活動開始から10周年を迎える節目に発表されるDischarming manの『歓喜のうた』は、20年以上に及ぶ蛯名啓太の音楽キャリアを包括する集大成的作品であると同時に、蛯名自身のパーソナリティがこれまで以上に色濃く反映された私家版のようなアルバムだ。かつて在籍したキウイロール時代のエッセンスや吉村秀樹在籍時の気宇壮大な音像を思わせる楽曲もあるものの、そのどれにも似ていないし、またそれらのハイブリッドでもない。不惑の年が目前となった男の赤裸々な心情と信条が込められた実直な歌がそこには在るだけだ。実直な性分ゆえに、この10年間の彼の足取りはずっとおぼつかないままだったが、でもだからこそ瑞々しく純真な蛯名の歌声は我々の心を射抜く。実直さと純真さの度合いが増せば歌の強度も増すのだ。そのことを『歓喜のうた』という10年に一度の傑作は雄弁に物語っている。(interview:椎名宗之)
今回のアルバムは自分と一番距離が近い気がする
──本作の制作過程では「引退するぐらいの覚悟で作っていた」そうですが、なぜそれほどまでに切迫した心境だったんでしょう?
蛯名:なんかちゃんと唄えなくなっちゃって。ちゅうか、前から別に上手くも何ともないんですけど。歳のせいなのか何なのか、全然唄えなくなっちゃったんですよ。力入んないと言うか、今思うと逆に力入ってた。その影響なのか、心も落ち気味で。そろそろピークが来たかって感じて。でも自分なりに体鍛えたりとか声出しとかすげぇやってて。そんな中で「さぁアルバム」ってなった時に、悔いなくやろうと。そういうモードになってました。実際出来上がると、もう次しか見えてないんですけど。
──結果的に「本当に本当に良いアルバムが出来た」と蛯名さん自身も大きな手応えを得ている本作ですが、これまでのキャリアを踏まえた上で、ご自身ではどのような位置付けですか。
蛯名:はっきり言って、完成度で言ったらキウイロールの『その青写真』とか吉村さんと作った『dis is the oar of me』のほうが上だと思うんすよ。だけど今回のは自分と一番距離が近いような気がしてて。機械で作った暗黒の『Discharming man』よりも(笑)。なぜかは分からないけど、内面がすげぇこぼれちゃってる。開き直ってると言うか、昔も今も未来もいい意味でこだわらないでやれたのは事実です。もちろんメンバーの協力があってこそですけど。
──ブッチャーズのトリビュート・アルバムでカバーした「no future」は、キウイロール時代を含めてそれまでの録音物の中で一番好きだと仰っていましたが、本作はそれを超えましたか。
蛯名:超えたのかなぁ。あの時はいいのが出来て舞い上がってたからなぁ(笑)。今は特に比べる気はないです。どっちもいけてると思います。
──今回、録音に際して一番気に留めたのはどんなところですか。
蛯名:グレードの高いものを作ろうと挑みましたけど、全然ならなかったっす(笑)。むしろ生々しさばかりと言うか、もう無理なんだろうなとも感じました。前のインタビューでも言ったけど、大昔にカウンターアクションの階段でカワナミさん(当時、U.G MAN)に「なりたくてもなれないのが個性だから」って言ってもらえたのが未だに心に残ってて。そんな人生だよなぁとか振り返る時もあります。
──アンサンブルの面で、メンバーに対してどんなことをリクエストしたんですか。
蛯名:エガワさん(Ba)にはなるべくウネウネするように伝えてたかな。のっち(Dr)はすぐもたるんですけど、もう慣れちゃって何も注文してないっすね、気づけば。詰さん(Gu)にはおとなしくなるなとか、玉木くん(Pn、Gu)にはピアノを引き倒して! とか、ギターはうるさくうるさくみたいな(笑)。全部漠然としてるんですけど、割といつもこんな感じです。特にアルバムに入ってる曲はあまり作り込まずみんなに投げて、全体の流れだけ指揮を執りました。あ、「なおさら」だけはけっこう作り込んだかな、一人の時点で。
──これまではレコーディングに対する不安を払拭できなかったとのことですが、本作の制作を通じて、それは打破できましたか。
蛯名:全然負けました(笑)。やっぱレコーディングは難しいです。どうやっていいか未だに全く分からない。そんな中でひたすら一所懸命やりましたよ。これはもう死ぬまで変わらないんじゃないですかねぇ。のっちも相当凹んでましたけど。でも、バンドのみんなは素晴らしい演奏をしてくれたと思います。
──アルバムの前半は波間に小舟がたゆたうようなゆったりとした楽曲が並んでいるせいか、蛯名さんも認めるようにRed House Paintersからの影響を強く感じますね。これは何か意図するところがあったんですか。
