自分がいいと思ったことをやればいいだけ
──それでJAPSの『TOKYO BOOGALOO』に晴れて「東京流れもの」が収録されることになったんですね。
水口:うん。たとえばスプリングスティーンは14歳の頃にエルヴィスの屋敷に忍び込んで追い出されるくらいエルヴィスのことが好きだったわけだろ? だけど、当のエルヴィスは誰かに憧れてもそんな真似はしなかった。だから俺は「昔からクールスを聴いてました」ってヤツにいつも言うんだよ。「エルヴィスがもし生きてたら、ずっと50年代のスタイルでやってねぇぞ」ってね。ずっと転がり続けてるはずだし、もしかしたらいま頃ヒップホップとかやってそうじゃん。じゃないとつまんないよ。もちろん転がり続ける上で自分なりのスタイルは必要だけどね。
──型ばかりなぞっているようでは先鋭性を見失ってしまうということですね。
水口:やっぱりね、そういうヤツは自分の生き方に自信がないんだと思う。人から「変わったね」って言われたり、陰口叩かれるのを嫌がったりさ。そんなの無視して、自分がいいと思ったことをやればいいだけなんだよ。「まだバイクに乗ってるんですか? 俺はもう降りましたけど」とか言うヤツもいるけど、降りる、降りないの問題じゃないんだよね。日本人は農耕民族だから周りの目を気にするし、村八分にされるのを極端に怖がるんだな。俺なんか村八分にされたら逆に元気が出ちゃうからね。村八分にされるくらい周りは俺に興味があるんだな! って思うからさ(笑)。だからノリ的にはアメリカのほうが合ってるのかもしれない。
──実際、7年間ニューヨークへ移住していた時期もありましたしね。
水口:すごく楽しかったね。この国で俺みたいな表現をするのはけっこう大変でさ、今回のアルバムにも入ってる「ROCKの毒」の元の最後の一行は「あの娘をさらって 朝まで犯して…」って歌詞だったわけ。テイチクのディレクターにそれはさすがにマズいって言われそうだったので、「あの娘をさらって 朝までRock'n' Roll」に変えたんだよ。昔に比べてそれくらいのことは対応できるようになったね(笑)。
──「俺は誰にもシッポは振らねぇ/ROCKな生き様 コマーシャルじゃねぇぜ」(「Neverending Rolling Stone」)と唄う歌をメジャー・レーベルから出すのが痛快だと思ったんですけどね。
水口:実はそこが重要なポイントでさ。『NEW YORK CITY, N.Y.』のレコーディングで初めてニューヨークに行ったのが1978年くらいで、俺が初めて東京へ来た時と雰囲気が似ててすごく楽しかったんだよ。居間にいると普通に銃声がパンパン聞こえるし、やべぇ所に来たなと思ったけど楽しかった。危険な場所に身を置いたほうが生きてることを実感できるって言うか、カラカラに渇いた時に飲む水を美味しく感じる性分なんだろうな。それでいつか住んでみたいと思って、その10年後にニューヨークへ移住したわけ。向こうに40数年住んでる友達がいて、そいつがいろんなホーム・パーティーに連れてってくれるんだけど、行く先々で「日本では何をやってたんだ?」って訊かれるんだよ。それで音楽や芝居をやっていたって答えると、「それはコマーシャルか?」ってまた訊かれるんだ。要するに、「それは売名なのか? 売れたいためにやってるのか?」っていう意味なんだよな。それを向こうの友達に通訳してもらって、おい、ふざけんじゃねぇよ! って思ったよ。俺はずっと書きたいことしか書いてこなかったし、「Oh! Yeah」の「右も左も どうせたいしたことないなら」って歌詞だって右翼も左翼も関係ねぇよって意味なんだよ? それ以来、俺はコマーシャルなんかじゃねぇぞ! って意識が強くなって、「Neverending Rolling Stone」でもそんな歌詞が出てきたんだよね。
──コマーシャルに走った音楽をやっている人には絶対に書けない歌詞ですよね。
水口:まぁ、「あの娘をさらって 朝まで犯して…」って歌詞は気を遣って直したけどね(笑)。あと、「SCREAMIN' TO THE NIGHT」の「女を気にして走ってられない ホットロッドレース」って歌詞は、ステージだといつも「マッポを気にして走ってられない」って唄ってるんだよ。それも今回、「マッポ」を「女」に戻したんだ。40年やってきて、ちょっとは気を遣えるようになったんだな(笑)。
