いよいよ目前に迫った『SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY ROCK OF AGES 2016 ~Big beat together with spirits, stay alive~』に向けての対談最終回は、バンマスを務める池畑潤二と40年来の朋友、TH eROCKERSとして参加する陣内孝則。九州時代の話や映画「爆裂都市」裏話など、この二人でなければ語れない話が次々に飛び出した。
(インタビュー:今井智子)
ロッカーズはロフトで始まりロフトで終わった
ーロッカーズとルースターズは共に80年メジャーデビューで、足並みがほぼ一緒ですよね。
陣内:ルースターズとは仲よかったよね。一緒にやってたし。
池畑:人間クラブの頃からね。そんなに話はしなかったけど、同じステージだったり。違うところで、同じようなことを。
陣内:北九州と博多って、東京から見ると隣町同士みたいに見えるけど、100km以上離れてるからね。人間クラブ、ルースターズは北九州、僕らから見るとね。博多はモッズがいて俺たちがいて、その下にモダンドールズとかいて。
池畑:北九州は、ちょっとハコっぽかったというか。セミプロみたいな。女性を侍らせてバンドをやりながら(笑)。そういう方々がいたので、俺たちもそこに行っちゃいけないなって。
陣内:博多に「ぱわぁはうす」というライヴハウスがあって。そこがサンハウスとかブロークダウンエンジンとかね。そこはもう一緒だったね、そういうバンドと。
池畑:ただライヴハウスって、ただそういうところに出るだけ。じゃあその先どこに行こうという話がないんですよね。当時はやっぱりコンテストがあって。
ーヤマハのエルモーションですか。ロッカーズはそこで優勝ですよね。
陣内:そうですよ。1回目はモッズが優勝して、俺らは2回目で。
池畑:俺は人間クラブで入賞。
陣内:人間クラブが取るかなと思ったけど、俺に華があったんでしょうね(笑)。
ーやはり!
陣内:そうでも言わないと(笑)。ほんとにヘタくそだったから。よくこんな下手くそなバンドがグランプリとかもらえるなと。
池畑:ロッカーズに破れた人間クラブ(笑)。その時、何か考えなきゃって。2ヶ月後にはルースターズができてる。
陣内:ルースターズは玄人うけする格好よさがありましたよね。僕らはキッチュな魅力というか、インチキ臭さもあったんだけど、ルースターズは足腰しっかりしてたから、これは続くだろうなと思いましたよ。
池畑:ロッカーズは昔から、ロックンロールぽい。俺たちはちょっと違うから。
ーロッカーズは陣内さんの派手なアクション付きのヴォーカル・スタイルがインパクトありましたけど。
陣内:それがいけないんですよ。そっちに気が行っちゃったから。歌を磨こうって気持ちが全くなかったんですよ。歌を磨くぐらいなら、気の利いたMCができるようになりたいとか気の利いた動きがしたいとか(笑)、そればっかり考えてたんで、本気で歌手として自立できるようなことやったら、また違った道だったかもしれないんですけど。変化球ばっかり考えて直球磨くってことしなかったんで(笑)。
ーでも陣内さんが監督した映画「ロッカーズ」を見ると、限られた出演時間で1曲でも多く演奏したいから曲のテンポ上げたとか。
陣内:そうそう。それはほんとにやりましたね。でもまた、映画「ロッカーズ」のあの音は、池畑が叩いてるんですよ(笑)。演奏はR&Rジプシーズだから。あれ?ロッカーズよりあれの方が先か、「バディ・ホリーストーリー」ってミュージカルやった時に、生バンドで出なきゃいけないんでメンバーで太鼓だけは池畑くんでって。
池畑:太鼓叩いてって話だったんですよ。それで行ったらセリフもあって(笑)。
ーバトルロッカーズのメンバーとして出演した「爆裂都市」がお二人の映画初体験ですよね。今振り返るとどうですか?
陣内:ぞっとしますねえ。僕なんか志があって出たわけじゃないじゃないですか。バンドマンとして、そのままでいいって言われたから出たんですけど、いざやってみたら、多少芝居もできないと。いや、自然でいいから、普通にそのままでいいからって。これってプロに対して、一番難しい言い方ですよね。プロが難しいんだから素人ができるわけがない。
池畑:俺とかは普通に、まあ役柄的にも楽だったけど。でもどんどん、何回かやってくうちに、役者みたいになっていく。
ー気持ちが変わるんですか?
池畑:それまで普通のバンドと同じような感じだったのが、そのバンドとちょっと違う、ああ演じてるんだって。自分のやったことに対して納得いかないみたいな、演技的なものを、陣内は。そういうことがだんだん見えてきて。
陣内:え、俺?
