下北沢SHELTERにて自主企画「AFTER SCHOOL」を定期的に開催。全国をまわり続け、乾杯を交わし、音楽と人の繋がりを求め活動を続けるKONCOS。そんな彼らのバンド編成初のフルアルバム "Colors & Scale"は、結成から今までに出会った全ての人への感謝や想いが詰まった色とりどりの一枚となっている。
彼らがライブハウスに戻って来るまでの道程、旅する理由、メンバー全員と祝杯を交わしインタビューに答えてもらった。(interview:川本 俊、上里 環 [下北沢SHELTER] )
──KONCOSの結成からSHELTERで企画を開催するまでの流れを簡単に教えていただけますか。
古川:作詞作曲ユニット、というか研究会みたいなものを始めたのが元々のKONCOSです。僕はピアノを弾いて、寛は日本語で歌って歌詞を書くというのに挑戦しつつ、二人でスタジオに籠ってました。その後、日本47都道府県ツアーや、日本100ヶ所ツアーで全国をまわりました。その過程で、やはりライブハウスでのライブの重要性に気付き、日本100ヶ所ツアーの折り返しにSHELTERでのイベントを企画しました。元々バンドをやってたんですけど、二人になってからはあまりライブハウスでやる機会がなくて、久々のSHELTERでの企画は、お客さんが全然入らなくて。バンドになるためには、やはりドラムを入れないとダメだということで、同じ帯広の友達だった清志が東京に出てきていたので、そのツアー中に誘って動かし始めたのが今のKONCOSになる過程ですね。SHELTERでお客さんが全然入らなかったのがきっかけと言っても過言ではない…(笑)。そんなことがあって、僕たちが本拠地にしなければならないのはSHELTERしかないなってその時に思いました。ライブハウスでやるってのは説得力があるから。
──それは以前、お二人が所属していたriddim saunterが終わってからすぐに始まったんですか?
古川:riddimの時からずっと2人で曲を作ってたんだけど、どこか違和感があって。英語で歌うのも良かったんだけど、海外に行った時に歌詞の内容が伝わらなかったり、自分たちが何を歌ってるのか理解していないのがすごい嫌で。その後、震災が起こっていろいろと考えることがあって。二人で作っていた曲も、寛は弾けるけど僕は弾けなかったり。自分の納得できる作曲をするには、鍵盤を弾けないとダメだし、日本語で歌わなきゃダメだなと強く感じました。
──ドラムが入って一番変わった点はどんなところでしょう。
古川:グルーヴが違いますね。やっぱりドラムは必要だった。ダンスミュージックが好きだし、ライブハウスが好きだから「うぉー」って手を挙げたいというか。パーティチューンが好きで、そういう音楽で一番必要なのはドラムだったという。ピアノと二人でやってると、しんみりじゃないけどやっぱり踏み込めない領域があって。バスドラ踏みながら、ベース弾いてピアノ弾いたりしてたんだけど「うぉー」ってなった瞬間に僕が楽器から離れると無音になっちゃうしね(笑)。
──3人になって初めてのアルバムが完成したわけですけど、いかがですか?
古川:満足しています。以前の2作に関しては全部をそぎ落としてやろうって決めて、ジャケットデザインも極力シンプルにしていたんです。今回のアルバムで、ようやくそれを乗り越えられたかなと思います。やっと納得いくものができました。
佐藤:アルバムを作ったっていう感触もあるんですけど、単純にドラムを入れてライブをガンガンやって、曲も作ってというのをずっとやりながら出したアルバムなんで、レコーディングの段階ではもうやることはだいたい決まってましたし、それをパッケージしたという感じなんで。
──ライブ盤に近い感想を持ちました。
古川:ライブでこういう曲が欲しいな、と思って曲を作るから、意識は出ると思う。ライブハウスでお客さんと向き合う時の感じを含めると、曲の作り方が変わってきます。
佐藤:ドラムが入って曲の作り方も演奏も歌い方も変わったし、それに伴って歌詞も強いものになったりして。「パラレルワールド」って曲では「手を挙げろ」とか。そういう歌詞は2人で作ってる時には出てこなかったけど、単純にドラムを入れたライブでこの曲をやるときに「うぉー」ってなるためには「手を挙げろ」って言いたくなるなと思って書いたり。自然とそうなってたね。ライブをするために曲を作っている部分は大きくて。めっちゃイイ曲ができても、ライブで機能しなかったら意味がなくて。すごいイイ曲ですごいライブ映えする曲を作りたい。1人で籠って作った曲を合わせてみても「アレ?」ってなったりするし。ライブやるからには「うぉー」って汗かきたいしね。
──KONCOSは一般のバンドとは一味違うというか、独自の活動が目立ちますよね。あまり他のバンドが行かないような全国の隅々まで行ったり、レコードもカセットも出したり。インスタグラムでもお店紹介したりしてますよね。これはどういう経緯でこういう形になったんですか?
