向き合わざるを得なかった母親のいない現実
──甘さだけに流されないストリングスも絶妙な味付けですよね。ロッカ・バラードにありがちな大味なところは皆無だし、緩急のバランスもちゃんと付いている。
卓偉:ストリングスのアレンジもメロディは自分で考えて伝えて、それを音符に取ってもらったんです。そこからチェロやヴィオラがルートをどう取っていくか、雨宮麻未子さんという方にアレンジを頼むというやり方だったんですよ。自分のメロディを壊さないように、ぶつからないようにストリングスのメロディを伝えたので、その辺は上手く行きましたね。別個に頼むと、ヴォーカリストのメロディを考えずにアレンジを作られてしまうこともあるんですよ。それがいい場合もあるんですけど、唄いづらくなる可能性も多々あるんです。今までは「ここのストリングスが当たるからちょっと音階を下げて欲しい」とか「そこだけちょっとヴォリュームを下げて下さい」とか調整しながら歌録りをしていたんですけど、今回はそういうのが全然なかった。すべて自分がイニシアティヴを取れていたのが良かったんでしょうね。
──ストリングスには「Strawberry Fields Forever」や「I Am the Walrus」を思わせる箇所もあって、思わずニヤリとさせられましたが。
卓偉:“ビートルズ”っていう歌詞も出てきますからね。キング・クリムゾンとか60年代後期のロックで聴かれるような、弦がちょっと歪んだ感じを出したかったんですよ。それはこの曲に限らず、今後も取り組んでいきたい音色なんですけど。
──PVの中には、ハリウッド・ボウルのライヴ盤や『Yellow Submarine』といったビートルズのLPを手にした子供の頃の卓偉さんのスナップも出てきますよね。
卓偉:ビートルズは間違いなく一番影響を受けたバンドだし、自分にとっての教科書なんですよね。僕が3歳の頃から親父がビートルズのLPを誕生日やクリスマスに買い与えてくれたんです。「3歳からビートルズを聴いていた」って言うと「ウソでしょ!?」なんて言われることもあるんですけど、あの写真が物語っているように本当のことなんですよ。歌詞にもある通り、家の中ではいつもビートルズが流れていたんです。最初は「誕生日やクリスマスに父親がビートルズのLPを買ってくれた」という歌詞もあったんですけど、そこまで説明するのは良くないなと思ってやめたんですよ。
──でも、あのPVを見ればそういった背景も一目瞭然ですね。
卓偉:自分が幼い頃の写真を使ってPVを作ろうということになって、兄貴にアルバムを送ってもらったんですけど、その中に僕がビートルズのLPを抱えた写真を見つけたんですよね。自分が一番好きな『Rubber Soul』と一緒に写っている写真がなかったのが残念だったんですけど。
──冒頭の歌詞にもあるように、当時の卓偉さんはお兄さんが隠れて泣いているのを察したりする洞察力に長けた子供だったんでしょうか。
卓偉:兄貴と僕の見えていた景色も違うと思うんですけど、家からお袋がいなくなったことが3歳の僕にはとてつもないインパクトだったんです。その事実と向き合わざるを得なかったことが僕の記憶の始まりなんですよね。洞察力があったかどうかは判らないですけど、お袋のいない家の景色が記憶として凄く明確に残っているんです。
──お母さんが焼いてくれたクッキーを食べてしまうと、その存在が消えてしまう気がしたので引き出しの奥にしまっておいたなんて、とてもいじらしいじゃないですか。
卓偉:まぁ、クッキーに限らずなんですけどね。チョコレートやスナック菓子、ビスケットをお袋が持ってきてくれたこともあって。でも、それを持ち帰ると厳格な親父から怒られるんです。今思えば、兄貴は強かったなと思いますよ。両親が離婚しただけでも辛いはずなのに、僕の面倒まで見なくちゃいけなかったわけだから。
──お兄さんとはいくつ違うんですか。
卓偉:2歳ですね。兄貴はお袋と過ごした記憶が鮮明にあったぶんだけ残酷だったような気がします。僕はお袋が家にいた記憶は曖昧ですけど、兄貴は5歳までお袋と一緒に暮らしていたので、いなくなった記憶が明確に残っているはずなんですよ。両親が離婚をして福岡の古賀っていう街に引っ越して、親父と兄貴と3人で暮らすようになってから僕の記憶は始まっているんです。そういう当時の出来事が急に蘇ってきて、これを歌にしなくちゃいけないという気持ちに駆られたんですよね。
──アメリカ文学の研究者だったお父さんは相当なスパルタ教育だったそうですね。
卓偉:厳しかったですねぇ…。ただ、兄貴が言うには離婚する前は凄く優しかったそうなんです。離婚をして、自分一人で子供2人を育てなくちゃいけなくなった途端にとても厳しくなったみたいで。
──でも、節目節目にビートルズのLPを買ってくれるなんて、とても優しいじゃないですか。
卓偉:そうですね。それに、時間があれば車で日本中を連れていってくれましたし。洋服を買ってもらえなくても、贅沢をさせてくれなかったとしても、いろんな所に連れていってもらえたことは純粋にいい思い出だし、親父に対しては今でも凄く感謝していますよ。
