みんな最底辺まで堕ちてクズになればいい
──ドキュメンタリー映像を見ると、壮絶なライブとは裏腹にメンバーがライブ会場まで自転車とリアカーで移動している姿が滑稽で(笑)、そのギャップがいいなと思って。
マヒトゥ:単純に車がないんですよ。リアカーを電車に無理やり積んで移動することもあるし。
──バンドで多少潤えば、車を買うこともありますか。
マヒトゥ:いや、車にリアカーを付けるんじゃないですか?(笑) 電車の中でリヤカーを引いてる時に周りを見てみると、みんなこっちと目を合わせないようにしてるのが分かるんです。そういうのが「ああ、ドキュメンタリーだなぁ…」とか思って、なかなかいいですよね。
──ご自身でドキュメンタリー映像を見返してみて如何でしたか。
マヒトゥ:ジリジリとした夏の景色が映ってるし、季節感があるなと思って。それがとても初々しいし、ドキドキしますね。それと、16日間のライブが終わりになるにつれて寂しさもあったりして。もう4、5ヶ月前のことだから、自分にとっては過去の記憶になってるんですけど、表現をしていく人はこうやって記憶を記録に残していかなきゃいけないんだなと思いましたね。逆に言うと、この作品が出来たからもう全部忘れちゃってもいいやとすら思えたし、これでまた次のステップに向かえるなと思って。
──ブックレットにはマヒトゥさんによる16日間の日記があって、その中に「あなたのあなた自身の感性に問う」という一文がありますよね。下山のライブはまさにその一言に尽きるような気がします。
マヒトゥ:守るべき大切なものなんて僕らにはハナからないし、全部壊れちゃえばいいと思ってるんですよ。みんなもう最底辺まで堕ちて、クズになっちゃえばいいんです。そもそも誰かに褒められたくてバンドをやってるわけじゃないですからね。見てるほうもやりたいようにやっちゃえばいい。そこで誰かに迷惑をかけてへこむことがあっても、それはその人の責任だし。何事もそれぐらいのスタンスで打ち込んだほうが絶対に面白いですよ。何て言うか、みんなちょっと空気読みすぎですよね。それだけ今の音楽業界は売れる売れないがシビアなのかもしれないけど、それじゃ全く面白くない。
──率直なところ、下山として売れたいですか。
マヒトゥ:売れたいという言葉が合うかどうか分からないけど、大きい所でライブをやりたいですね。そのバランスと言うか、そこに向けてもがきながら模索していくのが自分たちのやるべきことなんだろうなとは思ってます。
──バンドとして今やってみたいのはどんなことですか。
マヒトゥ:4人がめちゃくちゃボイトレしてるDVDとか(笑)。『ボイトレ Vol.1』みたいな(笑)。それはそれで今の下山にとっての“BUG”になるのかもしれないです。オルタナティブっていう意味での。
──型にはまることへの危険察知機能がマヒトゥさんの中で絶えず働いているということなんでしょうか。
マヒトゥ:自分がドキドキできないのに、周りの人たちをドキドキさせられるわけがないでしょう? それを無理に取り繕っても見る人にはバレますからね。だから自分が楽しめるものをいつも探してるんです。何せ僕は自分勝手な人間ですから。
──他のメンバーも各々が自分勝手な性格なんですか。
マヒトゥ:けっこう気を遣わせてますね(笑)。ただ、自分が曲を書いてはいるけど誰がリーダーってこともなくて、全員が瞬間瞬間を破綻させられるだけのエネルギーをぶつけ合ってバンドをやってないとダメだと思ってるんですよ。他のメンバーがリーダーの顔色を窺ってるようなのは凄く格好悪いし、面白くない。全員にすべてをブッ壊せるだけの力量と責任がないとダメなんです。
ワケが分からないけど惹かれる感覚が大事
──ステージに立つ4人の特異な風貌然り、どぎついインパクトのあるフライヤー然り、今回のCDパッケージのデザイン然り、下山は独自のビジュアル的要素を徹底して重んじているように思えますね。
マヒトゥ:自分たちのジャンルは何か? と考えると、ビジュアル系だと思ってるんで(笑)。
──長髪に真っ赤なワンピース、金色の全身タイツに真っ赤な腹巻、下半身スパッツ一丁、アフロヘアにボディコンワンピースだから、相当偏ったビジュアル系ですけどね(笑)。でもどうですか、音と映像で今の下山を世に知らしめられる超絶特濃な作品が完成して、バンドの速度がより一層増しているような感覚なのでは?
