Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー平野 悠(ロフト席亭)(Rooftop2015年2月号)

ロフトグループ創始者が新たに仕掛ける「ロフトラジオ」開局とレギュラー・イベント開催の真意とは!?

2015.02.02

 日本のカルチャー・シーンにさまざまな風を巻き起こしてきたロフトグループ創始者、平野 悠。彼が今また、全く新しい試みを始めようとしているらしい!? そのプロジェクトは「ロフトラジオ」。70歳という年齢を感じさせないアクティブさには相変わらず目を見張るばかりだが、何十年もライブハウスに関わってきた人間がラジオをやるって一体どういうことだろう? 波瀾万丈の彼の人生の軌跡を振り返りつつ、そのラジオへの意気込みについて聞いた。[interview:小柳 元(NAKED LOFT)]

70年間の蓄積を持って何が喋れるのか?

──これまでロフトでたくさんの店をつくってきた悠さんが、ラジオを始めると聞いて驚きました。今なぜラジオなんでしょうか?
平野:自分ももう70歳になって、商売に興味もなくなって、会社の経営からも離れている。それで暇だから、トークライブハウスで自分が興味ある人を呼んでイベントでもやろうと思っていたんだよ。でもだいたいどの店も3ヶ月先までスケジュールが埋まっていて、なかなか日が押さえられない。3ヶ月先のことを考えるなんてイヤなんだ。だからいつでも気軽にできるラジオがいいなと思ったの。自分の70年間のいろいろな蓄積を持って何が喋れるんだろう、何を質問できるんだろうという気持ちで、原点に立ち返るつもりで始めたんだ。
──なるほど。そんな悠さんの原点って何でしょうか?
平野:自分を突き動かしてきたのは、政治、音楽、旅だったね。何と言うか、今あるものを全部壊すことから始めないと新しいものは生まれてこないっていうのが原点かもしれない。
──そう言えば、悠さんは日本を捨てて、10年間ぐらい海外に行っていた時もありましたよね。
平野:もう30年以上前の話だけどね。それまで東京で70年代から80年代前半ぐらいまでは6軒の店をつくったり、レコード会社をつくったり、いろいろなことをやってきた。そして、84、5年になると世界が激動してくるわけ。でも日本は平和だった。その平和ボケした感じがイヤで、日本を出て行ったんだ。
──当時はそんなに平和だったんですか?
平野:今と全く違っていい時代ですよ。ちょっと働けば何とか食えちゃう。うちの店に遊びに来ていた若い子なんて、週に2日ぐらいしか働かない。後は遊ぶ。仕事もいっぱいある。働けば何とかなるっていう時代。だから凄く希望があったよ。そんな日本に自分は興味がなくて、もっと広い世界で羽ばたいてみたいと思って飛び出したんだ。
──東京にあったお店はどうしたんですか?
平野:当時6軒の店を持っていたんだけど、新宿ロフトだけは残して、あとの5軒は閉店したり、暖簾分けしたりしてそれぞれの店の店長にあげちゃったよ。
──凄い決断ですね。そうして行った海外はどうでしたか?
平野:30年程前に5年間、世界中で放浪旅をしてきたんだ。83ヵ国ぐらい回ってね。でもそんな旅を何年も続けていると、どこへ行っても何を見ても同じようになってくるんだよ。マラリアとかいろいろな病気にかかったりしながら旅を続けることにもとにかく疲れ果てていて、もう旅はいいやと思ったね。
──でもそこから日本に帰らず、ドミニカでレストランをつくったんですよね。
平野:そう。飯食いながらゆっくりカリブ海のサンセットを見るのもいいなぁと思って。ドミニカの首都サント・ドミンゴにある、カリブ海の見える所にいい物件があったから、カリブ海で初めての日本料理店を開いちゃったんだよ。日本から板前を呼んで、寿司とか天ぷらを出したりしてね。でも、なんでそれまでカリブ海に日本料理のレストランがないかがよく分かったよ。だって醤油もワサビも輸入禁止なんだから。仕方がないから毎月マイアミにある日本のドラッグストアに醤油とか酒を買いに行ってたね。海苔もなかったし、自前じゃ何もつくれなくて本当に大変だった。ただ苦戦したけど、何とか5年間はもったんだ。
──凄いじゃないですか! でもなぜお店を閉めちゃったんですか?
平野:オイルショックがあったのと、一緒に働いていた日本人の店長が自殺してしまったんだよ。本当にショックだった。そしてそれ以降、店もどんどんうまくいかなくなっていった。レストランだけじゃ食っていけないから貿易や観光の仕事もやったりして何とか生き抜いていたんだけど、店長に自殺されて打ちひしがれて、全部どうでもよくなって、ドミニカにあったものは全部投げ出した。
──また全部あげちゃったんですか…。
平野:当時、自分もそこそこ金を持ってるじゃない。そうするとみんな近寄ってくるんだよ。でもドミニカの生活は本当に刺激的で、ドミニカの外務省を口説いて大阪花博の親善大使の権利を得るまでの話なんていうのもあるんだけど、長くなるからやめとく(笑)。詳しい話は『旅人の唄を聞いてくれ!』という本に書いてあるから読んで欲しい。
 

