昨年7月にフルアルバム『I'M FREE』をリリースし、バンド史上初となる47都道府県ツアーを敢行中のa flood of circle(以下:AFOC)が、早くもニューシングル『KIDS / アカネ』をリリースする。すでにライブでは披露されているロックンロール・ダンスナンバー『KIDS』と、NHK総合アニメ『団地ともお』のエンディングテーマとして4月よりO.A.される至高のバラード『アカネ』、そしてAFOCならではのお酒の匂いがするロックナンバー『Tequila Club』の3曲を収録。転がり続けることを表明しているロックンロールバンド・AFOCは、今作でもそれぞれのプレイやバンドアンサンブル然り、新たなチャレンジを繰り返しながら進化していることを提示していた。シングルをリリースした直後には、47都道府県のファイナルとなる日比谷野外大音楽堂でのワンマンが行なわれる。50本にも及ぶライブを行なったAFOCがさらにどんなバンドになっているのか、そしてこの先どんなバンドになっていくのか。全てが詰まった野音ワンマンで、彼らの生き様も詰まったステージを全身で感じて欲しい。(interview:やまだともこ/Rooftop編集長)
『KIDS』は土臭くて踊れるビートの進化版
── 昨年『I'M FREE』をリリース後夏フェスに出演し、10月からは初の47都道府県ツアーが始まり現在後半にさしかかっているところですが、このスケジュールの中でよくシングル『KIDS / アカネ』を作ってリリースまで出来たなとまず感心しましたよ。
「シングルの曲は、元ネタ自体はけっこう早くに出来ていたんです。『I'M FREE』をリリースして、同じぐらいの時期に“東北ライブハウス大作戦ツアー”をまわり、その時に思った気持ちを曲にしておこうというところで『アカネ』の弾き語りのデモは8月ぐらいには出来てたんです。ただ『KIDS』も『アカネ』もすぐにゴールにたどり着いたわけじゃなくて、『LOVE IS LIKE A ROCK'N'ROLL』(2011年11月リリース)や『FUCK FOREVER』(2012年12月リリース)の良い流れで出来た『I'M FREE』と同じノリで作るんじゃなくて、ビートも歌詞もメロディーも、姐さん(HISAYO)のベースもなべちゃん(渡邊一丘)のドラムも、全部が新しいところにいくようにしたいと思って、録る形にするまでにすごく時間がかかったんです」
── レコーディングはいつやってたんですか?
「12月にプリプロを始めて、録ったのは今年の1月です」
── 『KIDS』の話をすると、ダンスビートであることもそうなんですけど、これまでのAFOCの曲の流れを受け継いでいる感じがあるというか、今年1月19日の赤坂BLITZのライブで初披露されて、初めて聴いたお客さんばかりのはずなのに、AFOCならではのサウンドやリズムでわかりやすかったのか、会場がすごい盛り上がりでしたよね。
「俺もあれはビックリしました(笑)。この曲でイメージしていたのは、イベントとかフェスでAFOCを初めて見る人が聴いてもすぐに入って来れるものにすること。それでビートや歌の作り方にこだわって、今までにやってないことをやろうって。今って4つ打ちのギターロックが多いけれど、AFOCじゃないと出来ない踊れるビートってなんだろうと考えた時に、昔作った『Buffalo Dance』のような土臭くて踊れるビートの進化版を作ろうということになったんです。それで、低いメロディで音を詰めてサビでドカンっていうのが最近多かったんだけど、そうじゃなくてすっきり歌い切れる曲というのをテーマに、細かい制限をたくさん設けて、大きいノリとしてはAFOCっぽい曲だと思うんですけど、進化するためのハードルを自分たちでたくさん課した曲です」
── そういうイメージになったのは、昨年の大きな会場でのライブやフェスの出演もそうですけど、47都道府県ツアーでの経験も入ってますか?