ロックは生き様でありメッセージ
──たとえばクールスのように絶大な支持を集めるバンドにいたほうが安定を得られるのに、ピッピさんのキャリアを振り返るとマイナスになりそうなことや危険な道のほうへあえて飛び込んでいくのが一貫していますよね。それは古くからのファンの期待を裏切るような選択肢だったのかもしれませんが、でもだからこそいまもこうして鮮度の高い表現をし続けられていると思うんです。
水口:不器用なのかもしれないけど、クールスの場合は俺が自分でケツまくっちゃったしな。俺の考えるクールス像とあまりにかけ離れてしまったからさ。俺はコマーシャルに走る音楽なんてどうでも良くて、たった17人しか血判を押せない仲間がこの世にいて、その仲間との絆が一番大事なんだよ。まぁ、闘い方の違いもあるよな。俺は常に一対一の格闘だけど、舘はラグビーをやってたから団体競技の発想なんだよ。クールスのメンバーをなぜ多くて20人までにしたのかって言うと、舘が高校の時にラグビーのキャプテンをやっていて、目が届くのが20人くらいが限度だったからなんだよ。でも俺はそういう発想じゃなく、闘う時はいつも一対一。クールスの頃、舘に言われたことがあるんだ。「俺がなんでお前のことを信じられるか分かるか?」って。「分かんない」って答えたら、「お前だけだよ。誓約書に血判を押すのを最後まで悩んでたのは」って。だって、「このチームは団長による完全独裁制である」って最初に書いてあるんだからさ。血判を押した以上、舘がずっと自分のボスになるんだよ。俺は意を決して血判を押したし、ボスの言うことは絶対。その関係は40年以上経ったいまも変わらない。電話で呼ばれたらすぐに行かなきゃいけないしな。ジョー(山中)さんや(安岡)力也の葬式の時も「一緒に行こうよ」って呼び出されたんだから。80になってもこの関係は変わらないだろうね。
──そんな舘さんが今回のアルバムのために寄稿したコメントがまた素晴らしいですよね。お二人の変わらぬ関係性が行間からも窺えて。
水口:まぁ、付き合いが長いからね。舘のことを一番理解してるのもあるだろうしさ。こうしてコメントももらったことだし、一度ライブに誘ったほうがいいね。1曲くらい唄わせようか?(笑) 岩城は俺が原宿でライブをやった時に会場の入口まで来たことがあるんだよ。ライブは見なかったけどね。
──この『GO STRAIGHT』には形骸化したロックとは異なる本来のロック・スピリットが宿っているし、それを若い世代に伝承していくのが理想ですよね。
水口:体を張ってやってきた先人たちと比べて、いまのロックは軽薄でつまんないじゃん? 俺はロカビリー三人男の一人だった山下敬二郎さんの生き方が好きでね。昔、文化放送で番組を持ってた時に山敬さんにゲストで出てもらったことがあるんだけど、逸話がすごくてさ。付き人の人から聞いたんだけど、体に刺し傷が8ヶ所もあるんだよ。そのことを山敬さんに聞いたら傷跡を見せてくれて、こう言うわけ。「お前、考えてもみろよ。この国はアメリカに戦争で負けたんだぞ? だけど俺はロックンロールが好きだし、それを唄ってる最中でも街を歩いてる時でも右翼の連中が俺を刺しに来るんだよ」って。一度でも刺されたらロックンロールを唄うのをやめそうなのに、山敬さんは8回刺されてもやめなかったわけだよ。その生き方に感動したね。さっきも言ったように、生き方が反映された歌に俺は感動するし、そんな歌を唄いたい。8回刺されてもへこたれずにロックンロールを唄い続けてきた山敬さんみたいな人たちが礎を築いた上にいまのロックがあるけど、重みが全然違うよね。いま流行ってるロックが20年後に残るのか? って言えば、甚だ疑問だよな。なぜならそれはファッションだから。そうじゃない、ロックは生き様でありメッセージなんだよ。勝のオヤジも生き方がロックだった。俺は音楽に乗せてロックな生き方を伝えたいし、それをメッセージとして残したい。この国で本気でメッセージを残そうと思ったらコマーシャルには乗れないけど、そんなことはどうだっていいんだ。メディアや企業が求める薄っぺらいコマーシャルを蹴散らすためにも、転がり続けてメッセージを発信していかなきゃダメなんだよ。