佇まいだけですべてを物語るようになりたい
──そういう通常とは真逆の録り方もアリなんですね。
卓偉:ビートルズのレコーディングのスケジュールをまとめた本があって、それを読むとポール・マッカートニーのベースを最後に録る曲がけっこうあるんですよ。ジョン・レノンの歌とアコギをベーシックにして、それをエレキで弾き直した曲もあるし。そういう段取りだからこそあのグルーヴが生まれたんだなと納得できたんですよね。再確認ではなく、気づけたんです。そんなやり方で上手く録れるはずがないと思っていたので、まさに目から鱗でした。それこそ、『Dearest Friends』はドラムを最後に録ったくらいなんですよ。
──全く違和感がなく調和がとれているし、卓偉さんが思いのままに弾くアコギのペースにちゃんと合わせて叩けているのが凄いですよね。
卓偉:アコギのグルーヴというのは歌に近いんですよ。サステインが伸びずに音が歪まないぶん、右手がちゃんとリズムを作ろうとしている楽器なんだなと思いましたね。
──『Without You』で試みているヴォイス・パーカッションは、ずっと温めていたアイディアなんですか。
卓偉:いつかやってみようと思っていました。普段デモ・テープを作る時も、時間がないとリズムはヴォイス・パーカッションで吹き込んでいたんですよ。「トゥットゥッ、パン! トゥットゥッ、パン!」みたいな音をドラマーなりベーシストに聴かせて、「この『パーン!』って言っているところがスネアだから」というふうに説明するんです(笑)。それをレコーディングでやってみたらどうだ? とディレクターに言われて、50年代のドゥーワップ・グループのCDやレコードを聴き直して取り組んでみたんですよ。聴き直してみて、低音のパートはちゃんとドラムの役割を果たせるなと思ったし、これはアカペラにも応用できるなとひらめいた。そういう動物的な発想こそが今回のテーマでもあったので、時間は掛かったけど凄く面白かったですね。
──ヴォイス・パーカッションだと知らなければ、普通にドラムの音だと思うかもしれませんね。
卓偉:そう聴こえるように徹底したんですよ。マイクからちょっと離れて「タンッ!」と言ってみたほうが自分の声に聴こえなかったりして、いろんな録り方をエンジニアさんと試しながらやりました。ある素材を使って打ち込みでやるレコーディングは効率的だし、自分も今までやってきましたけど、今回に限っては聴く人が細かい部分まで気づかなくてもいいと。その代わり、自分が納得の行くところまでグルーヴを大切にしたかった。
──それにしても、アカペラの『言葉に出来ない』は圧巻ですね。卓偉さんのヴォーカリストとしての実力が余すところなく発揮されていて。
卓偉:主旋律を唄うことよりも、バック・コーラスの和音を上手く積むことのほうが難しかったかもしれません。どこか一部分が不協和音になったら全部やり直さなくちゃいけないので。そこがアカペラの難しさでもあり、取り組む上での醍醐味でもありますよね。
──ここまで歌を重ねたのはキャリア初ですか。
卓偉:初めてですね。ビートルズやビーチ・ボーイズといったハーモニーを重視したバンド、スピナーズとかのドゥーワップ・グループを昔から聴いていたので、「何となくこんな感じかな?」っていう体でやっちゃダメだなって言うか。ハーモニーやコーラスを熟知した人が聴いても納得してもらえるレヴェルまでやらなくちゃダメだなと。そのために改めてドゥーワップを聴き直したし、録ったテイクを3、4日寝かしておいてから使うかどうかを判断したり、地道な作業をずっと続けていましたね。
──コーラスを重ねる上で一番参考になったのは、やはりビーチ・ボーイズやドゥーワップのグループでしたか。
卓偉:それと、分かりやすいところで言えば子供の頃にテレビで見ていたラッツ&スターとか。山下達郎さんや小田和正さんがプロデュースしたマーチンさん(鈴木雅之)のソロ作品には、ドゥーワップを基調としたアカペラの曲がありますからね。それは50年代のロックンロールや黒人音楽をルーツにした人のサウンドなんですよ。それでいて歌謡曲にも通じるし、ルーツ・ミュージックが好きな人がニヤッとするようなものでもある。そのスタンスは僕の原点でもあるんです。つまり、ルーツ・ミュージックを好んで聴いて育ったけれど、好きだからこそ自分の表現は違うアプローチにしなくちゃいけない。その感覚は白人がやるロックンロールに近いのかもしれません。
──『言葉に出来ない』の歌詞は夏の終わりがテーマだし、その意味でもビーチ・ボーイズを彷彿とさせるハーモニーは最適ですよね。
卓偉:どの曲をアカペラでやっても良かったんですけど、やっぱり『言葉に出来ない』が一番合うのかなと思ったんですよ。オリジナルもコーラスは多めだったので、またやるなら徹底してコーラスを極めたかった。少しかじる程度で終わらせちゃいけないっていうのは30代のテーマかもしれないですね。20代ならシャレで済むのかもしれないけど、今はファッションでも持つ楽器でも車でも何でも、その佇まいですべてを伝えなくちゃいけないと思うので。そろそろ自分も佇まいだけですべてを物語る雰囲気を身にまといたいし、今回のアルバムはその先駆けとなるものにしたかったんですよね。
