リアル・ストーリーを描く時が来た
──「3号線」は実在する幹線道路に隔てられた母と幼い兄弟の別離と深い悲しみを赤裸々に描いた楽曲で、卓偉さんにとっては珍しく実話に基づいて生まれたものですよね。これまでにも「福岡」(2004年9月発表の『VIVAROCK』に収録)という家族に捧げたナンバーがありましたが、何かきっかけみたいなものがあったんですか。
卓偉:いきさつというほどの話でもないんですけど、「3号線」の原型はAメロがラヴ・ソングになりかねないコード進行だったんですよ。サビはこのままだったんですけどね。最初はその譜割りに合わせて歌詞を書いていたんですけど、何パターン書いても書き切れない思いがしこりのようにずっとあったんです。そんな時に「3号線」の情景がふと降りてきたんですよね。明け方だったんですけど、何でこんなことを突然思い出したんだろう? と自分でも思って。で、“これは今のうちに書き留めておかなくちゃ”と思い立って、短編小説を書くかのように思い付いたことをダーッと書き連ねていったら、一気にノート2枚分くらいになったんです。その時にテーマは「3号線」以外にないと確信したし、この曲を形にするなら「3号線」というタイトルしかないと思ったんですよ。今は先に書き上げなくちゃいけない歌詞があるのに、何でこのタイミングで「3号線」というテーマが降りてきたんだろう? と思ったんですけど、「3号線」の原型の曲にサビだけ上手いこと合ったんです。後日、平歌で書きたかった詞をウチのボスに見せたら、「これ、譜割りに合ってるの?」って訊かれたので、「いや、全然無視してますよ」と。その時点ではラップにするかフォークにするしか方法がなかったんですよ。そしたらボスが「この詞はびっくりするほどいいから、この詞にハマるAメロとBメロを作り直そうよ」と言ってくれたので、思い切って書き直すことにしたんです。
──結果的に詞先になったということですね。
卓偉:そうなんですよ。リアル・ストーリーを基に歌詞を書き進めて、フィクションをどんどん排除していったら、自ずと突き刺さるものになってきて。自分としては経験したことをそのまま素直に書いただけなんですけどね。これだけパーソナルな曲は「福岡」以来かもしれないけど、自分が感動できる本や映画も常にリアル・ストーリーなんですよ。本なら自伝だったり、映画ならドキュメンタリーだったり、その人にしか歩めなかった人生を見ているだけで素直に感動できる。自分はそういうタイプの人間で、フィクションの世界にはあまり引き込まれないんですね。「3号線」の場合も徹頭徹尾リアル・ストーリーじゃなければその世界観を描き切れなかったし、すべてを包み隠さずに唄うべきだと思ったんです。もちろん、歌になる言葉は選ばなくちゃいけませんけどね。だって、「親父とお袋が離婚して…」なんて言葉は歌詞になりませんから。だからまぁ…そういうリアル・ストーリーを描く時が来たのかなと。それで2ヶ月近く掛けて詞もアレンジも完成に漕ぎ着けたんです。
──大団円を迎える場面で唄われる「Mama, Don't go away...」というフレーズは、ジョン・レノンの「Mother」を彷彿とさせますね。あの曲もジョンが幼い頃に経験した両親との別離をテーマにしたものじゃないですか。
卓偉:「Mother」の訳詞も改めて何度も読んでみたんですよ。「母さん、僕はあなたを必要としていたけれど、あなたは僕を必要としていなかった」、「父さん、僕はあなたを必要としていたけれど、あなたは僕を必要としていなかった」。だからそれぞれにサヨナラを言う、と。ただ、今聴くと意外と情景描写がないんですよね。あくまで心の叫びをメインに描かれていて、当時の事実背景はジョンの若き日を描いた『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』みたいな映画を見たほうがよく判る。自分がリアル・ストーリーを基に曲を書くんだったら、絵本をめくるように描写が見えるものにしたかったんですよ。
──見事に意図した通りになっていると思いますよ。3号線を境にしてお母さんを乗せたバスが夕闇の中へ消えていく、それをただじっと見届けることしかできない幼い兄弟が抱えるやり場のない悲しみがまるでドキュメンタリー映画のように脳内に映像が喚起されますからね。
卓偉:不思議なもので、歌詞を書く時はしっかりと情景を描写しないと自分の身体にも入ってこないものなんです。フィクションの歌詞を書く時も同じように気を留めているんですけど、なかなか難しい。その点、「3号線」は自分が実際に見た景色をそのまま書くわけだから情景を描写しやすかったですね。リアル・ストーリーの場合は普通に書くだけで情景描写になるんだなと再確認しました。
──そこまでパーソナルな楽曲だったからこそ、ドラムとストリングス以外はすべて卓偉さん一人で演奏しようと試みたわけですか。
卓偉:そういうわけでもないんですよね。たまたまそういう時期が来たと言ったほうが正しいかもしれない。ミュージシャンって、30歳を過ぎた頃に一人で楽器をすべて演奏したがる時期が来るような気がするんですよ。たとえば、ポール・マッカートニーもビートルズが解散して『McCartney』から『Band on the Run』まではほとんどの楽器を自分で演奏していたじゃないですか。吉井和哉さんも最近はマルチ・プレーヤーぶりを発揮されていますよね。僕の場合も、今までいろんなミュージシャンとセッションを重ねていろんなことを学んできて、そろそろ自分一人でやってみてもいいかなと思った時期が来たんでしょうね。あと、自分の演奏を突き詰めてみたかった。誰かに頼んで弾いてもらっていいテイクを生み出す選択肢もあったんですけど、ギターとヴォーカルに加えて自分がベースを弾くとどうなるのかが楽しみだった部分はありますね。まぁ、ベースはホントにシンプルなことしかやっていないんですけど。