Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー常見陽平(作家/人材コンサルタント)

「ロック」な働き方のススメ。

2011.05.18

就活やキャリアに関する多数の著書をもち、若者から熱い支持を受ける作家/人材コンサルタントの常見陽平さん。6/26には阿佐ヶ谷ロフトAにてメディアと就活を語るトークイベントに出演していただくのですが、打合せで伺ったところによると常見さんは新宿LOFTの熱心なお客さんでもいらっしゃるとのこと。人気人材コンサルタントが語るロックな働き方、生き方と新宿LOFTの思い出を伺ってきました。(インタビュー・文:児玉恵子/阿佐ヶ谷ロフトA)

一度は諦めた場所にいつの間にかいる

──ロフトのようなアンダーグラウンドな場所にいると「人材コンサルタント」というお仕事もあまりなじみがなかったりするのですが、常見さんのお仕事を一言で説明して頂くと?

一言で言うと、「若者×(かける)働く」これが私のキーワードです。これに関わる仕事にマルチにとりくんでいます。
厳密に分類すると3つぐらいの仕事をしていて、その一つが「人材コンサルタント」という仕事です。主に新卒採用をする企業のお手伝いをしています。就職難が問題になっていますが、企業も実は採用に困っています。企業の側から言うと「採りたい人がいない」のが課題なんです。大手企業でも、少し地味な企業だと欲しい人材からの応募が少なく、困っています。採用を成功するための、会社説明会や選考の設計などのお手伝いをしています。
また、大学のキャリア教育のお手伝いもしています。大学を卒業したからといって、誰でも就職できる時代ではありません。いまや大学は全国に約780ありますし、18歳人口の約半分以上が大学に行く時代になりました。大学にとって、学生がキャリア形成できるのかどうかは大事な課題です。卒業後の社会の現実を伝えた上で、働くことに希望を持てるようなプログラム作りをお手伝いしております。
また、物書きの仕事をしています。2007年にデビューし、商業出版でこれまで15冊書いていて、いま連載も月6本くらい、結構な本数書いてますよね。
もう一つの仕事が「大学講師」をしています。非常勤講師なんですけれども。実践女子大学、白百合女子大学、武蔵野美術大学で教えています。「キャリア教育科目」を担当しています。教えることもまた、エキサイティングな仕事です。
このように「若者×働く」をキーワードにマルチに活動しています。アウトプットのスタイルは違うんですけど、若者が仕事に夢を持てて、イキイキと働ける社会作りのために、オピニオンを発信したりとか具体的にお手伝いしているということですね。

──若い頃からそういう仕事につこうと目指していたのでしょうか?

目指していた部分と、結果としてそうなった部分がありますかね。
私自身、仕事漂流をしています。もともと生まれてから20才まではジャーナリストか物書きか大学教授のいずれかになりたかったんです。でも、大学2年生のときに良い先生との出会いがあって、この先生のもとで学びたいと思ったのです。僕は元々は社会学をやりたくて、一橋大学の社会学部に入学したんですけど、その先生は商学部の先生だったんですよ。で、いとも簡単に転学部しちゃったんです。3年生から商学部の学生になりました。商学のことはまったくわからないから、単位を落としまくったんですけども、その先生のもとで学んで、ビジネスをやりたいとか、起業したいという志向になったのですね。
氷河期時代の就活を経て、理不尽な思いなどもしつつ、新卒でリクルートに入社して、営業や企画の仕事をしていました。トヨタ自動車との合弁会社立ち上げに関わったこともあります。その後玩具メーカーに移って、そこで新卒採用を担当したのです。そのときに、あ、新卒採用面白いな、と思ったんです。
気付けば全てがつながっています。大学のゼミの先生が元コンサルタントだったので、周りにもその業界の志望者がいて、自分もコンサルタントになりたいなと思ったりしていました。他にも、ベンチャービジネスやりたいなとか、物書きになりたいなとか、若者を応援する仕事がしたいなとか、昔、考えていた夢が融合して今に至る。意図したような、一部偶然のような、そういうもんですよね。

──おっしゃった夢が今はすべて叶っている状況ですね。

そうですね。でも、それぞれ一度は捨てていた夢なんですよ。マスコミとかも就職先として一度は諦めたのにいつの間にかこの場所にいるんだという感じですよね。無駄な経験なんて一つもない。キャリアにはアップもダウンもない。進路は続くよ、どこまでもで、すべてはつながる。そう思っています。

ライブではいまでも必ず前のほうにいます。

──そんな常見さんが新宿LOFTに通い始めたというのはいつ頃でしょう?