古川:基本的にインスタが好き(笑)。まとめたりするのも好きだし、喫茶店だったり酒だったり。ライブとは別の形で発信してたのが、逆にこっちの方が面白がられたり。リリースの方法に関してはやっぱり僕はレコードが好きで、今回のアルバムで最初に出したのがセカンドロイヤルからの7inchだし。SHELTERで一緒に企画をしたI HATE SMOKE RECORDSにもすごくお世話になったから、そこからカセットが出せたら夢のようだなと思っていて。店舗限定EPに関しては、100か所ツアーでお世話になったお店にありがとうございましたって意味を込めているし。いろんなフォーマットでリリースをしていくのは1つ1つに意味があって、そんな中でアルバムはSSTV内のレーベルAWDR/LR2からのリリースで、しっかり全国に流通して広げてもらうようにお願いしました。
──SHELTERでの自主企画[AFTER SCHOOL]もいろいろ形を変えて4回やってますよね。どういった意図があるのでしょうか。
古川:100ヶ所ツアーでの反省を受けて、その後のツアー中に周りのレーベルやライブハウスの人から積極的に新しいバンドの情報を集めました。その都度、自然と形が変わって来た感じです。他のところでも言ったかも知れないけど夢があって。まず僕らが毎回SHELTERをソールド出来るぐらいに売れる。そしたら様々なバンドを呼べる。ギャラも出るし、誘ったバンドの交通費とか全部出してあげられる。九州からだって四国からだって帯広からだって呼べるわけです。そうなってきたら[AFTER SCHOOL]をやってる意味が出てくると思う。そのために売れたい、というかSHELTERを埋められるようになりたい。[AFTER SCHOOL]は、毎回一つのジャンルというより、いろいろなカルチャーが見えるブッキングになるように意識しています。ヒップホップのアーティストであるOTOGIBANASHI‘Sを呼んだり、ハードコアと言われるtoiletを呼んだり、フライヤーも毎回僕がデザインして。そういうのを毎回丁寧にやっていけば、KONCOSの企画はいつも面白いことが起こるって匂いを出せていけたらいい。
──今もその兆候はあると思いますけどね。
古川:そうやって地方のバンドを東京に呼びたい。俺らが全国旅してきたことの恩返しにもなるし。やっぱりSHELTERはちゃんとギャラが出るからいいよね。
──声を大にして言っていただきたいですね(笑)。
古川:だから来年の目標は[AFTER SCHOOL]を定期的にやって毎回200人ぐらい呼べるバンドになりたい。生々しいライブをバンとやって、みんなで打ち上げる、余計なことをしないイベントを組んでいきたい。目標ですね。
佐藤:いいバンドはもっと共有すべきだと思いますね。僕らは全国まわって、いろいろと見れてるから。
古川:SHELTERって東京でもかなり老舗の敷居が高いライブハウスなわけで、そこに出てるバンドってイイんだよ。その情報を知れるってのは素晴らしいよね。
佐藤:今はネットとかでバンドをいっぱい知ることができるけど、ライブは分からないからね。
古川:勿論、音源が良いってのは素晴らしいんだけど、僕らがやってるのはライブだからね。ライブが良くないとグっと来ないしね。まぁ音源は嘘つけるけどライブは嘘つけないし。音源は嘘ついていいと思うけどね。アー写とかも全部嘘でいいよ(笑)
──清志さんが地方で気になるバンドとかありますか?
紺野:こないだの四国でのカウベルズですかね。あれはドラムユニットになるんですかね。そのカウベルズの川崎君っていう片方のドラムの人は、100か所ツアーの最初の時にソロで出てたんですね。それを見て感動しちゃって。曲もドラムも素晴らしくて。
──歌は入るんですか?
紺野:歌は入らないですね。そこからKONCOSでまたカウベルズと一緒に4か所まわったんですけど、4か所ともすごくて。毎回、感動しましたね。
──新しいアルバムを引っさげてツアーが始まるということで、どんなツアーにしたいかをお聞かせください。
古川:僕らがイベントを作るんじゃなくて、街のバンドの人と街のライブハウスの人とイベントを作り上げていこうと。SHELTERでの[AFTER SCHOOL]でやってることを全国に広めていくツアーにしてるんですよ。各地、地元のバンドやDJがたくさん出てくれていて。だから各都市のリアルなシーンを見ていきたいなと思ってます。そしてさっき言ってたように、SHELTERでの[AFTER SCHOOL]に繋げられればなあと。地方のバンドをSHELTERに呼べるようになる、そのためにツアーで広げていく。これが今、重要なんじゃないかと思ってます。