アコギの弾き語りにしか出せない生々しさ
──そういう徹底した音楽的なこだわりがある一方で、圧倒的なポピュラリティが卓偉さんの音楽には常に混在していますよね。熱心なファンのために未発表曲を入れるというサーヴィス精神も忘れていないし、マニアからビギナーまでが楽しめる作品作りをいつも心懸けている姿勢には感服します。
卓偉:自分のやろうとしている音楽はカルチャーに偏っていないんですよ。カルチャー的な要素もあるし、歌謡曲的な要素もある。それらを引っくるめて全部自分自身だと言い切れたほうがいい。そもそも、自分が唄おうと思い立つきっかけを与えてくれたのはZIGGYでしたからね。森重樹一さんや戸城憲夫さんが作る楽曲にはカルチャー的な要素と歌謡曲的な要素が混在していたし、だからこそ僕は熱狂的に好きになった。BOφWYもそうですよね。氷室京介さんと布袋寅泰さんの楽曲は歌謡曲のエッセンスを散りばめつつ、ニュー・ウェイヴやパンキッシュな部分をちゃんと提示していたじゃないですか。90年代に入って、洋楽からの影響にどっぷり浸かった日本のバンドが支持を集めましたけど、自分としては洋楽と歌謡曲の両方のエッセンスが欲しいですね。
──『Calling You』はカップリング曲だった『X-RAY MAN』と共に収録されていますが、やはり『Calling You』は卓偉さんにとって記念碑的なシングルだったということでしょうか。
卓偉:たまたま『Calling You』の後に『X-RAY MAN』を組み込んだ構成になったんですよね。『X-RAY MAN』のアコギ・アレンジはこの3年の間でだいぶ成長してきたし、このアルバムの中で取り上げてみたかったんです。でも、同じシングルに収録された表題曲とカップリング曲がこうして並んで、時間が経過してまた新たな形で聴けるのは面白いと思いましたね。
──面白いですよね。しかも、この『X-RAY MAN』のリアレンジは遊び心もふんだんに盛り込まれていて、本作の中でも傑出した出来だと思うんです。
卓偉:一番アレンジをいじった曲ですね。そういう振り切った曲があるからこそ『めぐり逢えた二人』みたいな曲が活きてくるんです。ただ、今回の『X-RAY MAN』のリフで違う曲を書いておけば良かったなとちょっと思いますね(笑)。あんなにツェッペリンっぽいリフはなかなかできないので。
──確かに、アコースティック・サウンドが色濃いツェッペリンの『III』を彷彿とさせる部分はありますよね。
卓偉:ツェッペリンの3枚目は、それまでのハード・ロック路線から離れてアコギ主体の曲が増えたのでリスナーから拒絶されたと言われますけど、僕は持っていた楽器を変えただけだと思うんです。アコギの曲でもエレキで弾けば従来のツェッペリン・サウンドになるし、その時点での進化したバンドの姿をちゃんと見せているじゃないですか。しっかりと進化しつつも、マニアックになりすぎない。だけど、音楽の知識は決して浅くない。僕もそう在りたいんですよ。
──たとえば卓偉さんが沖縄の音楽にどっぷりハマったとしても、三線を全面的に配したような曲はまず書かないと思うんです。三線や箏、琉球音階はあくまで素材を引き立たせるスパイスとして使うと言うか。
卓偉:影響を受けた音楽をそのままやるのではなく、自分だけのオリジナリティを出したいと常に思っているんですよ。だから、そういうふうに言ってもらえるのは嬉しいですね。
──卓偉さんが18歳の時に書いたという『めぐり逢えた二人』ですが、今改めて唄うことに気恥ずかしさみたいなものはなかったですか。
卓偉:レコーディングしたのは今回が初めてだったんですけど、ライヴではちょいちょいやっていたんですよ。歌詞の可愛らしさも悪くないと思ったし、『IN MY LIFE』みたいなビートルズ中期のサラッとした楽曲が欲しかったんです。ファンの皆さんに喜んで欲しい気持ちもありましたけど、自分でも純粋にいい曲だと思っていたので入れることにしました。
──『3号線』はアンプラグドになったぶん、歌がより剥き出しになった印象を受けましたが。
卓偉:アコギと歌、ドラム、ピアノ、カルテットをいっぺんに録ったんです。なのでどうしても音が被ってしまうんですけど、だからこそやり直せない。そういうテイクなんですよね。オリジナルの『3号線』はベーシックを録った後に歌を入れたんですよ。それと同じテンションまでもう一度持っていくのは相当難しいですよね。でも、アコギの弾き語りにしか出せない良さがある。それはつまり、生々しさなんです。その生々しさを記録に残したいというのが、このアルバムに入っている全曲に言えることなんですよ。一見作り込んでいるようでも、歌とアコギは凄くダイレクトなものなんだというのを出したかったんです。