茶色系ご飯の絶品料理人として、定期的にお料理イベントを開催している女芸人コンビ、ボルサリーノ・関好江が、二冊目となるレシピ本を発売する。「開運パワーフード」と称される数々の愛情のこもった料理は、周りにいる人たちを幸せにしてしまう力があるようだ。そんなパワーフードが食べられるイベントも9月で開催19回目を迎え、会場をロフトプラスワンに移して、ますますの広がりが期待される。あまり自分のアピールをする印象のない関さんの、周りを幸せにするご飯の秘密、ご自身のことなどをたっぷりお聞きした。【interview・構成:鈴木恵(LOFT / PLUS ONE)/高橋啓(Naked Loft)】
きっかけはウインナー
——まず、関さんがお料理を始めたきっかけをお聞きしたいのですが。
関:最初は小学生の時ですね。ウインナーを炒めて出したら、母が塩加減が最高だって異常に褒められた記憶があります。それを機に、チャーハンなんかは作っていたんですけど、ちゃんと料理を作るようになったのは、二十歳頃で一人暮らしを始めてからですね。
——お母さんから料理を教わったりはしてましたか?
関:見て、一緒に作ったりはしてたのですが、基本的に母は適当で、何を聞いても『ええころかげん(名古屋弁でいい加減にするという意味)』って言うんですよ。『ええころかげんに蒸して、ええころかげんに砂糖入れて』って言いながら作って、はい完成! みたいな感じでした(笑)。うちは代々、外食しない家庭だったので、いつも母が料理を作っていました。
——よくイベントでもお話に出てくる、おばあちゃんからは教わったりしたんですか?
関:別居していたんですが、おばあちゃん子だったのでよく遊びに行っていて、そこで葛湯とか教わって作ったりしてました。でもそれも、一緒に作ったというよりは見て覚えたという感じですかね。
——思い出に残っているお料理はありますか?
関:おばあちゃんの片栗粉をお湯と水で作る葛湯と、母が作ってくれたきんぴらですかね。うちの三兄弟は、みんな母のきんぴらが大好きで、いまだにリクエストしてますね。
——毎日、ご家族みんなで食卓を囲んでいた感じでしたか?
関:そうですね。高校時代まで家族一緒に食卓で食べていました。一人でご飯を食べた記憶はないかな。うちは自営業だったので、父は時間がずれたりはするんですけど、ほぼ一緒に食べてましたよ。
——関さんが作る料理のあたたかさの原点はお家の食卓にありそうですね。食に元々興味はあったんですか?
関:それはずっとありました。好きというよりも記憶につながることが多くて。思い出は全部食に繋がっていますね。
——特に印象に残っている思い出はありますか?
関:みかんに思い出があります。青いみかんなんですけど、遠足と運動会の時だけ、母が青いみかんを持たせてくれたという思い出が強くあるので、いまだにスーパーなんかで青いみかんを見かけると、その頃を思い出して切なくなって泣けてくるんですよ(笑)。
居心地のいいお家
——高校卒業後の暮らしぶりはいかがでしたか?
関:20歳の時に名古屋でライブハウスでバイトをしながら一人暮らしを始めたんですけど、そこでみんなご飯食べに来たり遊びに来たりしてて、そこから料理はしっかりするようになったかな。
——芸人さんになったきっかけは、何かあったんですか?
関:もともとお芝居をやっていて、何かをやりたいなという気持ちがあったんです。あとドリフ(大爆笑)なども見ていて、昔からお笑いも好きでした。そんな時に名古屋に吉本ができるっていう広告を見て、じゃあ受けてみようということで芸人になりました。
——上京したのはいつ頃ですか?
関:34歳です。遅いよね、今思うとすごい気が狂ってると思う(笑)。東京の劇場に出るようになって、そこで鬼奴(椿鬼奴)に会いました。歳も近いし、だんだん飲みに行くようになって、そこに初めて黒沢(森三中)が来た時に『関さん家に遊びに行きたい』と、うちに来ることになったんですよ。その日はお茶しただけだったんですけど、黒沢がうちを気に入って頻繁に来るようになったんです。次に来た時くらいから料理を作って食べさせたりしてました。そのあたりから、あの家に遊びに行くと料理を作ってくれるぞという感じでどんどん人が集まるようになりました(笑)。
——それがあの伝説の「浅間山荘」(関さんが前に住んでいた家の愛称。一冊目のレシピ本『よしもと印の元気になるおばんざい』の表紙にもなっている)ですか?
