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INTERVIEW

トップインタビュー人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言- 澤田正道監督インタビュー

「おれは育てて、鉛筆の先で殺したんだ」
──特攻兵器「桜花」の第一志願兵が語る究極の生と死

2016.08.28

 太平洋戦争末期、敗戦色濃厚な日本軍は戦局を打開する最後の切り札として特攻兵器「桜花」を投入した。自力のエンジンを持たず、パイロットを乗せたまま敵艦に投下される桜花は、世界にも類を見ない人間爆弾であった。
 本作の主人公・林冨士夫は、当時22歳にして桜花の出撃隊員を選ぶよう命じられ、その先には「死」しかない特攻へ隊員を選出し、その名を黒板に書いていった。
 日本で初めての特攻志願兵であり、任務とはいえ、特攻兵を選び送り出すという究極の死と対峙した、ある意味では被害者でもあり、加害者でもある林氏の「遺言」とも言うべき言葉を、映画は一体どのような映像として残したのか。
「今は遠くに見える戦争は、決して遠くではない」と語る澤田監督にお話を伺った。
(TEXT:加藤梅造)

自分が志願したために海軍が特攻に踏み切ったという責任をずっと感じていた

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(林冨士夫氏)
 
──この映画は、もともと別の監督の映画の一部として進んでいたということですが。
 
澤田 最初はもっと若い監督に撮ってもらおうと思って、ベルトラン・ボネロ監督と進めていました。それで一緒に撮影はしたんですが、その後彼の企画が進まず、じゃあ僕の方でなんとか完成させようと。ただテーマが戦争なので簡単にはいかないなと相当悩みました。それである時もう1回ラッシュを観た時に、撮影した時の記憶が甦ってきて「あっ、これだ」と思い編集に取り掛かったんです。
 
──記憶というのは?
 
澤田 まさに僕が林さんと対峙していた時間です。それがまるで昨日のことのように甦ってきて、30時間以上のラッシュが全く苦痛じゃなかった。これを映画として残したいなと。
 
──もともと林さんを撮ろうと思った理由は何だったんですか?
 
澤田 林さんの存在感が凄かったからですね。戦争体験者の話は他の方からも聞いてますが、彼には別の何かがあった。「当時の軍は最悪だった」というのはみんな言うんですが、林さんの場合、それを過去の事として語るのではなく、当時のままを引き摺っているんです。その迫力の中で私たち撮影スタッフは彼の話にじっと耳をそばだてて聞いていた。
 
──その緊張感は画面からも伝わってきました。林さんは毎日死んだ仲間に話しかける、1年365日が慰霊祭だとおっしゃってますが、林さんの中ではまだ戦争が終わっていない印象を受けました。
 
澤田 本当にそんな感じですね。自分が送り出した仲間の亡霊と一緒にいる。その人達を過去に追いやらないために自分は常に語っていかなければならない、だから自分は生き続けなければいけないと。
 
──「俺が生きている限り、仲間も胸の中で生き続ける。語り継ぐ責任がある」と言ってますね。
 
澤田 非常にストイックな人で、自分の罪というのをよくわかっていたんだと思います。林さんは日本で初めての特攻志願兵だった。もちろん林さんが志願しなくても特攻隊は存在したとは思いますが、自分が志願したために海軍が特攻に踏み切ったという責任をずっと感じていたんですね。
 

我々がやらなきゃいけないことは生きて伝えること

 
澤田 林さんは自分の戦争体験について、ずっと書いたり語ったりしているんですが、それが途中で変化したり美化されたりしないんです。例えば、海外で書かれた神風の本や記事を取り寄せて間違いがあるとチェックして送り返していた。確実な事実を伝えようとしていた。自分の上司であり、航空幕僚長で後に政治家になった源田実に対しても特攻の責任を何度も問うたらしいですけど、源田実は最後まで口をつぐんだまま亡くなったそうです。
 
──映画の中でも、昭和天皇に対して特攻の責任を問う発言がありますね。
 
澤田 僕が思うに、天皇に対してある意味で愛情を持っていたと思います。林さんにとって父親と天皇は重なっていたと思うんです。
 
──確かに非難するというよりは、死んだ仲間にひと言謝罪して欲しいという願いに聞こえました。
 
澤田 天皇の話は突然話し出したから驚きました。その時僕は「自殺しようと思わなかったのか」と訊いたんです。林さんの上司の岡村基春(神雷部隊司令)は戦後すぐ自殺したんですが、その死を知った時には「いま死んで何になるんだ。我々がやらなきゃいけないことは生きて伝えることだろう」と言ってました。そういう意味では非常に合理的な人ですね。
 
──林さんは最初の特攻志願兵でもあり、死を決意して兵学校に入ったとも言っていて、いわゆる散華思想=武士道精神を持った人かと思ったんですが、そうとも言い切れないですね。
 