蛯名:曲順はなんとなくDinosaur Jr.の『Green Mind』を意識したと言うか、わざと似た曲を続けて持ってきたり、これを周平(perfect life)とは“オルタナ・ルール”って呼んでるんですけど(笑)、確かに前半はそのせいでたたみ掛ける感じはないんですが、その代わりオレらの本質みたいなものがあの辺で沸々と、そして後半へ…っていうふうにしました。Red House Paintersと言うか、マーク・コズレクの影響ですね。Sun Kil Moonとかソロとか。まぁJ・マスシスもそうですけど、コード感とかリズムとか、メロディの乗せ方とか影響ありますね。現動くん(zarame、ex.COWPERS / SPIRAL CHORD)ももちろんそういう中の一人。
曲という自分の子どもがいろんな人に届いている実感
──シャツに汗がまとわりつくような鬱陶しさや倦怠感が全体を覆う「ダウンバイロゥ」は7分を超える長編ですが、いい意味で重厚さがないと思うんです。大作感がないと言うか。それは蛯名さんの瑞々しい歌声に負う部分が大きい気がしますが、ご自身としてはいかがですか。
蛯名:エガワさんも練習中に言ってたのが「今回、大作ないよね」って。確かにそれは無意識に意識してたかも。でも何気に全曲5分ぐらいあって長いですけどね(笑)。40分前後のアルバムが好きなんだけど、やっぱ55分ぐらいになっちゃって。なんでかなぁ…っていっつも思います。
──『歓喜のうた』をアルバム全体のタイトルに選んだのはどんな理由からですか。
蛯名:それしか考えられなかったんですよね。理由か…何だろ…、とりあえず自分が生きてきた中で、今が一番世の中が良くないと思ってて。そんな中で誰に届くか分からないような歌をずっと作っていて。オレまだ子ども育てたことないんですけど、キウイの時からいっぱい曲っていう子どもはいるなって。それがいろんな人に届いている実感は少なからずあって。『サンカクヤマ』(2014年6月21日、新代田Fever)の時もそうですけど、だからこそそれだけでも生まれてきて良かったなって。いっぱい人に迷惑かけて失望させてきたけど、歌を唄い続けられて、それだけで良かったなって。「歓喜のうた」自体はそういう歌で。そのままの勢いでアルバムのタイトルにしました。
──「歓喜のうた」の最初と最後に何か映画のような台詞を入れたのは?
蛯名:あれはちょっと前にメドル(weird-meddle record)の秋庭さんに教えてもらったミヒャエル・ハネケって監督の『愛、アムール』っていう映画から拝借しました。ネタバレになるので詳しくは言いませんけど、個人的に究極な作品だと感じたんで。昔からああやって好きな映画からもらうのはキウイのデモテープ時代からやってるんで。あとBONESCRATCHの影響もあるかな。
──「歓喜のうた」の歌に入る前のギター・フレーズが、ちょっとシュガーベイブの「DOWN TOWN」みたいだなと思ったんですが…。
蛯名:全然違くないですか?(笑) まぁ、達郎は必須ですけど…。無職1年ぐらいやってた時もずっと聴いてたぐらいなんで。
──気のせいでしたか、失礼しました(笑)。
蛯名:どっちかと言うと『日本昔ばなし』っぽいと言うか、沖縄と言うか、兵どもが夢の跡みたいな気持ちで作りました。焼け野原と言うか、浮かんだ風景はそんな感じです。
──なるほど。本作では蛯名さんのボーカリストとしての力量が格段に増したのを感じます。どの曲でも殊更に叫ぶことがないし、抑制しながら過不足なく思いを伝えている。それと、「二つのモノレール」の感情が昂るボーカルや「永遠の果て」の終盤で聴かれるシャウトは、これまで聴くことのなかった声域のように感じるし、唄い手としてますます自由闊達になってきた感がありますね。
蛯名:ホントっすか? むしろちゃんと唄えてなくて恥ずかしいですけどね。でもありのままと言うか、歌を録ってくれた玉木くんともなるべくペタっとしないようにガタガタ感と言うか、生々しさは残す方向で意識したかもしれないっす。まぁ、もともと上手くはないんで。
──緩急のついたアレンジが光る「ボトムズ」というタイトルには、制作中に大きな刺激になったというイースタンユースの『ボトムオブザワールド』へのオマージュがこめられていますか。
蛯名:実はオレのほうが先で。震災の年ぐらいに161倉庫とかで弾き語ってました。もちろん『ボトムオブザワールド』は凄すぎですけど…。でもホント、同じニュアンスで書いた歌詞かもしれない。こんなこと言ったらまた怒られるか(笑)。タイトルは単純に昔のロボット・アニメの名前から取りました。
──本作の中でもとりわけメロディアスな「なおさら」では母親のことを、アコギを基調とした「man」では父親のことをそれぞれテーマにしていますが、こうした主題自体が異例中の異例ですよね。
蛯名:「なおさら」は「母さん〜」と唄ってますが、内容は大きく言うと差別がテーマかな。ヘイトスピーチはもちろん、自分の中にある差別感情も含め。ここ何年かで思ったことをさらっと書きました。「man」は間違いなく父の歌で。なんでこのタイミングでこれなのかは自分でもよく分からないんだけど、曲と一緒に「父さん〜」って降りてきたんで、そのままそういう曲にしました。