関:そうそう!
——お料理のレシピは関さん独自のものですか?
関:名古屋時代、男の芸人ばっかりでみんな食生活が悪い子ばっかりだったから、なるべく普通のご飯を出してあげようと思って作ったかな。野菜多めの、茶色っぽい渋めのご飯を、食べさせていました(笑)。
——何か参考にしたものはあるんですか?
関:やっぱり実家で食べていたご飯かな。
パワーフード
——イベントでも頻繁にゲスト出演をして頂いている、藤井隆さんにパワーフードの差し入れをされたんですよね。パワーフードという言葉が出始めたのもそのあたりからかと思うのですが。
関:そのあたりですね。親しくさせて頂くようになってから、藤井さんが出演された野田秀樹さんのお芝居を見に行ったんです。その時にお膝を痛めたという話を伺ったので『悪いところの部位を食べるといいですよ』と軟骨のつくねを差し入れ持って行ったら、藤井さんが『こういうお料理のこと、もっとやりましょう』と言ってくれて。そこからパワーフードという名前と活動が始まった感じですね。【音の素】(日本テレビ系で放送の音楽バラエティ番組。2009年4月10日から2011年4月8日まで放送。椿鬼奴、藤井隆が出演。料理コーナーもあった。)にも呼んでもらえるようになりました。
——パワーフードの話に欠かせない、陰陽五行などの勉強もそのあたりから始めたんですか?
関:その頃からかな。でも私は風邪をひいたらネギがいい、などの民間伝承が好きで、それを元にご飯を作ってたんです。陰陽五行を調べてみたら言ってることが一緒だと思ったので、答え合わせ的な感じでしたね。
——実際に関さんのパワーフードを食べた周りの方々が結婚などしたり、幸せになっていますよね。でも作る側は良い運気をあげちゃっているんじゃないかって思ってたりするんですよ。
関:結果としてそういった周りの人に作った料理が一冊の本になったりとか、こちらがあげたものは全部返ってくるという気持ちでいます。
——そんな活動を続けている中で、待望の2冊目のレシピ本が発売されますが、出版のきっかけはあったんですか?
関:一冊目は、ネイキッドロフトで開催したイベントを出版の方が見て声をかけて頂いた感じですが、今回は【人生が変わる1分間の深イイ話】で私が取り上げられたのを見て頂いて、オファーを頂いた形です。
——どんな人に読んで欲しいとかありますか?
関:初めてお料理をする方もそうですし、誰かに料理を作ってあげたいという方もぜひ。いろんな方に読んで欲しいです。
一番のパワーフードは実家のご飯
——次回イベントはもう19回目ですね。
関:お客さんがすごく優しくて温かいですよね。それに甘えてる部分はあるんですけど。初めて開催した時は、仕込む量がわからなくて私もお店も大変でしたよね。家で5〜6人に作る量と、50人に作るのでは全然違いますからね。だいぶお店の方にも慣れて頂いて(笑)。
——回を重ねると、関さんのお料理の特徴が見えてきたりしました。生姜を多く使って体を温めてくれる料理とか多いとか。一つ一つの料理に対して関さんの思いやりが入っていますし。イベントのゲストさんに合わせて料理の献立も変わるのも、そういった想いが伝わります。
関:ゲストの出身地だったりとか、その人が好きなものだったりとかをメニューに取り入れるようにはしていますね。
—今回のイベントに向けては何かありますか?
関:私にしてみたら、ロフトプラスワンなんて大槻ケンヂさんがトークライブをやっていたり、ステージの後ろの絵(リリー・フランキー作)とかを雑誌で見ていたりしていて、そんな憧れの場所で自分のイベントができるなんてすごく嬉しいです。お客さんには実家に遊びに来るような気持ちで来て頂きたいですね。一番のパワーフードは実家のご飯ですから。