僕は昔からロック小僧で。北海道にいた中学生ぐらいのときから「東京にはタイルが黒と白の目のライブハウスがあるんだ。」って。当時は昔の(小滝橋)ロフトだったんですけど、ここかっこいいな、って。憧れのミュージシャンとかもここでライブやってるんだ、と。昔のロフトが移転っていうか一旦休んだときにその反対運動とかも見てて、東京行ったら絶対ロフト行くんだとか思ったんだけどなかなか行けなくてね。初めて行ったのはなんだったかな?BAD SiX BABiESかな。そのライブで2001年くらいに新しいロフトに行ったのを覚えています。あとよく覚えてるのが、Dachamboっていうロフトのレーベルのバンドのギター兼ボーカル(AO)が高校の同級生なんですよね。それで、よくロフトのオールナイトのイベントに行っていたんです。すごく面白かったんですよ当時。出るバンドも豪華で。シアターブルックの佐藤タイジさんの別ユニットのSun Paulo(サンパウロ)がやっていて、すさまじい音を出していて、他にも、今はDragon Ashでギターを弾いているhirokiさんのユニット、stroboが出てたり。全体もヒッピーな雰囲気ですごく良くて、朝方にDachamboが出て、大騒ぎっていう。
最近だと一週間に2回行った週があるんですよ。ひとつが雨宮処凛さんプロデュースの「バンギャル ア ゴーゴー」。あれ絶対シリーズ化した方が良いと思うんですよ。お客さんの95%くらいが女性で、男子は僕くらいだったと思うんですけど、昔 X JAPANとかGASTUNKとかDEAD ENDとかが出始めの頃に音楽小僧だったので。ビジュアル系は進化して、愛されているんだって思いました。参加した女子達がとっても楽しそうに騒いでいたし、バンドメンバーもみんな美少年で生き生きとしていて、バンドって良いなと思ってね。良い企画だったな。もうひとつはDachamboの毎年恒例イベントに行きました。

──いまでも頻繁にライブハウスに行かれているんですね。

今ではだいぶ落ち着きました。一時期ライブハウス通いをしていましたね。仕事を6時に帰る日と24時まで残業する日とメリハリつけてね。外タレからインディーズから諸々含めて。社会人3年目とか4年目の頃は週3日とかライブ行ってましたね。スーツでメタルのライブに行ったときは死ぬかと思いましたけどね。
今は、音楽ファンとして楽しんでいます。私たちファンも年とってるしミュージシャンも年とってるんですけど、アラフィフのヘビーメタルバンドがライブをやっていて、まだ一応髪がある人は長くて、来てるファンもおばさまたちがこの日だけは肩出してみましたみたいな人とか、僕も含めておっさんたちがヘビメタTシャツを着て川崎クラブチッタに集まる様子とかが微笑ましくて好きで。この人たちも会社で営業とかやったりとか、おばさまたちも仕事や家庭があるのだと思うけど、みんなロックが好きで。昔の緊張感とかはないのかもしれないけど、なんか微笑ましいなあと思っていてね。
ライブではいまでも必ず前のほうにいます。ロフトではダイブしようとしたら叱られたこともありますね。昨年も、36才になった春に川崎クラブチッタでダイブしましたよ。死ぬかと思いました。お客さんも36才のおじさんが降ってくるとは思わなかったと思う(笑)。

反骨精神はトークでも書籍でも大事にしている

──私が初めてロフトで常見さんのお名前を伺ったのが、中川淳一郎さん(ネットニュース編集者/「ウェブは馬鹿と暇人のもの」著者)のイベントで、中川さんの断髪式のジャッジを常見さんにやってもらうというお話があって。結局お仕事で間に合わずいらっしゃらなかったんですが、その後も切込隊長さんのイベントに乱入する予定が間に合わなかったり、いつ来るかいつ来るかと思ってました(笑)。中川さんとは一橋大学のプロレス研究会でのお知り合いなんですよね。

そうなんですよ。これは僕の大好きなエピソードなんですけど、彼は大学二年生の秋に突然僕に「ファンなんです」と学校の中で声をかけてきてくれたんです。それをキッカケにお友達になって、そのあと3年生になる頃くらいに僕のいたプロレス研究会に入ってきてくれたんです。そもそもなぜ、大学時代、プロレス研究会だったかというと、経緯としては、僕は高校のとき軽音楽部だったんですけど、同期にDachamboのAO君がいたし、他にも上手い人とかプロ並の人がいたんですよ。それが大学に入ってサークルどこにしようかと思ってたら新歓(新入生歓迎演奏)で遠くの方から下手なNIRVANAが聞こえてきて、これに4年間費やすのはどうかと思って大学ではバンドをしないっていう意思決定をしました。僕は体育会とかテニスサークルは肌に合わないと思ったんで、プロレス研究会の門を叩いたんですよ。最初は先輩の言いなりでなんとかやっていたんですけど、二年生になったときに先輩達が就職活動を始めたので、なんとか自分たちが責任をもって動員を頑張らないといけないと思って、動員を頑張るには目立つことだと思って、バカなことをいっぱいやったんですよ。

──プロレスの試合でバカなことを?