「入ってます。最初はただ“わかりやすさ”を考えて曲を作ろうと思っていた時期もあったんです。でも、『I'M FREE』が出来た前後ぐらいに、“わかりやすさ”に飛び込んでいくのはいいけど、そこにAFOCらしさがなきゃダメだとか、ただわかりやすくするのは軽薄なんじゃないかという不安を感じたんです。それで、ちゃんと芯がある強いもので、なおかつわかりやすいものってなんだろうって考えていた時に『I'M FREE』が完成して、東北ライブハウス大作戦をまわったんですけど、その時に東北のライブハウス自体に込められている気持ちをすごく感じたし、今日は奇しくも3月11日ですけど、ツアーに行って海岸沿いの復興が進んでいない場所をたくさん見た時にいろいろなことを考えたんです。その時にここで作る歌詞に明るい未来を込めないほうが嘘だろという思いがすごく強くなって、その気持ちをストレートに表現することが“わかりやすさ”に繋がるなら俺としてもしっくり来るし、どんなライブハウスでもフェスティバルでもバーでも絶対に通じる音楽なんじゃないかなと思って、そしたら“わかりやすさ”という言葉に対して斜に構えなくなったんです。思いが強いものは伝わるから、わかりやすくノレるんじゃないかって。それをこの数ヵ月で発見したというのが大きいですね」
── タイトルを『KIDS』にしたのはどんな理由からですか?
「この曲は、もともと“子供”というテーマで考えていたんです。理由がふたつあって、東北に行った時にたくさんの子供と出会い、“未来”と“子供”が直結していたこと。それと、俺の妹に子供が生まれて甥っ子が出来たこと。それで、自分にとって強い希望や未来を歌おうと思い、タイトルが『KIDS』になったんです」
── “夢”とか“未来”を歌った曲ってこれまでにもあったと思いますが、もう少し泥臭い曲が多かったですよね。
「2009年にリリースしている『ブラックバード』で歌っていた“未来”よりも、具体的に未来が見えるようになった気はしてます」
自分の居場所はバンドしかないという状況
── 今作は『KIDS』『アカネ』ともに前作に続いてアレンジに弥吉淳二さんを迎えてますが、弥吉さんとは何度目かの作業になりますし、気心知れているという意味でとてもやりやすかったりするんですか?
「そうですね。信頼関係が強いし、以前弥吉さんにお願いした『Dancing Zombiez』みたいな速いダンスビートと、『月面のプール』のバラードがすごく良かったから、それを踏まえてもっと先に進めるんじゃないかって。あの時のバラードはめちゃくちゃ悩んで作ったけれど、『アカネ』は絶対に良いバラードを作るというテーマで臨んでたし、俺らと弥吉さんの関係も進化した状態でいけるんじゃないかって」
── ということは、以前よりも一歩進んだところで話が出来た?
「そうです。一歩踏み込んだところで。例えば『KIDS』で一番拘っていたビートの部分も、弥吉さんもなべちゃんにすごくオーダーしてたし、なべちゃんも頑張ってハードルをひとつずつ超えていくというのをやっていたし、『アカネ』のアレンジはもっと歌がよく聴こえるコード進行を考えたり。『月面のプール』は俺の個人的な世界観を出発点にして、あとは演奏とストリングスのアレンジでどう広げていくかという順序で作っていこうという話をしましたけど、今回は根っこから一緒に作ろうというのがあったので、最初のデモも弾き語りしかなかったんです。そのほうが広がりの幅に余裕が持てるんじゃないかと思ったし、みんなのイメージを膨らませた状態でプリプロに入りたかったので。『I'M FREE』までは歌詞から書いていて、どれだけメロディーをはみ出しても歌詞で歌うべきことが歌えてればOKと思って作ったけれど、次に進みたかったから、バラードの良いメロディーを書いたなら、そのための言葉を書こうという順序を初めてやってみたんです」
──『Dancing Zombiez』や『月面のプール』のドラムレコーディングで渡邊さんはかなり苦労していたという話を以前聞きましたが、ここ最近はどうですか?