いつでも自分の遊び場をつくりたいと思っている

──それで、悠さんは10年振りに日本に帰ってきたわけですね。
平野:そう。ドミニカから舞い戻ってきたら新宿ロフトが都市再開発の影響で大家から立退きを要求されていて、その問題にしばらく取り掛かったんだ。その時に避難場所として一時的につくったのが下北沢シェルターだよ。そして、いろいろと難題があって、歌舞伎町に移転して一段落した。そこからが問題だったんだ。新宿ロフトやシェルターでいろいろやろうと思ったら、日本のロックについていけなかったんだよ。だってまず、ロフトからCDを出していた「スピッツ」とかがピンと来ないんだから(笑)。「スターリン」とか「暗黒大陸じゃがたら」とかパンク系の何かを連想させるような名前のミュージシャンだったら少しは理解できただろうし、日本のロックの最前線に戻ろうと思ったんだけど、いろいろ考えて、することがなくなっちゃったんです。
──要するに暇になってしまったわけですね。
平野:そうだよ。今回のラジオを始める前と一緒だよな。プラスワンを始めた時はロフトも儲かっていたし、シェルターも凄い好調でどんどんブランド力が強くなっていた時期だから、自分の遊び場をつくりたいと思って居酒屋をつくることにしたんだ。そうしたら自分の好きなお客さんが来たりして時間も潰れるだろうと思っていたの。それで、新宿というより四谷に近い富久町にあるビルの中の奥まった隠れ部屋みたいな物件を借りて、店を始めることにした。それがロフトプラスワンの始まりですよ。
──そうなんですか。最初はそういうきっかけだったんですね。
平野:そう。ただ自分の遊び場として始めたんだよ。けど、いざ始めるとなると、ARBのキースをカウンターに入れてみようとか、居酒屋の中で一番面白い話をしている所にマイクを持っていってみようとか、いろいろなアイデアが思い浮かんできた。あと、烏山時代からずっと居酒屋をつくってきたけど、ライブが11時頃終わって、そこから朝4時まで居酒屋だから、その売り上げで採算を合わせてきたんだよ。当時はライブなんか全然客が入らなかったからね。
──チャージはほとんど取っていなかったんですね。
平野:初めのプラスワンのスケジュールを今見てみると、みんな自分の知り合いですよ。いろいろな人に電話をかけても誰も出演してくれないし、「酒を呑む店で喋れなんてふざけるな!」って言う人もたくさんいた。だから酒呑んでワイワイやれて、お客さんからチャージは取らない。ギャラも払えないけど、酒は呑ませますよぐらいの感じで営業していたね。
──最初はやっぱり赤字だったんですか?
平野:毎日赤字だった。モロな赤字が2、3年ぐらい続いたかな。だけど自分の友達が、さらに友達を連れてきて徐々に賑わうようになっていったんだよ。たとえばAV監督のバクシーシ山下さんが客で来たら、彼がカンパニー松尾さんを連れてきたり、さらにそこから他の監督も来るようになったりという感じでね。また僕は日本に10年いなかったから、いろいろなことが自分の好奇心を駆り立てるんだよ。それが凄い面白かったし、続けるモチベーションにもなっていったね。ロフトプラスワンをつくった時には、ちょうど阪神大震災やオウム事件があったり、その次の年に神戸児童殺傷事件があったりして、そういうことをテーマにしたイベントをやるようにもなっていった。
──そういうイベントを続けていくうちにロフトプラスワンは世間に知られるようになっていったんですね。
平野:酒を呑みながら、出演者と客がフェイス・トゥ・フェイスで向き合って、時には殴り合いになることもあるんだけど、そんなことも含めて楽しんじゃう空間というのがそれまで日本になかったからじゃないかな。それと、ロフトプラスワンが出来る前はライターや映画、漫画、アニメの陰のスタッフなんかが喋る所がなかったんだよ。そういう今まで居酒屋とか身内で喋っていた人たちをステージに引っ張りだして、発言の機会を持たなかった人たちに喋る場を与えたんだ。それが人気になった。富久町のロフトプラスワンは40人で一杯になっちゃうような店だったから、手狭になって思い切って100人以上動員できる歌舞伎町に移転したんだけど、それでさらにブレイクした。あのまま富久町に残っていたら一部の人だけが知っていればいいという店になっていただろうね。
 
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【出演】平野 悠(ロフト席亭)
【ゲスト】塩見孝也(元赤軍派議長)
2015年2月19日(木)新宿百人町ネイキッドロフト
OPEN 18:30/START 19:30
予約 1,300円/当日 1,500円(共に飲食代別)
ネイキッドロフトの電話(03-3205-1556)&web予約、絶賛受付中!
 
 
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『ロフトラジオ』やってます!
毎週木曜日、20:00から22:00まで(予定)タブーなし!? の生放送!
 「もうこの歳になったら、毎日の売り上げとか気にしないで、気楽に好き勝手なことを喋りたい!」とロフト創業者・平野悠がある日突然思い立ち、なぜかネットラジオを開局。毎週木曜日のだいたい20時から22時まで(その日の乗り次第で長くなったり短くなったり)、新宿百人町のロフト仮設スタジオから放送中です。平野に巻き込まれたロフトのスタッフも毎回登場し、時にはゲストが来たり、イベントになったりすると思います。ひとまず定期的にやっていくつもりですが、果たしていつまで続くのか!?(アーカイヴもあります)
 
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