらなきゃいけない作品なんだと本能的に思いました。
 
──あと奥山さんはサウンドエンジニアだったジルさんならではの音のデリケートさに感動されたそうですね。
 
奥山:サウンドエンジニアというのは、どの音を活かして、どの音を消すのかを本能的に選択しているのですが、やっぱり音の立て方が上手いなあと。誰もいなくなった町に床屋さんがあり、風がそよぐ音、ガソリンスタンドの旗がむなしくパタパタとはためく音、誰に向かっているのかわからない町内放送の音、虫の音色、それらの音が独特なんです。静けさを表現するサウンドのセンスがすごくいいなと。
 
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命は遮断されるものではなく、育まれていくものだという希望

 
──声高に主張するのではなく静謐な映像が胸にしみてくる映画と評価していますが、それを人に伝えるのは難しそうですね。
 
奥山:この映画の一番の難しさは、存在が非常にデリケートなので、自然体で存在させることが大事なんだろうと。20年前なら、こういう作品をわざわざ見つけて追いかけてくれる人がいたんだけど、最近の経験から言うと、今はそういうふうに映画を観る人が圧倒的に減ってしまった。大量宣伝と大量消費の映画が当たり前になっている。その画一感からは完全にこぼれ落ちた映画だと思うので、配給していくことの危なさと同時に、逆の面白さもあります。
 
──お客さんにこの映画を見つけて欲しいという気持ちは、今回ジルさんが松村さんを見つけて、映画を撮ろうと思い立った作業に近いんだろうと思いました。
 
鵜戸:そうですね。ジルは、この人を撮りたいという自然な気持ちだったと思います。今思うと彼は自分の中のエコロジー思想とか、自然や動物に対する愛情とかを表現できる人を探していたんじゃないかと思うんです。彼がはっきり言ってたわけではないけど、自分の思いを代弁してくれる被写体を探していたんじゃないかなと。
 
奥山:ジル監督は松村さんの人物像についても入念に調べていたんですが、彼はやっぱりフォトジェニックだったと思うんです。深作欣二を彷彿とするような。深作さんがよく言ってたんですが、彼の原点って戦争中に死体を運んだことなんですね。それでも俺は生きているという腹の据わり方。仁義なき戦いでもそうだけど、絶望を描きながら、そこには妙な明るさがある。それは松村さんも同じで、絶望の中にしぶとい明るさがあって、それが軸になって全体をぼわっと明るく照らしてくれる。それこそ、ジルさんが狙っていたことで、命は遮断されるものではなく、育まれていくものだという希望なんだと。この映画が長いこと世の中に存在していく中で、自力で育っていく映画だと思うんですね。そんな映画は今の時代もうないよって言われそうですが、この映画についてはあるような気がしています。
 
──絶望の中の希望を語る時、ジル監督が巻き込まれたテロについても語らざるを得ないんですが、今後日本でもテロが起こるかもしれないし、どんどん絶望的な状況になっていく中で、人間の強さや明るさをこの映画から感じることができるのかなと。
 
奥山:ジルさんが言ってたのは、テロがあるものとして生きていかなければいけないということで、それはこの映画で言えば、原発がいいか悪いかとか、事故が誰せいかとか、そういう議論とは別に、今現前にあるということを前提に、もっとしぶとい命の連続性を期待したい。テロが悪いと簡単に言うのではなく、テロには必ず原因があるし、それをやらざるを得ない人間がいるということも考えないとテロ自体はなくならないものだと思うし。
 
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自分の選択で人生を選ぶことを尊重し、自分自身もそのように生きてきた

 
──今回はジル監督と松村さんの出会いと同様、奥山さんとの出会いも大きいですね。ジル監督に対する共感が1つのきっかけになっている。
 
鵜戸:会ったこともないのに、私も驚いてます。「映画密度が高い」と評価してくれたんですが、その言葉にはっとしました。絵の撮り方も、音の録り方も、ストーリー性も、映画で表現できることをすべてきちんと丁寧に作っているということを一言で表現している言葉だなと。
 
──ジル監督の企画書に「私は松村さんを英雄とも手本とも思っておらず、自ら選択し立ち位置を決めた一人の人間としてとらえている」とかいてありますが、それは監督自身の生き方でもあった?
 
鵜戸:そうですね。ジルも個人が自分の意見を持ってちゃんと発言することをすごく大事にしていました。日本人はすぐに周りに合わせてしまい、嫌と言えないことが多いですが、彼は嫌なことは嫌と言って欲しいし、その理由をきちんと言ってくれれば尊重するという人でした。彼は一人一人がちゃんと自分の考えを持って、自分の選択で人生を選ぶことを尊重し、自分自身もそのように生きてきた人ですね。だからこそ、松村さんのような人に共感したと思う。松村さんの選択が正しいかどうではなく、松村さんが自分で感じたこと、そこに重きを置いている。
 
──企画書には「彼の怒りは仕組みに向けられている。実態のない曖昧模糊としたシステムに対して怒っていた」ともありました。
 
鵜戸:顔のないものに対する拒否反応はありましたね。システムの中で人間がマニュアル通りに動かないといけないことには本当に嫌がっていました。ただ映画としてそういうことを声高には言ってないし、全体のトーンとしてはやさしいものだけど、彼の意見は松村さんに代弁されている所がかなりあったと思います。
 
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LIVE INFOライブ情報

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残されし大地 La Terre Abandonnée
 
3月11日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー/フォーラム福島、シネマテークたかさきほか全国順次公開
 
監督:ジル・ローラン
プロデューサー:シリル・ビバス
出演:松村直登ほか
原題:『LA TERRE ABANDONNEE』
制作:CVB Brussels
配給プロデューサー:奥山和由 (チームオクヤマ)
(c)CVB / WIP /TAKE FIVE - 2016 - Tous droits reserves
 
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