澤田 一緒に撮影したベルトラン監督は林さんの中に三島由紀夫的な武士道を求めていたようですが、僕はあまり感じなかった。武士道というのはどこか美化されたものだと思ってたんじゃないか。だから三島の自決についても彼は全く評価してなかったですね。 
 
──林さんが特攻を美化していないというのは、最初から「こんなばかばかしい作戦やめちまえ」と言った野中五郎(神雷部隊指揮官)の言葉に当時から共感していたことからも伺えます。
 
澤田 今考えてもひどい作戦ですけど、当時関わっていた人も桜花作戦が成功するとは誰も思ってなかった。実際、最初の特攻では母機を含め全滅、野中少佐含め全員戦死、戦果なしという結果でした。
 
──失敗すると分かっている作戦を止めることもできず、兵士を送り出していた林さんは、日々草場の影で泣いていたそうですね。
 
澤田 小学校の校舎を兵舎として使っていたんですが、大きい教室にみんながいて、林さんが出撃するパイロットの名前を黒板に書いていく。そうすると選ばれた人は嬉しそうな顔をしたらしいです。
 
──選ばれた人は喜んでいたと。
 
澤田 その教室にいる人は全員、自分の番、つまり死の順番を待っているということだから、むしろ早く行っちゃったほうがいいと思っていたのかもしれないです。桜花は神風と違って出撃したら死ぬしかないわけですから。
 
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戦争が終わって時間が経つ中で次第に記憶が美化されていく

 
──林さんは軍に対しても自分に対しても非常に客観的に見ていたと思うのですが、そういう人は珍しいですよね。
 
澤田 僕は林さんが特別だったとは思わないです。そういう人はたくさんいたはず。ただ、戦争が終わって時間が経つ中で、当然忘れていくというのもあるだろうし、やはりあの暗い記憶には蓋をしたい。それで次第に記憶が美化されていく。どう考えても特攻そのものはひどい計画なのに、いま日本で作られる特攻映画の多くは、若くして死んだ人間を英霊とし、彼らのおかげで今の私達があるみたいな話になってしまっている。でも特攻というシステムは日本人の中から生まれたわけだから、その罪を考えていかないといけないと思いますよね。日本人の好きな忠義とか殉死といった犠牲精神が特攻にうまく適合してしまった。
 
──林さんは特攻を美化することなく、ずっと自分の罪と向き合って生きていたと思うのですが、例えば桜花を発案した大田正一が戦後、戦犯になるのを怖れて逃げ回り、偽名を使ってひっそりと生きていたのと比べるとえらい違いだなと思います。
 
澤田 ある種の覚悟を持って生きてましたよね。
 
──ナチスドイツのアイヒマンみたいに、任務として淡々とユダヤ人を殺していたような人物なら凡庸な悪として分かりやすいのですが、常に苦悩しながら自分の任務を行っていた林さんの場合、悪とは言えない所がありますよね。確かに加害者の側面もあるのですが。
 
澤田 遺族の立場から言えば、林さんが選ばなかったら自分の息子は死なないで済んだかもしれないと言うことも可能ですが、実際には誰もそんなこと言わないですよね。日本人は絶対そういうことは言わない。いいにしろ悪いにしろ、国が決めたことだからそれに従わなければいけないと思ってしまう。だから余計につらかったんじゃないでしょうか。林さんは戦後60年間、ほぼ毎日同じ夢を見ていたそうです。それが、映画の最後のシーンで語っている、自分が出撃する日の夢。晴れやかに飛行場に通じる崖を登っていくと目の前が真っ白になって夢から覚める、そういう夢を毎日見ていた。戦後もずっと亡霊と一緒にいたんですね。
 

LIVE INFOライブ情報

『人間爆弾「桜花」-特攻を命じた兵士の遺言-』
2016年8月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
 
監督:澤田正道
出演:林冨士夫
取材:澤田正道 ベルトラン・ボネロ
プロデューサー:澤田正道 アンヌ・ペルノー
ラインプロデューサー:天田暦(日本) ローラン・アルジャニ(フランス)
撮影:ジョゼ・デエー チーフ助監督:古堅奎 録音:高田林 編集:渡辺純子 大木宏斗 
音編集:アレクサンドル・エケール ミキシング:マチュー・ラングレ カラコレ:ニコラ・ペレ 
挿入歌:ロベルト・シューマン「二人の擲弾兵」
特別協力:筑波海軍航空隊記念館 岩波書店(小林照幸著『父は、特攻を命じた兵士だった。』)
原題:PAROLE DE KAMIKAZE
配給・宣伝:太秦
【2014年/フランス/76分/DCP/5.1ch】
(C)Comme des Cinemas
 
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