「かなり頑張ってますよ。『月面のプール』の時はバラードのドラムを叩けるのかってすごく試行錯誤して、荒療治を加えながらやってましたけど、練習もいっぱいしていたし、レコーディングでもすんなり叩けるようになってるし、すごく努力をしていると思います」
── 渡邊さんは私から見ると感情を表に出さない印象なんですが、負けたくない感ってけっこうあるんですか?
「めちゃめちゃあります。スタッフも含めてAFOCのチームって俺となべちゃんが一番年下だから、まず亮介を認めさせないとヤバイというのがあるみたいで、飲みに行って話をするとちょいちょいそういう感じは出てますね」
── そして3曲目の『Tequila Club』は、歌詞も曲からもお酒の匂いがするAFOCらしい曲ですね。
「ストレートですよね。一番バランスが取れていると思います。これまでは、高いフレットでメロディーをちゃんと弾くというのが多かったですけど、この曲はいくつかテーマを設けていて、パワーコードだけで弾ききるとか、『KIDS』と『アカネ』がチャレンジしてる曲だから、この3曲でAFOCの本筋を一本通したという感じですね」
── ノリも作りやすかったですか?
「なべちゃんが『KIDS』と『アカネ』のドラムでたくさんチャレンジしてるから、2曲のレコーディングが終わったらドラマーとしてまた強くなっているんじゃないかと思い、『Tequila Club』は一番好きなビートでやってくれって任せたんです。彼はクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジっていうアメリカのバンドが大好きなんですけど、その影響がモロに出てますね。なべちゃん的にはご褒美ソングだったと思います」
── この3曲のレコーディングは1月にやったと先ほど言ってましたけど、その間にツアーがあったり、新曲のアイディアを詰めたり、練習してレコーディングしたりと、かなりハードな作業だったのではないですか?
「曲を作ったのがツアー中だったから、プリプロを含め1月のレコーディングまでに、いかに集中して作れるかと自分を追い込んでいたし、メンバーで一緒にスタジオに入っていない時間もお互い努力して進んでいるなというのを感じ合いながらやれた気がします。それに姐さんも曽根さんも他にバンドをやっているから一緒の時間を作るのが一番大変で、そういう意味では前のツアーだと打ち上げで骨折するぐらいのケンカとかしてたけど、今回はみんな慈しみ合っていたというか、助け合うみたいな気持ちがすごくありましたね(笑)。今回のツアーは50人キャパのバーもあれば、500人のキャパのライブハウスもあって、ファイナルは日比谷野外音楽堂で2500人ですけど、いろんな経験をみんなで越えていこうという意識がすごくあるんです。それがレコーディングに良い影響を与えていて。俺が曲作りのために秋田から新幹線で先に帰った時も、みんなは雪道を車で走って、止まっちゃったらみんなで車を押したりしながら二十何時間かけて帰ってきたりとか、自然と結束が強まるしかないシチュエーションがいっぱいあったと思っていて」
── なるほど。
「それと、自分的にはメンバーとの関係だけじゃなくて、甥っ子が生まれた話もそうなんですけど、宮城に住んでいた祖母の足が悪くなって東京の実家に引っ越してくることになったんです。それで宮城の実家を売るってことになり、俺は本籍地が宮城なのに一度も住んだ事がないまま家がなくなっちゃうんです。それで小さい時から引っ越しの多い家庭だったという根無し草感をより感じるようになって。一昨年からバンド1本で生活を始めたんですけど、自分の居場所がバンドしかないという状況になった上に、ルーツの家がなくなっちゃったことと全県ツアーをやっていることは俺の中ですごくリンクしていて、帰る場所がないって言いながら、実はこれだけたくさん帰る場所を作っているのがこのツアーなんだなって思ったんです。だから、ハードかもしれないけれど、今はバンドしかないし、自分にとってすごく大事な居場所なんです」