いやリング外で(笑)。少林寺拳法部が新入生歓迎演舞をやっているところに乱入をしたんですよ。

──「プロレス的」ですね(笑)。

ええ。先輩と一緒に乱入をして、先輩はマイクで煽るだけで、僕が向こうの代表とみんなの前で戦って負けました。ちなみに、そのとき後ろに並んでいた中にはイラクで拉致されたジャーナリスト安田純平さんがいたんです。大学の先輩でした。奇妙な縁ですよね。
あとは、英語の先生ですごく嫌われているアメリカ人がいて、その先生を制裁するっていう内容をフリーペーパーに書いて学内中にまいてね。実際に挑戦状を送ったんだけど先生には「そんなくだらないことはしない。銃を持つなら出てやってもいいぜ。」とか言われて。それで今度は「勝利宣言」とか書いて配って、そんなバカなことをいっぱいやって、それがいつの間にか人気フリーペーパーになってたんですね。で、中川は毎号それをコレクションして読んでいて、今度は一緒に書くようになったという。それから学内で乱闘したりバカなこといっぱいやったかな。

──中川さんを見ているとトークでもプロレス的なトークをしますよね。

根っこに流れているものは一緒で、中川は「ある意味オレもお前もいまでもプロレス研究会やってるよね」っていうのをよく言っています。知的でありつつも「バカヤロー、コノヤロー」ていうプロレス的な健全な怒りとか、僕でいうとロックでもあったり、そういう反骨精神はトークの仕事でも書籍でもお互い大事にしてるなーと。

──学生さんに仕事のお話をするときも、ロックな経験を生かしたお話をされますか?

そうですね。仕事もやっぱりロックなんですよ。髪を切って黒くしたとしてもやっぱりロックだと思っています。世の中を幸せにするものは「健全な怒り」だと思うんですよね。例えば「カルピスウォーター」という商品があります。80年代半ば以降に生まれた人にとっては、これがあるのが当たり前だと思うのですけど、昔は、「なんで外でカルピスを飲めねーんだよ!」っていう、これは不便だよな、なんとかしてくれコノヤロー、っていうところから生まれた新しい商品だったわけです。営業の仕事もね。営業って世の中ではぺこぺこしているイメージがあるけどそんなことはなくて、「なんとかしたい!」っていう人に「これありまっせ!」っていうのが営業なんです。
まあ、就活も仕事も茶番だらけなんですけど。そこに対する、やっぱり健全な怒りを持ちつつ、「じゃあどうしよう」って言って幸せにするのがロックであり仕事なのかなって僕は解釈してるんですよ。

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LIVE INFOライブ情報

2011/6/26(日)阿佐ヶ谷ロフトA
「3.11はメディアと就活をどう変えるか?」

【出演】
常見陽平(人材コンサルタント・作家・大学講師)
 常見陽平公式サイト
 http://www.yo-hey.com
 『「キャリアアップ」のバカヤロー』
 http://www.amazon.co.jp/dp/4062727110
 『脱アコガレ!これが真実のマスコミ就活だ!!』
 http://www.amazon.co.jp/dp/484713317X
霜田明寛(『マスコミ就活革命』『パンチラ見せれば通るわよっ!』著者)
 『マスコミ就活革命〜普通の僕らの負けない就活術〜』
 http://www.amazon.co.jp/dp/4847133153/
 『テレビ局就活の極意 パンチラ見せれば通るわよっ!』
 http://www.amazon.co.jp/dp/4904500032/


「就活」は終わったのか?
「メディア」は終わったのか?
3.11後のマスコミ就職の具体的な現状から、「メディアとは?」という根源的な問いかけまで。
常見陽平と霜田明寛のバトルトークと客席との質疑応答を通して就活とメディアの現在・未来を探ります。

OPEN12:00 / START13:00
予約¥1,000/当日¥1,100(要別途飲食代)

予約は阿佐ヶ谷ロフトAウェブ予約・電話予約で受付中!
ウェブ予約:http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/
電話予約:03-5929-3445 (17:00〜24:00)

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