Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー牧村憲一(音楽プロデューサー)×平野 悠(ロフト創始者)(Rooftop2017年2月号)

老いては益々壮んなるべし!?
古希を超えた日本のフォーク・ロックの功労者たちが語る、自身の経験やノウハウを後世に語り継ぐことの意義とは──

2017.02.01

ピースボートもバイアグラもすべては好奇心!

牧村:なぜトークのライブハウスをやろうと思ったんですか。

平野:単純に人の話を聞いてみたかったからだね。

牧村:たとえば年末に亡くなった、『スター・ウォーズ』シリーズでレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーは、ドラッグ中毒からいかに立ち直ったかを語る講演会が盛況で、そこが大きな収入源になっていたそうなんです。アメリカではそうやって自分の体験や経歴を語ることが興行として成立している。そういうことからトークライブハウスのヒントを得たことはなかったですか。

平野:なかったねぇ。アメリカでもトークライブハウスが成立するはずだとは思ってるんだけど。当時の僕は居場所がなくて、自分の遊び場を作りたかっただけの話なんだよ。たかだか2、30坪の店だし、招くのもARBのキースとか知り合いばかりでさ。毎日僕がステージに上がって話を聞いてた。それがすごく面白かったんだ。1日の売り上げが600円とかの日もあったけど、本丸の新宿ロフトや下北沢シェルターの調子が良かったから赤字でも好きなことをやれた。そういう遊び場を持ってると、いままで面識のなかった人にも声をかけられるようになるんだよ。

牧村:うん、そうですよね。

平野:場があるから言えるわけ。場もないのに、僕がいきなり村上春樹のところを訪ねて「あんたと話がしたいんだよ」なんて言っても、バカじゃないか? で終わりでしょ(笑)。でも場があれば、村上春樹にだってオファーができる。バクシーシ山下の『セックス障害者たち』を読んで面白いと思ったら、直接話を聞いてみたくて山下さんにオファーする。佐川一政にもオファーして、みんなが聞きたくても聞けないことを直接聞ける。「人肉の味はどうでしたか?」って(笑)。すごく面白かったね。最初の半年はぶっ飛んでたな。ケンカやトラブルもたくさんあったけど、そういう店は必ず流行るんだよ。なぜならばお客さんがそれを拡散して伝えてくれるから。「昨日、あの店でこんなことがあってさ…」ってね。

牧村:悠さんが烏山でジャズ喫茶を始めてから50年近くずっと変わらないのは、すべては好奇心ありきってことですね。

平野:そう、好奇心がすべてなんだよ。最初に西荻でライブハウスを始めたのも好奇心。結果のことはほとんど考えてなくて、これを始めたら自分はどうなるんだろう? って興味が湧くわけ。いま身近にある「死」についても同じ。余命3ヶ月と宣告されたとして、自分がそこでどう感じるのか? ってことに関心がある。

牧村:ピースボートの旅もバイアグラの話も好奇心ですよね(笑)。そんな悠さんがいま一番やりたいことは何ですか。

平野:作家になってみたいね。だからせっせとロフトプラスワンの物語やピースボートの航海記、70歳を過ぎた恋の物語を書いたりしてる。こんなに本が売れなくてどうにもならない時代だからこそ、あえて本を書いてみたいんだよ。

牧村:世の中が闇になった時に光となる作品が生まれるものだし、これだけ出版界が不況な時こそ執筆に取り組むのが面白いですよね。

平野:だから牧村さんも僕もどんどん本を出すべきなんだ。いままでやってきたことを書いて伝えていく。これしかないよ。

牧村:何度も言うけど、扉はやっぱり一つしかないんです。かと言って、胸を張って「この扉を開けるぞ!」という自信と輝きに満ちたものでもないし、いろいろと面倒なことも背負わなくちゃいけない。でもね、答えは一つ。やるしかない。それは分かってるんです。

平野:僕は牧村さんと違って、扉はいくつもあると思ってる。ゴールまでいろんな扉を開けていきたいし、それが間違った扉ならさっさと閉じて次の扉を開ければいい。とにかく好奇心の赴くがままに突き進みたいんだよ。

牧村:悠さんと僕は表現の方法が違うけど、次の世代へ語り継いでいくことがお互いに70歳を過ぎても生きてる意味だと思うんです。悠さんも僕も、やむを得ずある世代のリーダーシップの役割を果たしてきたじゃないですか。先生や先達がいなかったから何でも自分で扉を開けるしかなかった。悠さんもライブハウスを始めた先駆者として同じ立場だったはずなんだけど、そういう概念じゃないんですよね。

平野:僕は好奇心がすべてだからね。でも面白いよね、同じ時代を生きてきたのにタイプが全然違ってさ。相変わらず先行きは不透明で混沌とした世の中だけど、年も明けたことだし、お互い腐らずに行こうよ。辛い時はバイアグラでも飲んでさ(笑)。

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■牧村憲一
 1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。加藤和彦、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)がある。

 

■平野 悠
 1944年、東京都世田谷区生まれ。ロフトプロジェクト代表。70年代に烏山、西荻窪、荻窪、下北沢、新宿にライブハウス「ロフト」をオープン。95年に世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープンし、トークライブ文化を定着させた。著書に『ライブハウス「ロフト」青春記』(講談社)がある。

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