マヒトゥ:ただ、オーバードーズ気味なバンドが多いと言うか、いろんな情報を出しすぎていっぱいいっぱいになってる人たちが多いから、その辺は気をつけたいんですよ。
──聴き手に情報を与えすぎて、妄想ののりしろを与えていないということですか。それよりも全部を出しきらないほうがいいと言うか。
マヒトゥ:いや、自分たちとしては思いっきり全部を出しきってるんですけど、全部が全部、今の客が僕らのことを理解してくれてる充実感は全くないんです。でも、それが当たり前なんですよ。こういうプロモーションも含めて、100出して100分かってもらうみたいなことがあまりに多すぎて、まるで面白くない。ワケの分からない感覚、ワケが分からないけど惹かれる感覚を与えてくれる音楽に僕はずっと救われてきたし、そういう感覚がやっぱり凄く大事なんですよね。
──自戒を込めて言えば、音楽誌にどんな音楽かが事細かく書いてあるような感じですね。
マヒトゥ:ああいうのはホントに残念ですね。コンビニで売ってるような手軽さがあるし、需要と供給の分かりやすさがちっとも面白くない。そういう商売がしたいんだったらもっと上手くやる方法は他にもあるし、音楽なんて選ばなきゃいいのになってシンプルに思います。それだったら、割り切ってJ-POPの仕事をしてる人のほうがまだ面白い。ヘンにストリート感やアート的な色を出そうとしてる音楽はちゃんちゃらおかしいですよ。
──ちなみに、アイドルに楽曲提供してみたいと思います?
マヒトゥ:話があれば書いてもいいですけど、ゴリゴリの爆音で歌が聴こえなくなると思いますよ(笑)。
──マヒトゥさんが下山をやっていてカタルシスを得る瞬間とはどんな時ですか。
マヒトゥ:僕は昔のことを全部忘れちゃうところがあって、今回の映像作品を見ても、映ってるのが自分じゃないみたいな感覚になるんですよ。だから自分たちの作品を客観的に聴ける、見られるのは凄く嬉しいことなのかもしれない。自分たちがやったことに対するフィードバックって言うか。
──冷静に見ても下山は面白いバンドと言えますか。
マヒトゥ:凄く面白いんじゃないですかね。作品を作ってる時の自覚はもちろんあるんだけど、作り終えてから少し時間が経つとまるで他人事のように思えるんです。『かつて うた といわれたそれ』にしても、さっきは頑張って話を合わせて自分の作品みたいに言ってましたけど(笑)、もうほとんど自分とは関係ないみたいな感覚なんですよ。今回のライブ盤も、レコード屋で買ったCDを聴いたら「おッ! これはいいぞ!」って純粋に思える感じで聴けましたからね。
──それはきっと、マヒトゥさんの意識が常に前を向いていることもあるんじゃないですかね。
マヒトゥ:下山のライブを見に来てくれてる人たちは分かると思うけど、今は凄い速度で変化していってますからね。変化自体は全く恐れてないし、出した作品が古くなったって別にいいと思ってるんですよ。バンドの核となる純度の高ささえあれば何の問題もない。下山が今どう変化しているのか、これはもうライブを見に来てもらうしかないです。“その場所で起きている”ことに共振してもらうしかない。それしか言いようがないですね。