池畑:うん、だんだん感じてたよ。
陣内:あったのは、池畑の方じゃないの? 池畑うまいなあと思ったもん、はたから見てて。まあライヴシーンが売りみたいなところがあったから、それはまあ自信があったから。ライヴシーンはカッコいいだろうなと思ってたから、何とかやりきっちゃった。大変だったけどね。
池畑:ロフトでも演奏したよね。
陣内:バトルロッカーズで。映画公開のイベントで。
池畑:けっこうよかったよねえ。
陣内:俺はロフトで24時間TVも出たもんね。日テレの「愛は地球を救う」をロフトに持ってきて、24時間、3バンドで演奏しようって。で、途中で一瞬だけ、欽ちゃんが来た。今思うと何でこんなことやったんだろうと思うけど。今はもうなんか、ブラックな歴史(笑)あまり語りたくない歴史(笑)。
ー24時間マラソンみたいな感じで演奏したんですか?
陣内:そう、2時間ずつ交代で、インターバル4時間で。だから4回ステージやったのかな。もうやる曲なくなって、同じ曲やったり、やれる限りのカヴァーやったり。なんでこんな馬鹿なことやったんだろうなあ。あと当時のレコード会社のプロモーターに頼まれて、芸能人運動会に出た。その時はリレーに谷(信雄:ギター)が3番手で出て、それまでビリだったのを牛蒡抜きしてトシちゃんにバトン渡したんですよ。功労者は谷なんだけど、胴上げはトシちゃん。終わってから、みんなに、池畑はじめモッズから何から、「見たぜ運動会」って、皮肉交じりに言われたの覚えてますよ(笑)。
池畑:仲間意識もあるから、TVとか出てると、「見なきゃ」って。
ーところで、ロフトに出ていた頃の思い出とかありますか。
陣内:ロッカーズは、ロフトで始まって、ロフトで終わった感がありますよね、最初はルイードだったけど。嬉しかったのはトレンディドラマやってた頃ルースターズに飛び入りで参加したら凄い盛り上がった。
池畑:大江がダメなときも出てもらった。
陣内:うん、大江のピンチヒッター何度かやった。学園祭とかね。そのとき受け入れてもらえたって感じた。なんか、ロックから離れたと思われて喜んでもらえないと思ってたから。
池畑:その頃、ソロも出してた?
陣内:ソロもやめてたかな、ドラマ忙しくなって。だから妙に楽しかった記憶がある。
ー10月1日のイベントは、久々に歌う感じですか?
陣内:僕ら意外とやってるんですよ。よく死ぬんですよ、うちのメンバー(笑)。谷が死んだのが92年。3年前に橋本(潤:ベース)。その時に集まったんですね。その時、何となく気持ちよかったんでしょうね。それで、またやろうよって。今回はせっかくアルバムを再発してくれるって言うし。
池畑:当時、「このスピードについてこれるか」ってキャッチフレーズだった。
陣内:ああそうやったねえ。でも、ついていけないんじゃないんだよね。あのスピードじゃないと安心できない。下手な自分らを隠すための偽装工作だったわけですよ。速くすると大体、優劣がつきにくい。たっぷりしたグルーヴだと、うまい下手が如実に表れるけど、アップテンポにすると一緒になっちゃうから(笑)。
池畑:けっこう悩んでる感じがあった。でもいい曲いっぱいあるんですよ。
陣内:今は練習してても昔の勢いでは歌えない曲が。だって異常ですよ、二十歳とかに作った楽曲を、58になって歌うというのはね。だから表現できる曲もあるけど、ちょっと恥ずかしいところも。
池畑:でも、その時期に作ってなかったら歌えないもんね。
陣内:うん、逆に、こんな詞書いてたんだ! って自分でびっくりすることもある。
池畑:こないだ(仲野)茂も同じようなこと言ってたね。同じことは50ではできないかもしれないって。そのときに作っておけば一生歌えるって。
陣内:谷が残した曲で、「色あせた写真」というのがあるんだけど、今歌っても染みる歌なんですよ。よく21歳でこんな歌作ったなって。詞は俺なんだけど、でもなんか、まあ泣ける。
ー最後にこの10月に向けての抱負は。
陣内:ちょっとねえ、体絞ってます。他の理由もあるんだけど、今の自分で間近なのはライヴなんで。10/1にはベストな状態で出たいと思ってます。昔から知ってる仲間が出るんでレベル落としちゃまずいなと思って。池畑がプロデュースするって言うし、ロフトで集まるって言うし。はっきり言って今の自分の立ち位置からすると、こんな効率の悪いお金にならない仕事はないんですけど(笑)、こういう自分の根っこって大事じゃないですか。それを再確認することに意義があるって言うか。それが嬉しいっていうか楽しいって言うか。