──ちなみに、お母さんはご健在なんですか。
卓偉:今も福岡に住んでいて、看護師をやっています。1年に1回は東京に来ますし、ツアーで福岡に行く時は会っていますね。忙しいからライヴにこそ来られないですけど、ホテルのロビーで会ったりしています。
──お母さんがこの「3号線」を聴いたら、どう感じるでしょうね。
卓偉:ファンクラブの会報をお袋にも送っているんですけど、この間出した会報の中に「3号線」がどんな曲かが書いてあるんです。その記事を読んだみたいで、「『3号線』っていう曲の歌詞を送りなさい」ってメールが来ましたよ(笑)。聴いたらどう思うんですかね? 「昔の思い出をいちいち持ち出してくるんじゃない!」とか言われそうですけど(笑)。
男が惚れ込むロックの真髄
──ははは。でも、ソロとしては12年に及ぶ卓偉さんのキャリアの中でも「3号線」は代表曲の風格を持つ作品だと思いますけどね。
卓偉:まだリリース前なので評判は判らないですけど、自分自身を象徴する曲なのかなと思いますね。この先、どういう曲を提示していくか判りませんが、もしかしたらこれまで書いてきた曲で10本指の中に入るのかもしれない。そんな気もしています。
──完膚無きまでのポピュラリティを兼ね備えた卓偉さんのようなメロディ・メーカーがこれだけ赤裸々な大作をシングルとして切ったことにも驚きましたけどね(笑)。
卓偉:まぁ、今の時代はシングル向きの曲がどんな類のものなのか一概には言えないですよね。自分がその時々で感じていることが一番強く滲み出ている曲を出していきたいとは思っていますけど。
──「3号線」のように壮大なスケール感を漂わせた曲を生み出せたのは、卓偉さんが30代になったことも一因としてあるような気もしますね。
卓偉:あるんじゃないですかね。20代の時もいろいろとリアル・ストーリーは書きましたけど、ちょっと質が違うと言うか。今は自分にとって必要なものと無駄なものの取捨選択が無理なくできているし、ロフトで男子限定GIGをやったから言うわけじゃないですけど、最近は非常に男ウケがいいんですよ。男に共感してもらえるものは普遍性が高いし、自分が10代の頃にロックを聴いていたピュアな感覚を僕の男性ファンが同じように抱いてくれているのなら、こんなに嬉しいことはないです。ザ・フーの軌跡を追った『アメイジング・ジャーニー』っていう映画がジョン・エントウィッスルの死んだ後に公開されたじゃないですか。
──ああ、日本では初の単独公演に合わせて公開されたドキュメンタリー映画ですね。
卓偉:あの映画の中でコメントに応えていたのは、ジョンのお母さんやキース・ムーンのお母さんもいたけど、U2のエッジやスティング、ノエル・ギャラガーとか男ばかりでしたよね。女性のミュージシャンは全然出てこなくて。あれを見ても、フーってやっぱり、もの凄く男にウケたバンドなんですよね。もちろんメンバー全員、女にはモテたんでしょうけど。ビートルズやストーンズは男女共に絶大な支持を集めていましたけど、フーの場合は絶対に揺るがない男のファンを獲得できた天才集団だったと思うんです。しかも、そのフーが一番輝いていたのは70年代、メンバーが20代後半から30代の頃に発表した曲が今も聴く人の心を掴んでいる。60年代のフーもいい曲はたくさんあるけど、音が軽いじゃないですか。70年代に入って以降、『Who's Next』や『Quadrophenia』、映画『Tommy』の成功によって音楽的な才能をそれまで以上に開花させるようになったと思うし、音も彼らの精神力もだいぶ逞しくなりましたよね。あのタフな部分に男は惚れ込んだと僕は思うんですよ。
──確かに、シングルよりもアルバムに重きを置くようになった'69年の『Tommy』以降は神懸かり的な進化を遂げますよね。'78年にキース・ムーンが亡くなるまでは。
卓偉:ポール・マッカートニーも、30代の頃に作っていたウイングス時代の曲は凄まじいクオリティですよね。全盛期のフーやポールと近い年齢になった今の自分も、そのレヴェルにまで到達したいんですよ。
──僕がかねてから卓偉さんの大きな資質のひとつだと思うのは、ポール・マッカートニー的なメロディ・メーカーとしての才とバランス感があることだと思うんです。そこに時折ジョン・レノン的な思い切りの良さと瞬発力が顔を覗かせる。今回のシングル収録曲で言えば疾走感に溢れた「Long Way」が従来の卓偉さんのシングル表題曲のイメージだと思うんですけど、「3号線」のような大作を真正面からぶつけてくる武骨な面も近年は垣間見られるし、レパートリーの幅広さが半端じゃないですよね。
卓偉:「3号線」はジョン・レノンだと思うんですよ、叫びという意味でも。音楽的なアレンジという意味ではポール路線の曲も入っているんですけどね。何と言うか、叫ぶこと=ただシャウトをすればいいってわけじゃない。そんなことを「3号線」を作りながら理解できたんですよ。ジョンの「Mother」にももちろんシャウトは入っているんですけど、ただ闇雲にシャウトすればいいってもんじゃない。まだ発展途上ではありますけど、それを感じながら音楽を作れているのかなとは思いますね。